ニ 目指せ浅草トップスタァ小咄
第十一幕五~六の間のできごと
タカオ邸・離れ屋での小咄。
ルネサンス様式の洋館を正面に見据えて庭を右奥に進むと、平屋建ての日本家屋がひっそりと生垣に隠れている。
畳でなければ落ち着かないという八雲と藍のために、女主人がわざわざ追加で建てた小さな庭園付きの離れである。
引き戸の玄関を入ってすぐの二間が八雲、そして廊下を挟んだ奥の二間が藍の自室となっていた。
藍は遊び歩いていてあまり部屋に帰らない。八雲は生活音をほとんど立てないので、他の作家たちが暮らす本館と比べると、離れはいつも静かな空気が流れていたのだが──
「あの、あなたたち。遊ぶのは構いませんが、なぜこの部屋に集まるのです」
「えーだって、食堂はご飯の準備中やし。だれかの自室にわざわざ行くのもなぁ」
「ここも私の自室なのですが」
「まあまあ、ええやないですか。八雲さんの部屋はなんもあらへんで広いし、唄って踊るのにちょうどいいんです〜」
出版社の新人編集者・虎丸が大阪からやってきてからというもの、八雲の毎日は随分と騒がしくなったのである。
唄って踊るとは。はて。
意味はわからないが、とくに興味があるわけでもないので八雲は黙っていた。
膝で眠るタヌキのアンナ・カレヱニナを撫でつつ、すべてをあきらめた境地で虎丸の奇行を見守ることにしたのだった。
「唄って踊る──ですって!?」
「そう! 場所はやっぱり帝都最大の歓楽街・浅草六区やな~。ってゆうても、いかがわしい踊りとちゃうで。可愛い服着て、舞台に立って、唄って踊んねん!」
虎丸がなにやら怪しげな勧誘をしている相手は、タカオ邸メイドのおみつ。
少女はあまり洋館の外へ出ないため、やや世間知らずである。満更でもない様子で虎丸の話に耳を傾けている。
「こないだの西洋風メイド服姿を見てピーンときたわ。この三人やったら、絶対に売れる! オレのプロデュウスに間違いはないで! 一座名は『帝国メヱドとてたまシスタァズ』で決まりや!」
「ええっと。よくわからないけれど、芸妓さんの舞踊や音曲みたいなものかしら?」
と、横から質問したのは茜だ。
三人組でやってほしいという提案なので、離れにはおみつだけでなく、茜と紅も呼ばれていた。
「さっすが茜ちゃん、理解が速い! 舞踊をもっと今時な大正風にアレンヂした感じかな~。紅ちゃんはどう思う!?」
当然というべきか、紅からは流れるような罵倒を飛ばされている。
「莫迦やろーなのか? 何のためにそんなことやんなきゃいけねーんだよ。執筆もアルバイトもあるし遊んでるヒマなんかねーっつの。だいたい、浅草は敵地だろうが。あと名前が腹立つくらいダセーなおい!」
「ええ、決めポウズも考えたのに……。両手をこう、顔のところでV字にして『とてたま~』ってやんねん」
「だれがやるか!!」
全面拒否の紅に対し、おみつは得意げに鼻で笑って喧嘩を売りはじめた。
「ふふん。まあ、お紅みたいな可愛げのない女が、舞台に立っておもてなしなんてできるわけないわよね。お客様に罵倒して即降板するのが目に見えていてよ?」
「あん? オマエだって人前で堂々と振る舞えるほど度胸ある女には見えねーけど?」
バチバチと火花を散らす娘たちを、虎丸が慌てて止める。
「まあまあまあ、ふたりとも落ち着いてや。紅ちゃんみたいに勝ち気なタイプも、歓楽街では需要があるはずやねん。決め台詞は『別にアンタのためじゃないんだからね!』でいってみよ。はい、言うてみて!」
「オマエのために何やらされようとしてんだよ、ぶっ煞すぞ」
「う~ん!? 惜しい!! でもこれはこれで需要があるかも。オレの」
