十二 憎しみ≒愛情の連鎖
黒菊四天王の末席・獏の懐に飛び込んできたのは、おかっぱ頭の幼い女の子。黒地に小花を散らした高価そうな振袖を身に着け、髪にも薫りの立つ白い切り花を飾っていた。
「獏ちゃん、お祖父さまとのお話は終わった?」
「茉莉花……。いきなり飛びついてくんじゃねェ、最近重いんだよォ」
「ひどーい、成長したってゆって」
口の悪い青年は文句を言いながらも、片腕で少女を抱きあげ、そのまま階段をのぼった。
まだ舌足らずの甲高い声が、耳元で花火のように炸裂する。
「せっかく吉原に来たのに、遊びに行けなくてつまんない。馬車に乗っているときに美味しそうな甘味屋さんを見かけたの。獏ちゃん、連れてってちょーだい」
「遊廓は浅草花屋敷じゃねェぞォ!? つうか一応テメェがお付きなんだから、本来世話するほうだろォが。小生に子守させんじゃねェ!」
「あとね、あとね。そうだ、次号『黒菊』の下刷りはもう見た? ボクの新しい詩が表紙なんだよ。絵をつけてくれたのは美人画で最近人気のひとでー」
「聞いてねェしィ……」
わずか九つの天才詩人、通称『茉莉花』。
大蔵大臣・菊小路鷹山の孫娘にあたるため過大評価をされがちだが、だからといって決して凡庸の才ではない。と、獏は思っている。
でなければ命令といえど、この青年が子供の面倒を見たりはしない。
そしてもうひとつ、離れられない理由もできてしまった。
「ねえ、ねえ、獏ちゃんがいつもしてるこのメッキのペンダント、すごく大事なもの? ボクほしいな」
「やらねぇ。でも小生の命なら、いつでもくれてやる」
「なにそれぇ。いらなーい」
***
三階の広間では、残りの四天王とお付きたちが待機していた。
それぞれの活動があるため集合する機会は滅多にないが、なにぶん個性が強く、濃い面々である。揃えば非常に騒がしいのだ。
「こんなの絶対トミ子が悪いわよ。アタシはこういう女、一番キライね」
「誰だよ……トミ子……」
なにやら憤慨しているのが、花魁に扮した背の高い大男・古城周。
コタツで無気力に顔を伏せ、ツッコミを入れているのは蛇使いの金木憂。
「海石榴の新作読んでんの。トミ子はヒロインの名前」
「あー、いつもの横恋慕小説ね……」
「憂の兄はん、失礼極まりないわぁ。横恋慕やのうて、純愛小説ですえ」
「要するに、トミ子がハンサムで金持ちの旦那を親友から寝盗る話よ」
「やっぱり横恋慕じゃん……。さすが盗み系能力の操觚者……」
操觚者の固有能力は本人の性格や嗜好、作風が非常に出やすい。
大阪で虎丸たちと闘っていた際に『盗人』の力を使っていたのが、周のお付きをしているタヌキ顔の京女・海石榴である。
「ふふ、これだけ集まると賑やかだな。憂兄のお付きはどうしたんだい?」
憂の正面で蜜柑を食べているのは、帝都で一番人気の劇団を率いる劇作家の天津風偲。コタツに蜜柑という姿さえも優美な男装の麗人だ。
後ろでは彼女のお付き・藤が忠犬のように控えており、皮を剥き、筋まで綺麗にとった蜜柑の房を差し出している。
「鬱金香なら、ここに呼ばなくても元々ずっと吉原にいるし……。二軒隣に」
「それもそうか。獏の坊やは?」
「ボスへの報告が終わったら来るはず。はぁ……やっぱり獏だけ特別扱いだよ……。子供の頃から駒だった俺らと違って、黒菊ではぽっと出なのに。獏しか私室に通さないし、重要任務もぜんぶ獏にだけ任せるしさ~……」
いつものようにぼやきだした憂を、周は慣れた口調でたしなめた。
「身分が違うから仕方ないわよ。結局アタシたちは信用できないんでしょ。ボスは下層生まれなんて同じ人間と思ってないから。獏ちんはアタシたちに遠慮して、必死に華族出身だってコト隠してるけど」
