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あの夕方を、もう一度  作者: 秋澤 えで
終局開幕最終章
36/56

来訪

 目深にかぶったフード、襤褸のようなコート、遠くから見れば大通りの端にでもいそうな乞食そのものだった。



 「お兄、」

 「お帰りヒルマ。」



 小さな乞食がフードをとる。実際に会うのはこれで2度目、ヒムロの妹のヒルマがいた。そばかすの散ったその顔は戸惑いの表情を浮かべている。いや、むしろこの場において私もまた戸惑っていた。戸惑っていないのはこの目の前の青年だけだ。

 項あたりで切りそろえられた銀髪、琥珀色の目、柔和な表情を浮かべる優男。



 「初めまして、宰相リチュエル・オテル殿。」

 「……、ああ、初めまして。」



 革命軍総長メンテ・エスペランサ。この王宮、宰相第二執務室にふさわしくない人物その人がいた。よもやこうして会うことがあるとは思わなかった。電話越しで聞くよりも幾分か高い声は普段よりもより若く思えた。


 背丈は平均よりも高いくらい、少なくともヒムロよりかは10は低く、腕の太さも彼の半分程度だ。コートに鎧を着こんでいるわけでもない。武器と言えば背中に背負っている隠し剣くらいだろう。

 数十年の間革命軍と王国軍は鎬を削りあってきた。そして今代の敵軍総長が今私の目の前にいる。しかし目の前にいる親し気な笑みを浮かべた青年は、驚くほどに普通だった。

 普通、全くの平凡。もし彼と王宮内ですれ違ったとしても、きっと新しく入った給仕にしか思わないだろう。もし王国軍内ですれ違ったとしても、新しい事務員にしか思わないだろう。それほどまでに、この国の革命の火を担う長は何の特徴もない青年だった。



 「君が、メンテ・エスペランサかい。」

 「ええ、僕が。革命軍総長メンテ・エスペランサ。そして貴方と電話で会話をしていた者ですよ。」



 恐ろしく普通な青年は少しだけ恥じるようにはにかんだ。



 「よく童顔って言われますし、初対面だとあんまり革命軍総長だって信じてもらえないけど、本物ですよ。……ああ、アルマ・ベルネット中将にでも聞いてもらえればわかると思う。一度交戦しているし。」

 「いや、こちこそ些か不躾に見てしまって、申し訳ない。」



 疑いはある。だが革命軍に入れていたヒルマが連れてきたのだから、もはや疑いようがない。彼女は早々にメンテ・エスペランサから離れて久しぶりに会った兄のすぐ横で待機していた。


 本当にこの部屋は妙な空間だった。王宮の一室とは思えない、あるべきではない者の姿。

 本来であれば敵軍の大将がここまで潜り込むことなど決して許されない。しかしながらすでに余裕も活気も失ったこの王宮ではただ一言ヒムロが「宰相閣下のお客様です」とだけ言えばだれ一人怪しむことがない。乞食のような恰好をしているが、情報局の捜査員だといえばだれも咎めないということもあるだろう。



 「まさか王宮にこれほど簡単に入れるとは思わなかったなあ。」

 「……皆もさすがに革命軍の総長がこんなところに来るとは思わないのでね。」



 王がいるのはこの王宮の奥の奥。そこまでになるとさすがに警備も厚く、誰も入ることはできない。たとえもし、ここでこの青年が裏切り、王のもとへ走ったとしてもたどり着くことは万に一つもないだろう。



 「君は、”涙を流す者”を信用しているのだな。」

 「それは、もちろん。そうでなければこんな危険なところへはこれないさ。」



 礼儀正しい青年は笑う。この青年をヒムロに殺させるにはきっと5秒もあれば事足りる。刀で抜きざまに切りつけるか、それとも首に手をかけ一思いにねじ切るか。青年には隙があった。素人の目にもわかるほど。だからこそ手を出させない空気もあった。我々のことを信用しているという証がそうさせた。なんにしても彼が裏切るそぶりを見せない限り我々が動くこともない。彼にはまだやってもらいたい仕事がある。むしろここで死んでもらっては困るのだ。そしてそれは、お互いに。



