AIに文章を直してもらったら、「違う。そうじゃないんだよ」となった話
AIに文章を直してもらっていて、「違う。そうじゃないんだよ」と思ったことがある。
今回、改めてそれを強く感じた。
最初は、単純に「文章をきれいにしてもらっている」つもりだった。
誤字脱字を見つける。
重複を見つける。
分かりにくいところを整理する。
冗長なところを削る。
説明が足りないところには描写を足す。
たしかに、AIはこういう作業が上手い。
でも、文章を整えていくうちに、どうもおかしくなってきた。
しかも問題は、一つではなかった。
大きく分けると、**設定が壊れること**と、**文体が壊れること**の二つである。
まず、設定破綻。
読者から「なにか表現がおかしい」という感想をもらった。
たとえば、
「骨まで冷やすような鋭さ」
という表現。
舞台はヨルダン地溝帯のエリコである。
読者からすれば、これは有り得ない。
標高一七七メートルのアンマンですら冬の最低気温は十度程度なのに、標高マイナス三百メートルほどのエリコの冬が、「骨まで冷やす」ような極寒として描かれている。
むしろ、冬季が過ごしやすいヨルダン地溝だからこそ、エリコには最初の集落が出来たのではないか。
もう一つは、
「船底を見る。」
「指で継ぎ目をなぞる。」
という描写。
これについても、「なんですか? コレは」という指摘を受けた。
石器しかないはずのエリコに、まるで鉋で削った木板で建造した木造船があるように読めてしまうからだ。
銅器なぞ足元にも及ばない、オーバーテクノロジーである。
文章の描写ともっとわかりやすくしてと指示して足された描写によって、作品の時代設定そのものがおかしくなっている。
これが、設定破綻である。
そして、もう一つが文体劣化だった。
こちらについても、読者からかなり厳しい感想をもらった。
「先日から文体が極めて読み難くなっています」
要するに、各行十文字前後しかない短文が延々と並び、その癖、行数だけはやたら多い。
内容は情緒描写ばかりで、物語はノロノロノロと進む。
これは自分でも読み返してみて、かなり心当たりがあった。
短い文に分ける。
視線や表情を細かく入れる。
息遣いを入れる。
情景を一つずつ説明する。
読みやすいように情報を整理する。
一つ一つは悪いことではない。
問題は、それをやり過ぎることだ。
文章を細かく刻んでしまう。
元の文章が一本の塊として持っていた流れや勢いまで分解してしまう。
ステーキ用と生姜焼き用と唐揚げ用に用意した肉を、食べやすくしてと渡したら全部ミンチにされて、「指示通り食べやすくしましたよ」とドヤ顔されるようなものだ。
たしかにミンチになれば食べやすいかもしれない。
加工もミンチメーカーに入れるだけだ。
材料そのものは残っている。
肉も残っている。
味も残っている。
だから、表面的には「元の肉はちゃんと入っています」と言える。
でも、作りたかったのはステーキや生姜焼きや唐揚げで、そのための下処理をしてほしかっただけなのだ。
でもAIにはそれがわからない。
このエッセイを書いているときにもさんざん大事な文章を消されている。
文章も同じだ。
主人公の考えていることも、会話も、情景も、ちゃんと残っている。
それなのに、一文一文を細かく切り刻んで並べ直すと、元々あった文章のリズムがなくなる。
短い文章がひたすら続く。
行数ばかり増える。
情緒描写ばかりが増える。
その一方で、物語はなかなか進まない。
「描写が増えた」のに、「文章が情景を想像しやすくなる」とは限らないのである。
むしろ、物語を動かすために必要な文章まで細切れになってしまう。
実際、読者からは「読み辛いこと夥しい」とまで言われた。
さらに、「以前の水源さんは、こんな劣悪な文章は書かなかった筈」とまで言われた。
これは結構、堪える。
ただ、自分でも考えてみると、どうしてこうなったのかは分かる。
AIは文章を平均的に整えるのが得意だし、それが正解だと考えているからだ。
短い文に分ければ読みやすい。
どうもAIはカクヨムなどはスマホで読まれると限定して考えているフシがある。
私はスマホではあまり読まずパソコンで読むので余計そう感じるのかもしれない。
そういう意味でAIのやってることは限定された状況ではおそらく理屈だけなら正しい。
でも、小説はそういうものではない。
AIに描写や情景を足させると、どうしても表面だけはきれいなものになりがちだ。
そしてやり過ぎれば、作者の文章ではなくなる。
しかも怖いのは、それが作者本人にはすぐ分からないことがある。
文章を整えてもらった直後は、
「うん、読みやすくなったな」
と思ってしまう。
ところが、しばらくして読み返したり、読者から感想をもらったりすると、
「あれ?」
となる。
私が特に困ったのは、地の文まで勝手にセリフに変えられることだった。
こちらは地の文として書いている。
主人公が頭の中で考えていること。
途中で別のことを思い出したこと。
ちょっとした脱線。
会話の途中で挟まる説明の寄り道。
そういうものを地の文に置いている。
ところがAIは、
「これはセリフにしたほうが自然ですね」
と判断してしまう。
そして、地の文だったものをセリフに変える。
いや。
それじゃない。
それはセリフで言わせたいわけじゃない。
主人公の頭の中で勝手に浮かんだことだから、地の文にしているのだ。
地の文とセリフには、それぞれ役割がある。
作者がどこを地の文にして、どこを会話にしているか。
そこには文章のリズムだけではなく、語り手の視点まで含まれている。
そこを勝手に入れ替えて、
「こっちのほうが自然です」
と言われても、
いや、そういう問題じゃない。
それを変えたら、もう別の文章なのだ。
