ジャーニー 3
編集担当に案内された自分の新しい家に、俺は何だか目から鱗だった。
まだ日本にいるとき、自分の実家は他となんら変わりのない一軒家だった。高校に入ってからは寮生活となったが、全寮ということで中は広く、部屋と部屋とを繋ぐ廊下など、一歩間違えば学校とそんなに変わりない生活をしていた。アメリカにいる時もアメリカ規模の普通であろう一軒家にしか住んでいなかったので。
「日本のマンション……!」
俺は密かに、マンションやアパートの集合住宅に憧れていたのであった。
「あぁ!気に入ってもらえました?」
「はい!それはもう!」
目の前にあるのは、7階建の大きな集合住宅。横幅もそれなりに大きいが、バルコニーを見る限り、およそ1階あたりの部屋数が少ない気がする。
「中に入りましょうか。割と広いんですよ。このマンションの中には、市川先生と同じく作家の方々も何人か住んでいるんです。今度紹介しますね」
「へぇ、そうなんですか……」
「もちろん一般の方もいるんですが、他にも俳優女優など、特殊な業界で働いている方達御用達のマンションです」
なるほど、つまりここは有名人がひしめき合っている集合住宅ということか。
「……高いんじゃ…?」
「そうですねぇ、それなりに。まぁ、家賃が払えない場合は各々で決断していただく感じですね」
担当さんの満面の笑顔の裏に、鬼が見えた気がして背中に悪寒が走った。
明らかな挑発だった。この家に住まえない程つまらない作品を作ったら即切るぞ、と、もしかしなくても俺はそう言われたのだろう。
俺と担当さんの1歩後ろを歩いている明の噛み殺した笑いが耳を劈く。そうして再確認した、自分が踏み込んだ世界はそういう世界なのだ。
「良く分かりました。……ここより良いところに住めるようになってみますよ」
「それは頼もしいです」
マンションの入口である自動ドアを抜けると、更に自動ドアが見えた。その隅にはドアを操作する機械がある。
「来客用の暗証番号は部屋に入ってから教えますね。ドアを開けるにはこの鍵を鍵穴でガチャリとお願いします」
鞄の中から取り出された鍵を鍵穴に挿し、右へと捻る。そうすると、自動ドアは容易に開かれた。担当さんはその鍵を持ったまま、エントランスへと入っていった。
エントランスの床は大理石のようなツルツルの石が敷かれていて、辺りは薄い茶色や黄土色など、大人びた色で高級さと清潔さを醸し出していた。証明も明るくなくて、見ているだけで自分がお金持ちになったような気になってしまう。
「市川先生の部屋は4階になります。1階辺り4つの部屋があるんですが、ちょうど今先生の隣の部屋は開いていません」
「部屋はいくつ埋まっているんですか?」
「先生と合わせて2つです。挨拶などはご自分で決めていく形でお願いします」
引っ越し挨拶のケーキか蕎麦でも持って行こうとしたが、1つしか埋まっていないなら簡単に済みそうだ。
「何人家族かなぁ……」
「どうでしょうかね、……そこまではちょっとわからないんですが」
そんな話をしつつ、エントランスを抜けてエレベーターに乗った。音も無く動き出すエレベーターは、どうやらそれさえも金が掛かっているのだと分かった。
4階に到着し、エレベーターのドアが開く。壁などは先程と同じ作りだが、床はカーペットが敷かれ、なんだかホテルを歩いている感覚がした。
「あそこです」
広い割には部屋数が4つしかないということで、道は短い。担当の指の先には、左右に2つづつ部屋があり、左奥の部屋を指している。
部屋の表札には既にローマ字表記で有沢と言う文字が印刷された札が付いていた。
鍵を開けると、担当さんがゆっくりと部屋を開ける。わざとそうしているわけではなくて、どうやら扉は元から分厚いらしい。完全防音になっているのだろう。
扉を開けると、真白い壁が続いていた。カーテンが畳まれてある窓からの日差しが白と反射して、随分明るく見える。
広いリビングには、自分達が送った段ボールが置かれてあったが、それが会っても十分な広さだった。
「家具はもう置かれていますし、ガスや水道も通っていますので、今日から普通に生活できる状態になっています」
部屋に魅入る俺を現実に戻すため、担当さんは少し大きな声でそう言った。その言葉に振り向いた俺に、先ほどの鍵と、暗証番号が書かれた紙を渡す。
俺はそれらを丁重に受け取った。
「ありがとうございます」
「では、先生。僕は仕事がありますので戻ります。早速ですが明日の午後7時からドラマの打ち上げがあります。それと並行して、各出演者がインタビューを行いますので、先生にも同じくインタビューを受けてもらいます」
カバンの中から、印刷用紙が挟まったファイルを取り出し、それも俺に渡す。
「これが質問内容になりますので、簡単に言うことを考えてきてください」
「わかりました」
「それと、……兵藤さん」
一拍間を置いてから、担当は窓にへばりついて外の景色を眺める明を呼ぶ。
「はい、なんすか?」
「電話番号をお教えいただけませんか? 数日前にメールで市川先生に、これからのスケジュール管理は兵藤さんが行うと言っておられましたので、これからは連絡を兵藤さんと行います」
「あ! オッケーです! ええとですねぇ……」
2人が近づき、携帯を構える。
どうやら明に半信半疑だった担当さんも、説得に折れたみたいだった。
しかし、こうは言ってみたものの、正直マネージャーなんて物は必要では無いと今でも思っている自分だ。