三 中を覗くだけの小咄
もし女子のパンツが見えたらそれぞれどんな反応をするのか、という思いつきによってのみ書かれた小咄です。
タカオ邸の離れにて。
平屋の屋根にのぼったタヌキのアンナ・カレヱニナが下りられなくなるという事件が発生した。
たまたま八雲の部屋に行こうとしていた虎丸と拓海が、鳴いているアンナを発見したのである。
「ヴゥー!」
「うおお、アンナ、なにやってんねん!?」
聞き覚えのある鳴き声がするほうを見上げると、肥ったタヌキが屋根の端をあわあわと行ったり来たりしていた。
短いしっぽが膨らんでおり、かなり慌てている様子だ。
「ちょお、自分でのぼっといて下りられへんようなってんのかい! それ金沢で八雲さん(というか化鳥)もやっとったで。そんな鈍くさいとこ飼い主に似んでええから~」
「バカ丸、いいから落ちる前に助けよう。梯子を立てようにも縁側だからな。どうしたものか」
縁側は庇が前に大きく出ており、細い木柱で支えられているのみ。梯子は使えそうもない。アンナはおそらく柱をよじのぼったのだろうが、人間には無理だ。
「んじゃ、壁がある場所まで回って屋根に上がるしかないなぁ」
「ヴゥー」
「わかった、わかった。心配せんでも迎えいくから、それまでじっとしときー」
心細そうに鳴くアンナをなだめていると、本館のほうから誰かの足音が聴こえてきた。
日常で起こるだいたいの騒ぎの元凶・十里と、女子が少ないせいでいろいろと犠牲になりがちな紅である。
「虎丸くん、拓海、縁側でどうしたんだい? なにかトラブル?」
「ジュリィさん、ほら、アンナが下りられへんようなってもて」
「あちゃ〜、ほんとだ」
「ほんで、今から梯子使って助けに行こかなって話しとったところです。あ、こんなときのための文字の力やないんですか? パパッとなんとかしてくださいよ〜」
すると、小柄な娘が挙手して地面を跳ねた。
「あ、じゃあおれ行く!!」
虎丸は危ないからと一瞬止めそうになったが、よくよく考えれば作家たちのなかでは紅がいちばん運動能力に優れているのだった。
「梯子は? 持ってこよか?」
「いらない。得意の付与でなんとかするから。見てろよー」
袂から筆記用具を取り出して、編み上げブーツを履いた脚の周辺に『跳躍』『軽量化』など、いくつかの文字を付与する。
「虎丸、踏み台」
「探してくるわ。ちょうどええのあるかなぁ」
「いや、オマエが踏み台」
身振りで後ろを向けと示してくる。
紅がどうしたいのかを理解し、虎丸は縁側を正面にしてまっすぐ立った。
「よっと!」
「ぐえっ」
短い助走の音と、背中と肩にブーツの踵が食い込む感触。
『軽量化』の文字が付与されているためさほど重くはないが、衝撃はくる。
虎丸の肩から飛び、庇を両手で掴んで曲芸のように体を宙返りさせ、娘は屋根の上へとあがっていった。
文字の力を使っているとはいえ、他の操觚者にはできない芸当だろう。元々の身体能力と複数の付与に耐えられる日々の鍛錬あってこそだ。
「おお~。さすが、めっちゃ身軽──ん!?!?」
見あげると、屋根、空。無事に救出したアンナを抱きかかえる紅。そして、袴の中。
風も吹いているせいで、ひざ丈の海老茶袴が惜しげもなくひらひら舞っている。
袴の中は腰巻きではなく、動きやすそうな西洋下着だった。たしかズロースという名前で、フリルが縁取られている。生地にゆとりがあるためそれほど扇情的な作りではないが、下着は下着だ。
脚のつけ根から腿はまるっと露出しているし、内腿に刻まれた“恋慕”の刻印まで鮮明に見えている。
