真っ白な黒い箱 (3)
今回、”涙を流す者”から手紙を受け取ったアルマ・ベルネットとの接触を試みたのは”涙を流す者”から指示ではなく我々の独断であった。それはアルマ・ベルネットという青年の不可視さからくる警戒であって、この接触により何かが大きく動いたり、今すぐ何らかの連携が必要になるわけでもない。
「最新の指示、というよりも継続的なものになるが、革命軍総長メンテ・エスペランサと連絡を密に取り合うことだ。」
「……まだこれと言って行動に移さないということが。」
「それから、宰相閣下に対して王と話をするように、と。」
「王と……?あの引きこもりか。」
「口が過ぎる。」
アルシュ・メタンプシコーズ・ロワ。メタンプシコーズ王国の国王。一軍人に引きこもりと称される王は表に顔を出すことがほとんどない。香の焚かれた宮の奥深くに篭り、最高権力者として戯れに民を、命を弄ぶ。
この世に顕現した悪そのもの。
「顔を見たことは?」
「……ない、な。軍の式典で一度、御簾越しに遠くから見たことがあるくらいだ。顔は知らん。ただ存在していて霞や煙でないことは知っている。」
実体のない権力者など、いったいいつの時代の話だと笑われそうなものだが彼の男に関してはそれも笑えない。とにかく表に出てこず、大臣たちでさえ彼の気が向かない限り謁見することはかなわない。よくて御簾越し、最悪斬首だ。
「私もほとんど会ったことはないが浮世離れした妙な男だ。鷹揚かと思えば苛烈、己のみが正しいと信じて疑わない自信家。」
「まともに為政も行わないのに自信家とは結構なご身分だな。」
吐き捨てるように言うアルマ・ベルネットに、そもそもこれが国民としての感想なのかもしれないと感じた。彼のように軍人でなくとも、政を執らない為政者など存在価値がない。むしろただ徒に税を巻き上げる害悪でしかない。彼とて軍人である前に一人の国民だ。軍に入る前は一般人として地方の町で暮らしていた。そんな彼からすれば正しい為政をしないあの王は唾棄すべき存在だ。
「宰相閣下は先日陛下のところへ、革命軍に関する諸事についての奏上に行かれた。そこで革命軍との交渉について提案するも却下された。」
「だろうな。」
「だが閣下は陛下よりいろいろな話を聞いてきたらしい。」
「いろいろ、とは。」
「様々だ。メタンプシコーズ王国とは何か、王政と共和政について、王とは何たるかについて、などな。珍しく陛下は随分と饒舌であられたらしい。」
謁見から帰ってきた宰相閣下はいつも以上に執務に熱が入っていたが、どこか煩悶されているらしかった。私はあまり政治には精通していない。私に対してもあれこれと聞いたことを話してくださったが、私に理解できたのはきっとその3分の1程度だろう。故に、何に対して閣下が懊悩されているのか私にはわからない。
私は、閣下から聞いた陛下の話を、正しいとは思わなかった。天災は試練であり、革命軍は愚かな幼子の反抗。何が起きてもこの国が倒れることはない、王たる己がいる限り。そんなはずがない。この国を構成する国民を守れずして何が王か、何が国か。国民がいなくては国は国でいられないというのに。
私に政治はわからない。けれど何もしない王が正しくないことは自信を持っていえる。
だが閣下は考えておられるようだった。曰く、あれは阿呆でも狂人でもない、一つの王の形であり、思想家である、と。曰く、その言葉のすべてを一笑には付せぬ、と。
「私に政治はわからない。思想や善悪もわからない。私にわかるのはただ目の前にあるものだけだ。」
「……概ね同意しよう。政治など、わかる奴にやらせておけばいい。門外漢が手を出したところでろくなことにはならん。」
その辺りはきっと彼と同じだろう。定石よりも臨機応変さや単独行動を好む彼は上に立つよりも自ら武を振るい、自らを矛とすることを望むタイプだ。だが思う。だとしたら今の彼は本来望む立ち位置にいないのではないか、と。
