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後編

その日の教室は、朝から例の〝ブショ―系女子〟の話題で持ち切りだった。


 馬で登校しているらしいとか、気に食わないことがあれば人に斬りかかる癖があるとか、これまで15人殺したことがあるとか、そういう眉唾話が好き放題に跋扈している。根も葉もない噂というのはこういうことを言うのだろう。


 そんな物騒な女性、この世にいるわけがないだろう――と、僕の頭に昨日のお嬢様の顔がふと浮かぶ。いや、まさか、あり得ない。


 自分の考えに自分で呆れて息を吐いていると、僕の席に京太郎がやってきた。


「よう、秀成。聞いたかよ、ブショー系女子のウワサ」

「嫌ってほど聞こえてくるよ。でも、そんな子が本当にいるわけないだろう? ていうか、僕の思ってる無精とだいぶイメージが違うんだけど」

「いやいや、むしろ想像通りじゃね? だって――」


 その時、ガラスに小さな穴が空く音がしたと思ったら京太郎の頭が矢で撃ち抜かれた。クラス中のざわめきがぴたりと止んで、そののち悲鳴が連鎖的に上がる。


 一部のクラスメイトが京太郎の周りに集まり、各々好き勝手なことを口にした。


「おい! 京太郎が撃たれたぞ!」「無事か?!」「無事なわけねぇだろ頭撃たれてっ!」「いや待てこの矢、先端がタオルでくるまれてるぞ!」「無事だ!」「てか誰だ撃ったの?!」「ブショー系女子じゃね?!」「なんの恨み買ったんだコイツっ!」「あれ。なんか矢についてね?」「手紙じゃんコレ!」「ヤブミ?」「矢文か?」「名前かいてあるっ」「田中秀成様?」「ヒデナリ?」「ヒデナリなん?」


 クラスメイトの視線が一斉に僕の方に注がれた。期待半分、興味半分。いずれにせよ面白がっていることは間違いない。


「ヒデナリ、矢文、読んでみろよ」


 僕の机に矢文がぽんと置かれる。丁寧に折り畳まれたそれを恐る恐る開こうとした直前、騒ぎを聞きつけた先生が教室に駆け込んできた。


 先生が倒れ伏す京太郎を見たことにより、教室は再び騒然となった。僕はとっさに矢文を机の中に放り込み、そ知らぬふりを決め込んだ。


 幸か不幸か、皆の見ている前で矢文を開く必要はなくなった。



 田中秀成殿

 先日は色々と世話になった。貴殿の助けがあったおかげで、私は無事に家に帰りつくことが出来た。感謝する。

 だというのにあの日の私は、貴殿に無礼な行いをしたように思える。恩人に対し刃を向けるなど言語道断である。混乱していたとはいえあのような行為をしてしまったことを、今となっては強く反省している。

 こうして文を送ってはいるが、これだけで私の行為が許されるなど思ってはいない。今度、改めて礼をさせて欲しい。

 そこで急な話なのだが、次の土曜日、是非とも会えないだろうか? もし貴殿の都合が良ければ、その日の午前11時。池袋駅の東口前で待っているので来て欲しい。

 では。また会えるのを楽しみに待っている。

 織田信子


 矢文にはおおよそこのようなことが筆で書いてあった。果たし状ではなくて心底ホッとした。


 手紙を読み終えたところで僕は、京太郎が頻りに言っていた〝ブショー系女子〟のブショーの文字が、無精ではなく武将であることにようやく気が付いた。



 金曜日の夜のこと。私は産まれてこの方味わったことのない緊張感を噛みしめながら、道場で木刀を振っていた。本来ならば明日に備えて早く寝るべきなのだが、いくら床に就いたところで眠れそうになかった。


 大汗を流していると道場の扉が静かに開いた。見ずともそれが気配だけで杏花であることがわかったのは、今の私の神経がよほど鋭敏になっているからであろう。


「お館様、いよいよ明日ですね」

「そうだな。……しかし、本当に秀成は来るのか? お前の言う通りの文言を書き、お前の言う通りに矢文で誘いを送ったというのに、返事も無ければ、私のところに会いに来ることもなかったぞ」

「ご安心を。矢文で逢引の誘いなんてインパクト抜群です。あれで堕ちない男なんて、三千世界のどこにもいませんよ」

「逢引などではないッ! ただ……ただ私はもう一度秀成に会って、改めて礼を言いたいだけだッ!」

「はいはーいっ。そうでしたそうでした」


 いかん。このうつけと話していたらまた緊張してきた。ただ礼を言うために会うだけなのだぞ。

 

 落ち着け、落ち着け落ち着け!


