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検証 - ジョセフ -


 俺はようやく長年目障りだった婚約者を切り捨てられて機嫌がよかった。


 あの女は身分と見た目はいいが愛想がなく、顔を合わせればうるさく王族の役割やら公務やら言ってくる可愛げのない女だった。女なんだから素直に言われるまま体でも差し出せばまだかわいがってやったものを、結婚するまでは体を許すことはできないとぬかしやがった。


 王族の結婚に純潔が求められるのは知っているが、あれはいくらでも抜け道がある。どうしても本人の確認が必要だというのなら、初めての時の純潔の証でも取っておけばいいはずだ。適当な金を積めば教会だって黙っていてくれる。それをさも分かった風に話すあの女はただのつまらない人間だ。

 あの女を抱かなくとも具合のいい女はいくらでもいたから不自由はないのだが、特別に俺から誘っているにもかかわらず断ることが気に入らない。


「ジョセフ殿下」


 侍従がすっと何かを差し出してきた。


「これはなんだ?」

「先日、お話していた今人気の腕輪です」


 二つの揃いの腕輪は太めの金の腕輪に大きな赤い宝石がはめ込まれていた。一つは男性用、もう一つは女性用だ。


「これがリリーが強請っていたやつか」


 ふうんと一つを取り上げてみる。確かに美しい細工ではあるが所詮は街で売っている安物だ。この程度の装飾品を身に着けるのはあまり気が進まない。俺の気のない素振りが伝わったのか、侍従も苦笑を漏らす。


「今夜だけでも付けたらいかがでしょう? あのご令嬢にもう少し夢を見せるのも王子としての役割かと」

「俺が今にも捨てそうな言い方だな?」

「もうすでにあのご令嬢とは半年以上になります。婚約破棄の理由としての役割を果たしましたから」


 さらりと言われて笑いがこみあげてきた。リリーは子爵家の庶子で一年前に令嬢として迎え入れられていた。ところがこの女は市井で暮らす時間の方が長かったせいで、貴族の振る舞いができず社交界では無視されている。そこに優しく声を変えてやればすぐに落ちてきた。声をかけたその日のうちに関係を持つとは思っていなかったが、案の定、処女ではなかった。処女など面倒なので、ちょうどいいと言えばちょうどいい。


「確かに今日ぐらいは優しくしてやってもいいな。最後なんだ、いい夜にするよ」


 腕輪を自分の左腕にはめる。なかなかしっくりくる作りだ。


「では行こう」


 彼女が待つ部屋へと行くために、廊下を歩く。


 ずしん、ずしん、ずしん。


 地響きのような重い音が耳に入ってくる。初めは気にらなかったが、あまりにも長く続くので思わず足を止めた。


「どうされましたか?」


 すぐ後ろを歩いていた護衛が声をかけてきた。護衛の顔を見ればいつもと変りない。大したことではないと、首を左右に振った。


「いや、気のせいだったようだ」

「それならばいいのですが」


 護衛は頷くと、元の位置に戻る。歩き出そうとしたら再び音が響いた。


 ずしん、ずしん、ずしん。


 やっぱり何か聞こえる。数歩進んで立ち止まって後ろを振り返った。ずっと奥の方に何かの大きな影が見えた。


「なんだ、あれは?」


 思わず呟けば、護衛もそちらの方へと振り返る。


「何もいませんが」

「いなくはないだろう? ああ、なんだこっちに走ってくるぞ?!」


 ぎょっとして声を上げたが、護衛は理解できないという顔をしている。


「お前はあれが見えていないのか!」


 そう声を上げれば、護衛達が構えるが、彼らはこちらに走ってくるモノがわからないらしい。


「初代国王……だと?!」


 猛スピードで近づいてくるのは初代国王の銅像だった。物凄い形相で腕を振り、足を上げ、距離を詰めてくる。固いはずのマントが何故か風になびいていた。


「うわああ」


 驚きと恐怖で慌てて廊下を走る。その後ろを一定の距離を保って追ってくる。あまりの恐ろしさにリリーの待つ部屋へと飛び込んだ。


 部屋の中に入れば、リリーが驚いたように目を丸くしていた。


「ジョセフ様、どうかしました?」


 息を切らしている俺にリリーが近づいてきた。俺はそっと扉の隙間から外を見た。そこには慌てる護衛達がいただけだった。初代国王の銅像などどこにもいない。見間違いだったのか? 誰も認識していないところを見ればそう考えるのが妥当だ。ふうっと大きく息を吐くと、いつものように笑みを浮かべた。


