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狂人ダイアリー ~大正浪漫幻想活劇~  作者: アザミユメコ@書籍発売中
第十二幕【雲雀あがり、心悲しも】
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十七 自ら死を選択した作家が、もう一度自分を殺す結末

「ね、寝た……子供みたいな顔で……」


 まったく、どうなることかと思った──


 虎丸は冷えた汗を袖で拭いながら、畳の上に座り込んだ。

 突然世界の終わりのような風景を見せられ、もう二度と現実に帰れないのではないのかと思ったのだ。


 しかし、すべて情景描写による幻想だったらしい。

 

 助け舟を出してくれたのは(あい)だった。

 なぜか一升徳利(とっくり)を手にぶら下げて背後から現れ、真面目な顔で言った。


化鳥(かちょう)、呑むか?」

「ほーう、叔父貴のくせに()が利くな」


 景色はあっさりと元に戻った。勝手知ったる八雲の部屋である。

 化鳥は上機嫌に酒を呑み、藍がひたすら注いでいく。八雲はアンナ・カレヱニナを撫でながらマイペースに読書を始めてしまった。

 さきほどまでの不穏な空気が嘘のようだ。各々自由な時間を過ごし始め、虎丸だけがついていけずソワソワしていた。


 やがて、一刻も経たないうちに化鳥はぱたんと倒れ、八雲の膝に頭を乗せて眠りだした。


「あ、もう潰れた!?」

「昔からおとなしくさせたいときは酒を呑ませてる。こいつ、呑みたがるのに弱いからな。虎坊ほどじゃないが」

「昔話みたいな解決方法やな……。鬼退治かな?」

「にしても、だ」


 藍はあらためて、同じ顔をした青年たちを交互に眺めた。


「なんで、ふたりいるんだよ……。普通に意味わかんねえよ」

「さっき説明したでしょうが」

「や、理由は聞いたが、簡単には飲み込めねえって。どうせならもっと遡って雲雀(ひばり)の頃がよかった。今度こそ素直でまともな人間に育ててやるのに」

「中身が物の怪だと忘れてませんか。ほら、眠っていると無害ですよ」

「寝顔だけは、ガキのまんまだなぁ。どうしてこうなった……」


 アンナと場所を取り合うように寝ている化鳥の長い髪を、八雲が指で梳く。その手つきはとても穏やかで優しい。いつも淡々としている八雲から、不思議と慈愛のような空気を感じる。

 普段は黒歴史扱いしているが、もうひとりの自分が目の前にいるのはどんな気分なのだろうか。当然経験できるはずもないので虎丸にはわからない。


 艶やかな髪が畳にぱらぱらと落ちた。起きていればなにをしでかすかわからないが、眠っているとたしかに無害だ。ただの顔が綺麗な十九の青年である。


 だが、しかし、化鳥は。


 虎丸が口を開きかけたところで、八雲が先に話を切り出した。


「化鳥がどういう存在か、理解しましたか。虎丸君」

「すんません、オレ、気に入られたって調子乗ってました。まあ間違ってはないんでしょうけど……気に入りかたの方向性が思ったより物の怪基準やった。ほんで、八雲さんの事情も薄々わかりましたよ。こいつ──」


 言いよどんだわずか数秒のあいだに、冬のすきま風が頬をかすめた気がした。


「消さな、あかんのですよね?」


 八雲は静かに頷いた。

 だから、その手は優しいのか。もともと自分の使い魔には甘い青年だが、他の者には見えなかっただけで化鳥もずっと共にいたのだという。


銀雪(ぎんせつ)を使い魔にしたとき、『このまま消えるか、いっしょに来るか』と尋ねたでしょう。本来は形容化した私の意思で消すことができるのですが、化鳥の場合は不可能です。小説が未完成で、完璧に従えているわけではありませんから。だから感情を集めているのです」

「現状維持、ってわけにはいかんのですか? 八雲さんも、化鳥もこのままで」


 なんとなく予想していたが、やはり首を横に振られた。


「この肉体は所詮仮初(かりそめ)なのです。おみつと同じで、私もいつまで人間の形を保っていられるかわからない。白玉が出ていった今なら尚更です。あの子はやろうと思えばいつでも私を消せますし、そうなれば『大魔縁(だいまえん)・伊志川化鳥』は世に放たれてしまいます」

「名前採用されとる……」


 だから、その前に。

 と、八雲は続けた。


「伊志川化鳥は──憎悪にまみれた過去の私は、私自身がこの手で消す。小説が完成すれば化鳥も強大な力を取り戻すので、危険な諸刃の剣ではあります。ですが、やらなければ未来に待っているのは破滅の一途。それだけは何と引き換えにしても、防がなければならない」


 息を飲み、虎丸はしばし黙る。

 そのあと、正面に座る青年の名を呼んだ。


「……八雲さん」

「はい」

「八雲さん」

「聴こえていますよ」

「それってつまるところ、みんなを救うためですよね? 仲間に死んでほしくないから、感情を集めるために協力してもらうしかなかったってことですよね?」

「ひとりではどうにもならず、みなに頼りきっているのに『救う』などと臆面もなく言うのははばかられますね。ですが最終的には、絶対に私があなたたちを守ります」


 虎丸は両手で八雲の肩を思いきり掴み、震える声で叫んだ。



「……信じてました!!」



 以前、問いただした数々の疑問。

 仲間が傷ついて平気なのか。なぜ(コウ)の気持ちを知っていて、報いることもなく闘わせるのか。なぜそうまでして、遺作を完成させたいのか。

 当時は答えに納得いかないまま離れてしまったが、共に過ごすうちに違和感は増していった。

 