 「これから彼がすることについては?」

 「大方。大体のシナリオは想像がついているし、大筋は彼からも聞いている。」

 「……正気か?」

 「ええ、もちろん。気がふれているのであれば、私はきっとここへ来ることは選ばず、ただひたすらにあなた方を殺すことを選択したでしょうから。」



 疑いを持っていない。けれど盲目さも持っていない。どこまでも彼からは健全な雰囲気が漂っていた。だからこそ、この正気の沙汰とは思えない選択をしたことが信じられない。



 「……なぜ”涙を流す者”からの指示とはいえ、一度王国軍に捕縛されることが選べる。」



 この革命軍総長はあろうことか一度本当に王国軍に捕まることを選んだ。

 散々王国軍を手こずらせた革命軍、辛酸をなめさせられ多くの人的資源を削られることとなった革命軍総長が自ら王国軍に投降してきた。このような珍事、どんな歴史を漁っても出てくることはないだろう。



 「王国軍に捕まれば、必ず殺される。」

 「ええそうでしょう。僕は盛大に殺される。衆目に見える場所で。……メタンプシコーズ王国軍自管理局総統パシフィスト・イネブランラーブルは、もっとも効率のいい方法をたとえハイリスクであっても選択するでしょう。先代のアンタスさんのような愚策は二度と取らない。国民の中に紛れ込む革命軍、人々の心に燻る革命の意思を完全に折りにかかるでしょう。抵抗は無意味である、どんなことをしても王国軍に勝つことはないと知らしめる。」



 穏やかな目をした青年は滔々と語る。自らが殺される未来を、憂いも不安も動揺もなく、客観的に語って見せる。まるでその様を見てきたかのように。



 「無念では終わらせない。誰にも不可能であると、諦めを心に植え付けさせる。そのために、僕の死を皆に知らしめる。国民の目の前で、革命軍の目の前で、僕は殺される。総統は殺させる。」

 「革命軍の目の前で?それは一体どういう、」

 「だから派手に殺させるんだ。大々的に、メンテ・エスペランサが捕縛されたことを伝え、公開処刑の場所日時を報道させる。そうすれば必ず革命軍は来る。そして仲間達の心を折ろうとするでしょう。」

 「それは一度、」

 「ええ、もう一度、革命軍と王国軍の総力戦を演じるということですよ。」



 もう一度あの総力戦を演じる。

 革命軍と王国軍の総力戦は数年前のドラコニアでの大火炎の戦い以来行われていない。しかし双方ともに、あの頃の痛手を残しつつも、力を回復し始めている。このタイミングでの総力戦。それはもはやお互いの進退を確実に決めることになる。前回は未来のこともかんがみて、若い世代は参加させなかった。しかし今回はそうはいかない。おそらく本当の意味、兵一人残さない文字通りの総力戦となるだろう。



 「君を囮にしてか。」

 「ええ、僕が囮になって。王国軍はそれはそれは盛大に公開処刑を開いてくれるでしょう。今までさんざん革命軍、僕らに泥を塗られてきた。ぐらつく王国の威信を回復させるために、絶対的な力を見せつけようとする。そしてまかり間違っても負けることのない様に、心血を注ぐでしょう。」



 それは、文字通り囮だった。

 王国軍は革命軍総長、メンテ・エスペランサを捕縛する。建前として、メンテ・エスペランサが王の首を捕りに来たところを捕らえた、という形にする。つぶれた面子を回復するために、王国は間違いなく革命軍の長の処刑を大々的に行い、完全に革命軍を消し去る。おそらく、総長死後は掃討戦に切り替わることだろう。革命軍は必ず助けに来る。それを王国軍が待ち構えて迎え撃つのだ。大混戦、乱戦が予想される。敵味方入り乱れての総力戦、それも市街地で行われるであろうそれは甚大な被害が想定される。



 「……まあ、ここまでくれば僕の仕事はもうほとんどない。ここからは君たちについてでしょう。宰相殿。」

 「ああ、君が囮として処刑台にいる間に、彼が王の首をとる。」



 混乱の中、ヒムロが王の首をとる。


 ヒムロがそれに合わせて深くうなづいた。しかしヒルマはそれを聞いていなかったらしく、声にならない驚愕の声を上げていた。どうもメンテ・エスペランサは彼女には何も伝えずにここまで来たらしい。驚きつつも、口をつぐんだままなのはさすがと言えるだろう。