「ふつうに知りすぎてて、隠してたことを今知ったよ……。でもあんなにボンに見えないボンもめずらしいよね……。まだしのっちのほうが百倍は上流階級のご令息に見えるよ……」
周は原稿用紙を海石榴に返すと、コタツの空いた場所に入って偲に尋ねた。
「そうだわ。ねえ、しの。こっちに戻るとき銀座で木村屋のあんぱん買ってきてって頼んだの覚えてるかしら。獏ちんの好物なのよ」
「もちろん用意してあるよ。私が周姉の頼みを忘れたりしないさ」
「なんだかんだできみたち獏が可愛いんだねぇ……。最年少ってずるい……」
「最年長の憂ちゃんはもっとしっかりして頂戴」
そのとき襖が開いて、うわさ話の当人である獏が現れた。青年の首に巻きついている少女、茉莉花が面々を見て叫ぶ。
「あ、しのぶ様とその他!」
「だれがその他よ。アタシたちは作家の先輩なのよ。挨拶くらいしなさいよ」
「しのぶ様と華族以外は喋りたくない」
「ひっぱたいていいかしら、このガキ」
周が引きつった笑いを漏らしながら言う。
偲だけ別枠なのは、まだ幼いといっても婦女子に圧倒的人気の舞台役者『天津風 しのぶ』の魅惑には敵わないらしい。
「やめろ、茉莉花ァ。仲間に喧嘩売るんじゃねェ」
「だって退屈なんだもん。はやく甘味屋さんに連れてって!」
「わァったよ。すまねェな、姐さん。ちょっと出てくる」
「女児には一切興味ないけど、獏ちんと並んでるのは可愛いから許すわ。いってらっしゃい」
ひらひらと手を仰いで、周が追い出す仕草をする。
獏は少しバツの悪そうな表情で襖を閉め、茉莉花と外に出かけていった。
「女に厳しい周ちゃんが、めずらしく甘いねえ……。俺はあの子嫌いだな……。だってさぁ、俺は三十過ぎるまで売れなかったし、天才とか早熟とか呼ばれてる若い子がそもそも嫌い。そういう子供って大抵生まれからして恵まれてるから妬ましい……」
「ヤダ、憂ちゃん、心せまっ! 大人げなーい。アタシはね、あの子たちが可哀想で見てらんないの。アナタは人に興味ないから個々の事情なんて知らないかもしれないけど」
近頃世間を騒がせている、未解決の政治家失踪事件。
その真相は獏がボスである菊小路に命令され、情景描写の森に引きずり込んで暗殺しているのである。
「『神隠し事件』でボスが真っ先に消したのは、大蔵省の幹部で右腕だった実の息子よ。部下を何人も引き連れて、謀反を起こそうとしたからなの。ボスの息子、つまり茉莉花の父親ね」
「え、それって……」
「そう、獏ちんの最初の仕事」
「ああ~……。あ~って感じだねえ……。だってたしか獏って、父親の復讐のために黒菊に来たんでしょ。憎しみの連鎖じゃんか……」
「獏ちんが知ったのはあとからだし、茉莉花は今も知らないはずよ。ボスにとって邪魔だったから消したのは間違いないだろうけど、獏ちんにやらせたのは絶対わざとね。黒菊に入るための交換条件だったみたい。がんじがらめでもうここから動けないでしょ。ほんと、ボスは怖いわぁ」
最後にあまったコタツの一角には、もうひとり少年がいた。
足を入れて暖まりながら、お茶を飲み、蜜柑を食べ、完全にくつろいでいる。
「ふむふむ。獏さんって口は乱暴だけど、根は純粋ですから。あれでも新世界派の皆さんとすごく仲良しだったんですよ。意地張ってて帰れないだけなのかと思ったら、そんな事情があったんですねぇ~。全然知らなかったぁ」
こげ茶色の癖っ毛に瓶底のような分厚い眼鏡。天真爛漫な明るい喋り方。
この黒菊の根城に、本来いるはずのない人物である。
平然と会話に参加してきた少年を、憂は訝しげな瞳で見つめて言った。
「あのさ……誰もつっこまないけど、そろそろつっこんでいい? この子、なんでここにいるの。なんでふつうに蜜柑食べてるの」
どこまでも明るく、新世界派の作家・白玉は宣言した。
「えへへ、【裏切者】でーす。よろしくお願いしますね!」




