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六 心に残っていた大切なもの

 木刀同士の交わる渇いた音が、冬の朝に響いていた。


 タカオ邸の広々とした庭で揺れるふたつの影。

 (コウ)が薙刀で打ち込み、虎丸が木刀で受けている。


 赤髪娘が早朝から庭で稽古をしているのはいつもの風景だが、なまってしまった体を動かすため虎丸も参加中というわけである。


「は~受けるだけやけど、今はこんくらいがちょうどええ感じする。無理したら拓海に怒られるし。でも体力は早く戻したいなぁ」


 心地のいい運動量。だいぶ汗をかいたので休憩を取ることにして、花壇の縁に腰をおろす。身体を反らせて筋肉を伸ばした。

 並んで座っている紅の首筋にも、水の玉が流れ落ちてきらめいていた。


 だが、なにしろ十二月の朝である。動くのをやめた途端に体は冷えはじめる。発熱をぶり返そうものなら厳しい幼馴染に大目玉を食らってしまう。

 とくに何も考えず、虎丸は汗を拭こうと白いシャツを脱いだ。


「な、いきなり脱ぐなよ目の前で!!」


 すると意外なことに、紅は頬を赤く染めて顔をそむけた。


「あれ? 意外と女子っぽい反応……」


 男所帯に暮らしているせいか、普段は恥じらいなど滅多に見せない。想い人である八雲を前にしたときくらいだ。

 まさか気にすると思っていなかった虎丸は驚いたが、相手は一応年頃の娘なのだ。


「ごめんごめん。デリカシイなかったなぁ」


 と、謝ってシャツを着直した。



 ──そんな彼らの様子を、少し離れた物干し場から、遠巻きに見守っている者たちがいた。


 洗濯物を干している最中の(あかね)。そして、いなくなった使用人の代わりに手伝いをしている十里(じゅうり)である。


「わお、紅が意識するようになってる。お見合いの話、なにげにすごい効果あったのかな~。一歩前進だね!」

「虎丸さんは鍛えてるだけあって、脱ぐとかっこいい体してるものね」

「じゃあ紅の前では常に脱いでみたらどうだろう」

「それはただの変態よね?」


 盗み見しながら好き勝手な意見を交わしているうちに、会話はさらに急展開していく。

 


「なあ、紅ちゃん」

「んー?」

「八雲さんのこと好き?」



 数秒の間はあったが、それでもはっきりと、揺らぎなく娘は答えた。



「うん、好きだよ」


「……オレも好きや」



 背景には、柔らかい風にもたげるシクラメンの花。

 急だったが、雰囲気は悪くない。

 紅も目を見開いて虎丸を見つめ返している。


 ついに言ったかと、十里たちが拳を握りしめそうになったところで。

 


「八雲さんのことなら、オレだってめっちゃ好きやねん」

「──へ?」

「つまり、紅ちゃんが八雲さんを好きでも、オレもそうやから対等! お揃い! 問題なし!!」

「えっ? あ、うん、そーだな??」

「やろ!?」

「???」



 紅への愛の告白かと思われた虎丸の言葉は、思わぬ斜め上方向に飛んだのだった。

 赤髪娘は首をかしげていたが、理解するのをあきらめたらしく「まあいいか……」とつぶやいて洋館に戻っていった。


 物干し場のふたりも、洗濯物を握りしめて放心している。


「ん~。あの子はなにを言ってるんだろう?」

「なんなのかしら、どうしよう、意味がわからないのに一瞬納得しかけそうになったわ……」

「独特の感性だよねえ」


 ある意味、計り知れない男なのかもしれない。


 進展しているのか、していないのか。

 観察眼に優れた十里と茜をもってしても、よくわからないのであった。



 ***



 一度部屋で着替えてから食堂におりると、なにやら軽い騒ぎが起こっていた。


 なんと、女主人の阿比(あび)が朝食を作ると言いだしたらしい。

 母・文乃(あやの)はすでに始発の汽車で大阪へと帰っていた。なので当然、この屋敷でまともに料理ができるのはメイドの茜しかいないわけだが……。


「茜はいつも頑張ってくれているものね。今日はわたくしに任せて、休んでいて頂戴」

「は、はい……」


 メイド少年は完全に青ざめた顔をしている。虎丸には茜の不安が手に取るようにわかった。

 阿比は生まれながらのご令嬢育ち。釣り針にすら触らせてもらえなかったと話していた。無論、台所に立ったことなどないだろう。


 ここで赤髪娘も手を挙げる。

 