誰のために刀を振るか。軍人としての模範解答は、国のため、国民のため。彼ならばきっと、死なせたくない誰かのため。その誰かのために、力を求め、地位を求めた。そして地位を求めた結果、彼に指示を出すような上官はいなくなった。基本的に本部の部隊単位は十二中将下で動く。そしてアルマ・ベルネットは今中将である。上官に当たる人間は大将であるフスティシア・マルトーと王国軍総統であるパシフィスト・イネブランラーブルの二人だけである。指針や任務こそこの二人のどちらかから発せられるが、それは彼が求めているものではない。結局、戦場での指針は自らが全て決め、そして部下たちを動かす。中将という地位に来ることは並大抵のことではない。故に部下に指示を出す能力、指揮官としての能力が欠如しているとは思わない。ただ彼にとって今の立場はきっと”しっくりこない”だろう。少なくとも、彼がもっとも能力を発揮する場所はそこではない。
「貴殿は……、」
「なんだ?」
「いや、貴殿の方に届いた”涙を流す者”からの手紙には何が書いてあったんだ?」
今考えることは、そこではない。少しでも有益な情報を上官殿に持ち帰らなくてはならないのだ。
アルマ・ベルネットの目的は”誰かを死なせないこと”その目的の延長線上に王政の打倒が転がっている。最重要事項ではないにしろ、協力が得られ、なおかつ裏切られることも恐らくない。その在り方がクリアになったとは言い難い、最低限の信用はおけるだろうと判断できる。
そしてもう一方。全くわからない動きをする”涙を流す者”についてだ。いったいどこで情報を集めてきているのか定かではない。革命軍に、王政府の中枢に、王国軍に紛れる反旗の気配に、なぜピンポイントで接触することができるのか。それがわからないにしろ、複数人に送られた手紙をつなぎ合わせれば、”涙を流す者”の見ているものが見えてくるのではないかと考えたのだ。
しかし青年は眉を顰める。
「どうした?」
「……別に言ってもいいが、たぶんわからないと思うぞ。俺ですら解釈の仕方が正しいのかも怪しいところだ。」
「……いや、構わない。わからなくとも閣下に内容だけでも伝えておく。」
頭を使う部分を香も閣下に丸投げしているとさすがに申し訳なさと自らの至らなさに恥ずかしくなってくる。
アルマ・ベルネットは少し悩むようなそぶりをしてから、思い出すようにたどたどしく言った。
その国は遥か昔、神龍により作られた。
龍はその手で土を集め、その足で土を踏みしめ大地を固め、恵みの涙を流した。涙により大地は緑に覆われ豊かな土地が作られた。そして真実と罪を秤に乗せ両方を併せ持つ人間を作り大地に置いた。島国を作り上げた龍はその翼で舞い上がり星の元へと上っていった。龍に作られた人間たちは龍の住む星へと死後帰り、そこで生まれながらに持つ罪を清算しなければならない。この国には手、足、涙、秤、翼、五つの『神龍の宝』という神宝が今も存在する。
「……星龍会の聖書か。」
「ああ、ここまではな。」
以上は作られた歴史である。
その昔、龍は海に舞い降りた。散り散りとなっていた島を、龍はその手でかき集め、一つの大きな島とした、その足で島を踏みしめ大地を固めた。そして真実と罪を秤に乗せ両方を併せ持つ人間を作り大地に置いた。島国を作り上げた龍はその翼で舞い上がり星の元へと上っていった。
それから数百年後、再び龍はその島を訪れた。島は栄えていた。しかしそこに暮らす人間はあまりに罪を蓄えすぎてしまった。憎しみを、色欲を、暴食を、怒りを、傲慢を、怠惰を、嫉妬を持った人間たちは争い、奪い、時に命を失った。龍が持っていた秤に、この世の真実と罪を乗せると、秤は罪へと傾いた。
そして龍は涙を流した。自らの作り出したものに失望し、悔いた。龍の涙は海へと流れ、みるみる島は沈んでいった。
龍の涙が枯れるころ、再び龍は大地を作り上げたのだった。
「……なんだ、その話は。」
「わからない。しかも手紙に書いてあるのはこれだけだ。指示も何もない。」
物語、いや改変された神話一つのみ。
伝えられている神話と変わっているのは神宝の一つ”涙”についてだ。涙が意味するのは大地への恵みではなく、そこに作り上げたものへの後悔。
「”涙を流す者”と名乗るこの名前の由来が星龍会の神話から来ている、わかるのはこれくらいか……?」
「ああ、しかもこっちの改変された神話について調べようにも情報がありそうな聖地ドラコニアは焼け野原。教典の類も残っていない。試しに星龍会の信徒にこの話をしたら『邪道だ』と烈火のごとく怒られた。熱心な信徒でも知らないなら、”涙を流す者”の創作神話か、秘匿されてきたもう一つの教典か。」
