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狂人ダイアリー ~大正浪漫幻想活劇~  作者: アザミユメコ@書籍発売中
第十二幕【雲雀あがり、心悲しも】
120/143

十 ただ、降りおちる雪と華をみていた

 座敷牢から出た雲雀(ひばり)に向けられたのは、激しい『憎悪』の瞳だった。


「母上……」


 土蔵の前で待ち構えていたのは、(あい)の母親。

 すべての元凶、親族の司令塔であろう母は、藍が問いただすより先に口を開いた。


「どうしてあなたが、その子を救おうとするのですか? 旦那様は、もとより庶子のあなたに財閥を継がせる気はありませんでした。跡取りには阿比(あび)を据えるつもりだったのです。だから、婿をとれないよう傷物にできればよかった。男児を身籠ったのは誤算でした。まさか、野盗の血を引くおぞましい子供を跡取りと主張してくるとは」


 母の言葉が意味するのは、ずっと昔に阿比と藍の姉弟を乗せた馬車を襲った野盗さえも、手配されたものだということだ。


「……はぁ。さすがに、そこからだとは考えてなかったよ。だから今度は姉上を鴉片(あへん)漬けにして、子も座敷牢に閉じ込めたと。どちらも気の病ということにして。我が母ながら、やることがえげつなさすぎやしませんかねぇ?」


 母は何も言わなかった。

 しかたなく、藍のほうから吐き捨てるように答えを返した。


「どうして救うか、ね。くだらねえからだよ。あんたたちの大事なものが、俺にとってはくだらねえ。そんなもんのためにこいつまで犠牲にしてたまるか」


 犠牲ならすでに出ている。姉は人生を奪われ、信頼していた上官であり友人は二度と戻らない。ならば、せめて姉の子だけでも助けたい。そこまで含んでいたが、もうどうにもならないことは口にしなかった。


「母上こそ──」


 なぜそうまでして、この家が欲しかったのか。

 もう一度尋ねようとして藍は口を(つぐ)む。


 雲雀に向ける母の目線で、なんとなく理解したからだ。

 家や財産が欲しいという欲望よりもっと激しい、本妻とその子らへの『憎悪』の感情。家族に目を向けようとしない父の関心を、母はなによりも求めていたのだろう。



──莫迦(ばか)だな。俺だって少し前まで、こんな家に未練があったんだ。そのせいで離れることもできず、操り人形のままだった。

 継ぐ気も能力もないのに父上に跡取りはお前だと言ってもらいたくて、ずっと自分の名前にこだわってた。家にほとんどいない、幽霊のような父親に。



 はあ、と息を吐いたあと。

 体温の高い子供の背中を抱いたままぽんぽんと叩いた。


「でも、もういーんですよ。俺は伽藍鳥(がらんちょう)になるんです。さよなら、母上。姉上が自らヤクに手を出していたらどうしようかと心配してたが、そうじゃないとわかっただけよかった」


 永鷲見(ながずみ)中尉に勧められたように、自分がどうにかして当主となって母も含む何もかもを守れればよかった。

 だが、壊すほうを選択した。


「なあ、雲雀」

「お!?」

「俺が嫌いなものは、ぜんぶ壊してくれるって言ったよな」

()いぞ!? 嗚呼(あゝ)(たの)しさうだ!」

「罪を共有するかわりに、俺の人生はお前にやる。一生付き合ってやるよ。お前がこの世で息を吹き返し、雲上に羽ばたくためなら、何でもしてやろう」


 共有。対等なふりをしてとんでもないものを押しつけたと、わかっていた。

 藍が背負うはずだった『憎悪』を、この子に背負わせるということだ。膨らみすぎた感情は約束を果たしたあと、本人に還ってくるのだ。



 その後、九社花(くしゃげ)家は少しずつ崩壊していった。

 金沢の邸宅を潰したのは、宣言どおり雲雀だった──成長して小説を書き始めた頃からは、化鳥(かちょう)と名乗っていた。

 決して合法の手段は使わず、一人一人、一つ一つ、丹念に追放していった。


 病院で療養していた阿比が廃人状態から回復し、正式に財閥を継いだのは化鳥が座敷牢を出た日から十年後。その頃には前当主は体を壊して隠居し、ふたりの妻は他界、親族と使用人のほとんどは金沢から去っていた。

