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狂人ダイアリー ~大正浪漫幻想活劇~  作者: アザミユメコ@書籍発売中
第十二幕【雲雀あがり、心悲しも】
112/143

二 その名は、雲へ揚がる鳥

 土蔵の地下に隠された座敷牢。

 蝋燭(ろうそく)で照らせば、暗闇に木格子(きごうし)が浮かびあがる。錠前はないが代わりに五寸釘が打ち込まれ、出入口は完全に固定されていた。

 この家の長男だというのに、(あい)は存在さえ知らなかったのである。

 

 内側の床は一応畳だが、毛羽立って湿っていた。油が乾いた行灯(あんどん)、ボロボロになった何冊かの本。視界に入る物はそのくらいで、布団も置かれていない。


 そして──



「まじかよ……。お前、例の子供か?」



 格子の奥には、子がひとり膝を抱えて座っていた。

 阿比(あび)が療養していた山荘を何度か訪ねたことはあるが、成長した姿を見るのは初めてだ。



──女……じゃねえよな。最後に会ったときはまだ赤ん坊だったが、跡取り候補なんだから男のはず。もう、六歳くらいか。



 周囲が暗いせいで見間違えたのかと思ったが、目を凝らしてみてもやはり女児のように見える。幼いうちは性差が少ないとはいえ、あらかじめ知っていなければかなり迷っただろう。

 髪は伸ばしっぱなしで人形のように線が細い、中性的な子供だった。


 彫りが深く男っぽい容姿の藍とはまったく似ていない。しかし、涼しげな雰囲気の目鼻立ちはまぎれもなく姉の血縁である。



──俺が入ってきても無反応、ね。

 あーあ、こういう子供って、泣いたりしないんだよなぁ。



 凍てついた瞳。目に光がないのは、地下の暗さが原因ではない。

 訳ありの身内を座敷牢に閉じ込め、世間から隠すのは金持ちや特権階級の家ほどよくある話だ。それでも実際に身近で目の当たりすると、あらためて嫌な風習だと藍は首を横に振る。

 幼い子供の場合、大抵は現在の姉のように心を失ってしまうのだ。泣きもせず、笑いもしない。

 

 と、思いきや。

 藍と目が合うやいなや、子供は布を裂くような甲高い声で叫んだ。


「だ……」

「お?」

「だれだ、貴様!!」

「おおお?」

如何(どう)して此方(こつち)を見てゐる!? 貴様にはおれが見えるのか!!」


 がしゃんがしゃんと音が鳴るほど強く出入口を揺らし、格子の隙間から藍を見あげている。


「う、うるせえ~……。予想に反してくっそ元気じゃねえか。グイグイ来るし、なんだよお前は」


 想像していたよりずっと元気そうではあるが、藍と視線を交わしたときの驚きようや喋り方に少し違和感があった。その正体がわからず、とりあえず問いかけてみる。


「お前、姉上の……この家の子だよな?」

「……? 御前(おまへ)? 誰の事だ?」

「お前はお前だろ。んーと、じゃあ質問を変える」

「しつもん? おれにするのか?」

「んんん、そういや名前も知らねえや。なんていうんだ?」

「わからない。()れは、おれに()いてゐるのか?」


 言葉を話せないわけではなさそうなのに、なぜか会話が成り立たない。

 これは困った、と藍は頭を掻いた。


 どうしたものかと悩んでいると、天井が軋んで誰かが蔵に入ってきたのがわかった。念のため腰の軍刀に手を添え、待ち構える。



「……若旦那。どうしてここへ」

「あんた、姉上の」



 階段を下りてきたのは、阿比(あび)の身の回りの世話をしている若い女中であった。手に持った箱膳から、食べ物の蒸れた匂いが立っている。この子供に食事を運んで来たらしい。


 女中は一瞬だけ驚いて体をこわばらせたが、すぐに落ち着きを取り戻し、「失礼します」と断って床に膝をついた。地面近くに作られた小さく開閉する枠から膳を差し入れている。

