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狂人ダイアリー ~大正浪漫幻想活劇~  作者: アザミユメコ@書籍発売中
第十二幕【雲雀あがり、心悲しも】
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四 自らの心臓に穴をあける覚悟

 帰省も終わりに近づき、帝都に戻らなければならなくなった前日の夕方。

 (あい)は書斎に寄っていくつか本を選んでから、いつものように土蔵へと向かった。


雲雀(ひばり)、飯は終わったか?」

「若旦那……」


 地下の座敷牢には、例の食事係の女中がいた。

 何かを言いたげにちらちらと視線を投げている。藍は気づきもせず彼女の前を通り過ぎ、まっすぐ格子の正面まで歩いて行った。


 あわただしく箱膳を外に押し出しながら、雲雀が嬉しそうに寄ってくる。


「叔父貴! はやく雑誌で特集されてゐるやうなのが食べたい。あと林檎が食べたい」

「ああいうのは洋食店でないと無理だ。蔵から出すまで待てって。おお? お前、自分の名前が書けるようになったんだな」


 畳の上にある紙には、まだ拙い字で『九社花(くしゃげ)雲雀(ひばり)』と書かれている。

 文字があれだけ読めるなら書くこともできるだろうと、筆や墨の用具を渡して使い方を教えたのである。

 

「本を読んだり字を練習してゐたら、すぐ火が消えてしまふぞ。もつと油がほしい」

「ここは昼間も暗いからなぁ。なあ、あんた、食事を運ぶとき、ついでに台所から持ってきてやってくれるか。あと林檎も」


 声をかけられた女中は一瞬びくっとしていたが、すぐに小声で返答した。 


「油は承知しました。ですが、林檎は……もう春になりますので、残雪で冷やしていた分もそろそろ貯蔵が尽きます」

「あ、そっか。雲雀、林檎は寒くなってから収穫するんだ。来年まで待て」

「えー!? 叔父貴は『待て』ばかり()ふ。うぐぐぐぐ」


 それでは私はこれで、と女中はお辞儀をして足早に去った。

 藍に相当怯えているようで、初日に脅かしすぎただろうかと少し反省する。

 

「うーん、やりすぎたかな。俺がここにいるのはちゃんと黙ってくれてるみてえだし」

「あの女中、何時(いつ)も後ろから穴があくほど叔父貴の事を見てゐるぞ」

「へえ。怖がられてるとばかり思ってたが、まさか惚れられたのかねぇ」

「叔父貴はよく僧になりたいと()ふが、お説法よりも女を口説くのがとくいなんだな」

「おいおいおい、変な言葉を覚えるなって。姉上の病が治ったら絶対怒られるだろ。まあ、俺が女にモテるのは今に始まったことじゃねえから。なにしろ財閥の長男様だし?」


 自嘲気味に軽口を叩いていると、雲雀がいかにも無垢な瞳で尋ねてきた。


「なぜそんなにザイバツとやらを継ぐのが(いや)なんだ? お金持ちは旨いものを好きなだけ食べられると本にも書いて()るのに」

「他人事みたいに言うが、お前も跡取りに据えられる可能性は十分あるんだぞ……。俺は勉強できねえし、商才もねえの」


 嘘はついていない。

 だが、雲雀は渦中にいる子供であり、大人の事情に巻き込まれている一番の被害者でもある。家の揉め事までは詳しく教えていなかった。

 

 なぜ、家を継ぎたくないか? 


 事あるごとに争いがついて回る。うんざりしているのは確かだ。

 しかし、九社花家に対する根本的な反発心はもっと昔に生まれたもので、()()()()()()()に関わる、とても『小さな理由』があった。



「……理由、聞きたいか。ガキの頃のくだらない話だ。だれにも喋ったことねえんだが。姉上にも」



 気まぐれでも話す気になったのは──目の前で牢に入れられているこの子供が、自分などよりずっと酷い扱いを受けているからに他ならない。


 本当に、小さな理由だったのだ。雲雀の置かれた状況とは比較にもならないくらい。

 だから今話すことで、完全に頭から消し去ってしまおうと思った。

 

「九社花に生まれた子は代々、鳥の名前がついてるんだよ。姉上の阿比(あび)という名もそうだ。なのに俺だけついていなかった。だから……ガキの頃はずっと気にしていたよ。父上に正統な跡取りだと認められてない証拠だってな」


