七 それぞれの執着
吉原遊廓、揚屋町。
飯屋をはじめとした商店が軒を連ね、商業区と居住区をかねた妓楼のない区域である。
そのうちの一軒である甘味処に、三つの人影があった。
黒菊四天王最年少の恐怖小説家・名刃里獏。
彼の付き人である齢九つの詩人・茉莉花。
そして、新世界派から姿を消した眼鏡の少年──漆塗りの匙を口に運びながら、白玉は呑気な口調で言った。
「おいしーい。見た目もキラキラで綺麗。獏さん、なんでぼくにこんないいもの食べさせてくれるんですか?」
「いや自分の分は払えよォ!?」
「一厘も持ってないです。お財布置いてきちゃった」
「ぐゥ……」
みつ豆や求肥が宝石のように盛られていた椀はすでに半分減っている。いまさら取りあげても無駄だと悟り、獏は口ごもった。
ほとんどくっつくようにして彼の隣に座っていた、黒い振袖におかっぱ頭でませた口調の少女が口を挟む。
「ボク、お金くらいいくらでも持ってるからべつにいいよ。てゆーかたぶん払わなくても勝手にお祖父様のところへ請求回るだけだし、獏ちゃんは気にしないで」
茉莉花は蔵相・菊小路鷹山の実孫でもある。
一見粗暴な若者にしか見えないが、獏の生家は日本でも有数の公爵家だ。華族としての家柄は菊小路家よりも数段格上のため、子供ながらに気位の高い茉莉花は獏にしか懐かないのである。
「やったー。茉莉花さん、さすが蔵相の孫! お金持ちですね!」
「平民がボクに気安く話しかけないでね」
「ええ……平民でスミマセン。実家はそれなりに裕福だったんだけどなぁ。まあ、おふたりの家とじゃ比較にもならないですけどー」
不器用にみつ豆を掬いながら、「あ、そういえば」と、白玉は言った。
「獏さんて、ぼくのこと嫌いなのかと思ってました。おいしいものをくれるなら好きですね?」
「テメェを嫌う理由はねェだろうが。ってべつに好きでもねェけど!!」
「だって昔、思いっきり殴られたことあるじゃないですか」
「あんときは……嫌いとかそういうんじゃねェよ。ただテメェが悪かった。それだけだろォ?」
「ぼく、なんか悪かったかなー」
「やっぱ嫌いかもしんねェ……」
内容に反して、少年の表情はあっけらかんとしている。
代わりに茉莉花が鋭く反応し、日本的な切れ長の瞳をキッとあげて睨んだ。
「ちょっと。殴られたって、キミ、獏ちゃんになにしたのさ」
「さっき話しかけないでって……」
「平民がボクに言い返さないで。いいからさっさと教えて」
「はぁい」
獏は自らの意思で新世界派を出ていった。
とはいえ、当時仲間との関係が悪かったわけではない。今の状況からは考えられないほど仲良くやっていたのだ。
だが、従兄弟であり親友でもあった十里と信頼が崩れてからというもの、全員と距離を置いて孤立するようになった。
そんな折、白玉が追い打ちをかける発言をしたのである。
「獏さんのお父さん、死んじゃったって聞いたから……。会いたいなら、生き返らせましょうかって言っただけなのに」
「思いっきり地雷なんだよ! 踏んでくんじゃねェよォ、テメェはァ!」
「喜ぶかなって、思ったんです」
「なんでだよ。あんときも言っただろうが。いらねェよ、偽物なんか」
「本気で怒られちゃった。グーで殴られて痛かった」
茉莉花は冷ややかな目線を白玉に向けている。
「え、当たり前じゃない……?」
「ぼく怒られるのは嫌いだし」
「キミ、甘ったれてるなぁ。獏ちゃんにイヤなこと言ったらボクも殴るからね」
「気をつけまーす」
と、口では言いながらあまり反省してなさそうな態度である。
偽物、という言葉に獏が含めたのは。
父だけではなく、八雲やおみつに対してもだ。
彼は言葉遣いに似合わない丁寧な所作で匙と椀を置くと、深く座り直してため息をついた。
