二 三つのみつごころは交わらない
突然タカオ邸へやってきた虎丸の母・本郷文乃。
見舞いだけかと思えば、思いもよらない話を持ちだしてきた。
「は……? なんて? お見合い!?」
母曰く──『虎丸と結婚したいお嬢さんがいる』らしい。
斜め上の展開に、虎丸は文字どおり頭を抱えた。
普段ならもっと喜べたかもしれないが、何事にも時と場合というものがある。仲間がいなくなったり、揉めたり、体調を崩したり、とにかくもう次々と問題が発生している状況なのだ。
「や、今のこの深刻な空気で起こる感じのイベントちゃうやろ。悪いけどそれどころやないわ」
「お母さんも、うちの息子なんかお勧めできへんでって言うたんやけどな?」
「そこは親としてウソでも勧めてや!」
「先方が、どうしてもアンタがええんやて。家にいきなり仲人さん来てな、最初は詐欺かなんかやと思うたわ。ほら見てみ。ちょっといい家の娘さんやで」
隣にいる十里の興味津々な視線を浴びながら、手渡された釣書を開いた。三つ折りの紙に丁寧な筆跡で書かれた相手の身上が並んでいる。
「……大阪でもけっこう大きい酒問屋の長女で、女学校を卒業して花嫁修業中の十八歳。趣味は華道と俳句、特技は料理と裁縫。ぜったい引く手数多やん。なんでオレに??」
「去年暴漢に絡まれとるところをアンタに助けてもろたんやって。一人娘やから、婿入りして商家を継いでほしいらしいわ。まあうちも一人息子やけど、べつに継ぐもんもあらへんしなぁ。母子家庭なんがむしろちょうどええんちゃう?」
母子のやり取りを聞いていた十里は笑いだし、逆側の隣に座っていた幼馴染の拓海も茶々を入れはじめた。
「すっごいベタな惚れられかただね。っていうか、虎丸くん商家の若旦那になるの? ダメだ、似合いすぎ。耐えられない~」
「おまえは商売人向きの性格だしな。編集より合っているんじゃないか? 若旦那」
「頑張って大阪一の酒屋を目指そうね! 若旦那~☆」
「若旦那いうな!」
否定したものの、自分でも編集者の才能より商才のほうがありそうな気がして内心焦るのだった。
「うーん、絡まれたのを助けてって、よくあるしなぁ。どの人か覚えてへんかも」
「よくあるんだ」
「すぐ首つっこむんです、こいつは」
「御用聞きみたいだねえ。ね、気になるから早くお見合い写真見ようよ!」
「ジュリィさん、めちゃくちゃ面白がっとるな……」
なんとなく気の進まないまま、布地の台紙を開く。
写真には清楚なワンピースドレスを着た若い女性が写っていた。年下らしいが想像していたよりも大人っぽく、背丈も高そうだ。洋装のせいもあって女らしい体型がよく目立ち、妖艶でグラマラスな雰囲気である。
「……巨乳」
「バカ丸。第一声がひどすぎる」
「藍ちゃんも巨乳派だよ☆」
「日本一いらない情報ですね」
「べつにオレは派閥とちゃう。いや、なんでオカンの前でこんな話せなあかんねん。拷問か!」
「おまえの感想が悪い」
タカオ邸に母がいることにまだ慣れず、つい口が滑る。
文乃は男子三人の会話をにこにこしながら聞いていた。
「アンタ中学のとき家に友達よう連れてきてたやろ。いっつもこんな感じやったし、今更気にせんでも」
「嘘やん、男子中学生の会話筒抜け!? 何言うたかな、こわ〜」
「あの頃は細い子のほうが守ってあげたくなるから好きって言うてたで。何から守んのやろな」
「ちょ、ほんまにやめてや。オレ死ぬわ」
恥ずかしい過去が容赦なく全員に知られていく。が、ほとんど自らの墓穴である。
そして、仲間のはずの青年ふたりがさらに揺さぶりをかけてきた。
「お見合いがまとまったら逆玉の輿ってやつだよね。写真で見る限り、かなりの美女じゃない。どうするの~?」
「この機会を逃したら、もう一生おまえを好きになる女は現れないかもしれないな」