 拠点を海外に移し、経営だけでも繋げたのは阿比の手腕である。


 いったん壊れてしまえば、なんのことはない。

 跡取り争いで衰退したなど、よくある話だ。過去にいくらでも例のあった愚かな商家のひとつ。嘲り笑って話せる昔話で済むと思っていた。


 藍は帝国陸軍から除隊し、欧州で傭兵同然の稼業をしていた。十六になった化鳥は、文壇で様々な意味でも嵐のような騒ぎを起こしていた。


「化鳥が二十になったら、戦争に参加するのはやめます。遠征ばっかりでそろそろ体にガタがきそうだし、あいつが無事に大人になればとりあえず気も休まる。つーか、姉上も化鳥も俺より稼いでるから問題ねえし」

「お嫁さんでももらって、あなたも幸せになればいいのに」

「俺は僧に転職するんで。一生独身でいいんですよ」

「また、そればっかり」

「最後まで、あなたたちと一緒にいますから」


 もう大丈夫だと藍がようやく安心し始めたとき、(ほころ)びは突然あらわになった。


 成長した化鳥は、損壊した(せき)のようにいつも感情が溢れている男だった。

 だが、実際に人の感情は目に視えない。たとえ、その人がどれだけ傷ついていたとしても。

 解決し、終わったはずだった。それなのに化鳥はそのまま壊れていき、阿比は息子を愛せなかった。


「姉上、意外かもしれませんが、()()()が来るまで、死ぬような奴に見えなかったんですよ、あいつ。いつも人を巻き込んでやりたい放題やって、傍若無人で、殺しても死なないと思ってた。ずっと正気を蝕まれてたのも、見逃してた。俺は救ってやったと勝手に思い込んでいたんです。結局、大人になる前に死んじまった。なる気がなかったのかもしれませんね」


 約束は守られた。藍が『嫌いだった全部』は葬られ、消え去った。

 果てに──明治が終わる少し前の冬、化鳥は自ら入水して死んだ。


「あなたに無理だったのなら、誰にも救えなかったでしょう。わたくしより何倍も、あの子を理解していたのですから。あの子が小説家なんかになって世間に騒がれて、力を持って、滅茶苦茶やり始めたとき、正直いって気持ちよかったわ。わたくしのかわりに、親族に復讐してくれて。でも、あの子のことを受け入れられなかった。一度もちゃんと対話をしなかった。あの子を愛さなかった」


 伊志川(いしかわ)化鳥(かちょう)の遺作となった『狂人九想図(くそうず)』は、人が狂死していく過程を書いた観察記録だ。手記という形をとっているが、書いている化鳥自身がどんどん正気を失くしていっているのがわかった。未完なこともあり、藍と阿比は世に出すつもりはなかった。が、残っていた親族に勝手に売られてしまったのだ。

 後に『狂人ダイアリイ』と題名を変え、視点も狂人そのものに変更されているが、もとは同じ小説である。


 そして、阿比の前に()る少年が現れる。

 死んだ家族を生き返らせるため、協力してほしいと。


「ぼくが盗んだ『幻想写本』と呼ばれる()()()は、文字と感情を食い物にするんです。この小説なら、宿主に申し分ない。あなたの息子さんとぼくの家族を、きっと蘇らせることができるはずです」


 藍は姉を止めようとしたが、そう強くは言えなかった。

 かつて化鳥とのあいだで交わされた『罪の共有』。


 姉と白玉の契約も同じようなものだったからだ。


「一度死んだあの子を、はじめて愛せるようになるかもしれない。生きてるときは何ひとつしてあげようとしなかったのに。いえ、だからこそ、あの子をこうやってこの世に引き留めるつもりなの。ただ、失った家族と会いたいだけの少年を利用して。ええ、すべての元凶はわたくしです」



 いつの間にか建てられていた八王子の洋館で、藍は初めて”八雲”に会った。



「……は? まじで生き返った? まず一発殴っていいか?」



 手には化鳥が嫌いだったはずの煙管(キセル)を持っている。



──ああ、やっぱり違うな。化鳥とは違う。

 感情を戻せば今度こそ帰ってくるって? また、次も違うかもしれないのに?