「小生にゃ新世界派の連中がやってることは理解できねェし、テメェのことだってそうだ。死人を生き返らせてなにが楽しいんだかァ!? 虚しいだけだろォが」
「んん? れもぉ、黒菊さんちだって似たようなことしてるじゃないれすか?」
白玉は匙をくわえたまま、首をかしげている。
「食いながら喋るんじゃねェ」
「ひゃい、スミマセン。えっと、蔵相さんが実験体って呼んでた、四天王さんのお付きの若い人たち……。茉莉花さんも含めて、藤さん、海石榴さん。あと一名はまだお会いしてないですが」
名を挙げられた茉莉花は、無言でお茶を飲んでいた。
「この方々、ふつうの人間じゃないですよね。文字の気配がずっと消えないですから。造りかたはぼくと違うみたいだけど、蔵相さんの造兵能力の発展なのかなぁ」
獏も答えない。が、白玉は構わず続けた。
「あと偉い人の本郷真虎さんと胡蝶太夫さんは死臭がすごいです。死人を造り替えたニオイっていうのかな……。なんか、変なモノ混じってますよね?」
しばらく黙り込んだ後、粗暴な若者はフンと鼻を鳴らした。
「上層連中がなにやってようと関係ねェな。小生は他の四天王らと協力する気もねェし、自分の復讐を果たせりゃそれでイイっての。だからテメェのことだって、理解はできねェが邪魔もしねェよ。テメェはテメェの目的で、小生は小生の目的で動くだけだ。勝手にしやがれィ。もう、仲間だのなんだのも必要ねェからなァ!」
「ほんとにー? 本心でですかー?? 帰るに帰れないだけじゃなくてー?」
「うるっせァ!! 知るか!! 厠行ってくるァ!!」
乱暴に席を立ち、獏が店を出ていく。その場には白玉と茉莉花が残された。
少女は始終そっけなかったが、今ははっきりと憎悪をにじませた瞳で白玉を睨んでいた。
「なんですか? 口のまわりに餡子ついてますか?」
「──お祖父さまが認めたのなら、仕方なくうちにいるのは許してあげる。でももしキミが、獏ちゃんをあそこに帰そうとしているのなら話は別だよ」
白玉自身にそんなつもりは毛頭なかったが──帰そうとしている、と聞いて。
真っ先に思い浮かんだのは、金髪ハーフの青年であった。
「んー。十里さんのことも、ぼくは好きですけどね? いつも優しくしてくれるから。獏さんがどこにいるとかは、とくにあんまり興味ないかなぁ。同じ東京なんだし、車ならすぐですよー」
「あ、その名前はボクの地雷だからダメ。元親友だかなんだか知らないけどさ。てゆーか距離の問題じゃなくて、敵と味方なんだけど。まあ、もういいや、キミちょっと常識通じないよね」
「子供に言われちゃった……」
冷ややかな空気に包まれた時間が過ぎ、ようやく獏が戻ってきた。
出ていったときと違ってひとりではない。キャピキャピと華やいだ低い声が店内に響く。
「ヤダー、ちっちゃい子が三人揃うとカワイー!」
「小生の背丈はフッツーだがァ!? テメェがデカすぎんだよォ!」
獏にからんでいるのは、黒菊四天王の周である。
そのガタイの良さにも関わらず、妙に花魁衣装が似合っている。
周を見上げ、白玉はにこにこして言った。
「新世界派のみなさんとだって喋るとき首痛かったのに、黒菊四天王さんはもっと上背の平均高いんですもん。獏さんだけは目線近くて話しやすいですねー」
「テメェよりは全っ然デケェから! 小生をチビの仲間に入れんなァ!?」
「指ニ本分くらいしか変わらないと思うけどなぁー」
「そのニ本がデケェからァ!」
花魁男は嬉しそうに頬を染めて、若者たちの姿を眺めている。
「ウフフ、じゃれてるのカワイー」
「つか、なにしに来たんだよァ!?」
「ママに頼まれてね、白玉ちゃんを迎えにきたのよ」
「ぼくですか? ママ?」
獏に後ろから締め上げられながらも、白玉は周に聞き返した。
「そう。連れてってあげるわ、アタシたちの“故郷”に」




