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十 黒に染まるか、白に塗り返されるか

「というわけで、ママ。この子は実験場(ここ)でしばらく預かってくれるかい? 吉原の見世じゃ、坊やの遊び場には狭すぎるみたいだ」

「アタシたちいろんな準備で忙しいんだから、悪ノリしすぎないでよねー。とくに白玉ちゃん」


 そう言い残し、(しのぶ)(あまね)は花街へと戻っていった。

 釘を刺されたにも関わらず、当の白玉は無反応だ。珈琲を一口飲んでは苦味にしかめっ面している。


「にがー。なんでこんなの広まっちゃったんですかねえ。ぼくはお茶のほうがいいや」

「うん、他人の話はあまり聞かないタイプだね、少年」


 さて──と脚を組み直して座り、白衣の女性・胡蝶(こちょう)は机のうえに置いてあった報告書を読みあげた。


「筆名は白玉、または(しらたま)。作風は不条理かつ実存主義的で、論理的な構成が特徴。論理的……?」

「あ、疑わしそう」

「出身地は東京市浅草区。満十七歳。江戸からくり人形師の家系に生まれ、父親の死後に四代目・志木井(しきい)涸涸(こがらす)を襲名。戸籍上の名は志木井玉城(たまき)


 突然出てきた自身の名に、白玉はきょとんと目を丸くする。


「ひさびさに呼ばれたなぁ、本名(それ)。あっちでも全員は知らないですよー」


 しかし、やはり関心の外だ。散らかった床に直接座り込んだまま、周囲の道具を(いじ)りはじめた。


 呼びつけたものの、取扱い厳重注意の少年である。下手に暴走されては黒菊にとっても脅威となる。

 どうやって気を引こうかと胡蝶が机に肘をついて思案していると──


「ねえねえ。ぼくにはうまく判断できないんですが、胡蝶ママさんて、キレイですか? 女性が憧れるくらいものすごい美人ですか?」


 白玉のほうから、話を切り出してきた。


「ん~~? 自分でいうのもなんだけど、そりゃあね? 現代なら帝都のど真ん中に豪邸が建てられるくらいの身請け料が支払われた伝説の太夫ですから~。うへへ」


 胡蝶はにへらと相好を崩す。


「あの頃のあたしってば、自慢の髪も真っ黒で艶々で、それはそれは美しかった……と、思う。たぶん。おそらく。浮世絵によると。昔すぎて記憶が曖昧」

「髪の毛はなんで白くなっちゃったんです?」

「あーね。元々貧しい漁村の出身でさ、口減らしに売られたわけよ。海育ちだから吉原に来たばかりの頃は色黒でねー、ずうっと気にしてたんだ」


 遊女として過ごすうちに肌は白くなっていったが、胡蝶は外に出ようとせず、陽に当たることもほとんどなかった。当時の菊小路家当主がいつも手土産に持ってきていた最高級の白粉(おしろい)も決して手放さなかった。


「なるほど。形容化されたときに願望が反映されて、色素抜けちゃったんですね」

「そそ、たぶんそゆこと」

「叶ってよかったですね! ぜんぶ真っ白!」

「少年は乙女心がわかってないねえ。ま、吸血鬼みたいになった今じゃ外見なんてどうでもいいや。どうせ敷地から出ないもん」

「珈琲やっぱりにがー」

「聞いてないし」


 西洋茶碗の皿には生クリームと砂糖が添えられていた。白玉はようやくそれらに気づき、とぽとぽと大量に注ぎはじめた。

 真っ黒だった珈琲の表面で白い線が螺旋を描く。またたく間に烏賊墨(セピア)色へと染まっていった。

 

「あまい。まろやか。飲める」

「そりゃよかった」

「それでですね。ぼくの姉さんも、クラスメイトみたいにキレイになりたいってよく言ってたんです。なのに髑髏(どくろ)のままじゃかわいそうだから、どうにかしてあげられませんか?」


 少年の頼みを聞いた胡蝶は、目を細めて柔らかく微笑んだ。

 眠たげな瞼の奥で、血色の瞳が微かに光る。


「分けてあげよっか」

「なにを?」

「あたしの髪とか皮膚、少年のお姉さんに分けてあげるよ」

 

 色素のない白い手のひらが、癖毛のざんぎり頭に触れる。

 やさしく撫でられた白玉は無邪気に笑い返した。


「やったー! 胡蝶ママさんいいひと!」

「理想が反映されるってことは、まさしく(まが)い物の証拠だと思うけどねえ……」


 耳に入っていても聴いてはいない。

 なんでもいいのだ。この少年は、自分をいちばんに見てくれる存在をただ欲しているだけなのだから。


 菊小路に命じられるまま、多くの孤児を庇護下に置き、操觚者(そうこしゃ)や兵として育ててきた胡蝶である。飢えた子供には直感で気づく。


「ところで、本郷(ほんごう)真虎(まさとら)さんは?」

「ん?」

「あの方も、蔵相さんが蘇らせた死者なんです?」

「あー、そうだね。もう死んでる。あたしより全然最近だけどね。ただ本郷センセは生きてるときから黒菊の幹部だったんだよ。だから一方的に起こされたのとは違うかな」

「? 途中で死んじゃった?」


 この少年が本郷に興味を持っているのは予想外だが、今は警戒心を取りはらって懐かせるほうが優先だ。挙動に反して知能が高いため、いずれは自然と知るだろう。隠し立ては逆効果になりかねない。