 その様子を、藍も黙って眺めていた。


 さほど取り乱さなかったのは、彼女はこの家の命令で自分の仕事をしているに過ぎないからだろう。

 使用人の中では阿比ともっとも歳が近く、以前はふたりで女学校へ着ていく着物を選んだり、談笑したりと仲がよさそうな姿をよく目にしていた。

 若いわりに古くから九社花(くしゃげ)家にいるので信頼もある。たしかに、隠された子供の監視役には適任だ。


 そんなことを考えながら無意識で紙煙草に火をつけると、食事中だった牢内の子供が咳き込んだ。


「あ、わりぃわりぃ」


 土の床で火を踏み消し、狭い地下にこもった煙を手で払う。

 紫煙はよほど不快だったらしい。必死で空中の煙を捕まえようとする子を見て、藍は思わず何度も謝罪を口にした。


 子供は好きでも嫌いでもない。そもそも興味がなかった。何の関係もない他人であれば、嫌な(なら)わしを目にしたと感じただけであっさり去っていたかもしれない。

 しかし、昔は憧憬に近い感情を抱いて後を追いかけていた姉の子だ。実際に成長した姿と今の境遇を知ると、自分でも意外なほど気にかかりはじめた。

 


──俺からすりゃ、甥になるのか。現当主(父上)の種が薄いのか知らねえけど、うちは姉弟ひとりずつしかいねえし、身内にガキがいるって変な感じだな……。



 与えられていたのは裕福に育った藍から見れば質素だが、ごく普通の食事だった。使用人が食べている献立と同じのようだ。

 じっと観察していると、さっきはあれほど藍に食いついてきた子供が妙におとなしい。怯えているわけではない。女中とは目線も合わせず、声も出さず、食べ終われば黙って箱膳を格子の外に返した。


「では、私はこれで……」

「待て。ちょっといいか?」


 頭を下げてさっさと去ろうとする女中を呼び止め、親指で天井を指す。上で話を聞かせろという合図だ。

 彼女はあまり気が進まなそうだったが、当主の長男に逆らえるはずもない。先に階段へ向かった藍の後ろを黙ってついてきた。


 途端に、蝶番の激しく擦れる音が響く。

 振り返ると、牢の中の子が塞がれた出入口にしがみついて格子を揺らしていた。


「行くのか!? もう()ないか!?」

「あー……お前も待て。話し終わったらすぐ戻るから」

「戻る?? 本当に?」

「本当だよ」


 蔵の一階にあがるとすぐ新しい煙草を咥え、もう一度火をつける。

 前置きは飛ばして女中に尋ねた。


「あのガキ、姉上の子だよな? あんときの」

「はい。九社花家の血を引くお坊っちゃんです」

「大事な跡取りじゃないのかよ。なんで座敷牢なんかに?」

「私は、御母堂様の指示に従っているだけです」


 女中は言いにくそうに、しかしきっぱりとそう口にした。


「姉上の母親ってーと、あの子供を跡取りにしたい張本人じゃないのか? 自分とこの血縁の男児だぞ」

「あまり、良く産まれなかったからと……心苦しく思っていらっしゃるようで。阿比お嬢様も病に()せられましたし、もともとおかしな病気のある家系なのではと若旦那の……()()()側のご親族に激しく責められ、半分はならず者の血なので仕方ないと諦めてしまったご様子です」


 『良く産まれなかった』というのは、濁しているが先天的な気の病なのではないかと言っているのだ。

 つまり世間体の悪さを恐れた親族から、母子揃って隠蔽されているのが現状らしい。


「いや、あいつ、なんで会話が成り立たないのかはわからないが、ちゃんと喋るぞ。普通に育てりゃ問題ないと思うけどな。いつからここにいるんだ?」

「実際にお産まれになってからは阿比お嬢様も落ち着いていて、毎日本の読み聞かせなどされていらっしゃいました。けれど具合がまた悪くなり、お坊っちゃんもまともな子ではないとわかって、ご親族に見放されました。もう療養は無駄だと山荘が引き払われたのは三年前です」

「まさか……それからずっと独りか?」



 先ほどの、噛み合わない会話を思い出す。

 あの子供は藍を認識したそのとき、なんと言っていた?