熱心な信徒、と言うのは彼の交友関係からして恐らく同期のヴェリテ・クロワールだろう。クロワールは確か宗教貴族で、彼の扱っているメイスからのその信仰の厚さがわかる。戦い方も苛烈であり、粗もあるが近日中将に昇進することが決まっている。
「一応閣下にも聞いておこう。年代の問題もあるかもしれない。」
有用な情報、かはわからない。だが何の指示もなく、ただこれだけの手紙というのがやはり引っかかった。何か特別な意味があるに違いない。
「何か心当たりなどはないか。その文から比喩されるものや連想されるものは。」
「……とくにはないな。ただ星龍会の引用というのが、カルムさん関係で揺さぶりをかけているのかもしれない、が実際のところはわからない。少なくとも”後悔”だとか”涙”だとかには覚えがないな。」
カルムクール・アムの関連でこの言葉を出してきているのであればやはり王国軍関係者なのかもしれない。何より、他の誰にも星龍会を彷彿とさせるような内容の手紙は送られてきていないのだ。革命軍など、秘匿されてしまえばわからないのだが、長いこと手紙を受け取っている宰相閣下のところにそう言った内容の手紙は一度もなかった。
「涙、後悔……、」
王国軍内で涙や後悔に関するような人間を探すがまるで見当もつかない。王国軍上層部は誰もかれも鉄の心臓を持っていそうな、心身共に猛者ばかり。涙とも後悔とも無縁な輩ばかりだ。かつての同期、今の王国軍大将だってそうだ。涙を流すくらいなら一度でも多く槌を振り下ろす方が良い。後悔をする暇があるなら前を向いた方が良い、と。遥か遠い記憶の霞掛かった中、彼が言っていたような気がした。
「……何かわかったら言ってくれ。またこちらでも動きがあれば知らせる。」
「そうか助かる。」
「それと恐らく私だけでなく閣下も貴殿にお会いしたいと考えておられるだろう。宮の方へと呼び出すようなこともあるかもしれない。」
「了解した。だが今日のようなのはやめてくれ。もう少し穏便に頼む。」
「そこはまあ……努力しよう。」
呼び出すうえで怪しまれないような建前を用意しなくてはならない。壁にかかった時計はもう余裕がないことを示していた。
「そろそろ時間だ。失礼する。……それと最後に良いか。」
「構わない。」
「……あんた、戦場に出たのドラコニアが最後じゃないだろ。」
少しだけ責めるような目で見る彼は先ほどよりも少し幼く見える。いや私が椅子から立ち上がって見下ろしているせいかもしれないが。
「”戦場”に出たのは、あれで最後だ。」
「嘘はついてない、か。宰相殿の右腕の職範囲というのは随分と広いらしい。」
バンクと呼ばれた3番部隊の軍人や他の彼の部下たちが、彼のことを可愛がっているのにも少し納得がいった気がした。風に聞く鉄面皮の冷血漢は近くで見れば随分と小さく、幼い顔で私たちを見上げる。
「すべては宰相閣下の御心のままに。」
いまだその姿、明瞭には捉えることはできないが、信用するに値すると判断できる。
目的は違えど、その実直な様子は我々を裏切ることはない。彼の言う”死なせたくない誰か”があの高慢な王でもない限り。
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「ふうん、へえ、ほおー?」
様々な機器に囲まれ埋もれるようにしている女がわざとらしく感嘆の声を上げた。
「……盗み聞きとは、大変良いご趣味をお持ちなのですね。」
「でっしょー?趣味と実益を兼ねてるとか超お得!」
つい先ほどまで室内に流れていた会話は王国軍本部のとある会議室でのものだ。
王国軍十二中将の三番中将、アルマ・ベルネット。
王政府宰相リチュエル・オテルの副官、ヒムロ。
「どうしようか。私たちものすごーく大事な会話を聞いちゃったねえ。王国の中枢で息をひそめる鼠が何匹も。それもあの革命軍とつながりを持っていると来た。さあどうしようか!」
最悪のタイミングで会話を盗聴された二人をいっそ哀れに見える。この世の悪魔というものは、まるで人畜無害の顔をして近づき、時に掠め取り時に奪い、時に身に余るものを与え時にそそのかす。それから人々の頭上で高笑いをするのだ。