 雑念を殺すため木刀を振り下ろす。ひと振り、ひと振り、明確な殺意を持って。形のないものにこんなことをしても意味はないというのに。


「お館様、そのような顔をしていては、秀成殿に怖がられますよ」

「……私は今、どんな顔をしている」

「般若、または金剛力士像。もしくは法隆寺阿修羅像の怒面か、あるいは――」

「もういいッ! 十分だッ!」


 私は木刀を杏花の顔面に目がけて投げつける。二本の指で難なくそれを受け止めた杏花は、にこりと笑顔を浮かべた。嗚呼、あの欠片も嫌味のない顔に何とも腹が立つ。


 杏花は私に歩み寄り、おもむろに床へ坐した。何かと思えば、私にもそうするように言ってくる。これからこの女が面倒なことを言いだすのはわかっているが、無視をすればもっと面倒なことにあるというのもわかっている。


 大人しく私はその場に坐して、「なんだ」と言い放った。


「お館様、こんな話を聞いたことはありますか? 女の恋とは、すなわち戦であると」

「知らん。そもそも恋ではない」

「相手を惚れさせたいのであれば、殺す気でかからねばなりません。首を刎ね、額を撃ち抜き、蹂躙するつもりでなければ」

「私の話を聞いているのか? 恋ではないと言っているだろう」

「貴女は十分に魅力的なお方。気負わず、臆せず、普段通りの貴女を見せれば、秀成殿はきっと貴女になびくはず」

「だから、なびくなびかないの話ではなく――」

「お館様っ、ファイトっ! わたくしは影ながら応援しておりますからっ!」

「人の話を聞かんかッ!」



 こうして話は冒頭に戻る。


 歩み寄ってきた武士――改め織田さんは、ゆっくり日本刀を引き抜いた。銀の刃がぬらりと光り、周囲から小さな悲鳴が上がる。


 もしかして、織田さんは本気で僕のことを斬るつもりでは? いやまさか、そんなことがあるわけもない。これはきっと武将系女子なりの武将ジョーク――などと思っていると、彼女はゆらりと正眼の構えを取る。


 僕は自然と、「松島や、ああ松島や、松島や」と呟いていた。


「秀成。何故お前は、私のやった刀を持ってきていない」

「……いえ。普通、女性と会う時に刀を持ってくる男はいないと思われますが」

「……つまりお前は、私の首を刎ね、額を撃ち抜き、蹂躙するつもりではないのか?」

「……ええ。出来れば、平穏に過ごしたいと」


「……そうか」とやや残念そうに呟いた織田さんは刀を鞘に納めた。なぜ残念そうなのかはよくわからないが、どうやらここで戦を起こすつもりはないらしい。僕は心底安堵した。


 それから僕達は喫茶店へ向かうことになった。織田さんが歩くたびにがちゃがちゃと金属が擦れあう音がして、周囲から視線が集まる。彼女の姿を見た人は自然と距離を置くように歩くので、土曜だというのに池袋は大変歩きやすかった。


 いくつかの喫茶店に入店拒否された後、僕達は通りから一本外れたところにある、外国人が店主をしている店に入った。顔を紅潮させながら、織田さんのことをカメラでぱしゃぱしゃ撮っていたので、きっと店主は彼女の姿を見て時代劇の撮影中か何かだと思っているのだろう。