「いや、気のせいだったようだ」

「それならよろしいですが」


 リリーがにっこりとほほ笑む。リリーの美しいとは言えないが可愛らしい顔を見ているうちに気持ちが落ち着いてきた。ところが、すぐに異変に気がついた。リリーの髪が徐々に上に上がっていくのだ。

 半分後ろに流していた長い栗色の髪がざっと天を向く。


「リリー、その頭は……」

「え? 変ですか?」


 どうやらリリーは気がついていないらしい。顔を引きるのが分かったが、どうにか感情を押し殺した。視線を逸らし壁に掛けてある大きな飾り鏡に目を向ければ、驚いたことにリリーの髪は普通だった。そっともう一度リリーを見れば髪は天を向いている。どうやら自分の目だけがおかしいようだ。自分だけの問題であるなら、ここは無難に過ごそうとあえて無視した。


 そっと手を差し出し、リリーが手を乗せるのを待つ。


「うふふ、嬉しいです。堂々と夜会にエスコートしてもらえるなんて」

「そうだな。今夜は楽しもう」


 自分自身どこまで楽しめるのか不明だが、とりあえず笑みを浮かべた。


「うふふふふふふふふ」


 小さな小さな笑い声が聞こえた。リリーかと思い彼女に目を向ければ彼女はじっと俺の唇を見つめている。ああ、そうか、キスか。彼女の声にならない希望を叶えるために、彼女の顎をつまみ自分の唇を彼女に寄せた。


「うふふふふふふふふ」


 再び小さな笑い声が聞こえて、思わず身を起こした。キスを待っていたリリーが焦れて目を開けて、気を引くように俺の腕を引っ張る。だが俺はそれどころではなかった。


「さっきから声が聞こえないか?」

「いいえ?」


 リリーはムッとした顔をして返事をした。強請るように縋ってくるので、少し面倒になる。こちらの気分も少しは察してくれと思いつつ、おざなりにキスをした。そのキスの適当さにリリーがますます機嫌を悪くする。


「これ、君が欲しがっていただろう?」


 気持ちを切り替えるように侍従に持たされていた腕輪を見せた。そっと彼女の右手を取り、その腕にはめる。


「ほら、俺とお揃いだ」

「嬉しい!」


 はしゃぐようにして腕輪をくるくる回している。よほどうれしかったのか、不機嫌さが満面の笑みに変わった。よかったとほっとしながら、先ほどの飾り鏡に目を向けた。その鏡の自分の顔を見てぎょっとする。


「うわ……!」


 自分の顔が真っ赤な血のようなものに染まっていたのだ。リリーの髪も天を向いている。

 流石に無視できなくなっていた。ぐるりと部屋にいる護衛達を見ても誰も騒いでいないところを見れば、これは現実ではないのだと思う。


 くそ、誰かの幻術にハマったか。


 結論としてはそれしか考えられなかった。色々な人から恨みを買っているのは理解できた。そいつらの嫌がらせなら無視するのが一番だ。


「では行こうか」

「ええ」


 リリーが上機嫌に手を乗せてきたので、そのまま廊下に出た。先ほどの銅像が動いていないか確認すれば、すでにいない。幻術だとわかっていても気分がいモノではないから、いないのならその方がいい。