ここで難しいのが、「消すな」と命令すれば解決するわけでもないことだ。
何を消してほしくないのかを細かく指定しなければならない。
作者特有の脱線は残してほしい。
俗っぽい言い回しも残してほしい。
主人公の突発的な発想も残してほしい。
会話の間も残してほしい。
説明の寄り道も残してほしい。
地の文とセリフを勝手に入れ替えないでほしい。
ところが、「全部残して」と言えば、今度は本当に全部残そうとする。
重複まで残る。
不要な説明まで残る。
つまり、「消すな」と一言で済む話ではない。
何を残して、何を削っていいのかを、こちらが延々と説明しなければならない。
そして、その指示どおりになっているか、完成した文章を一文ずつ確認する必要がある。
それなら、下手すると自分で一話書いたほうが早い。
まあ、実際はろくに書けずに長い間放置してしまうのだが。
だからAIの補助はありがたいのはたしかだ。
だが私の場合は作品によるが、歴史の話の場合は多くの場合問題が出やすい。
ファンタジーに現代ラブコメや、過去でも昭和くらいの話なら、そこまでは問題にならない。
AIの想定する舞台とそうずれないからだ。
でも、歴史ものでは、ほんの一つの描写が時代設定や技術水準を壊してしまう。
自分で書けば、その場面で主人公が何を考えているのかも、なぜその言葉を地の文に置いているのかも、自分が分かっている。
AIに細かい命令を出して、返ってきた文章を読んで、
「そこじゃない」
「それは残して」
「それを勝手にセリフにするな」
と修正するくらいなら、自分で書いたほうが、作品の内容も把握できるし、早い場合がある。
だからといって私は、AIを使わないわけではない。
まず誤字脱字の指摘。
重複している場所の発見。
イマジナリー読者としての感想。
そのくらいなら、本当に便利である。
逆に、文体を変えずにうまく修正させるのはかなりむずかしい。
なので最近はAIに「カクヨムで読まれる文章」として修正した文章をサルベージして、もう一度張り直している。
まるで掘った穴を埋めたまた掘ってさらにまた埋めて掘る作業のような無駄な作業だが仕方ない。
あと、「続きを書いて」と頼むと、同じような内容を少しだけ変えて延々と書き続けることもある。
これも創作の相棒としてはかなり厳しい。
そこで思った。
**AIはコピーライトには向いているが、小説には向いていない。**
ここでいうコピーライトは、広告や商品の説明、宣伝文句のような文章である。
そういうものなら、必要な情報を渡して、ターゲットや雰囲気を指定すれば、それらしい文章を大量に作ってくれる。
むしろ、AIの「情報を整理して、分かりやすく、無難にまとめる」能力は大きな武器になる。
でも、小説は違う。
小説には、作者にしか分からない「なんとなくここはこう書きたい」が大量に存在する。
説明としては不要でも残したい一文。
主人公が突然するどうでもいい連想。
妙に俗っぽい言い回し。
会話の妙な間。
地の文だからこそ成立する脱線。
そしてそのものが結構長めの文章。
そういうものを全部、「もっと自然に」「もっと読みやすく」と整理してしまえば、確かに文章は整う。
でも、その代わりに作品から作者が消えていく。
今回、それを実感した。
そこで、今後の基準として一つ決めた。
以前、自分だけで書いた文章を、旧来の作者文体の基準にする。
特に、昔書いた「桃香の風邪」の文章をその基準として扱いたい。
もちろん、昔の文章が全部完璧だったわけではない。
ただ、あの文章には、今の文章から薄くなってしまったものがある。
地の文の脱線。
主人公が途中で余計なことを考える。
俗っぽい言い回し。
説明の寄り道。
会話の間。
誰が誰に、どんな仕草や表情で言葉を伝えているのかという、人間同士のやり取り。
そして何より、整理されすぎていない。
そこに作者本人の癖が残っている。
だから、これからAIに推敲を頼むときに必要なのは、「もっと読みやすい文章にしてください」という指示ではない。
**この文章を壊さないでください、という指示なのだと思う。**
まず、既存の情報だけで場面の緊張感を高める。
設定にない物品や技術を勝手に追加しない。
地の文を勝手にセリフへ変えない。
セリフを勝手に地の文へ変えない。
短文を機械的に並べない。
情緒描写を増やすことだけで文章を豊かにしようとしない。
作者特有の脱線や、俗っぽい言い回しや、主人公の突発的な発想や、会話の間や、説明の寄り道を残す。
文章をミンチにして、平均的な「読みやすい文章」に作り替えるのではなく、元の文章の形を残したまま、傷んでいるところだけ直す。
つまり、AIに作品を書き直させるのではなく、**自分の文章を自分の文章のまま点検させる。**
そのくらいが、ちょうどいいのだと思う。
AIは便利だ。
でも、便利だからといって、作者の代わりにしていいわけではない。
文章をきれいにしてもらった。
設定まできれいに壊された。
文章を読みやすくしてもらった。
今度は文体まで別人になった。
そんなことになったら、本末転倒である。
だから私は、これからもAIは使う。
でも、本気で創作するときは、今後は少し距離を置くつもりだ。
少なくともAIにフリーハンドで文章を作らせたり修正を任せるのはやめる。
なにしろ、最後に原稿を読み返して、
「いや、それじゃないんだよ」
となってから、元の文章を全部直し直すくらいなら、最初から自分で書いたほうが、よほど早いのだから。
要はAIを使って色々やらせることで減らせる時間と増えてしまう時間のバランスを見ながら使うしかないと思うのだ。
具体的には感想のアイデアの重複のところだけ圧縮、ほかは絶対いじらないと指示したりしているが。




