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狂人ダイアリー ~大正浪漫幻想活劇~  作者: アザミユメコ@書籍発売中
第十二幕【雲雀あがり、心悲しも】
117/143

七 うしろのしょうめんはだれ?

「ああ、柄じゃねえよなあ。夏に真っ黒の羽織はきつい」


 実家ではいつもゆるい着流し姿の青年が、玄関先で窮屈そうに腕を伸ばしている。

 門の前で打ち水をしていた使用人は手を止め、流れる汗を袖で拭いながらお屋敷の長男に話しかけた。


「若様、めずらしいですね。そんなにきっちりした紋付羽織袴なんて着てるの。女中や近所のご婦人が集まってきてますよ」

「見世物じゃねえし。見合い用だよ。すでに仕立ててあった衣装を試しで合わせただけ」

「あんなに嫌がっていたのに、どういう風の吹き回しなんです?」

「さあなー」


 あい自身、少し短絡的すぎるかと思わないでもなかったが。

 昨晩、永鷲見(ながずみ)中尉に『貴公が家を継げばいいじゃないですか』と進言され、ずっと避けていた見合いを突然する気になったのである。


 いつもの癖で伸びた髪を掻きあげようとして、試着のついでに断髪されたことを思い出す。香油までついているせいで指通りも悪い。


「やっぱり、柄じゃねえな……」


 中尉の発言はもっともだとしても、それはそれとして家父長制に縛られるのが自分に向いていると思えない。

 抜群に女性受けのいい麝香(ムスク)の、爽やかで甘ったるい後を引く香りが手についてしまい、誤魔化すため煙草に火を点けた。



──でも、雲雀(ひばり)には見せてやろうかな。たまにはちゃんとした恰好を。

 なんて言うだろうな。あいつはいつも予想外の反応をするのが面白いんだが。



 藍の複雑な心境など知らない若い男の使用人は、楽しげに見合いの話題を続けてくる。


「もしかして、お相手はご母堂様が第一候補に挙げていた公家華族の伯爵令嬢ですか? 写真をご覧になったんですよね。噂どおり美人でした?」

「うーん。美人は美人なんだろうが、いかにも温室育ちの初々しいお嬢さんって感じで、ああいうのは苦手なんだよなぁ。どんな会話をすりゃいいんだ?」

「さあ? お花とか、お着物とか、お上品な話でしょうか」

「玄人のほうが楽だな~」

「それ、誰かに聞かれて先方に伝わったら本番前に破談ですよ」


 内容は下世話だが、年の近い使用人たちとこうしてくだらないやり取りをするのは嫌いではない。

 向こうもこの屋敷で唯一気安く声をかけられる相手として、藍に様々な話題を持ってくる。

 

「そうだ、若様。公爵家のお客人、まだ逗留されるんですよね? 使用人の住まいで落とし物を預かっていますよ」

「ああ、中尉殿なら用事で出かけてるが、しばらく泊まる予定だ。夕方前に戻ってくるはず。落とし物って?」

「ついさっき、女中が掃除をしていて拾ったらしいです。取ってきますね!」

「まったく、あのひとは。しっかりしてるんだか、抜けてんだか……」


 使用人は一旦住居に戻り、両手で大事そうに持ってきた物を藍へ差し出した。


「……これ、誰かに報告したか? 母上とか、使用人のもっと上のやつとか」

「いいえ、高価な品ではないようですし。でも記念品の類なので、若様に会えたら直接お渡ししようと思って」


 そう言って手渡されたのは、昨晩見せてもらったばかりの写真と、金メッキのペンダントだった。

 甥だと話していたハーフの子供の写真。そしてペンダントは軍人ならよく目にする、鎖の先に開閉式のロケットがついたデザインである。

 おそらく日清戦争で身に着けていたのだろう。金の蓋を開けると、中尉と産まれたばかりの赤子を抱いた妻との家族写真が入っていた。


「この写真、休暇中でも懐に入れてるくらい大事にしてたんだぜ。多分、ペンダントのほうもな。さすがに落としたり忘れたりしねえと思うが……。女中が拾ったって言ったよな?」

「共同の台所に入ると、ちょうどその女中がひとりでいて手に持っていたんです。どうしたのかと尋ねたら、掃除中に拾ったと。じゃあ若様に渡しておくと伝えて自分が受け取りました。ほら、阿比(あび)お嬢様付きの、若様のご母堂の遠縁だという娘ですよ」

「だろうよ……」


 中尉からも気をつけろと言われたが、挙動不審だというくらいで決定打はなく、何を注意すればいいのかわかっていなかった。

 なにより、姉の世話係としていつも仲が良さそうに過ごしていた記憶が邪魔をし、完全に疑うことができなかったのだ。



──あの女は結局、()()の親族なんだ。最初から母上の子飼いとして姉上の世話係に入り込んでいたのかもしれない。もう、ずっと昔から。

 いや、今はそんなことどうでもいい。とにかく、無事でいてくれれば。



「おい、馬車空いてるか? 回してくれ」

「わかりました。朝はいろんな用事で出払ってたんですけど、さっき一台戻ってきたはずです」

「あとおまえ、しばらく郷里(さと)へ帰れ」

「ええっ、自分クビですか!? 若様!?」


 慌てふためく使用人の声をあとにし、中尉が向かったはずの病院へと馬車を走らせようとしたそのとき。

 逗留していた事実を確認しにやってきた警察によって、事故を知った。

 