ささっとおみつが引いた気配を敏感に感じ取り、話を変えた。
「じゃあ次はおみつちゃん。舞台で恥じらうのも初々しくてウケそうやけど、どうしても緊張してあかんかったら、自分よりお客さんに意識を向けるのが秘訣や。とにかく楽しませてあげることに集中すんねん」
「お客様を楽しませてあげる……?」
「そそ! 舞台を思い浮かべてみて。はい、そこでなんか決め台詞!」
「お、お、お客様、い、い、今、楽にしてあげてよ!」
「ちょっとちゃうなー!? 意味がおかしい!!」
うまくできそうになく自信を失くしたのか、おみつまで拗ねて乗り気ではなくなってしまった。
「んもう、お金儲けがしたいのだったら、拓様の書を前衛芸術のふりして写真付きで婦女子に売りさばけばいいのではなくて!?」
「それ、いつか同じ発想したような気ィするなぁ……」
完全に遊んでいるようにしか見えないが──じつはこの『帝国メヱドとてたまシスタァズ』は、虎丸にとって非常に真剣な計画のひとつであった。
事故でこの世を去り、忘れられてしまった少女は存在を保てなくなってきている。
地下室で白玉からそう話を聞き、女学校で知り合いを探すことにした。そして他にも打てる手はないかと思案し、ならばおみつ自身を有名人にしようと考えた末なのである。
「あんな、これはお金儲けのためとちゃうねん。おみつちゃんならきっと浅草のトップスタァになれる。オレを信じて、その身を預けてくれへんかな?」
少女の手を取り、瞳を輝かせて顔を近づける。
が、横から茜に腕を掴まれてしまった。
「虎丸さん、女の子に気安く触っちゃだめよ」
「え? は? 力つっよ!!」
背後に猛獣の幻覚が見えるようだ。
話には聞いていたが、女姿が可憐すぎて半信半疑だった虎丸は思わず目を剥いた。
「あの、茜ちゃん。ちょっと試しに腕相撲せーへん?」
「いいわよ? 紅ちゃん、審判お願い」
ほとんど物のない和室の中心で伏せて向かい合い、互いの手を握りしめるふたり。
「はいよ。レデイゴッ!」
「ギャー!! なんやこの怪力!!」
可愛らしい和洋折衷の制服から飛び出す腕は存外たくましく、ぴくりとも動かない。
虎丸はものの数秒で敗北してしまったのである。
「ふふふ。わたしに負けるようなら、藍さんには逆立ちしたって勝てないわよ」
「んな馬鹿な……。あかん……ショックが大きくて立ち直れへん……。腕力は自信あったのに、井の中の蛙やったなんて……。今日からマッスル目指して筋トレしよかな……」
腕相撲は小中高と学年で一番強く、唯一拓海にも負けたことのない分野だったのだ。
畳に突っ伏して落ち込んでいる虎丸の背に、紅が脚を組んで座る。
「手伝ってやるよ。ほれ、このまま腕立て百回な」
「うわ! ごほ……いやスパルタ!!」
八雲は部屋の隅で、一部始終を見守っていた。
最初こそ首をかしげっぱなしだったが──やがて手のひらをポンと叩き、何かを思いついたようだ。
「成る程。ようやく理解しました。唄って踊る舞台とは、こういうことですかね、アンナ」
蚊の飛ぶような小声で八雲が口ずさむ。
──せんばやまにはたぬきがおってさ、それを猟師が鉄砲でうってさ
どうしたってタヌキが食われる唄だが、深く考えてはいないらしい。
八雲の手拍子とともに、アンナ・カレヱニナが二足で立ち、もふもふの体を揺らしはじめた。
「ヴー」
「上手ですね。アンナも浅草のトップスタァとやらになれるでしょうか」
結局、虎丸の計画は失敗に終わった。
その代わり、タヌキのアンナが唄に合わせて踊るという一芸を身につけたのだった。
番外の幕【日常ダイアリイ】其の弐 了