 ゆっくりと歩いているうちに、嫌な音が聞こえた。


 ひたひたひたひた。


 俺たちの後ろをついてくる。確認するために足を止めれば、その音も止まった。


 くそったれが。


 口汚く罵りながら、笑顔でリリーをエスコートする。階段を降り、夜会会場へと入っていった。



******


 いつもと違うと言えば違う気がした。足を踏み入れた夜会会場は人々の話す声がいつも以上に大きく聞こえる。先ほどから変な術をかけられているせいで神経質になっているのだろうか。

 もやもやする気持ちを振り払うように首を左右に振る。強引に婚約破棄をしたことに反感を買っているだろうが、それも一時的なものだ。


 寄り添うリリーの腰を抱き、彼女の歩調に合わせて歩いた。


「ジョセフ様、今日はとても注目されている気がします」


 隣を歩くリリーが上目遣いでそう告げてきた。俺は彼女を見下ろしながら笑みを浮かべた。


「君が正式に俺の恋人になったから機嫌を伺っているのさ」

「そうなんですね?」


『リアム様、ここにいないのかな?』


 誰の声だ?


 俺は聞こえてきた声に、あたりを見回した。


「どうしたの?」

「あ、いや今、声が……」


『ふうん。どうでもいいけど、ジョセフ、リアム様と引き合わせてくれないかな。どうせなら王太子妃になりたいもん』


 俺は完全に固まった。不思議そうに俺を見つめるリリーの口は動いていない。動いていないのに……。


『本当にジョセフって顔はいいのよね。性格最悪だけど。でもまあ、わたしの踏み台になってくれたことを考えればちょっとぐらい我慢してあげる』


 聞こえてくるのは彼女の心の声のようだ。ひゅっと息を飲んだ。


 この俺を踏み台に?

 確かに俺もこの女を利用したが、これがこの女の本心なのか?


 心の声が聞こえているなど信じられずに思わずリリーから視線を逸らした。遠巻きにしている貴族たちを見れば、何かが聞こえてくる。


『バカだと思っていたけど、バカだ。利用価値すらない王子など生かしておいても害になるだけではないのか?』

『他の国の場合、どうなったのかしら? 確か、幽閉が一番多かったような?』

『ははは、王子なのに無様。しかもあの程度の女で満足とか』


 いくつも聞こえてくる声に、体が震えた。確かにどこに行っても悪く言われているのは知っている。実際に話しているのも聞いているが、言葉にした場合は遠慮なく処罰した。閑職にも回している。

 だが今回は違う。これは皆思っていることであって、言葉にしていない。心の中は証明できないから罰することもできない。


「ジョセフ様? 行きましょう?」


 リリーがそう促してきた。もう一度リリーを見れば、リリーの心の声が聞こえてくる。


『さっさとリアム様に紹介してよ。顔だけ王子』


「……気分が悪い。帰る」


 他人の声などどうでもいいが、リリーの声は聴いていられなかった。


「え?」


『はあ? ここまで来て何を言ってくれているの??? あんたの利用価値なんてリアム殿下との顔つなぎでしょうが!』


 リリーの吐き出された暴言に彼女から手を離した。


「残念だったな。お前とは今日で終わりだ」

「何を言って……」


 言われていることがわからないリリーが狼狽えた。その様子を見てふんと鼻を鳴らす。


「それほど兄上に紹介してもらいたかったのか? この娼婦が」

「そんなこと、ない」


 驚きに目を見開いて否定してくるが、言葉と表情が合っていない。俺はリリーをその場に置いて会場を後にした。


 その後も心の声が止むことはなかった。




 初めのうちは気にしないと思っていても、やはり聞こえる心の声はとても残酷で聞くたびに神経をがりがりと削っていった。

 ついにその声を聞いていられなくて、すっかり引きこもった俺の元に側室である母上から呼び出しがあった。面倒くさかったが、母上のヒステリーは長いのでさっさとすました方が得だ。