 注文したものが運ばれてくるのを待つ間、織田さんは物も言わずに僕の瞳をじっと見た。彼女と目を合わせ続けるのはとても恥ずかしかったが、目を離せば即喉元に刃を突き立てられそうなので、僕は彼女と無言のままで視線を交わし続けなければならなかった。


 やがて織田さんの前に注文した牛乳が運ばれてきた。彼女はそれを一口に飲み干すと、ふいに兜を脱いで「先日は助かった」と頭を下げた。艶やかな髪の毛が店の照明を受けてきらりと光った。


「いえ。改めてお礼を言われるほどのことでは……」

「これは私の矜持の問題だ。こうして頭を下げねば気が済まぬッ」

「そんなことをされてはこちらが却って気を遣います。どうか頭を上げてください」

「それならば、詫びはこれまで」と織田さんは頭を上げる。さっぱりした方だ。「して、秀成。お前の願いを申してみろ」

「そのようなことは決して。あれほどまでの刀を頂きましたし……」

「遠慮などするな。言ったろう、矜持の問題だと。礼をせねば気が済まんのだ」

「……でしたら、ひとつだけ」

「なんなりと申せ」

「織田さんの鎧を脱いだ姿が見たいです」



 危うく斬られそうになったので、鎧を脱いで欲しいという願いは取り下げざるを得なかった。普通の恰好をしているところを見てみたいという意味合いで言ったというのにこの仕打ち。恐らく彼女は「鎧を脱いで」の意味を勘違いしているのだろうが、それを指摘してしまえば最後、袈裟からすっぱりいかれるに違いない。


「……では、一緒に映画でも観る、というのはどうでしょうか」

「はじめからそうしろ」と織田さんは頬を赤くしながら言った。


 それから僕達は共に映画館へ向かった。


 甲冑姿で池袋のサンシャイン通りを歩く彼女はとても目立つ。隣を歩いている僕にも当然視線が集まるので、恥ずかしくないと言えば嘘になる。しかし、彼女が恥ずかしがる素振りを毛ほども見せないのだ。僕が恥ずかしがるわけにもいかない。


 むしろ見ろ! たったふたりの大名行列を! 


 そんなことを思い、精一杯に胸を張って歩いているうち映画館についた。関ヶ原の戦いに関する映画がたまたま上映中であったため、僕達はそれを見ることにした。


 チケット売り場の行列に並ぶ間、織田さんはぽつりと呟いた。


「……時に秀成。私は映画を観たことがない。お前が言うからついてきてやったが、果たして本当に楽しいものなのか?」

「楽しいですよ」

「どう楽しい? 何が楽しい? 聞いたところによると、真っ暗闇で何時間も座らせられるらしいではないか」


 隣から兜と鎧とが擦れあうカチャカチャという小さな音が聞こえる。ふと見ると、織田さんは伏し目がちになって僅かに身体を震わせている。これぞ本当の武者震い――などという冗談を言っている場合ではない。どうやら彼女は緊張しているらしい。


 列が動いたので、僕はそれをきっかけにして彼女の手首をそっと掴んだ。


「大丈夫ですよ、織田さん。僕が隣にいますから」

「……秀成、お前……」

「はい」

「……誰が手を触れていいと言った! この痴れ者がッ!」


 次の瞬間、僕は空中に投げ飛ばされた。


 ビルの谷間に広がる青空を見上げながら僕は、斬られないだけまだマシだったかな、などと考えた。



 映画を観終えた後は古本屋へ。その後は雑司ヶ谷の寺を巡って僕達は過ごした。

織田さんは何を見ても基本的には「ふむ」しか言わないのだが、その実、口元は楽しそうに綻んでいて、見ているこちらが幸せな気分になってくる。不思議な魅力に溢れた人だ。


 夕方になったところで、僕達は最初に行った喫茶店に再び入った。朝と変わらない姿をしている織田さんを見た店主はさすがに目を見張っていたが、その恰好に対して何か文句を言ってくるということはなかった。


