一 母、襲来
「やっと見つけたわぁ。すっかり暗なったなぁ」
「この声、まさか……。ごめん、ちょっと見てくる」
虎丸は仲間たちを裏庭に残して、ひとり正面玄関へと急いだ。
風呂敷包みを片手に立っていたのは、藤色の着物の上に道行衿コートを羽織った女性。
本郷文乃、虎丸の母である。
「……やっぱりオカン? なんでタカオ邸に?」
「なんや、虎丸。生きとるやんか」
「勝手に殺さんといてや!?」
「はー、歩き疲れた。タカオ活版所てえらい辺鄙なとこにあるんやな」
さらっとつっこみを流し、母は風呂敷と脱いだコートをひょいひょいと息子に手渡す。
昔から荷物持ち要員として慣らされている虎丸は、茫然としながらも条件反射ですべて受け取ってしまう。
「ここの所長さんに連絡もろて。子供の頃から風邪ひとつ引かんかったアンタが病気して寝込んだって聞いたら、居ても立っても居られんくなってなぁ。急いで大阪から様子見に訪ねてきたんやで」
「そ、それは心配かけてすんません」
「昨日の朝に東京着いてんけど、せっかくやから拓海くんのお母さんといっしょに銀ブラして、浅草で天津風しのぶの握手会参加して、お座敷天麩羅食べてきたわ。写真館で記念撮影もした」
「どこが居ても立っても居られんくなって!? めちゃ満喫しとるやん!」
やたらと重い包みは、東京観光の土産が大量に詰まっているらしい。
「まあ大丈夫やろって思うてたし。お母さん、アンタの頑丈さだけは自信あんねん」
「オカンに自信持たれてもなぁ。にしても、ようわかったな。この洋館の場所」
「拓海くんが先月うちに遊びにきたやろ。なんかあったときのためにって、所在地と地図を紙に書いて渡してくれてたんやけど」
「そうなんや。マメな男やな、あいつ」
「でも字があれで読まれへんかって」
「ああ……察した」
「せやから八王子から勘で歩いたわ」
「つっよ」
そういう虎丸も、編集長に渡された曖昧な地図からなんだかんだと勘でたどり着いている。この母にしてこの息子である。
玄関前でぐだぐだしていると、十里が様子を見にやってきた。
「もう、病み上がりなのに単独行動しちゃだめだよ──やあ、こちらの美しいご婦人はどなたかな。あ、虎丸くんのママン?」
「あらまあ、美しいやって。聞いた?」
「喜んだらあかん。今のはジュリィさんが初対面の女の人全員に言う定型文や。ボンジュウルくらいの意味やで。で、お見舞いはついでっぽいし、何しにきてん? 用事ないんやったらさっさと大阪帰りやぁ」
背を押して追い払おうとする虎丸を、十里が止める。
「こらこら。せっかくママンが会いに来てくれたのに、ちょっと冷たいんじゃない? 日本男児のそういうところ良くないと思うな~」
「う、嫌とかちゃうんですけど、なんかめっちゃ恥ずかしいねん……。急に現実に引き戻された気分や……」
幽世の如き洋館も、母親の存在で一気に現実的に変わる。
あと単純に、仲間たちに母との会話を聞かれるのが照れくさいだけだ。
「まだ思春期なんだねえ~」
「せやねん、社会人になったのにまだ思春期やで、この子。ふふふふ」
「あはは☆」
「妙な意気投合せんといて」
なぜかますます気恥ずかしい空気になっていくが、虎丸の気も知らず母親はマイペースに喋り続けている。
「そんでな、お見舞いはついでとして」
「ほんまについでかい」
「用事はふたつあんねんけど、まずは息子がお世話になっとる家のご主人と、住人の皆さんに一度ちゃんと挨拶しとかなあかんやろ」
なんとも親らしい理由だった。
が、ひとつ心配ごとがある。洋館の主人である阿比と母は、たしか同じ歳だったはず。
──でも、あの阿比さんやからなぁ。
めちゃくちゃ庶民のうちの母親とは気ィ合わなそー……。