 そう思うが、母上の棘のある心の声が聞こえると思うと憂鬱になる。母上の場合、普段の言葉がすでに心の声だから、恐らくさほど齟齬はないだろう。


「お呼びですか?」


 辛うじて丁寧に見えるように挨拶してから顔を上げる。目の前には不機嫌そうに長椅子に座っている母上だ。笑えば華のような美貌なのにこうして不機嫌にしていると魔女のように見える。


「お前は自分が何をしでかしたのか、わかっている?」

「母上」


 母上の心の声も聞こえるのではないかと、びくびくしながら様子を伺っていれば、やはり聞こえてきた。


『どうしてこの息子は大馬鹿なの!』


 そんな罵倒が聞こえてくる。母上から愛情など感じたことはなかったが、わかっていても堪えた。ぐっと手を握りこみ体を固くする。


「これからどうするつもりなの?」

「それは……」


 何も決めていない。今まではレティーナがいたから、すべてあいつに押し付けていた。何もないことに俺は初めて愕然とした。そうだ、王子である俺が持っていたものではない。すべてはレティーナが持っていたものだ。婚約をしていたから彼女の持つ財産を使うことができていた。王子としての俺の手当ては本当に少ないもので、自分自身の生活の支払いですべて終わってしまう。


『バカだバカだと思っていたけど、本当にバカな子。わたしが苦労して陛下に媚を売っていたのに意味がなくなってしまったじゃない』


 そんな母上の声が聞こえてきた。罵倒の中にほんの少しだけ温かいものが混じる。


「母上、聞いてもいいですか?」

「なあに?」


 苛正しそうに眉を寄せる。

 母上が俺を愛していると思ったのはやはり気のせいか?


「母上は俺を愛していますか?」

「は? バカじゃなの?」


 クッションが飛んできた。どんどん投げつけられ、クッションがなくなれば他のものが飛んでくる。最後には母上の靴が飛んできた。それを受け止めながら、やっぱり愛されているわけではないと自分自身を笑った。


『母親なんて息子が一番かわいいに決まっているじゃない! そんなこともわからないなんて、本当にバカだわ』


 ぼろりと涙がこぼれた。ぎょっとした母上が物を投げつけるのを止めた。


「な、どうしたの、泣かないでよ」

「俺は母上が嫌いでした」

「そ、そう」


 母上が憂いのある顔をする。


『そうでしょうね。母親らしいところはないし、優しくはないから』


 言葉が続かず、沈黙が下りる。その間に母上の心の声が聞こえてきた。


『陛下には寵姫の息子で溺愛されているのだから、寵姫から嫌われている王子という立ち位置の方が利用されずに済むはず。王家から外したくて婚約を無理やり結んだのに』


 次第に優しい言葉が苛正しい言葉に変わっていった。


『やっぱりバカだ。本当にどうしようもない子。この馬鹿をどうしたらいいの? 誰かに利用されてポイされたら本当にバカすぎて嫌になっちゃう』


 母上の口の悪さは裏表がないことだけが分かった。俺にバカだというのはもう口癖だ。


 なんとなく、気持ちがすっきりしてくる。

 どうやら母上はほんの少しの愛情で俺が利用されてぼろきれのように捨てられないようにしてくれていたようだ。


 だから、そのほんの少しの気持ちだけをありがたく受け取った。


「母上。俺は修道士になろうと思っています」

「は?」


 母上が間抜けな顔になった。ぽかんと口を開け、信じられない物を見るように目を見開いた。


「こんの、バカっ! お前にあんな品行方正でお綺麗な生活ができると思っているの!!!!」

「多分……?」

「下半身にだらしないお前は後ろを掘られてしまうわよ!」


 後ろを掘られる?


 意味が分からず黙った。


『いやー! うちの息子が麗しの修道士とあんなことやこんなことになってしまうなんて! 今、とても麗しい修道士が多いのよね。あら、意外といいのかしら? 顔と体はいいし、王子のキラキラしさはあるし?? この子のハジメテを誰がもらうのか気になるわ。誰を監視につけようかしら? やっぱり腐った奴がいいわよね??』


 母上の心の声は全く理解できなかった。





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