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狂人ダイアリー ~大正浪漫幻想活劇~  作者: アザミユメコ@書籍発売中
第十二幕【雲雀あがり、心悲しも】
125/143

十五 あなたが「あなた」じゃなくなるのなら

 コンコンとノックの音が響き、返事をするより早く扉が開く。


「よぉ、虎坊。目ぇ覚めたんだってな」


 遠慮もなく入ってきたのは、漆黒の僧衣を着た三十半ばの男。

 タカオ活版所の所長、そして若き作家たちの世話役を兼任している九社花(くしゃげ)(あい)である。


「あ……。甥っ子を溺愛しすぎて結婚できなかったおじさんや」

「まてまてまて、どこでなにを聞いてその認識になったか知らんがやめろ。俺は独り身を謳歌してんだよ。つーか誰だよ喋ったの。八雲は生前の話をしたがらねえだろ」


 ぐいぐいとまくし立てられるが、「誰だ」と尋ねられると非常に説明がしにくい。

 なにしろ虎丸が伊志川(いしかわ)化鳥(かちょう)と会い、藍との過去の話を聞いたのは夢の中だったからだ。


「だいたい、あいつが可愛かったのはガキの頃だけだ。叱ったり褒めたりつつき回したりいろいろ試してみたがまったく効果なくて、どんどん凶悪に成長していった。子育ては難しいよな」

「お父さん……。心中お察しするわぁ」 


 化鳥は子供の頃、藍に救いだされて座敷牢から出ることができた。

 だが金沢旅行に付き合わされたときの印象から想像するに、本当は誰よりも母親である阿比(あび)に目を向けてほしかったのかもしれない。結局、自死するまでまともに会話を交わすこともなかったという。