生まれも育ちも大金持ちでやや世間ずれした女主人。はたして会話が成立するのかどうか。自分の第一印象と同じように、ここに住む青年たちを全員若い愛人と勘違いしないだろうか。
だが世話になりっぱなしなのは間違いないので、挨拶したいという母親の提案を無下にはできない。
「外は冷えるからさ、とりあえずママンを中に案内しよう? 僕、紅茶淹れるよ~」
「ありがとぉ、ジュリィくん」
「愛称で呼ぶの早いなー」
自分のことは棚に上げ、母・文乃と十里が楽しげに話しながら洋館に入っていくのを後ろから見守るのだった。
***
暖炉の炎で食堂はあたたまり、薪のはじける音が心地よく響いている。
紅茶を飲みながら上機嫌にくつろぐ母を眺め、虎丸は少し思い悩んでいた。
女主人に挨拶をしたいらしいが、目が覚めてから姿を見ていない。なにぶん忙しい人で商談だの買い付けだのと普段から留守がちだ。
思えば、今日はいろいろと起こったのだ。
意識が戻ると、白玉とおみつが消えていた。十里が八雲と言い争いをして怪我をした。虎丸は八雲から“伊志川化鳥”の正体と、本当の最終目的を聞いた。
藍と八雲はまだ離れの自室だろうか。ふたりで話をしているのかもしれない。誰よりも八雲に近しい藍は、なにを思ったのだろう。
タカオ邸に来てから、今まででいちばん濃密な一日だった。仲間がいなくなったのはなによりもつらく、体力もまだ全快していない。良いことがあったといえば膝枕くらいだ。
──仲間がギクシャクしとる最中で、はっきり言うてオカンをもてなしとる場合と空気ちゃうねんけど。
でも事情も話せへんし、ほんまに追い返すわけにもいかんしなぁ。
虎丸の心配をよそに、続々と仲間たちが集まってくる。
紅と茜の赤髪姉弟。その後ろから拓海だ。
「虎丸、勝手に走っていったと思ったら茶飲んでんじゃん。まだ熱あるくせにウロウロするんじゃねーよ」
「ふふふ、そんなに会わせちゃまずい人が訪ねてきたのかしら……!」
「青筋立ってんぞ、茜。なーんでオマエが怒ってんだ」
なにやら弟のほうに身に覚えのない不穏な空気が漂っているが、母・文乃はやはりお構いなしだった。
「ちっちゃ! 可愛い! 顔そっくり! 着物の柄もリボンも華やかで、やっぱ女の子はええなあ~。うちも娘ほしかったわぁ」
いきなり絡まれて戸惑っている紅にも、気にせずぐいぐい迫っている。
「!? だれだ、この──あ、虎丸の母さん?」
「なんだ、大阪に置いてきた恋人は存在しなかったのね」
それにしても、十里に続いて紅まで虎丸の母だとすぐにわかるのはなぜだろう、と虎丸は首をかしげる。
「え、そんな一発でわかるくらい似とる?」
「髪色と猫っ毛が同じだし、あとなんつーか能天気な雰囲気が……」
「ここまで我が道を行ってへんわい!」
「似てるっていうより、こういう母親に育てられたらオマエができんのかって納得感ある」
「あるわねえ」
「なんやそれ」
文乃は姉弟をじっと見ていたが、なにかに気づいて今度は茜に近づいた。
「メイドさんのほう、こっちは男の子やんな? えらい似合うてて可愛いな」
「なんでひと目でわかんの??」
女の勘なのか、年の功なのか。
言い当てられた本人はかなりの衝撃を受けていた。
「わ、わたしもう十六歳だし、もしかしてどことなく雄っぽくなってきたのかしら……」
「オスて。オレはまったくわからへんかったで。まだいけるいける」
だめだ、自分だけではなく仲間たちまで母親のペースに巻き込まれている。早くどうにかしないと。
と、思ったところで。文乃が心配そうな声を茜にかけた。
「こんな広い館にメイドさんひとり? 大変ちゃう?」
「ええっと、今はたまたまです。もう年末で中学も大学もお休みに入ったし、みんな手伝ってくれてるから大丈夫。お料理はわたし以外、誰もできないけどね」
