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狂人ダイアリー ~大正浪漫幻想活劇~  作者: アザミユメコ@書籍発売中
第十二幕【雲雀あがり、心悲しも】
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八 原初の景色は、蛍の火

 葬儀が終わり、黙って会場から去ろうとすると、奥方に声をかけられた。


「さきほど受け取った着替えの袖口に入っていました。もし、必要でしたら」

「これは、姉上の診察をしていたとき中尉殿が取っていたメモ……。俺がいただいても?」

「はい」


 手渡された紙片の走り書きは独逸(どいつ)語だったが、一番上に『九社花(くしゃげ)阿比(あび)』と姉の名が書いてある。九社花の文字に気づいて渡してくれたらしい。


 さっと目を通し、奥方の前にも関わらず(あい)はぎりっと歯を噛みしめた。



──くそ、こんな紙切れ一枚で、なにもかも繋がりやがった……。



 葬儀のあいだも頭から離れず、ずっと抱いていた疑念。

 女中が不審な動きをしていたのは知っていたが、なぜ中尉が事故に遭わなければならなかった?

 その理由に結びついて、行き場のなかった悔しさは怒りに変わった。


 藍は礼を言って葬儀の会場を後にし、すぐ駅に向かって金沢へと戻る汽車に乗った。



 ***



 実家に着いたのは夜だった。

 帰宅時間は知らせていないので門番のほかに出迎えはなく、静まった広大な敷地にひっそりと足を踏み入れた。ふらふらと頼りなく蛍が舞い、かすかな馬の(いなな)きが聴こえる。


 向かった場所は母屋でも姉の部屋でもなく、雲雀(ひばり)のいる土蔵である。


「あー……やっぱり、()()()()だ。葡萄酒(ワイン)(だる)のあたりか」


 春に酒を失敬した周辺を、あらためて観察する。しかし、数秒もしないうちに地下から『早く下りてこい』と催促する音がガンガンと鳴りだした。

 とんぼ返りしてきたつもりだったが、汽車での移動時間を含めると三日以上家を空けている。階段を下りると、すぐ怒声が飛んできた。


「叔父貴!! なんで約束通り()なかった! お話の続きを教えて欲しくはないのか!? ()れから、徳利(とつくり)が巨大化する()いところで──」

 

 わかっていたが、やはり雲雀はちゃんと待っていた。藍、そして中尉を、だ。実感すると張りつめていた糸が一気に切れた。

 姿を現すなり木格子(きごうし)にもたれかかり、力なく座り込んだ藍を見て、いつもと様子が違うことに幼子は気づいた。


「叔父貴? 頭はどうしたんだ、毛が減つたぞ。僧侶に少し近づいたらさうなるのか? 何段階あるんだ?」

「ほんとおもしれえなー……お前の反応は……」

「中尉どのは? また必ず()()れると、()つたのに」

「もう来れない。いなくなった」


 格子を挟んで藍の背中をゆさぶっていた雲雀は、ぱたっと手を止めて考え込んでいた。


「なんで。なにが起こつたら人間がゐなくなるんだ? 会へなくなるのは(いや)だぞ」

「その気持ちを、寂しいっつーんだ。中尉殿が教えてくれたろ」

「ぢやあ、寂しい。あのひとの喋り方が好きだ。声が(やはら)かいのに嘘が無くて、おれをどうでもいいだとか、厄介だとか思つてゐない感じがした。好きだつたのに、いなくなつてしまつたのか?」


 そうだ。いなくなってしまった。

 答えようとしたが、言葉が出なかった。


 藍の背にくっついていた雲雀は、しばらく経って心配そうに口を開いた。


「泣くなよ、叔父貴。寂しいのか?」

「……いいや。腹が立ってしかたないんだ」


 雲雀のことにしても、穏便に済ませようとしていた藍は相当甘かったらしい。思い知らされた気分だ。

 敵は考えていたよりずっと手段を選ばない相手だった。正面から立ち向かおうとすれば、いつの間にか後ろに回って殴ってくる。

 この身に同じ血が流れていることを、憎みたくなるくらいに。


 静かに時間が流れていく。

 時刻はすでに夜半を過ぎているだろう。

 ずっと寄り添っていた雲雀の寝息が聴こえはじめた頃、土蔵の三重扉を開く耳障りな音が響いた。


 カタカタと控えめな足音を立てて階段を下りてきたのは、いまだに名も知らない例の女中である。

 

「よう、物騒なもん持ってんな」


 まさか藍がいるとは思わなかったらしく、薄暗闇から突然現れた低い声に短い悲鳴をあげた。

 彼女が胸に抱えていたのは、小さな油壺だった。


「いえ、これは……頼まれていた、行灯(あんどん)用の油を持ってきただけです」


 頼んだのは藍なのだから、そんなことは知っている。

 だが、その否定の仕方はかえって確信を強めただけだ。まるで『()()()何もする気がない』と自白したように聞こえた。


「俺はねぇ、腹が立ってしょうがねえんだよ。こんなくだらない理由であの人を死なせたかと思うと」


 立ち上がって、いつかのように壁際に追いつめる。

 今度は軍刀ではなく、折り畳んだ紙片を女中の目の前にかざした。



「これか? 万里(ばんり)さんを事故に見せかけて殺した理由」



 女中はじっと押し黙り、目も合わせなかった。


「遺品には身元のわかる物がなかった。革鞄も財布もだ。あのへんによくいる盗賊崩れの浮浪者にでも盗られたかと、警察は言っていたが──写真とペンダントはこの家にあって、しかもあんたが持ってた。身ぐるみを剥がした真の目的は、姉上のカルテだよな?」