「わがままなうえに構ってちゃんやったしなー。案外、ただの寂しがりやかも。金沢では殺されかけたのに今回は助けてくれるなんて、気まぐれなやっちゃなー」


 目覚めてみれば夢の記憶はとてもおぼろげで、彼の言葉をすべて思い出せるわけではない。



『深い理由などない。俺が貴様を()に入つてゐるだけだ』

『貴様、初めて俺の『感情』に()れたとき、涙を流しただらう。だからだ』



 たしか、そのようなことを言っていた。


「あと、なんやったかな……。親父なんかぶった斬れ、とか。ほんま無茶ゆうわぁ」


 親父、か。黒菊(クロギク)にいるのなら、また会うことになるのだろうか。

 ぼうっと思考をめぐらせていると、藍が言った。


「そうそう、俺から大阪に連絡いれといた」

「え?」

「お前の実家と会社。いつ起きるかわからなかったし、消息が途切れたら心配するだろ」

「うおおお、目覚めたらクビになっとるとか洒落にならん!」

「熱でしばらく臥せってるって説明してあるから、動けるようになったらちゃんと自分でも一報いれてこいよ」

「ありがとう、助かる~。たまには藍ちゃんも所長らしいことするんや──」


「藍さん、いる!?」


 そのとき突然扉が開き、メイド服を着た(あかね)が入ってきた。


「どないしたん? 茜ちゃん」

「大変なの。八雲さんと十里(じゅうり)さんがケンカになっちゃって……」

「へっ? 八雲さんとジュリィさん??」


 好戦的な赤髪娘や口の悪い幼馴染ならともかく、新世界派でもとくに穏やかなふたりが喧嘩とは。


「八雲さんはいつもどおりなんだけど、十里さんがすごく怒ってるのよ。お願い、とめて」

「ジュリィさんみたいな人に限って、本気で怒ったら恐そうやねんなぁ。文学性の違いかなんかで揉めとるんやろか」


 かなり動揺した様子の茜を見るに、いつもの文学談義や軽い口論ではなさそうだ。


「わかった。俺が行く。食堂か?」

「そう」


 普段であれば軽口のひとつでも叩きそうなものだが、藍はめずらしく真面目な表情で部屋を出て行った。

 虎丸も慌ててベッドから起き上がる。が、ずっと眠っていたため、まだ思うように体が動かず足元がふらつく。


「あっ、危ない。虎丸さんはまだ無理しないで」

「大丈夫。オレも気になるし行くわ」


 駆け寄ってきた茜の肩を借り、ともに藍の後を追った。



 ***



 一階に下り、絨毯の敷かれた長い廊下を歩く。たしかに食堂のほうから揉める声が聴こえていた。

 ステンドグラスのはまった両開きの扉をそっと開くと、十里が自らの左胸にナイフを突き立てたところだった。



「んな、ジュリィさん!?」



 彼がお気に入りでよく着ている絹のシャツに鮮血が滴っている。袖口にあしらわれたフリルを伝い、真っ赤な色が指先に流れた。


 室内にはいなくなった白玉以外の作家四人が揃っていた。いつもみなで食事をしている長テーブルなのに、今はそれぞれがいる場所さえばらばらで距離を感じる。


 (コウ)は息を飲んだ表情で、十里たちから少し離れた壁際に立ち尽くしていた。

 拓海も同じく黙り込み、腕を組んで経過を見守っている。医学生であるこの幼馴染が動かないのであれば、十里の怪我はそれほど深くないのだろう。

 しかし、あまりにも心臓に悪い光景だった。ふたりの様子からも、いかに空気が張りつめているのかがわかる。


 十里が刃を刺したのは鎖骨の下にある『悲哀』の刻印の上だ。今となっては見慣れた八雲の筆跡。『幻想写本』の力を分け与えるために刻まれた、操觚者(そうこしゃ)の証の白い文字である。


 もう片方の手に薄い翡翠色の炎を浮かべていた。

 まるで鬼火のような形だが、よく見るときらきらと光る文字が集合して結晶化している。

 紅は花魁の朝雲(あさぐも)を倒したあとで脚の刻印に、そして十里は銀雪(ぎんせつ)の半身を倒したあとで胸の刻印に、それぞれ担当する感情を回収していた。

 前に五色の結晶を白玉が虎丸に見せてくれたが、作家たちが集めた感情は地下に安置された伊志川化鳥の棺に蓄積されているのだ。


 つまり、手のひらにあるのは彼が担当する『悲哀』の感情だ。

 あとから来た虎丸たちに説明するように、十里が口を開く。


「おみつが消えたときに紅が『恋慕』を回収したから、残るは『悲哀』だけだった。今手にあるのはね、銀雪を使い魔にした日に手に入れた感情だよ。僕がずっと持ってたんだ。これだけあれば、五つの感情はすべて満ちる」


 テーブルを挟んで向かい側、視線の先にいるのは八雲である。十里と違って普段と変わった様子はない。綺麗な姿勢で、まっすぐ背を伸ばして椅子に座っていた。


「八雲部長、失った感情が戻れば、あなたは完全に蘇るんだよね?」

「はい。それは本当です」

()()()、か。やっぱりあなたは、ずっとなにかを隠してる」


 嘘は吐いていないが、重要なことを話していない。十里もなんとなくそう感じ取っているのだろう。


 八雲は端的にしか答えなかったが、実際には段階を踏めばの話だ。

 感情が戻れば小説『狂人ダイアリイ』を完成させられる。小説に住みつく『幻想写本』という物の怪の、真の力を得ることができる。

 かの物の怪が完全体になれば、仮初めではなく元の肉体に戻れるだけの力くらいはあるのだが──


 八雲自身がどうしようとしているのか、本人にしかわからない。


「部長はさ、遺作を完成させるために感情を集めていた。でも……あなたはそれほど、遺作にも生前にも未練があるように見えなかったんだ。この温度差がずっと気になってた」

「十里君の言うとおり、真の意味での未練などなかったですよ。自ら死を選んだ以上、私はすべてを放棄したのですから。ですが今、遺作の完成を願っているのは本当です。正確にいえば──望みというより、私にはあれが必要なのです」


 目の前で血は流れ続けているのに八雲は表情を変えず、仲間たちは動けなかった。

 結局、八雲から真実の言葉すべては引き出せない。そう業を煮やし、十里は少し声を荒げた。

 

「……ごめん、やっぱり僕はいやだ。八来町八雲に感情が戻って、あなたが今のあなたじゃなくなるのは嫌だ。納得できる理由を話してもらえないのなら、これ以上仲間を失いたくない。だからこの『悲哀』は渡さない」


