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狂人ダイアリー ~大正浪漫幻想活劇~  作者: アザミユメコ@書籍発売中
第十二幕【雲雀あがり、心悲しも】
119/143

九 「わたしのもとへ帰ってきて」

──大正四年、タカオ邸。


 正午の光に透ける金髪、目尻が少し下がった(グリーン)の瞳、日本では目立つ高い背丈。

 青年の外見は背景の庭にも劣らず華やかだが、手に持った花束はごくシンプルで楚々(そそ)としていた。一種類の花を、無地の薄い和紙で包んでいるだけだ。


十里(じゅうり)

「わっ、びっくりした。も~なんでそんなとこいるの。風邪ひくよ?」


 庭を横切るハーフの青年・十里に声をかけてきたのは、植物に隠れるようにして花壇の段差で煙草を()んでいた男。洋館に住む若い作家たちの世話係と、タカオ活版所の所長を兼任している(あい)だった。

 まったくそうは見えないが一応仏門に入っており、いつも漆黒の僧衣を身にまとっている。


「病人が寝てる部屋で吸うなって、番犬娘に追い出されちまった」

「そりゃあそうだよ。ばん……(コウ)はずっと看病してるし。虎丸くん、全然目を覚まさないんだもん。拓海が大丈夫って言ってるから、大丈夫なんだろうけどね」


 楽観しているわけではないが、仲間のことは信頼している。気難しい医学生の拓海は、希望的観測で発言する人間ではない。


「で、お前はそんなときにどこ行くんだ」

「麗しの未亡人のところ~☆ 咲き始めの水仙(スイセン)が綺麗だったからさ、(あるじ)に少しわけてもらったんだ。薔薇(ばら)みたいにゴージャスなのも好きだけれど、こういう花も可憐でいいよねぇ」

「緊張感のないやつだなぁ。火遊びもほどほどにしとけよ」

「未亡人だってば。花を届けたらすぐ戻るよ~」


 青年は花弁にそっと顔を近づけ、芳醇な香りを確認する。

 瞼を閉じたその横顔にはっとして釘づけになった藍は、半ば放心した表情で尋ねた。


「……十里、お前、今いくつになったっけ」

「やだなぁ、歳を取ると一年が数えられなくなるのかな? 二十一だよ」

「そうか。まぁ、気をつけて行け」

「はーい」


 明るい笑顔を向けて、庭に咲く花々に溶け込むように出口のほうへ消えていった十里を──

 藍は煙草をくわえたまま、ぼうっと見送っていた。



 ***



 東京市・下谷区。

 

 十里が上野公園の近くにある寺院に足を踏み入れると、目的の墓前にはすでに人影があった。

 予想していたので驚きはない。いるだろうとわかっていて訪れたのである。

 今日はそこに眠る人の、月命日だからだ。


伯母様(タティ)! こんにちは。ご機嫌いかが?」

「……ジュリくん?」

「お花持ってきたよ。黄色の水仙、好きでしょ? 冬になるとよく供えてるもんね」

「まあ、ありがとう。あのひとも喜ぶわ」


 墓の前で腰を落としていたのは、四十を少し過ぎた着物姿の女性。

 しゃがんだ体勢から見上げた十里の顔は、冬の薄い日差しで逆光に隠れていた。声をかけられた彼女の反応が一瞬遅れたのはそのせいだ。


 伯母と呼ばれたその人は気を取り直したように立ち上がり、花束を受け取った。


「おひさしぶりね。ジュリくんはもう二十一だったかしら。息子と一つ違いだものね」

「今日は年齢を聞かれる日なのかなぁ」

「え?」

「こっちの話~。二十一で合ってるよ。大学も留年なんてしないし、三年ぽっきりで卒業できる予定だから心配しないでよね?」

「ええ。貴方は要領がいいから、成績の心配はしていないわ」


 優秀だからとかじゃないんだ……と、ぼやく十里を眺めて伯母は薄く微笑む。


 苦学生の拓海や茜と違って、十里はタカオ邸主人の金銭的援助は受けていない。仏蘭西(ふらんす)にいる両親、そして日本の血縁であるこの伯母の家が生活費や学費を出している。

