36.ある貴族の後悔と嘆き――伯爵
あの日は、皆の運命を変えた。考え方も求める物も違う人達が、無理やり同じ方角に視線を固定されたのだ。
アクロイド伯爵家の当主である私も同様だった。王宮主催の夜会で、あのような不幸が起きるなどと。誰が予測できただろう。
着飾った妻を伴い、夜会の広間へ入った。我が子らは屋敷で夕食を終えた頃か。夜会でがつがつと食べ物を口に入れるのは憚られるため、事前に軽食を腹に収めてきた。ワインを受け取り、クリームチーズとオリーブのカナッペを少し。上品に見えるよう口に入れた。
「あなた、ウィルズ侯爵夫人にご挨拶してきますわ」
「分かった」
よくお茶会で顔を合わせる友人の元へ向かう妻を見送り、一人になったところへガースン子爵が近づいた。仕事で何度も話をしたが、気の合う存在だ。軽く挨拶を交わして、雑談を始めた。貴族同士、噂から実益が絡む話まで、豊富に話題を広げていく。
盛り上がったところで、ガースン子爵の友人であるマーロー伯爵が合流した。彼はひそと噂話を持ち込む。王族の一人が、不貞を行っているらしいと。
「不貞……では妻か婚約者がおられるのか」
「ええ。この噂は王宮勤めの方より聞いたもので……」
「噂は危ないのではないか」
思わず注意してしまった。話に水を差すのは申し訳ないが、王家が絡む噂はまずい。顔を見合わせて、全員が「内密に」と頷き合った。だが、直後に噂は肯定される。
第二王子メレディス殿下が、婚約者以外の女性を伴って入場したのだ。相手が聖女リリアン様であっても、許されるわけがない。聖女様の同伴者となるなら、先に婚約者と入場してから外へ出て、改めて入り直すべきだろう。見回すが、婚約者のホールズワース侯爵令嬢はいなかった。
会場のざわめきが消え、しんと静まり返った。音楽すら止まっている。緊張が場を支配する中、ホールズワース侯爵家の兄妹が腕を組んで現れた。国王陛下がいない場で起きた珍事件に、わっと人々は噂を始めた。
第二王子が聖女に乗り換えるのでは? と眉を顰めるものから、人前で腰に腕を回す王子はすでに聖女と深い仲なのでは? と下世話に勘繰るものまで。噂は尾鰭背鰭を生やしながら広がっていく。元のざわめきを取り戻した広間で、私はなぜか不安を覚えた。
「マドリーン」
妻の名を呼んで、合流する。そこで騒ぎは起きた。第二王子が婚約破棄を叫び、周囲の貴族が絶句する。あり得ない状況だった。第二王子の気が触れたと思ったほどだ。
ホールズワース侯爵夫人は、軍事国家ブラッドリーの王女殿下だった。現在も王位にある夫人の父君から見て、侯爵令嬢は孫に当たる。我が国より強大で豊かな隣国が、王孫を愚弄されて黙っているはずがない。せめて婚約を解消するか、無効を宣言すればよかったものを。
愚かなことに、王子は破棄すると言い放った。それは侯爵令嬢に瑕疵があったと公言したも同じ。戦争が始まるぞ。青ざめた貴族は硬直し、呆然と事態を眺めていた。
この少し先の未来で、あのような惨劇が起きると知っていたら……命懸けで止めただろうに。