「ぐ、ぐぐぐ」
畳みかけられて唸っていると、額のあたりが急激に熱くなってきた。
「あかん。また熱あがってきた。なぁ拓海、このくらいおまえの能力でパッと下げられへんの?」
母に聞かれないよう小声で耳打ちするが、すげなく却下されてしまった。
「文字の付与は身体への負担が大きいんだ。発熱程度なら一時的に完治させることはできるが、体力を消耗して最終的な回復が遅れる。だから緊急時以外は普通の治療しかしない。丈夫だけが取り柄だろう、解熱薬は出してやるから自力で治せ」
「くそう。とりあえず寝るわ。見合いの件はあとで!」
そう言い残し、自分の部屋に戻ろうと席を立つ。
しかし、十里が含みのある言い方でさらに追撃してきた。
「あ~保留にするんだ~? 即答できないんだね?」
「……そういうんとちゃいます。説明が難しいけど、その、なんやろ。向こうが、オレを好きやって言ってくれるんなら……」
「おっと、まさかだよね」
片想いは苦しい。その片鱗ともいえる感情を最近初めて味わったばかりだ。
即答しなかった理由は『迷わなければ申し訳ない』と思ったからである。
「ちゃんと考えな、相手に悪いなと思いました」
「ちょっとびっくりした〜。もう結婚するつもりなのかと思ったよ。でも、前向きに検討するってことかい?」
「うぐぐぐ。それもちゃうくて。慣れてへん。慣れてへんねん、こういう状況は! もー無理や! 寝る!!」
「あ、パンクしちゃった」
半ばやけになって訴えると、ようやく十里も引いてくれた。
「ごめんごめん、からかいすぎたね。もう意地悪しないからさ」
「男に頭撫でられても嬉しくないわぁ……」
度を越した悪ふざけも、髪をわしゃっとされながらすまなそうに笑いかけられるとこれ以上怒れない。引き際のよさといい、憎めない青年だ。
それに、ただの好奇でからかっているわけではない。結局いつも仲間のためのお節介なのだと知っている。
「ほんなら、起きたらまた降りてきます」
「わかった。ゆっくり休むんだよ~」
食堂を出て、やっと騒がしさから解放された。扉を閉めた途端にどっと疲労がのしかかる。
足元がおぼつかないのは廊下に敷かれた絨毯の柔らかさのせいなのか、体調のせいなのかもはや不明瞭だ。
二階にある自分の部屋まで歩きながら、虎丸はぶつぶつと独り言をつぶやいた。
「めちゃ疲れた……。ジュリィさんは躊躇いもなく髪触れたりできる感じがモテるんやろな。オレが女やったらまんまととてたまやで。異国文化すごいわ〜。拓海はなんもせんでも立っとるだけで入れ食い状態やけど。は~、よう考えたら、オレも生まれて初めて女の人に交際を申し込まれたやん。いやぁ、でもなぁ……」
中学高校と男ばかりに囲まれて過ごし、恋愛経験などないに等しい。自分を好きだという人物がいきなり出現して混乱しないわけがない。
病みあがりで思考がうまく働かないせいもあって、許容量を完全に超えていた。
母からこの話を持ちだされたとき──どうしたって頭に浮かんできたのは、赤い髪の娘だった。
今はそれどころじゃないからと、ずっと自分の気持ちを意識の外に追いやってきたのに。
見合い話のせいで今すぐ心を決めろと迫られたような気分だ。
「嬉しいよりも、罪悪感やなー。モテる男も案外つらいわ。てかお見合い相手の人、紅ちゃんと完全に正反対やったな」
女性を比較するのはよくないだろうと口にはしなかったが、小柄で童顔な紅と、少なくとも外見はまるっきり逆だった。
虎丸が見合いをすると聞いたらどんな反応をするか、気にならなかったといえば嘘になる。
「まあ予想どおり、まったく興味なさそうやったよなぁ……」
青年たちが喋っているあいだも、紅は文乃の手土産である大阪銘菓『芥子餅』を無言で食べていたのだった。