 雲雀は理解しているのかいないのか、きょとんとした顔で話の続きを待っていた。


「なんのことはない。後から知ったんだが、俺の母親は元々ただの貧しい村娘でね。父上がそこらで遊んで出来た子が俺だ。産んだ後で、無理やり九社花に押し入って庶子と認めさせたんだ。だから名付けたのも父上じゃなかったというだけ。正妻と比べりゃ家柄も資産も何も持ち合わせていないから、あんだけ必死で俺を跡取りにしようとしがみついてんだろうなぁ」


 家への反発心は、次第に無関心へ。

 それも、現実から目を背けるための置き換えだったのかもしれない。だが、成長してから跡取り争いに散々振り回されるようになったことを考えれば、結果的には興味を失ってよかったと思っている。

 

 そこまで話すと──

 雲雀は、首をかしげて言った。


「でも、まだ悲しさうだな」

「え?」

「家を継ぐやらはよくわからないが、仲間(はづ)れは(いや)なんだらう。だが安心しろ。おれは叔父貴の名前が入つた鳥を知つてゐるぞ」


 思わぬ発言に呆然としていると、雲雀は増えて高く積まれた本の山から大判の画集を取り出してきた。


「見ろ、ガランテウと()ふ」

「ああ、伽藍鳥(がらんちょう)か。たしかに『藍』が入ってんな……」


 徳川時代の絵画で、羽に黒い模様の入った大きな水鳥が描かれている。

 亜米利加(あめりか)などに生息し、英名ではペリカンと呼ばれる鳥である。


「ガランテウは強ひんだ。カラスやハトを丸飲みする」

「そりゃすげえ」

基督(きりすと)教でこんな伝説もある。ガランテウの母鳥は自分の心臓に穴をあけ、(くちばし)から血を与へて死んだ雛鳥を蘇らせるさうだ。自己犠牲の象徴とされる鳥だ」

「お前、難しい言葉もすぐ覚えるし、本当に賢いなー」

「だから」

「うん?」

「だから、お揃ひだらう? おれとも、姉上とやらも、叔父貴も、みんな鳥の名前だ」

「…………」


 しゃがんだまま急に下を向いてしまった藍に驚いて、雲雀は格子から伸ばした手でぺちぺちと頭を叩いた。


「おーい、叔父貴、どうした!?」

「いや、甥っ子が可愛くてびっくりした……」

「親バカと()ふやつか? 叔父バカか?」

「賢いなぁ……」

 

 この家に置いていくのが心配じゃないといえば嘘になる。

 だが、動くのは今じゃない。そう自身に言い聞かせ、藍は翌朝の汽車で帝都・東京へと戻った。



 ***



 陸軍士官学校が始まって数か月が過ぎ、あっという間に梅雨の季節となった。

 廊下の先でずっと探していたある人物の姿を発見し、藍が叫ぶ。


「あー、中尉殿! やっと会えた! 日曜に外出許可もらって師団のほう行っても、全然いやしねえし」

「おやおや、貴公は士官候補生のあいだで有名な『劣等生(デコン)少年(ショウネン)』。学校にいるということは、無事に軍曹へと進級したんですねえ。おめでとう。自分は衛生学の授業を手伝いに来ました」


 ある人物は、上官に対して軽すぎる藍の口調も気にしていない様子だった。

 余裕たっぷりに、冗談交じりで返事をしている。


 士官学校で言われる『デコン』とは成績が悪い者、そして『少年』は眉目秀麗や美男子を意味する隠語である。

 後者は本来男色的な意味合いの誉め言葉で使われることが多く、悪口ではない。だが、藍は周囲に敵視されていたために「実家の権力と顔だけの男」という揶揄(やゆ)で呼ばれていたのだった。


「すんませんねぇ~、劣等生がとんとん拍子に進級しちゃって」

「たしかに勉強は苦手だったようですが、貴公は演習でも実戦でもめっぽう強かった。武道も射撃も何でもござれでね。なかなか男前なのもあって、妬まれるんですよ」

「そりゃどーも。妬まれるといや、中尉殿もそうでしょうよ」

「貴公のように喧嘩を売られはしないが、みなよそよそしいですかね」

「そりゃあ、あんだけの家柄じゃね。ただ金があるだけのうちとは違って、本物の特権階級なんだから、永鷲見(ながずみ)中尉殿は」

「知っているでしょうが、あまり良いものでもないですよ」


 そう穏やかに笑った縁なし眼鏡の青年は、藍が実地での勤務中に世話になった衛生部の軍医だ。二十代半ばで、垂れ目かつ三白眼という不思議な特徴の目をしている。

 そして、華族である。華族出身の軍人はめずらしくないが、彼の場合はその中でも最上層の公爵家だ。日本国内に数えるほどしかおらず、上を仰げばもう帝室のみという超名家の嫡男なのだった。


