十三 そして、かなしい怪物は産まれ堕ちる
「ここが蔵相さんにもらったぼくの部屋です。この建物内でいちばん広いんですよー。襖も金ピカ!」
豪華な四枚立ての襖を指さして、眼鏡の少年は呑気に笑う。
「アタシは、どういう理由でウチに寝返ったのって訊いたんだけど? 誤魔化すつもりじゃないわよね」
新世界派の作家──だったはずの少年・白玉に向かって、古城周は尋ねた。
【裏切者】が出現するのは予定のうちだったため、驚きはしなかった。しかし少年はあまりにもごく自然に四天王の集いに混ざっていたうえ、常にへらっとしていて何を考えているのかわかりにくい。当然の疑問をぶつけると、なぜか自室に案内されたのである。
周の後ろには無理やり連れてきた金木憂、勝手についてきた天津風偲と、黒菊四天王のうち三人が揃っていた。
「急かさないでくださいよう。口で説明するより、見せたほうが早いかなって思っただけです。ぼく、ちゃんと喋るの苦手ですし。いつも抽象的だって言われちゃう。だから、中へどうぞ!」
開け放たれた室内は、金箔で飾り立てた入り口に反して非常に殺風景だった。人の生活している気配が一切なく、地下のせいか床も壁も灰色で塗り潰されてがらんとしている。
四天王らの師である本郷真虎が、必要なくなった造兵を片付ける『処理室』として蔵相に与えられていた部屋と似た雰囲気だ。
しかし、部屋の造りなどたいした問題ではなかった。
襖が大きく開かれた途端、床一面に置かれていた物体を一瞥して周は顔をしかめた。
「うげ。なによ、これ……」
「ぼくの姉さまですよー。名付けて『餡蜜弐号』です!」
「姉さまって……。こんなの、どっからどう見ても──」
一瞬口にするのをためらうほど、仄暗い感情の沈んだ光景だった。
「化物じゃないのよ」
何もないだだっ広いだけの石床の上に、巨大な人間の形をしたモノが横たわっている。十人分以上はありそうな人骨を藁人形のように縛って、人を象っているのである。
さながら狂人か、あるいは無垢な子供が何の意図もなく作ったように。とても人形師の仕事とは思えない粗雑で歪な出来が、かえって不気味さを増していた。
「やだぁ、嫌な臭い! 着物に染みつきそう!」
「ありゃー。じゃ、お香でも焚いておきます。姉さまもいい匂いのほうが好きなはずだから」
「アナタの固有能力は、傀儡だったわね。人の形をした無機物なら、なんでも操れるんだっけ? これを動かす気?」
「はい! ぜんぶ獏ちん……さんの森に落ちてた骨なんですけど、べつにいらないって言うからもらっちゃいました。この人たちはみんな新聞に載るくらい有名な政治家さんだから、集まる感情もすごいんです。それはもう怨念がいっぱい……おんねん……」
白玉は期待した顔でチラッと三人のほうを見るが、全員なんとも微妙な表情だ。
「だれも突っ込んでくれない……八王子に帰りたい……ぴえん」
「なんなのよ。いいから続きを説明しなさいよ」
「えーと、この骨の中に姉さまのばらばらになった遺骨を混ぜてます。そして、ぼくのなかにある姉さまに関する記憶を、たくさんたくさん書き連ねてるんです」
つまり名刃里獏が暗殺した、神隠しの被害者たちの遺骨である。
骨の一本一本にお札のような紙片がびっしりと貼られ、言葉が書かれている。少年が今話していた記憶、つまり姉をふたたび形容化するための媒体となる文字列だ。
「まるでがしゃどくろみたいな大きさね。頭の青いリボンがよけいに不気味だわ」
「え、そこ可愛いポイントだったのにー」
「あそこで一生懸命お茶を運んでる小さいほうの骨は?」
「あれは父です!」
「そう……。変わった家族構成ね……」
後ろで会話を聞いていた憂が、けだるげな物言いで口を挟んだ。
「この子、大丈夫? ちょっと頭がお空に飛んでない……?」