 胡蝶はそう判断し、ある程度の内情は明かすことにした。


「まだ少年によって『幻想写本』の封印が解かれていない頃、ボスはその力を手中に収めるための施設を作った。でもセンセは途中で抜けようとしたのさ。つまり一度は裏切ったんだ」

「へええ。なんか意外……」

「きっかけは大作家といえども、まあ俗っぽいものだね。自身に子ができたもんだから。ボスの大義に賛同はしていたものの、捨て駒にするべく孤児を育てるのが嫌になったんだろうね。そして、妻子のいる大阪に逃げた」


 子とは、かつての仲間を指しているのだが。

 白玉がその事実を知っているのかどうか、反応から窺い知ることはできない。


「それで? もしかして、殺したんですか?」

「まさか。殺せやしないよ。あの人は剣術の達人で、強大な操觚者でもある。まだ若造だった四天王たちはもちろん、ボスも含め、純粋な戦闘能力であの人に勝てる者なんかいなかった。結局病気で死んだんだよ。ボスはセンセが死ぬのをただじっと、何年も待っていただけ。不気味なくらい粘り強いんだから、まったく」


 そして、死んだ後に遺体を“再利用”した。

 本郷が入院していた帝国大学医科大学付属医院は、完全に菊小路の息がかかっていた。親族を欺いて中身(・・)の入れ替わった葬儀を出し、体を回収するのも容易いことだった。


「ふーん……。形容化は残った想いや感情を媒体にするから、はからずも本人の強い願望が投影されることが多いですが。あのひとの願いは、いったいどんなものだったんでしょうね?」

「さあねえ。勝ちたければ考えてみるといいよ。本郷センセがいる限り黒菊が落ちる気はしないね。死してなお、強さでいえばうちの双璧のひとりだから」


 と、胡蝶は冗談めいた発言でからかった。


「あ、ぼくが裏切者だからって、また裏切ると思ってますね!」

「研究者はあらゆるパターンを想定する、それだけ」


 実際、この少年をどちらが保有しているかで戦局は大きく動くだろう。

 黒菊の母はそう予測していた。


 黒に染まるか、白に塗り返されるか、だ。



 ***



 浅草の施設から戻った周と偲は、吉原遊廓の仲之町(なかのちょう)通りをならんで歩いていた。

 

 女装花魁と男装俳優という異色の組み合わせだが、ここではすっかり見慣れられている。むしろ遊女たちから憧憬の視線を投げられるくらいだ。


「ほんとうに置いてきて大丈夫だったかしら。ママがいる故郷だけは、なんとしても死守しなきゃならないのに」

「周姉は家族(・・)想いだな。心配ないよ、連中も下手に動けない。先手を取るために『裏切者』まで用意したんじゃないか」

「要は、人質よね。って、ヤツらが白玉ちゃんを取り返しに来なかったらどうするのよ。以前のように雲隠れされたら厄介じゃない」


 道ゆく女性たちに手を振り返しながら、偲は静かに笑った。


「来るよ。彼らは必ずやってくるさ」

(ばく)ちんが聞いたらヘコむわよー。あの子のときは誰も来なかったんだから」

「獏の坊やが大事にされていなかったという話じゃないよ。ガタガタになっていた新世界派の歯車は、欠けていたピースが()まって美しく回りはじめた。今の彼らならきっと、仲間のために立ち向かう強さを持ち合わせていることだろう」


 ふたりの脳裏に浮かぶのは、とある青年。

 黒菊にとっても重要人物(キーマン)である本郷真虎の血縁とは、いったいなんの因果だろうか。


「じゃあ計画通り、接触はこっちからね。目的は『幻想写本』の原本及び宿主の八来町(やらいちょう)八雲(やくも)。他の邪魔者はブッ殺せばいいんでしょ。アナタみたいにゴチャゴチャと企てるより、アタシはコッチのほうが得意だもの」


 鮮やかな朱赤の打掛からのぞく周の腕が、びきびきと血管を浮かせて盛りあがった。


「決戦開始の合図には鬱金香(うこんこう)を向かわせている。彼女は(うれい)兄のお付きとは思えないほどしっかり者だから、まかせて大丈夫だろう。情緒さえ安定していればだが。念のために藤も待機させておいた。場所は帝大医院のあたりかな」


 台詞じみた口調、舞台にいるかのような動作で、偲は宣言した。


「一人の裏切り者と一人の退場者。新世界派は最低でも二人の仲間を早々に失うことになる。歯車の完璧な美しさゆえ、一部でも欠けてしまえばあとは脆く崩れ落ちるだけ。私の予言は概ね当たるだろう。さあ、今夜が序幕(プロローグ)だ」

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