巨蟹 episode.2&side
ある日、手紙が届いた。
「わ、きれいな便箋……。何の手紙だろう。えーっと?」
開けてみると、巨蟹宮のクレイくんからの招待状だった。
「館へご招待します、か。わあ、十二柱の皆の館に行くのは初めてだな。ちょっと楽しみかも!」
「こんにちは、主神。ようこそ、お越しくださいました」
「こちらこそ、お招きありがとう、クレイくん」
お互いにお辞儀をしあう私達。
クレイくんの館は、主神の宮殿と同じように、やはり豪華だったけれど、内装にはどことなく彼らしい慎ましやかな愛らしさが漂っていた。
「どうぞ、こちらへ」
部屋へ案内されると、クレイくんが手ずからお茶とお菓子を出してくれる。
「よかったら、召し上がってください」
「どうもありがとう。――いただきます」
お茶をいただく。――あ、美味しい。香りが良くて、リラックスできる。
お菓子は、向こうの世界にもあったようなケーキだった。タルト生地に、クリームとりんごなどのフルーツを乗せて焼いてある。フルーツの甘酸っぱさとケーキの甘さのバランスがよく、程よくシナモンの香りが効いている。
「い、いかがでしょうか……?」
おずおずと、様子をうかがうように、クレイくんが聞いてきた。
「うん、お茶もケーキも、すごく美味しいよ」
そう言うと、ほっとしたように、クレイくんは顔をほころばせた。
「よかった――。少し、甘くなりすぎたかと心配したんですけど……」
その言葉に驚く。
「え――もしかしてこのケーキ、クレイくんが作ったの!?」
クレイくんははにかむ様に笑った。
「はい――。お恥ずかしいですが、僕、お菓子とか作るのが、好きで……。お、男なのに、変ですよね」
恥ずかしそうに言うクレイくんに、私は勢い込んだ。
「そんなことないよ! こんなに美味しいケーキ作れるなんて、すごいじゃない。いいなあ。私お菓子とかあんまり作ったことないから、尊敬する。自分で作れたら、いつでも好きなスイーツ食べられるし、うらやましいよ」
そう言うと、クレイくんは意外そうな表情をした。
「うらやましい、ですか? ……男らしくないって、思いませんか?」
「全然! 私のいた世界だと、女の子らしい趣味を持ってる男の子を『オトメン』っていって、一時ブームになったりもしたんだから。料理・炊事・洗濯家事全般できる男の子なんて、旦那様にしてもすごく理想的だよねー」
うんうんと頷きながら言う。
「だ、旦那様……。う、ううん。例えばの、話だよね――」
クレイくんが頬を赤らめて、聞こえないくらいの小声で何かを言い、ぷるぷると首を振った。
ほんとに、小動物みたいで可愛い子だなー。
「――ありがとう、ございます。主神は、優しい方ですね」
そんな風に、嬉しそうに笑う。
うーん、優しいっていうか、思ったことを言っただけなんだけど……。
「そのお茶も、うちの植物園で取れたハーブを使ったものなんです。植物園といっても、僕一人が管理している、小さなものですけど。――よかったら、そちらもご案内したいのですが……、ご、ご覧になりますか?」
「え! このお茶も自家製なの? すごいなあ。是非見たい見たい! ――案内してくれる?」
「――はい、もちろんです」
そんなわけで、お茶とケーキを存分に楽しんだ後、私達は植物園へ向かったのだった。
「うわあ……」
植物園に入るや、思わず簡単の声が漏れた。
何よりもまず、清清しい空気が肺を満たす。花々の芳香と、木や土の香りが心地いい。
陽光を受けて煌く木々の緑が美しかった。赤や白、オレンジに紫など、名前も知らない、様々な美しい色合いをした花が丁寧に配置され、華やかに咲き乱れている。
確かに規模は小さいけれど、物足りない印象は全くない。
圧倒される程に、生き生きとした植物の生命力と美しさに満ちた空間だった。