 華族特権で無入試入学だったため、ちゃんと帝大の勉学についていっていると安心させたくて一応状況を報告したのだ。

 しかし、伯母が年齢の話をした理由はまったく別のところにあった。


 『永鷲見(ながずみ)家』と刻まれた墓石。そして、法名碑の左端には一度も会ったことのない伯父の名と享年がある。


「そう、もうそんなに大きくなったのね。夫は亡くなったとき、二十六だったの。親に決められた政略結婚だったけど、物腰が柔らかくてやさしいひとだったから……初めての顔合わせですごく安心したのを憶えてるわ。当時は、親族以外の殿方となんて言葉を交わしたことさえなかったもの」


 背後の日差しで目元が影になった青年は、あまりに彼女の亡き夫──永鷲見(ながずみ)万里(ばんり)中尉に似ていた。 


「貴方は写真でしか知らなかったわよね。本当によく似てるのよ。顔も雰囲気も。うちの息子、(ばく)とはあまり似ていないのに不思議ね。歳が近づくほどに、そっくりになっていくみたい。貴方ほどふわふわはしていなかったけれど」

「ふわふわ……」


 永鷲見邸の仏間にある遺影は何度も見たことある。それから、獏がいつも身に着けていたロケット式のペンダントに家族三人の写真が入っていた。

 伯父は獏と同じで少し三白眼気味だったが、それ以外の下がった目尻や、顔立ちそのものは十里自身もたしかに似ていると思う。


「獏には、そこが嫌いって言われてたけれどね~」


 父と似た顔でホニャララするなと、よく怒っていた。


 困ったように笑うと、伯母も同じ表情を返してくる。

 そのあと、不安げに尋ねてきた。


「……ねえ、最近あの子に会った?」

「いえ、もう一年以上。でも人づてに元気なことは確認してるから」

「あの子、いま何をしてるのかしら。小説はちゃんと追ってるの。新刊が出ているかぎり無事だとは思うのだけれど。でも、大学もやめてしまったし、近頃連絡もなくて。単純な子だと思ってたのに、何を考えてるのかわからなくなったわ」


 伯母は何も知らない。大蔵大臣・菊小路(きくこうじ)鷹山(ようざん)率いる『黒菊(クロギク)』の下で、何をやらされているか。

 十里も何も言えない。



──それはね、僕が失敗したからなんだよ。

 彼が僕たちの元から去ったのは。



 思わず(こぼ)しそうになって、顔をあげた。


「……僕、今度会いに行って来るよ」

「たまには家に戻ってきてって、伝えてくれる? お願いよ、ジュリくん」

「うん、安心して」


 西洋式に伯母をふわっと抱擁して、別れの挨拶を告げる。



 仏蘭西(ふらんす)で生まれ育った十里は、十六のときに単身で日本に渡ってきた。欧州の情勢が不安定になり、父の実家である日本の永鷲見家に預けられる形でやってきたのだ。

 父は駆け落ちして家から出た身だが、次期当主になるはずだった夫を亡くし、再婚もせず静かに家を守っていた伯母の了承もあって親交が復活した。

 そして一つ違いの従兄弟(いとこ)、獏と出会ったのである。


 同じ学習院高等科に通っていたふたりが、故・伊志川(いしかわ)化鳥(かちょう)の影を追い求めてタカオ邸を訪ねたのが四年前だ。

 『永鷲見』というめずらしい苗字に(あい)が気づかないはずがない。


 最初に知ったのは十里だった。藍の判断で先に話したのだ。

 獏の父、十里の伯父にあたる中尉との関係。その死と、九社花(くしゃげ)家の因果を。



『待って、獏には言わないで』

『つっても、黙ってるわけにもいかねえだろ?』

『ごめん、これは僕のわがまま。だって彼はここが、新世界派が好きなんだ。絶対にすごく傷つくから、言わないで……』



 結果、隠していたのが仇となって獏をより一層怒らせた。

 伊志川化鳥を生き返らせるために白玉が盗んだ文字の力──『幻想写本』を新世界派が握っている情報は敵に渡り、奪い合いが始まった。



「獏のためじゃなくて、僕が、傷つく獏を見る勇気がなかっただけなんだよ。失敗しちゃった。仲間なのに、もう戻れないのかな……」



 寺院から出て上野公園の賑やかさに包まれているあいだもずっと、墓前に供えられた水仙の鮮やかな黄色が十里の視界の端に残っていた。

サブタイトルは黄色いスイセンの花ことばです

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