笑っているが瞳に寂しそうな色が映っていた。
おみつは消え、白玉がいなくなってからは人形の使用人も動かない。虎丸はずっと眠っていたため知らなかったが、今は茜がほとんどひとりで家事をこなしているようだ。
「主は今お仕事で留守なんです。客室は空いてますから、よかったら虎丸さんが元気になるまで泊まっていってください」
「息子のお礼にきたのに、自分までお世話になるんも悪いなぁ。あ、ほんなら食事の用意やら手伝おか」
「ほんとですか!? 今日の夕食はコロッケで、下ごしらえまでもう終わってるの」
いつもの笑顔が少し戻る。人数分の食事が必要なので量的にも大変なのだろうが、以前は台所からおみつと楽しそうに話しながら料理をする声が聴こえていた。ひとりきりは寂しかったのかもしれない。
それにしても──と、虎丸は戦慄する。
「怖い! 偏屈と変人しかおらん警戒心強めの新世界派に、あっちゅーまに取り入った! やり手か、うちのオカン」
「前にも言ったが、いつのまにか馴染んでいたのはおまえも同じだ」
と、隣に座っていた拓海が口を開いた。
「でもまだ八雲さんっていう最難関の人見知りがおるからなー。簡単に攻略できると思ったら大間違いやで」
「話を聞け」
八雲といえば。
逆側の隣に、その名を聞いて気まずそうにしている人物がいる。昼間にみんなの前で喧嘩した十里だ。
苦笑いを浮かべている青年に向かって、拓海が文乃には聞こえないくらいの声で言った。
「十里先輩は、とりあえず八雲先輩に謝ってください」
「え~? あれ僕が悪いのかな~?」
「どちらが悪いという問題じゃありませんよ。仲間割れしている場合ではないですし、八雲先輩はおそらく無反応なので、十里先輩に折れてほしいだけです。実質、新世界派のまとめ役はあなたなんですから」
「うう、しょうがないなぁ。大事な部分は、譲る気ないけれどね」
「それでいいです。ただ、他の部員にも言えることですが、俺の前で無茶な怪我はしないでください。治療役の誇りにかけて怒りますよ」
「ごめんごめん、今回はきみがいちばん怒ってるよね~」
相変わらずのばっさりした物言いだが、大阪にいた頃はもっと自分だけで精一杯な雰囲気だった。離れているあいだの幼馴染の変化を見て、虎丸はにやにやと笑う。
「拓様はけっこう心配性よなぁ。みんなの体調に関してはとくに」
「おまえも寝ろ。三十八度以上の発熱がずっと続いてる。軽度の脱水症も」
「その能力、やっぱり嫌やな。仮病使われへんやん」
“診察”の固有能力でどこまで知られるのか、拓海があまり口外しないため詳しくは不明である。だが間違いなく具合は悪いので、明日以降に備えて休むことにした。
「なーオカン。オレ自分の部屋戻るけど、子供の頃の失敗とかよけいな話を披露すんのはやめてな」
「わかった、たぶん黙っとく。台所借りてお粥作ったら持っていくわ。ちゃんと水分も取るんやで」
「はいはい。あ、そや。もうひとつの用事って?」
「ああ、お見合いの話や」
予想していなかった単語に、一瞬思考が追いつかなかった。
「……は? なんて?? 見合い……?」
「アンタとどうしても結婚したいって奇特なお嬢さんがおってな。長期出張中やってのは説明してるんやけど、あんまり返事待たすのも申し訳ないやろ。せやから写真と釣書、持ってきたわ」
仲間たちの注目が一斉に集まる。
十里はあきらかに面白がっているし、茜はふたたび青筋が立っている。紅と拓海は表情が変わらず、なにを考えているかはわからない。
──なんちゅう、わけのわからん爆弾を持ってきてんねん。
今ぜんっぜん、それどころちゃうんですけど!
のほほんとお茶を飲んでいる母親を前に、虎丸は思わず膝から崩れ落ちそうになるのだった。