 同じ顔、同じ声をした青年は、静かに言った。


「あなたが求めているのがかつての化鳥であり、あなたにとって私が彼ではないというのなら──もう、”化鳥”はどこにもいません。この世のどこにも。雲上に揚がる鳥から、怪鳥へ、次はいっそ空そのものになりましょうか。幾重にも重なる実体のない雲。雲雀でも化鳥でもない、それが八雲(わたし)です」



 ***



「と()ふわけで、叔父貴は俺が自死したことをずーつと根に持つてゐるのだ。悉皆 (すつかり)助けた(つも)りだつたからな」


 ぷかぷかと水面を揺蕩(たゆた)って、まるで他人事のように笑いながら話す男。

 こんな場所にひとりきりで、ときどき八雲の体を乗っとって現れるこの”化鳥”は誰なのだろう。虎丸はふと考えるが、聞いてもわからなそうなので尋ねはしない。


「大人になる前に、か。オレも今十九やし、不安や焦燥はわからんでもないけど」

「貴様のやうにお氣樂(きらく)で単純明快な男に(わか)つてたまるか」

「なんやねん、ちゃんと話聞いてやったのにー!」

「では最後に、貴様の問ひに対する答へだ」


 問い、とは。

 この場所にやってきたばかりのとき、虎丸がぼそっと漏らした独り言。"化鳥は死ぬ瞬間、何を考えていたのか"だ。


 つつっと素足で水面に立ち、赤い面を手で直して、雫の滴る冷たい音を鳴らしながらぽつりぽつりと言葉を繋ぐ。



「何も、考へてゐなかつた。水に入つた最初のうちは色々とぼやいてみたが、(からだ)が冷たくなるにつれ心中は穏やかになつていった。いつも(ほとばし)つてゐた感情の流出が止まつたのは、生涯であのときだけだ。湖面から見あげる空は暗く、深く、口を開いた深淵そのものだつた。真冬の夜闇にまぎれて白い(ハナ)が咲いてゐたやうな()がする。おそらく、命が()きる刹那の幻覚だつたのだらう──ただ、降りおちる雪と華をみてゐた」



 呼応して闇の中に降りだした雪を、虎丸はかつての化鳥と同じように見あげた。


()て、虎丸。貴様、そろそろ帰れ。俺が戻してやらう」

「なんでオレに親切にしてくれるん? 人助けとか死んでもせえへん性格っぽいのに。切支丹(きりしたん)の幽霊んときみたいに、また騙されるんじゃ……」

「貴様は本当に失礼な奴だな。深い理由などない。俺が貴様を()に入つてゐるだけだ」

「嬉しいような、厄介なだけのような……。でも、なんで?」

「次々と質問を浴びせるな。貴様、初めて俺の『感情』に()れたとき、涙を流しただらう。だからだ」


 感情に?

 少し考えて、思い当たった。

 初めて八雲と会い、文字の形容化を見た日。



 憎んでも、憎んでも憎み足りない

 この身を焦がすほどに、この身を壊すほどに

 俺を憎んでいる俺が、俺自身を殺すから、

 人の命も義も放り出して、


 狂気に身を(やつ)そう



 初めて触れた、目には視えない誰かの感情。

 『狂人ダイアリイ』に綴られたあの憎悪の叫びは、化鳥のものだ。



「もう此処(ここ)には()るなよ。自分の親父なぞ叩き斬れ」



 無茶な言葉を最後に残して、夭折の天才・伊志川化鳥との奇妙な逢瀬は終わった。

 目を開けると、見慣れた天井と仲間が虎丸を待っていた。

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