 今日観た映画の内容について、ふたりで語り合っているうち、店の外から馬の嘶きが聞こえてきた。まさかとは思うが、彼女に何か関係しているのだろうか。


「……迎えだ。もうそんな時間か」


 そのまさかだ。僕は彼女に気づかれないようにこっそり笑う。


 僕だって、彼女が何者であるかだとかが気にならないわけではない。しかしどうでもよいではないか。彼女は悪い人ではないし、一緒にいて楽しいのだから。


 織田さんはテーブルに置いていた兜を被り、緒を締め直しながら僕に言った。


「……白状する。今日はお前と戦を交えるつもりだった」

「そうですか。僕は普通に遊ぶつもりでした」

「……そうか。なら、いつかその気にさせてやる」


 織田さんは不敵に微笑むと、「ではな」と僕に背中を向け、店を出て行った。


 夕焼け色に光る彼女の甲冑姿が眩しすぎて、僕は思わず目を細めた。



 城に帰って数刻経ったが何も手につかない。食事も喉を通らねば、稽古事にもやる気が出ない。ふと筆を執り、心の内を書き表してみようかと思ったが言葉に出来ない。目をつぶってもまぶたの裏に浮かぶのはあの男の顔ばかり。これだけでもどうしようもないというのに、何故だか笑みが込み上げてくるのでなおさらどうしようもない。


 秀成のせいだ。秀成のせいだ。何故お前は私の心に巣食っているのだ!


 ……湯でも浴びてこの浮ついた頭をどうにかするべきだ。


 そう思い立った私が腰を浮かせたその時、堰を切るようにして部屋に入ってくる無礼な輩がいた。爺と杏花のふたりであった。


 杏花は爺の白髪を引っ張り、爺はそんな杏花を引きずりながら私の前に来て、片膝を突いて頭を垂れた。何やらただ事ではない様子だ。


「お館様っ、一大事でございますっ!」と爺は唾をまき散らしながら叫ぶ。「言わんでいいってのに!」と耳元で叫ぶ杏花などお構いなしである。


「どうした、そのように慌てて」

「別に何でもないんですよ、お館様。爺は少々、痴呆が始まっているようで――」

「痴呆ではないっ! お前は事の重大さがわかっとらんのかっ!」

「ええ、わかっていますとも。ですから言わなくていいと言っているのです!」

「馬鹿めっ! これだからお前という女は――」

「お前達、よもや喧嘩を見せつけるためにここまで来たわけではあるまいな?」


 爺は「無論」と言って再び視線を床へ向ける。杏花が何か言いたげであったが、私はそれを片手で制し、爺に話を促した。


 爺は静かに、されど力強く話し始めた。


「お館様、落ち着いて聞いてください。お館様が懇意にしている若者……田中秀成という男についてですが――」

「べ、べ、別に懇意にしているわけではないッ! ただ、あの男には礼があってだな!」

「なんだってよろしいっ! とにかく、あの男についてですが……今後、あの男にはあまり近づかない方が宜しいかと」


 歩いていたら顔に突然唾を吐き掛けられたような気分になった。私は深く呼吸を繰り返し、爺の言葉を噛み砕いてから、努めて冷静に「何故だ」と尋ねた。


「……勝手ながら、あの男の身辺調査を致しました。あの男の母方の家系の姓は〝明智〟。もしやと思い遡ると……先祖にあの忌々しき男の名があったのです。お館様の遠いご先祖である信長様を殺した男――明智光秀の名前が」


 その瞬間、私の目の前は真っ暗になった。


 織田家の命運を分けたあの日――炎に包まれる本能寺を目の当たりにしたご先祖様も、今の私のような思いを抱いていたに違いない。



 家でのんびり風呂に浸かっていると、正体不明の悪寒が僕の身体を襲った。こういう時には何か悪いことが起きる。しかも、大抵の場合は回避不能だ。


 本能寺の変が起きたあの日、あの信長もこんな悪寒を覚えたに違いない。


 そんな風に考えてしまうのは、少し〝武将系女子〟に毒されすぎだろうか。




ということで、読み切り漫画的終わり方で一旦終了です。

織田さんがとてもかわいいので需要があれば書きたい所存。

しかし需要が無くてもきっと書きます。織田さんがかわいいので。

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