 「王の首をとったのち、処刑場へと向かう。むろんことが済み次第すぐに処刑場へと連絡はするが、やはりその首を見せるのが一番だろう。」



 メタンプシコーズ王国現国王、アルシュ・メタンプシコーズ・ロワの首をとる。あの青年の首をとることは決して難しいことではない。十分に信用されている、宮の最奥に入るとて、不可能ではない。しかしそれからが問題だ。もし騒ぎになれば王の首を持ち帰ることは難しいどころか、王が死んだことすらもみ消されかねない。そうなれば計画は水の泡。そのうえ今回の企みに参加するものは全員地獄の底へと送られることになるだろう。

 いまだ姿を見せない”涙を流す者”以外。



 「……だがもし、君が処刑される前までに王の死亡が伝えられない場合、王の首を持ち帰れない場合、王国軍の鎮静化が速やかに行われなかった場合、」

 「僕は死ぬよ。」



 青年は軽々しく、全く朗らかにそう言った。

 それはまるで死という事象についてとらえきれていないようにも、その事象そのものを悟りきっているようにも見えた。



 「……君は、死ぬかもしれないのに、仲間たちには何も言わずに出てきたのか。」

 「ええ。人の口に戸は立てられない。ありとあらゆる警戒をする必要があり、この計画について口にできるのは関係者だけだと思っているよ。……もし、万が一のことがあれば仲間たちには本当に申し訳ないと思う。」



 今、革命軍にはトップがいない。今でこそ彼らは一時的に離脱している程度にしか思っていないが、もし彼が死ねば間違いなく革命軍は崩壊する。アンタス・フュゼの時と同じくしばらくしてからきっと再び息を吹き返すのだろうが。

 何も知らないところで、何の相談も受けないまま、総長が処刑される。それはどれほどの傷跡を残すことになるか。



 「けれど、彼からの提案が最も可能性が高いものだと思う。僕たちだけでやるには限界がある。でも貴方や彼からの助けがあるならば、きっと僕らは最善手をとることができる。たとえ直後国が荒れたとしても、太平の時が来たとき僕らは決して後悔しない、そんな選択だ。」



 まだ年若い青年は、どこまで見通しているのか。電話で話している時も度々感じていたが、この青年はどこか老成している。熱意に溢れる若者にしてはあまりにも完成された人間だった。それこそ、この地位で足掻く自身と比べても。



 「……もしここで、私が君を殺したとしたら?」



 その可能性は決して0ではない。私が裏切れば、ことは一瞬だ。”涙を流す者”の計画は総崩れとなり、革命軍は爆発する間もなく、ただ頭をとられる。それは最善ではない。その先に新たなものはない。けれど私が私利私欲に走ったならば。

 青年は琥珀色の目を丸くした。虚を突かれたようなその顔は今日見た中で一番幼く、ただの子供のように見えた。



 「まさか、ありえないさ。」

 「ありえなくは、ない。」

 「いいや、ありえないよ。決してない。僕らは誰一人裏切らない。不測の事態による失敗はあっても明確な意思を持って裏切るものはいない。僕も、貴方も、彼も、アルマ・ベルネットも。裏切りによるメリットよりも、成功の先の未来の方がずっと輝かしい。そして何より、」



 青年は笑う。



 「僕らの後悔は、これで終わりだ。もう”涙を流す者”はいなくなる。」



 自分よりずっと年下の青年は、老獪のように笑った。

 彼の言う意味が分かるものは、きっとこの部屋の中にはいない。だがわかる。彼の言葉は明確に”何か”を指しているのだと。


 そして未だ姿を見せない”涙を流す者”の正体を、彼だけが知っている。

 秘匿されているようで、思わず眉間に皺を寄せるが、思考をかき消すように部屋にノックの音が響く。


 二回、続けて三回鳴らされる音。全員が扉へ注目した。

 計画に関わる者にのみ伝えられたノック。

 ここに来る予定となっていたのは宰相、宰相補佐、革命軍総長、ヒルマ、そして”涙を流す者”だけだ。


 ヒムロに視線をやれば無言のまま扉を開いた。



 「……貴方はっ、」



 思わず、といった風のヒムロの声。その声のおかげで驚愕の声は何とか飲み込んだ。

 絶句する面々の中、若き革命軍総長だけが笑みを深めた。



 「やぁ、待ってたよ。”涙を流す者”。」

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