「あ、おれもおれも! 手伝う!」

「いや火に油ァ!!」

「いいのよ、虎丸さん……。八雲さんや拓様よりはマシだと思うことにするわ……たぶん……希望的観測だけれど……」


 台所は彼の城なので、荒らされたくはなさそうだが声にあきらめが混じっていた。


 八雲の不器用さは普段から見ていればわかる。そして完璧人間のはずの拓海も、手先を使う作業はいまいち怪しい。あの悪筆を思い浮かべれば推して知るべしである。


「外科医にはならんほうがええでって拓海に忠告しとこ。ジュリィさんと(あい)ちゃんは料理できへんの? 何でもそこそこ器用にこなしそうやけど……」


 そのふたりの席を見ると、十里は紅茶を飲んでおり、藍は喫煙中だ。


「うわぁ、優雅なブレイクタイム……。そういや根っからのボンボンやったわ、このコンビ。にしても、阿比さんはなんで急に?」


 紅はなんとなく予想がつく。文乃の手料理につられた八雲を見たからだろう。

 しかし、なぜよりにもよって女主人までが突然思い立ったのか。


 おとなしく椅子に座り、他人事のようにぼうっと騒ぎを眺めながらタヌキのアンナ・カレヱニナを撫でている八雲に向かって、阿比が言った。


「八雲、あなた洋食は苦手だったのね」

「食べられないというほどではありませんが、和食のほうが好みです。昔、初めて藍に連れられていった洋食屋のライスカレエが辛くて、それ以来あまり」


 昔、とは。

 暗に生前のことを言っているのだとわかった。


「そう。そうだったの。全然知らなかったわ」


 タカオ邸の食事は女主人の好みに合わせてほとんど洋食である。

 現在の八雲は形容化された人形だ。人々の記憶や想いで形を保っているので、栄養をほとんど摂らずとも生きてはいけるらしい。

 そのため食事の席にもあまり顔を出さなかったが、そもそも好みの問題もあったようだ。


 本人たちが八雲のために作りたいと希望するならば、これ以上とめる理由はない。

 そうして、女性二人が腕を振るった結果は──


「虎丸さん、もしかして逃げようとしてる?」

「ま、まさか~」

「だめよ? 主の気持ちを無下にしては。いただきましょう?」

「はい、喜んで~!!」


 この洋館で、女主人に逆らえる者などいない。

 それにせっかく張りきって作ってくれたものを、茜の言うとおり無下にするわけにはもいかない。


「料理は気持ちや……。そして食事は気合いや……」


 ──地獄の食事風景編、以下省略。



「さてと。オレも、いつまでものんびりはしてられへんよなぁ。そろそろ大阪に戻る算段つけなあかんな」


 一番の心残りだった八雲の大事な話を聞くことができた。

 本音では仲間を大切に思っているのだから、口論となった十里ともいずれ誤解は解けるはずだ。

 紅にも先ほどちゃんと自分の気持ちを伝えた(と、虎丸は思っている)。

 体調も問題ない。すぐ本調子に戻りそうだ。


 ならば現状、東京でやり残しているのは──



「よし、決めた。全員集合!!」



 朝食の後遺症で、それぞれぐったりしていた仲間たちを呼び集める。


「なんでしょうか。食後のお茶を飲んでいるのですが」

「なんなんだ、わりとわけわかんねーなオマエは」


 最初にやってきた八雲と紅を、両脇に抱き寄せた。


「いやーちょっと聞いてほしい提案があんねん」

「なになに? ハグ? 僕も混ぜてよ~」

「あ、わたしも!」


 遊んでいると思われたようで、十里と茜も入ってきた。


「拓海も混ざりたいやろ?」

「いやべつに」

「しゃーないなー、ほれ。藍ちゃんもー」

「食後の煙草くらいゆっくり吸わせろよ」

「ハグじゃなくてもう円陣だよね、これ」

「よっしゃ、今年こそ優勝するで!」

「ふざけてないで言いたいことがあるならさっさと言え」


 そして、拓海、藍も続く。

 いったい誰が喋っているのか。会話が混ざり合ってもはや混沌と化していたが、七人の円陣が完成した。



「なあ、みんな……」



 全員で顔を突き合わせている中──

 虎丸は、コホンと咳ばらいをしてから言った。



「白玉迎えにいこか」

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