 虎丸もようやく、行動の意味を理解した。

 刻印にナイフを突き立てた理由は『拒否』だ。


 止めて、と茜に頼まれていた藍がようやくふたりの間に立つ。

 俯いた十里の金髪をくしゃっと掴んでなだめた。


「あー、このまま揉めてても埒が明かねぇし、とりあえず一旦やめろ。十里、少し落ち着け」

「……」

 

 なにも答えなかったが、ナイフを取り上げられても抵抗はしなかった。

 青年はくるっと振り返り、血を流したまま食堂を出ていこうとする。そのあとを紅が追いかけた。


「おい、ジュリ!」

「俺は先輩の手当てをしてきます」

「わたしも、替えのシャツを持っていってあげなきゃ」


 続いて拓海、茜も出ていった。

 扉が自然に閉まると、室内が一気に静かになる。


「ぞろぞろとあっちに行ったな。八雲、おまえ部長のくせに人望ねぇんじゃねーの」


 藍が言ったのは冗談だろうが、八雲はいつものように流したりしなかった。


「しかたがありませんね。有事の際にも新世界派をまとめているのは十里君ですから。彼はずっと、感情を集めることに反対していました。他の仲間も同じ気持ちだったのでしょう。みなが私のもとから去っていくのは、いつか起こるはずだった必然です」

「……そういうんとちゃいますよ。三人とも、出ていくときにオレと藍ちゃんに目配せしましたもん。こっちは任せるって意味でしょ?」


 虎丸は決意を固めて八雲のほうへ歩み寄る。

 さっきまではどうしたものかと悩んでいたが、今話すべきだと思ったのだ。


「八雲さん、オレ──化鳥に会いましたよ。会って、話しました。あなたたちの過去の話も聞きました」

「化鳥? 私ではない、化鳥ですか」

「はい、あなたじゃない化鳥です。金沢旅行んときも言いましたけど、あの化鳥はたしかにあなたと同じ顔で、あなたと同じ生前の記憶を持っとるみたいやけど……あれは八雲さんとはちゃう。まるっきりの別物(べつもん)や」


 とても巧妙に。

 伊志川化鳥を演じている──いや、()()()()()()()が。


 金沢で気づいたように、八雲と化鳥は筆跡が少し違った。

 人格と肉体をそのまま投影しているのだとしても、化鳥の綴る文字には隠しきれない“異物”の存在を感じる。

 異物というのは、決して消えることがない誰かの強い感情だ。


「仲間が次々離れていってるように見えるのは、八雲さんが心を閉じてほんまのことを言わへんからです。ただ、そんだけ。……八雲さん、あの化鳥はだれなんですか? なんか隠してる理由あるんでしょ? ジュリィさんもみんなも、話したらちゃんとわかってくれるはずやで?」

「──彼らには、話せないのです。すみません」


 答えなかったが、否定もしなかった。

 だから押し通した。


「オレが大阪に帰る前に訊いた、あのときの質問覚えてますか。仲間を危険に晒してでも遺作を書かなあかんのですかって聞きましたよね。八雲さんがそうやって答えたからオレは失望して去ってもうたけど、今なら理由があることくらいわかります。なんでかって単純に、あなたはそんな人には見えへん。ほんまは仲間が大事でしょ? でも、闘ってもらってでも成し遂げなあかんことがあんのや。遺作の完成よりももっと先に。ちゃいますか?」


 一息に言い切って、ふうっと呼吸を整える。

 虎丸にまくし立てられた八雲は面食らったような顔をして、


「はあ、本当にあなたというひとは」


 と、ため息を吐きながら、どこかほっとしているようにも見えた。


「独りにもさせてくれませんし、引き篭らせてもくれませんし、隠し事もさせてくれませんか」

「オレ、八雲さんの担当編集なんで」

「関係ありますか、それ」

「あるある~。信頼されとる以上、担当編集ってのはなにがあっても作家の味方をしたらなあかんて、編集長が教えてくれたんです」


 火の着いた煙管(キセル)を吸い、八雲はゆっくりと語り出した。


「わかりました。藍も、たまたま居合わせただけですがついでに聞いていいですよ」

「おい」

「すべてを話します。誰にも言わなかった、いいえ、言えなかったのです。私の、本当の目的を」

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