「すごい……! ここだけで、一つの小さな森みたいだね。なんだか森林浴をしてるみたいで、すごく気持ちいい。いい香り――」
「喜んでいただけて、嬉しいです。――僕も、この空気が好きです。毎日、世話をしていると、日々、きれいにすくすくと育ってくれるのも嬉しくて……。いつの間にか、これだけの種類になってしまいました」
「これだけの世話を、一人でするのは大変じゃない?」
「ど、どうでしょう……。あんまり、考えたことがないです。この中にいると、時間が経つのを忘れてしまって――」
「そっか。クレイくんは、本当に植物が好きなんだね。――それだけの熱意を傾けられる趣味があるっていうのは、すごく素敵なことだと思う。私はそんなのないから、うらやましいな……。――ねえ、よかったら、それぞれの名前について、教えてもらってもいい?」
そう言うと、クレイくんは嬉しそうに、ぱあっ、と顔を輝かせた。
「あ――はい、是非。ご説明させてください」
それから、クレイくんは丁寧にそれぞれの草花について教えてくれた。
「――へえ、この白い花可愛い。それに、なんだかすごくいい香りがするね。リラックスできるというか……」
「それは、ネロリといって、ビターオレンジの花なんです。その香りには、ストレスを癒す効果があると言われているんですよ――」
「――あ、この花、なんか見たことある」
「これは、スイセンですね。この花には、面白い言い伝えもあるんですよ。はるか昔、あまりに美しい少年が、水に映った自分自身に恋をして、叶わぬ恋に身をこがし、死して後、この花に姿を変えたと……。だからこの花は、水辺で水面を覗き込むように咲くのだ、なんて言われています――」
クレイくんは、ただ名前を教えるだけじゃなくて、その植物に関する解説やエピソードなんかも交えながら、説明を続けてくれた。おかげでとても楽しく、植物園を散策することができた――。
「はあ! 面白かったー。クレイくん、色々な事知ってるんだね。なんだか前よりも植物のことを好きになれた気がするよ」
「そ、そう言っていただけると、とっても嬉しいです……」
照れるクレイくん。
「なんだか、私も何か育てたくなっちゃったな」
「あ、それなら――。す、少し待っていただけますか」
そう言うと、しばらく奥に行った後、クレイくんは小さな鉢植えを携えて戻って来た。
「こ、これを、主神に――」
「わあ……! 綺麗な紅色。それに、小さくてかわいい花――。これを、私に?」
「は、はい。育てやすい花なので、世話もしやすいと思います」
「ありがとう! 大切に育てるね」
鉢植えを受け取り、花を眺める。
しばらくそうしていると、クレイくんが静かに口を開いた。
「――その花の名前は、カランコエ、といいます。花言葉は――」
そこで一度言葉を区切ると、私を見て言う。
「『たくさんの小さな思い出』」
クレイくんが微笑む。
「ぼ、僕は色々と至らないところも多くて、あんまり主神のお力になれないけれど――、精一杯お仕えしたいと思っています。そして、これからもこんな風に、主神と、色んな思い出を作っていけたらって……。そう思って、この花を選びました」
「クレイくん……」
なんて、健気な子なんだろうっ。
「ありがとう。嬉しいよ。いっぱい――思い出作ろ! こちらこそ、これからも、よろしくね」
そうして、私の工房の机には、シュテルから預かった種の横に、もう一つ鉢植えが並んだのだった。
――side:クレイ――
今日は、主神とたくさんお話できて嬉しかったな。
――カランコエの花言葉は、本当はもう一つあったんだ。
それは、「あなたを守る」。
今の僕は頼りなくて、とても主神に面と向かってそんなことは言えなかったけれど……、でも、少しでも主神のお役に立ちたいと思っています。
幸福を告げるとも言われるあの花が、どうか主神を見守ってくれますように――。