「あからさまにヤバそうな獏ちんみたいなのより、こういうコのほうが何をしでかすかわからないのよねえ。まあ、多少変人でもしかたないわよ。菊小路がどれだけ識者を集めても解読できなかった、『幻想写本』の封印を解いた天才なんだし」
新世界派に【裏切者】が現れると、先だって宣言していた偲は冷静な態度だ。
いつものように薄く微笑み、優雅に首を傾げて白玉に問いかける。
「要するに、眼鏡の坊やは自分の姉を造り直すため『黒菊』に来たんだ。そうだろう?」
「そうです! ぼくの力だけじゃ足りなくて、いままで何度も失敗しました。だからもう最後の手段なんですけど、新世界派でこれをやろうとしたら絶対に止められますから。四天王のみなさんと違ってあっちはみんな良識的ですしー。ぼくのことちゃんと考えてくれるから、よけい止められちゃいます」
「えっ。倫理観がぶっ壊れてそうなきみに言われたくないけど……?」
「憂兄と比べたら、どっちもどっちかな」
憂の横やりをさっと流し、偲は話を戻した。
「私たち……というよりボスの目的は、文字の力の源である『幻想写本』の本体を手に入れることだ。坊やがこっち側にきたら、もう新世界派に勝ち目はないさ」
「あっ、そうよねえ。すでに故人のはずの八来町八雲を形容化してこの世に留めているのは、アナタなのよね? じゃあアナタなら今すぐにでも八来町をこの世から消し去れるの?」
周に問いを投げかけられ、白玉はなぜか同情的な瞳で四天王を順番に見つめる。
「あれれ。もしかして『幻想写本』がいったいなにか、四天王のみなさんさえ知らないんですか? 蔵相さんが複製を持ってて、ぼくたちよりずっと長く文字の力を使ってるんでしょう?」
「なにって、その名のとおり本でしょ。文字の力が封じ込まれた本」
「ふうん。力の正体も知らされずに、刻印を刻まれて操觚者にされちゃったんだあ。可哀想……」
「あら? この子、カワイイ系かと思ったら案外むかつくわ? 煽られてるのかしら」
「周姉、多分天然だから怒ってもムダだ」
どうどう、と偲がたしなめているのをよそに、白玉は続けて言った。
「まあうちもそこんとこは八雲さんが仲間に隠してるから、変わらないですけどね。問いの前半はそのとおりです。ぼくの固有能力を使って仮の肉体である人形に魂を移し、八雲さんを動かしています。ただし、あくまで形容化しているだけなので、完全に蘇ったわけではありません。ぼくの姉と同じで、いつ『壊れる』かわからない状態なんです。だからこそ、新世界派の目的はあの人の完全復活なわけです。では、今すぐにでも消せるのかって質問ですが」
白玉は石床に正座し、父だという骸骨が運んできたお茶をすすっている。相変わらずへらっとして、思考は読めない。
「それはできません。なぜならさっきしのぶ様も言っていた、“幻想写本の本体”を抑えてるのが、八雲さんだからです。あの人の固有能力は小説を書くことで物の怪を使い魔にすること。『幻想写本』そのものを使い魔として支配下に置いてるので、現在は八雲さんが文字の力のいわゆる支配者的な存在なんです」
「使い魔に、ですって? 本を?」
「『幻想写本』はたしかに本です。正確に言うと、本に封じられていた中身こそが本体なんです」
お茶を勧められたが、周たちは手をつけなかった。三人ともどことなく真剣な面持ちで少年の話に耳を傾けていた。
菊小路や本郷から肝心なことは何も教えられていないという指摘が、図星だったからだ。
生と引き換えに、ただ命じられて闘っている。
「その中身というのは、とある物の怪です。しかもハンパな物の怪じゃありません。大昔からこの国の帝室が代々受け継いで鎮めていた、最悪最凶といっても過言じゃないヤツです。文字の力っていうのは、元々この物の怪が持つ力です。ぼくたち操觚者は、物の怪に力を与えられているんですよ」




