やり直し革命譚 1
不穏な噂が立っていた。
王国軍本部の裏には、殉死した軍人たちの集合墓地がある。慰霊碑の他、遺体が回収できた者はそれぞれの墓もある。そのうちの一つの墓に異変があった。その墓は、何の変哲もない軍人の墓である。救国の英雄でもなく、別段大事をなしたわけでもない。何百とある墓の中の一つ。
がつがつと鳴るブーツに廊下にいた新兵が肩を跳ねさせた。しかしそれに気遣ってやることもなく、目的の部屋へと向かう。その部屋の主に言ったところで何かが変わるわけでも何かがわかるわけでもないだろう。きっとあいつ自身も何も知らない。いやあの非社交的なあいつのことだから下手したら噂すら知らないかもしれない。
殴るように扉をたたくと、中からは相変わらずニュートラルな声が返ってきた。
「扉を叩くなクロワール。」
「……悪い。」
短く謝れば、眉を顰められる。言葉にすれば、「何を殊勝に、気色悪い」と言ったところだろうか。
ベルネットの隣にいるのは奴の部下だろう。既に用が済んだのか、気を使われたのか足早に執務室から出て行った。確か、三番部隊の古参だっただろう。何度か、見たことがあった。
「それで、何の用だ珍しい。お前のところの管轄から仕事を奪った覚えはないぞ。」
「……そうだったならお前のとこなんざ来ねえで直接上へ行くさ。どうせお前に言っても無駄なのは経験済みだ。」
引き出しを漁り、茶色の包みを投げ渡される。訝しんで見ればクッキーが入っていた。本来であれば茶請けなのだろうが、今部屋にいるのは俺たちのみ。わざわざ茶を入れてもてなす気はないが歓迎していないわけでもないということだろう初めのころに比べ遥かに丸くなっている。それはたぶんお互い様だろうが。
「で、何のようだ。何の用もないのに来るほど暇というわけでもないだろう。」
赤い目はどこまでも無感情で、久しぶりに一瞬たじろいだ。
考える間もなく、気が付けばこの部屋に向かっていて、今更になってこんなことをベルネットに話してもいいのか、という逡巡にかられる。少なくとも、聞いて気分のいい話ではない。少なくとも俺が他の奴から聞いた時もそうだった。怒るも当然。見ず知らずの人間なら馬鹿馬鹿しいと笑い飛ばすか、不謹慎だと叱り飛ばすところであるが、これはことがことだ。国としての損害は極小だったが、軍内の動揺と疑心は決して小さなものではなかったことだったのだから。
「……妙な噂を、聞いてねえか?」
「妙な噂?漠然としすぎてるな。」
「だから、その……お前が聞いていて気分が悪くなるような、腹が立つような……、」
らしくもなくしどろもどろになる。こういう気遣いというものは慣れていない。
「要領を得んな。歯切れの悪い、聞きたいことがあるならはっきり聞け。」
微かな苛立ちを見せるベルネットにああこいつはこういう奴だった、と思い出した。他人の考えることは基本的にどうでもよく、合理性を求める現実主義者。下手な気遣いよりも機械的業務的なものの方を好む奴だ。らしくもなく気を使った数秒前の自分が阿呆らしくなる。
気遣いなど無用だ。
「じゃあ聞く。本部の裏に集合墓地があるな。」
「ああ?ああ、あるが。」
「そこに墓荒らしが出たらしい。」
「……墓荒らし?」
眉間の皺がぐっと深くなる。当然だろう。少なくとも軍本部の集合墓地で墓荒らしが出たことなど前代未聞だ。
「軍部の墓なんて、そんなリスクの高いところを荒らすとは、何が目的だったんだ。」
「そこまでは知らねえよ。犯人は捕まってねえし。……少なくともただの解剖や歯や骨の売買じゃねえだろ。それなら民間の墓地で事足りる。軍の敷地に忍び込んでまですることじゃあねえ。」
実際に、話によると遺体はそこにあったという。いや、その遺体はもう死後随分と経っており、すでにその人相は窺えなかっただろうが、特徴自体はつかめているため、偽物ということではないだろう。
「遺体はそこにあった。これと言って何かを盗られた様子もない。」
「……じゃあその墓荒らしは、ただ単に墓の蓋を開けて、それで閉めただけってことか。」
「……ああ、それだけだ。軍部の真ん中に忍び込んで、墓一つを開けた。それだけだ。」
怪訝そうによっていた皺がさらに深くなり、今にも人を殺しそうな表情になっていることにきっとベルネットは気がついていないだろう。
「……誰の墓が、暴かれたんだ。」
すでに検討はついているだろう。俺がわざわざここまで来て言いに来ている時点で、誰の墓かなんてことは。
「……カルムクール・アム中将の墓だ。ただ開けられただけで何も盗られても壊されてもいねえ。確認のために他の職員が中を改めたが異常なく、今はもう閉められてる。」
「…………、そうか。」
ため息交じりにそれだけ言うとそれからはもう何も言わなかった。ただ目を強く瞑り肘を突いて机に項垂れた。ベルネットに対して俺もかける言葉もなく、このまま立ち去るのも後ろ髪引かれて、黙って部屋にいた。
ベルネットは何も言わない。怒り狂うでもなく、姿の見えない墓荒らしに対して呪詛を吐くわけでも、いつかのラパン・バヴァールのように殺意と害意を撒き散らすでもなく、ただ静かに項垂れていた。