 八雲は絶対に、仲間を大事に想っているはず。

 今は白玉が抜けたことや、十里(じゅうり)と揉めたせいで仲間内に疑心暗鬼の空気が漂っているが、それだけは信じたかった。


 いきなり掴まれて八雲は一瞬驚いていたが、すぐにふいっと目を逸らして拗ねたふりをした。


「でもあなた一度大阪に帰りましたよね」

「もう時効でーす!! ちゃんと戻ってきたし! ね!?」


 必死で弁明するが、八雲はもう微笑んでいた。顔を見合わせてひとしきり笑い、ふたたび尋ねた。


「なんで仲間に事情を話さないんですか? ジュリィさんだって他のみんなだって、理由を説明したらきっとわかってくれるはず」

「言えません。そのとき私はもう一度、自分で自分を殺すのですから」

「あ……」


 物の怪・伊志川化鳥は力の根源。化鳥が消えれば、文字の力で命を与えられた八雲も消える。

 完全体となった化鳥の力があれば、元の肉体で生き返ることができるのも嘘ではない。でも、八雲はそれを選ばない。

 物の怪が世に解き放たれれば、結局みんな死んでしまうからだ。



『報われなくてもいい。幸せになんかなれなくてもいいから。見捨てたくない。ひとりにしたくない。一方的な願いだとしても、生きたいと思ってほしい』

『あなたがあなたじゃなくなるのなら、僕は嫌だ。これ以上、仲間を失いたくない』



 紅や十里の叫んだ言葉が、頭をめぐる。

 ずっと黙っている藍を横目で見ると、表情を変えずに八雲の話を聞いていた。



──ああ、言えるわけなかったよな。

 だから、ひとりで抱えてたんや。



 自ら死を選んだ大切な人が、もう一度自分を殺す。それを知った仲間たちは、どうするだろうか。


 だから、言えなかった。紅の気持ちにも絶対に応えなかった。最初からこの結末に決めていたのだ。自分と引き換えに、仲間を守ると。



「ほんとうに、いいんですか。それで満足なんですか。八雲さんは」



 ずっと聞きたかった言葉があった。大阪から戻ってきて、ようやくぶつけられた問い。


『今でも、死にたいと思っていますか?』


 仲間といるのは楽しいから生きたいと、八雲は答えた。


 その返答に安心したのはただの自己満足だったのか?

 この人にとっては、なによりも残酷な問いだったのかもしれないのに。


 しかし、八雲はまた笑った。

 虎丸の考えていたことを見透かして、べつに気にしなくていいと言われた気がした。


「私は明治で死んだ人間です。おみつもそうです。彼女とは、一度ふたりで話をしたことがあります。もう二年以上前になるでしょうか」



 どう転んでも自分たちはいずれ消えてしまう。八雲にそう伝えられたおみつは、少し寂しそうに答えた。


『……そう。生きていたときも同じだったけれど、人生ってうまくはいかないものね』


 場所はタカオ邸の庭。紫苑の花が咲く花壇のそばを、並んで歩いていた。

 階段で手を差し出され、着物姿の少女は控えめに指を添える。


『ふふふ、美形の殿方と手を繋いじゃった。いい思い出』

『私はあなたの理想の男性とは違うでしょう』

『ええ、もう少し生活力があるほうが好みかしら。でも消える前に一度くらいは、素敵な思い出があってもよくなくて? お紅に知られたら怒られそうだけど』

『紅は手など貸さなくとも、階段くらい軽く飛び越えますよ』


 少女は首を振り、呆れて言い返した。


『あーあ、乙女心がわからないのねえ。最近女物を着ているのは八雲さんに見てほしいからだって、気づいていて?』

『あの子の性別がどちらでも、どんな恰好をしていてもとくに追及しませんが』

『自由を尊重じゃなくて、深入りしてほしい場合もあるのよ。ちょっとだけ同情するわ……』


 この頃はまだ人形に戻る時間も少なかったが、自分の体に起きている異変に少女も気づいていた。

 人間の姿を保てる時間が少しずつ減ってきている。


『いいの。本当はよくないけど、でもいいの。こうしてたくさん思い出ができればいいの』


 まるで言い聞かせるように、繰り返した。



「私も彼女と同じ気持ちです。自ら命を絶っておきながら、数奇にもまた生きる機会を与えられた。死んで初めて、生きることを望むことができました。見送るあなたたちのほうが辛いのも理解しています。実際に私もおみつが先に消えた日、抗おうとしましたから。ですが、どうか」



 どうか、果たさせてさせてください──

 あとに続く言葉は伏せられたが、虎丸にはわかった。


 すべてを話し終えると、八雲は机の上に置いてあった同人雑誌『新世界』を手に取った。

 

「さて、起きたら面倒なので小説に戻しときましょう。えい」

「雑!!」


 さきほどまでの慈愛に満ちた手つきはどこへやら。

 ページを開いてばさっと顔にかぶせると、化鳥の体は小さな文字の集合体へと変化して形容化は解除された。


「もう感情が集まっているのは敵にも知られているでしょうから、本格的に動き出すはずです。今まで様子見していたのは、菊小路(きくこうじ)も完成された化鳥が欲しいからなのでしょう。このまま十里君が拒否し続ければ私もあちらも下手に動けませんし、先手を打ってくる可能性もあります。虎丸君も、早く体調を戻してくださいね」

「はーい」


 では戻って休むと伝えて、八雲の自室をあとにする。

 離れに向かったときはまだ明るかったのに、いつのまにか外は薄暗く白んでいた。

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