 ***



 実際にこの目で見るまで信じないと決めていた。だが、現実はなにもかも勝手に進行していた。



 知人のいる病院に向かう途中の山道で、永鷲見中尉を乗せた馬車は車体ごと崖の上から落ちた。一応整備されていたが、かなりがたつく道だったため途中で車輪の部品が損傷したらしい。

 中尉だけでなく、御者も命を落としている。



──なんで、うちの馬車使ってないんだ? 用意させると万里(ばんり)さんにも昨晩伝えたはずなのに。



 乗っていたのは道端で客待ちをしていた辻馬車だった。だが、富豪の九社花(くしゃげ)家には自前の馬車や専属の御者くらい置いている。


 使用人の話を思い返すと、今朝はたまたま出払っていたらしい。

 優しい中尉のことだ。近くで拾うから構わないと笑って出かけて行ったに違いない。その表情が目に浮かぶようだった。


 藍が病院に着いたときには、すでに遺体は帝都に搬送されていた。警察も動いていたが、身元のわかる持ち物がなかったため九社花家に連絡が来るのは遅かった。

 知り合いの医師が金沢市内にいなければ、最悪身元不明で処理されていたかもしれない。


 なにも知らないうちにあっという間に事が起こり、警察から又聞きで説明されただけの藍は半信半疑で困惑していた。その足で、すぐに汽車に乗って東京府へと向かった。乗車中、疑念や後悔、様々なことをぐるぐると考えながら。


 到着した頃にはすでに通夜が終わり、度を超して絢爛(けんらん)な葬儀の最中だった。

 ただの慣習なのはわかっているが、中尉を見栄に利用されているようで腹が立つ。

 だが、急遽(きゅうきょ)九社花家の名義で贈らせた豪勢な弔花だってその中にあるのだ。


『目前だった襲爵(しゅうしゃく)はどうなる? 永鷲見家の現当主ももうご老年だろう? 弟君は仏蘭西(ふらんす)女と駆け落ちしたとか』

『すでに孫がいるのが幸いだったな。まだ幼いから無事に育てばいいが』


 耳にはいってくる好奇の噂話をかいくぐって、壇上に近づいた。


 

「万里さん……本当に……」



 白木であつらえられた寝棺に、横たわる姿。

 露出している顔は傷もほとんどなく綺麗だが、繃帯(ほうたい)で固められた全身が痛々しい。


 焼香もせず棺の前で茫然としていると、すぐ横でつんざくような叫び声が響いた。

 身内の席に座っている薄墨色の喪服を着た女性は、写真で見た中尉の奥方である。そして、まだ小さいのに座布団にちゃんとひとりで座っている子供は、今年で四つになると言っていた息子だ。

 硬そうな黒髪で、話に聞いていたとおり中尉とはあまり似ていない。


 厳かな雰囲気の中で、幼い声がこだまする。



「ぜったいに、ふくしゅうしてやる……!!」



 周囲の大人たちが慌てて止めようとするが、奥方はそれを制止し、子をぎゅっと抱きしめて言い聞かせた。


(ばく)、悪い言葉を口にしないで。お父様は穏やかでやさしいひとだったのだから、そんなことは望まないの」


 藍は思わず、頭を下げていた。


「すみません、俺が、永鷲見中尉殿を金沢に呼んだばかりに……」


 奥方はまるで自分自身を納得させるように、力なく答える。


「事故でしたから、誰のせいでもありません。御者の方も亡くなっていますし、どこにも、もう責任はないんです」

「いや、それは……」


 何かを言いたかったが、言葉が出てこない。


 すると、突然横から中年の男が口を挟んできた。

 金沢市内で開業している、中尉の知人の医師だという。藍と同じく葬儀に間に合わせるため急いで東京へ駆けつけてきたらしい。


「であれば、わたくしにも責任が。近くに寄ったからと、わざわざ訪ねに来てくださる道中の出来事だったんですから」

「先生も、気に病むのはおやめください。しかたのない事故だったんです」


 と、奥方はまた同じ言葉を繰り返す。

 これ以上はかえって負担になるだろうと気づいたのか、医師は会釈をしてすぐに身を引いた。


 ぼうっとする頭でやり取りを聞き、藍は胸中で叫んでいた。



──いいや、本当に違うんだ。おたくは関係ない。

 全部俺が巻き込んだせいなんだよ。



 だが、そう訴えたところで意味はない。


 なぜなら、証拠が何もないのだ。

 乗っていたのはどこにでもいるただの辻馬車。身元がわかる物を何も持っていなかったのは不自然だが、写真とペンダントにしても忘れていった可能性も否定できず、確かめようがない。

 昨晩九社花家に泊まっていたのは大勢が知る真実だが、うちには責任がないと誰もが口を揃えて慰めてくる。


 責任を証明できない。それに気づいて、ぞっとした。


「そうだ、中尉殿の荷を渡さないと……」


 客間に置きっぱなしだった着替えや日用品を風呂敷ごと奥方に返し、懐にしまっていた写真とペンダントを取り出し──


 なんとなく目が合って、半ば無意識で奥方ではなくまだ幼い息子の手のひらに金の鎖をそっと置いた。

 この子には直感でわかったのかもしれない。父親の死は藍に原因があるのだと。


 奥方は無言で子を抱きあげ、別室に下がっていった。

 その細い背中を見送りながら、もう誰にも聴こえない懺悔を漏らす。



「こんなに早く……あの人を奪ってすみません」



 元より目つきの鋭い子供は、上目遣いでずっと藍を睨みつけていた。

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