三番部隊中将カルムクール・アムがコンケットオペラシオン城で死んでから数年が過ぎた。こいつが予期せず中将になってから、大人になるだけの時間が流れた。激情に流されることはない。こいつはそういう奴だ。けれど激情がないわけではない。心中が穏やかでないのは間違いないだろう。感情を表に出さないようにしているわけではない。感情表現が苦手なだけなのだ。合理主義であるからこそ。
合理主義だからこそ、素直に喜ぶ理由がない、涙を流すだけ無駄だ、怒るくらいであれば対処する手立てを考える、余計なものをそぎ落とし、そぎ落とし生きてきた。そしておそらく、カルムクール・アムという存在だけが、こいつにとってそぎ落とせなかった部分なのだろう。必要であると感じずとも、進んで切り落とすことができなかった。後見人という後ろ盾は役に立ったとしても、実力を認められつつあったベルネットはいつそれを切り落としてのし上がってもおかしくはなかった。
けれどベルネットは敢えて彼の部下であり続けた。
そのことに長いこと俺も気づいていなかった。ただ単に今の地位に満足しているとか、時勢的に上に行くのにリスクがあるからこそ、三番部隊の中から出ることがないのだと思っていた。
だから、カルムクール・アムが死んだとき、初めて気がついたのだ。
何もかもそぎ落として、理由もなくただただ貪欲に上を目指し、目的と軍の利益のためならばすべてを斬り倒していくこいつにとって、軍へとつれてきてくれた彼だけが居場所だったのだと。
まるで信仰心も持っていない現実主義のあいつが、唯一彼の死後星龍会のピアスをつけた。
かの中将の目と同じ、琥珀色の玉だった。
「……あの人は、もう死んだ。」
らしくもなく、少し幼い口調だった。
「ああ、あの人はもういねえ。」
「そうだ、死んだ人間は、もう、戻らない。」
「……死は、不可逆だからな。」
「……あの日、あの時、俺はコンケットオペラシオンにいなかった。」
顔を上げることなく項垂れたままゆるゆると話し出した。すかしたようで、誰だって鼻で笑い飛ばしそうな奴の影はどこにもなかった。
「俺たちは、俺は、カルムさんと離れて、別の村にいた。革命軍を名乗る奴が現れたと、通報を受けて。」
「……ああ。」
「ふたを開けてみればなんてことはない、革命軍の名を騙るただのゴミだった。」
「…………、ああ」
静かに顔を上げる。
「俺がまた、あの日あの時に戻りたいって思ったら、笑うか?」
アルマ・ベルネットはそう問うた。だがそれは俺に向けた言葉ではなく、俺からの答えも求めていなかった。赤い目は、俺ではない、誰かを見た。
上げられた顔から、思わず目をそらした。
見間違いだっただろう。そう言い聞かせた。窓から入る夕日のせいだったのだと。
見慣れたはずの奴の顔が、血に塗れ死相の浮かんだ顔に見えた。まるで今の今まで戦場にいたかのような。
なぜか、そらした先に映った自分の指が疼いた。
外からバタバタと騒がしい足音が聞こえた。それによってようやく自分が王国軍本部という決して静かではない場所にいることを思い出した。足音は部屋の前で止まりまもなく荒くノックされる。
「……入れ。」
「はっ、失礼いたします。」
ベルネットはもう普段どおりの顔をしていた。
開いた扉の先にいたのは見覚えのある顔。確か大将フスティシア・マルトーの部下で、オリオンといっただろうか。
用はもう済んだのだから、と席を立とうとしているのをオリオンに止められる。
「アルマ・ベルネット中将、並びにヴェリテ・クロワール中将にご報告申し上げます。」
急いでいた割りに落ち着いた声だと感じ、同時にさすがあの泰然とした大将の部下だと感じ入るが、そんな感想は次の一言でどこかへと吹き飛んだ。
「革命軍もとい反乱軍総長、メンテ・エスペランサの身柄を拘束いたしました。現在は王国軍本部に併設された監獄の地下に収容されています。」
「っなんだと!?」
「メンテ・エスペランサの処遇についてお話があります。火急、総統執務室までいらしてくださいませ。」
メンテ・エスペランサ。革命軍の二代目総長にして、現在の革命軍を牽引する頭領。ほとんど姿を見せることなく活動し、ごくまれに王国軍と交戦する。
身柄の確保。そんなことができるのだろうか。
いや、事実こうして中将が招集されているのであればよもや間違いということは万に一つもあるまい。
けれどそれでもなお鵜呑みにすることができなかった。あれほど軍をてこずらせていたというのに、大々的な動きも交戦もなく、突然身柄を確保したという情報が飛び込んできた。
はっとしてベルネットの方を見る。やつはすでに立ち上がり準備をしていた。眉間のしわはいつも通り。怒るわけでも嬉々とするわけでもない。
「……なにボケッとしてる。火急とのことだ。さっさと準備しろ。」
「……ああ。」
狐のつままれたようなどこか釈然としない気分で廊下へと出た。廊下はすでにてんやわんやで誰もが落ち着かず歩き回っているさまだった。
「そういえばクロワール。」
「あ?なんだよ。」
「中将昇格、おめでとう。」
そういえば、昇格後ベルネットと会っていなかったことを思い出すと同時に、素直に祝辞を述べられ当惑する。
「……ああ、ありがとさん。」
ふと、ベルネットが視線を落として、気がつく。視線を落としたのではない、下ろされていた俺の手を見ていたのだ。昔からこいつは、よく俺の指を見ていた。
なぜかまた、傷などないはずの指が痛んだ。