「鼻血早いよ、虎丸くん」
「ジュリィさん、せ、せやかて!! 丸見え!!」
女子にまったく免疫のない虎丸は、慌てて両目を手で隠しながらも隙間から覗く。
「うんうん、もっと細そうな印象だったけれど、鍛えてるだけあって健康的で張りのあるいいラインだねぇ」
「うわ、平然と観察した!」
「僕、耽美派だから」
「耽美派ってそういうもんやった?」
虎丸と十里の一歩後ろに立っていた拓海も気づき、すぐに声をかけようとした。
「紅さん、押さえないと風で袴が──ぐっ」
「待った!」
「げほ、先輩、何故止めるんです!? こういうのはちゃんと本人に伝えるのが礼儀でしょう?」
ぐうの音も出ない正論だが、美青年の主張は十里の肘打ちと詭弁によって阻止された。
「拓海はなにもわかってないね~。女の子に恥ずかしい思いをさせちゃだめだよ? 僕たちが黙ってれば、紅だって見られてないのと同じなんだから。ここは素知らぬふりが正解☆」
「ほんまに? ほんまかなー!?」
一理あるような、ないような。
女子の下着が見えているほうが嬉しい。ただそれだけが本音のような気がする。
「あ、八雲さん」
そのとき、本館にいたらしい八雲が自室に戻ってきた。
八雲は虎丸たちを見渡し、屋根を見上げて数秒止まり、そして何事もなかったように去った。
「……なんや?? たぶん袴の中に気づきましたよね。あれはどういう心理状態なんやろ。無関心? 優しさ?」
「さあねえ~。僕もわかんないや」
「あ、今度は藍ちゃん」
さらに次は漆黒の僧衣を着た世話役が、紙煙草をくわえて縁側までやってきた。
「こんなとこに集まって何してんだ? ……ん?」
全員の視線をたどると、その先には丸見えの下着。
藍は煙を吐きながら、ためらうことなく屋根にいる紅に向かって言った。
「おい小娘、袴の中が丸見えだぞ。色気ねえなあ」
「は!? うわ、すげー見えてるし! ってか教えろよ! オマエらも!」
紅はアンナに『硬化』の文字を付与すると、迷うことなく十里の頭上に落とした。冬毛のもふもふした塊がハーフ青年の顔にしがみつく。
「ぶはぁ。アンナ重たいよ~。なんで僕だけ??」
「すごい信頼度低いな、この人……」
いちばん背丈が高くて頭が屋根に近かったから──ではなく、間違いなく元凶と見なされたからタヌキを落とされたのである。
「ヴゥー!」
「あーあ、アンナもお怒りやで。で、紅ちゃんはどうやって下りるん?」
「えーっと……飛ぶ?」
「危ないんでだめです。考えてなかったんかい! うちの子はみんな阿呆なんかな?」
「だれが阿呆だ! もーいい、虎丸、オマエが受け止めろよ!」
「え!? ちょ、まっ」
文字の効果で、紅は人間と思えないほど軽やかにふわっと飛んだ。
そして、風の効果で袴の裾もふわっと広がる。
どん、と日本風の庭園に人と人のぶつかる音が響き渡った。
「……最後にめちゃくちゃ近くで見えた」
「虎丸くんが満足そうでよかったよ~☆」
障子ががらっと開き、室内から八雲が顔を出した。
地面に仰向けで倒れている虎丸と、その胸の上に乗っている紅を交互に眺める。
「あの、先ほどから、何のプレエですか」
「さあねえ。マゾヒストを極めてるのかもね。ほら、アンナ、八雲部長のもとへお帰り~」
「ヴゥ!」
理解不能な遊びをしているのだと判断して、さっきはあえてつっこまなかったらしい。
ともあれ、アンナを無事に救出できたのだ。めでたしめでたしである。
番外の幕【日常ダイアリイ】其の参 了