 藍は藍で、日本五大財閥の子息として周囲から距離を置かれている。

 だからこそ他の上官よりかえって話しやすい。落ち着きのある人柄で、人間的にも軍で唯一信頼できる相手だったのである。


「わざわざ探してくれるとは、自分に何か大事な用でもありました?」

「うちにいるガキのことでいろいろあって、相談が……」

「藍くん、いや九社花軍曹。隠し子がいたんですか?」

「姉の子ですよ。六つの男児」

「その年頃はやんちゃ盛りで可愛いでしょう。自分のところの小倅(こせがれ)は今年で四つになりましたが、少々やんちゃすぎて大変なんです。で、どこで作ってきたんです?」

「甥だって言ってんでしょーが!」


 おっとりしているせいか、中尉はたまに話を聞いていないのだ。

 気を取り直して、人のいない衛生学の準備室に入れてもらう。実家のいざこざは以前から多少話していたので、座敷牢で見つけた子について経緯(いきさつ)を詳しく説明した。


「ふうむ、どこも跡継ぎの問題は大変ですねえ。自分はこのまま軍医を続けたかったのですが、弟が仏蘭西(ふらんす)人女性と駆け落ちしてしまいまして、もう逃れられそうにないですし。しかし、あまり無責任に可愛がらないほうがいいですよ」

「でも、あいつには何もなさすぎるんです。俺にできることをしてやるだけでも、救いになりませんか? だいたい、背負う覚悟はちゃんとできてます」


 甥に手を差し伸べたのは自分だけだという自負で、つい強い口調で言い返してしまう。


「貴公もまだまだ若いですねえ。真に覚悟があるならば、実家の言いなりになって東京なぞにいる場合じゃないのでは? 自分の弟のように、駆け落ちしろとは言いませんが」

「うぐ……。とにかく、俺にも考えがあって時期を待ってるんです。それに中尉殿に一番訊きたかったのは、姉の症状についての話で──」


 ふと、口を(つぐ)む。

 中尉は相談に乗ってくれながらも黙々と授業の準備をしていたのだが、厳重に革の鞄へ入れられていた道具が妙に気になったのだ。



──このにおい、どこかで……?


 

 甘いような、酸っぱいような、独特のにおいが鼻につく。

 


「なんですか、その変な形の煙管(キセル)?」

「おやま、知らないとは。女遊びが激しそうな顔をして、やっぱりまだまだ世間知らずの若造ですよね☆」

「いきなり星を飛ばさないでください。顔が関係あるんですかねぇ。つーか俺、遊んでそうな顔なんですか。今は女より甥っ子に夢中ですよ。あーもう、話が逸れる。それ、なんなんですか?」


 優しく叱るような調子で。しかし毅然と、軍医の青年は答えた。


「決して手を出してはダメですよ。重罪です。モルヒネの原料なので衛生部にはありますが、今回は授業で教えるため特別に持ち出しの許可を得ているんです。コレはですね、吸食用の道具と、鴉片煙(あへんえん)ですよ」


 まださほど遠くない過去。

 清国と英吉利(いぎりす)とのあいだで起こった戦争で蔓延した、いわゆる麻薬である。


 実物に触れたことはないが、遠征で滞在した清国と台湾ではもっと身近にあったはず。どこかで、においを嗅いだのかもしれない。

 専用の煙管だと聞いた後だからか、ずっしりと重く、禍々しささえ感じた。


「ふうん、鴉片(あへん)ね……」


 鞄が閉じられるとにおいは消え、あまり興味もなかったので自然と元の話に戻る。


「心の病は、貴公の言うように門外漢なのですが……。問題は、現在かかっている医師が信頼できないのでしょう。宜しければ、夏の休暇にでも自分が金沢まで伺いましょうか」

「ありがうございます。ぜひ、お願いします」


 藍が腕を真横に上げて敬礼をすると、永鷲見中尉は柔らかく笑って答礼した。

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