 姉の阿比を知人の病院へと移すため、紹介状を書くと言っていた。

 中尉がきちんと清書したものを用意していたため、客間にあった走り書きのメモは見落とされた。


「事故現場を漁ったんだろ。賊の仕業に見えるよう財布も装飾品もまとめて盗んだ。だがな、メモ書きが残ってたんだよ」


 紙片を開いて、独逸(どいつ)語の羅列を見せつけた。

 雲雀を産んだあとで廃人同然となった姉の診断は、気の病ではなかった。


 『鴉片(あへん)中毒』である。

 

「あのとき気づいたはずの万里さんが、なぜすぐ俺に言わなかったか。症状が人為的なら、やったのはこの家の誰かだからだ。実際にあんたは姉上の部屋の前ですれ違ったあと、盗み聞きしてたみたいだしな。病院に移そうとしてるって知ってたんだから」


 犯人は身内だと、確証のない段階で思慮なく告げる人ではない。

 同時に、藍や雲雀にも危険が及ぶ可能性があると考えてまず場所を移そうとしたのだろう。


 『山荘ではいつもたばこを吸っていた』と以前、雲雀が話していた。

 病気ということにされた時期とも重なる。煙草ではなく麻薬だったのだ。


「わたしは、命じられただけで……」

「ああ、あんたは実行犯でもなけりゃ、命令されて雑用をやってただけなんだろうな。ひとりじゃできねえし。母上……つーか、うちの親族まるごと共犯なんだろ。だが──」


 空いたほうの手で女中の顎をつかみ、無理やり顔をあげさせる。


「気を鎮めるためだと偽って、山荘で麻薬を吸わせていたのは間違いなく一番信頼されていたあんただ」


 親指の腹で喉を押さえる。

 これ以上、力を込めないよう自制するのがやっとだった。


「なぁ、あんた自身の目的はなんだ? 俺が当主になったら、妾の末席にでも入れてやると母上に言われたか? そこまでして俺がほしかったか。いいぜ、一晩くらいなら叶えてやっても。鴉片の保管場所を、あんたの口から吐いたらな」

「山荘を出てからは、一度も使用してません」

「そりゃあ、姉上は廃人同然だからな。手足に拘束跡のある本当の理由は離脱症状で暴れたせいだろうが、もうそこまでの意識はない。だが現物はまだこの家にある、だろ?」


 ただの女中が個人で手に入れられる代物ではない。まして廃人に至るほどの量を誰が横流ししていたかと考えると──当然、九社花家である。貿易業を営むこの財閥が、裏で扱っていた可能性は十分ある。


 中尉に授業で使う鴉片を見せてもらったとき、『どこかで嗅いだことのあるにおいだ』とたしかに感じた。

 汽車での移動中に考えていたがわからず、帰ってきてからようやく屋敷の敷地内だと思い当たった。


 息のきれぎれなった女中は上──つまり一階を指さした。


 家の者がほとんど行き来しない、この土蔵に鴉片がある。

 食糧庫だが、頻繁に出し入れするような物は置かれていない。滅多に出されない高級な酒ばかりなので、使用人の中でも長く働いている限られた者しか近づくのを許されていない。立ち入れない場所だからこそ、雲雀の座敷牢もあったのだ。



『甘酸っぱい匂いがすると思ったら、葡萄酒(ワイン)火酒(ウヰスキイ)か。貯蔵に洋酒が増えてきたな』



 酒を探しに入った日に気づいた匂いは、葡萄酒を置いているせいだと思っていた。甘いような、酸っぱいような独特の臭気。


 藍の親族にとって、阿比と雲雀が邪魔だったのは間違いないだろう。だが、殺されたあの人は一体何の関係があったというのか?

 母親はあれほど特権階級とのつながりを持ちたがっていたのに、それを切り捨てるほど見つかってはいけない物が土蔵にあった。中尉も言っていたように、鴉片の使用も売買もすべて重罪である。

 

「公爵家が相手じゃ、金の力で揉み消そうとしても通用しないもんな。密輸がバレたら九社花家は一瞬で潰れる。だから事故に見せかけて殺した。家の外で、自前の馬車も使わず、うちに捜査や責任が回ってこないように」


 押し黙る女中と薄暗闇で睨みあっていると、雲雀の起きる気配がした。話し声で目を覚ましたらしい。


「叔父貴、推理遊びか!? ポオの小説みたいだ」

「雲雀、すぐにここから出るぞ」

()の声、滅茶苦茶に怒つてゐるな? なんでだ?」

「いいから、ちょっと端に避けてろ」


 錆びた蝶番ごと格子を蹴り飛ばし、自由になった座敷牢の子を抱き上げる。

 女中にはもう目もくれず、階段を上がって行った。


 首に手を回している雲雀が、子供らしい無邪気な声で尋ねてくる。

 

「叔父貴、怒つてゐるのか、悲しいのか、何方(どつち)なんだ」

「さぁ、両方かな」

「泣くな。叔父貴が嫌ひなものは、おれがぜんぶ(こわ)してやらうか?」

「あのなぁ、お前に何ができるってんだ。でも、いいな、それも。神頼みじゃねえが、ちょっくらお願いしてみようかねぇ」

()いぞ。叔父貴の、望む(まま)に」


 藍の乾いた笑いに対し、雲雀の声は思いのほか真剣だった。

 重量のある三重扉を片手で開けると、その先に広がっていたのは──


 闇に点々と、蛍が光を交わす美しい庭。

 中尉と最期に酒を呑んだ夜と、そっくり同じだ。この景色こそ、雲雀が初めてまともに目にする外の世界となったのだ。

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