()()()()()()()()()()()()



 物心ついてから話しかけられたこともなければ、問いかけられたこともない。当然、名を呼ばれたこともない。

 誰とも目を合わせてもらえず、他人と話すという行為そのものを知らない子供。



「いやいやいや、そりゃーねえだろ……」



 牢の中にあった何冊かの本が頭をよぎる。読み聞かせてもらった記憶だけで、断片的にでも言葉を覚えたのだ。それほど賢いのに、親族たちの言う『良く産まれなかった子』だと決めつけられて存在を消された。

 しかもまだ六歳である。見放すには早すぎる。幽閉される理由としては不当な気がして、疑念が残る。

 

 だが、自分よりも姉と近しい女中の言うことだからと事情自体は飲み込んだ。

 もっと深く追求するべきだったと藍は後から悔やむことになるのだが、この時点では気づけなかった。


「今からでも遅くねえだろ。跡取り問題なんかこの際どうでもいいから、分家にでも養子に出したほうがまだマシだ」

「私にはなにもできません。()()()側が決めて、命じられたお世話をしているだけです」

「まあ、あんたはそうか」


 若い女中が先ほどから使っているあちら側、こちら側とは、正妻と妾で勢力が二分してしまった親族のことを呼んでいるのである。

 阿比に仕えている彼女がその親族を他人行儀に()()()と言うのは、もともと藍の親族側の遠縁にあたる娘だからだ。

 家の困窮で、まだ年端もいかぬ頃に九社花家に奉公に出された。阿比と歳が近かったため、異例ではあるが仲の悪い親族間をまたいで世話係についた。


 だから藍のことも、本来は正式な跡取りにしか使われない『若旦那』と呼ぶ。ほとんどの使用人は両親族が争っているのをわかっていて、『若様』などと商家らしくない曖昧な呼び方をするのだが。


 藍自身は跡取り問題にも、親族同士のいさかいにも興味はない。それどころか九社花家そのものにうんざりしている。

 軍務に就いていることを理由に、実家とは深く関わらずのらりくらりと逃げていたのだ。


 だが──


 佩用(はいよう)していたサーベル型の軍刀を抜いて、冷たい柄を目の前にいた女中の首筋に押しつけた。

 彼女は表情を凍らせて後ずさったが、さらに壁際までにじり寄る。


「俺がこの牢を見つけたこと、誰にも言わないでくれ。あんたを庇えるのは姉上くらいしかいないだろうが、今はあの状態だ。使用人如きに何が起こっても、この家の奴らは気にも留めない。故郷に一通手紙が届いて終わりだ」


 唇が触れそうな至近距離で、ふっと煙を吹きかける。

 女中は目を見開いて硬直していた。薄暗く、助けの声も届かない蔵の中だ。まだ若者とはいえ自分よりずっと背丈が高く、鍛えられた男の手で壁に押しつけられて恐ろしくないはずがない。


 タチの悪い脅しだと、藍自身もわかっていた。

 しかもなにより嫌っているはずの、九社花家の権力を利用している。

 だが、他のやり方をまだ知らなかった。


「さて、もう一度様子を見てくるか。戻るって約束したしな。あのガキ、自分の名前を知らなかったがなんていうんだ?」

「……『雲雀(ひばり)』様です。阿比お嬢様がまだお元気だった頃、ご自身でおつけになりました」

「鳥の名、ねぇ。そりゃ、うちの正統な後継者の証だよ」


 短くなった蝋燭(ろうそく)を手に持って、藍は再び地下の座敷牢へと向かった。

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