終局開幕最終章
「にしてもアルマくん。宰相閣下たちから怪しまれてるなら恰好の建前があるのになんで言わないのかなぁ?」
「建前……それは彼にとって王政府を恨む理由がある、ということですか?」
「そーだよ。あの子ははねえ、いくつだったか……8歳の時かな。そのときに王政府に家族を全員殺されて故郷も燃やされたんだ。」
凄惨な過去を語っているというのに、彼女はいつも通り薄ら笑いを浮かべている。
頭の中で調べ上げたアルマ・ベルネットに関する情報を並べる。しかし彼女の言う王政府による家族鏖や故郷が燃やされたという情報は出てこなかった。8歳、それは彼が王国軍の雑用として勤めるようになった齢だ。彼は一人でいるところをラルムリューにて王国軍、かつての3番部隊のカルムクール・アム率いる少佐小隊によって拾われた。と、報告書には書かれていた。確かそのとき、このアッセン・ディスフラースもまたその小隊に同行していた。
「そのような情報は、」
「ないよねぇ。だってカルムくんが隠したんだもの。全部隠蔽。アルマくんが万が一にも王国軍から疑われないように。……彼の本当の出身地はフェールポール。」
確かもう随分になる。鉄のよくとれる高山地帯フェールポールとそれを輸入して武器を作るアルムファブリケという二つの街が戦争をした。そしてそれを仕組んだのは政府だった。どちらの街も、今はもうない。誰一人として住んでいない、荒れ地だ。
アルマ・ベルネットがラルムリュー出身だという情報はどこをひっくり返してもなかった。私の記憶にないということはおそらく住民票にすら記載されていなかったということだろう。本来であれば私が王国に管理される情報について知らないことがないはずなのだが、この女性が一枚噛んでいるというのなら納得だった。もう10年以上も前の話だが、当時の彼女もまた十二分に現在の片鱗が見られたということだろう。
「……情報局の魔女、と呼ばれているのはご存知ですか?」
「私が知らないとでも思う?」
情報局はことごとく曲者ぞろいでその正体を情報局関係者以外が掴むことは難しい。そしてそれは同じ王政府に所属する軍事管理局や医療技術局すらも知らない。ある意味独立しているとも言える。そしてその中でも情報局きっての曲者がこのアッセン・ディスフラースだった。柔和な笑みを浮かべ、警戒心を薄れさせる言葉を操り人の懐に入り込む。さらに言えば、彼女にはおそらく良心というものを持ち合わせていない。情報奪取のためなら一切の躊躇も情けもない。それどころか目的のためなら仲間を陥れることにすら抵抗はない。
「貴女は確か今情報局の副長でいらっしゃいましたよね。」
「ああそうだよ。それが?」
「情報局局長のお姿をしばらく見ないのですが、行方をご存知ですか?」
「知らないなあ。」
情報管理局の局長の姿をここ三か月ほど見ていない。情報局関係者が黙って姿を消すことはそう珍しくはない。そして情報を掴んでしれっと戻ってくるのだ。しかし局長が姿を消す、というのは前代未聞。
チシャ猫はまたいった。
「……知らないなあ。」
「……次期局長おめでとうございます、とでも言っておきましょうか。」
「えへへへ、ありがとー。あのおっさんさぁ、随分と局長の座に居座って本当に邪魔だったんだよね。副長になるまでは早かったのにあいつの所為で天辺になるのが予定より遅れちゃったよ。」
悪びれもしない彼女はきっと局長の居場所を知っているのだろう。情報局は独立しているも同然。その中で行われることに部外者は口出しできない。きっと情報局の誰もが知っているだろう。彼女は幾重にも張り巡らされた策略によりここまで上り詰めたのだと。
「彼はどちらへ?」
「だから知らないって言ってるじゃない。そんなつまらないことよりさぁ。これからどうするんだろうね。王政府中枢、王国軍事管理局中枢、情報管理局中枢、革命軍中枢に手紙をばら撒いた。敵同士であるはずなのに手を組むように唆し、そして今すべてがつながった。すべては彼の思いのまま。彼の望みをかなえるのに、これで役者が全員そろった。」
これで揃った。役者が。
「さてシリウスくん。君はいったいどこまで知っているんだい?」
「私は、何も。」
「ふぅん。……君は誠実正直、という印象があるが、こればっかりは信じられないなぁ。」
「貴女に信用できない、と言われるのは少々堪えますね。」
すべての情報を持ち、人を掌の上で意のままに動かそうとする彼女には。
「ですが私は本当に何も知りませんよ。あの方は私には何もお教えにはなりません。」
「じゃあ君は何も知らないで、その真意すらも探ろうとしないであの人の手足になってるっていうの?忠心は結構だけど、そこまで行くともはや馬鹿馬鹿しいとは思わないかい?」
呆れたように笑う彼女はきっと私のことを煽っているつもりなのだろう。しかし彼女が何をしても何を言っても、求めるような情報が私の口から出ることはない。
私は本当に、何も知らないのだから。
「馬鹿馬鹿しいなんてそんなまさか。あの方は私に何一つ教えようとはしません。ただ黙々と仕事をこなし、ただあの方に寄り添う。私に求められているのはそれだけです。私に対して理解、諫言といった類は求められていません。いえ何より、あの方のなすことすべてが素晴らしいのですからそういったものは必要ないのです。そして私にはあの方のお考えについて知り、考えるということも必要とはされていません。」
「……じゃあ君は自分が国家転覆の片棒担がされているってことは自覚しているのにその具体的内容すらも知らないの?ばれてしまえば自分が凄まじい大罪人になってしまうのに?」
おかしなことを言う。そんなことを言ってしまえば皆今の状況は同じだ。きっと誰も彼も、舞台に上った役者たち誰一人として脚本については知っていない。与えられた虫食いだらけの台本を手に自らの欲望と相談しながらその役を演じようとする。脚本家の意図も、未来も何も知らない。それでも舞台から降りることなく演じ切ろうとしているのだ。
「大罪とかそういったものはどうでも良いでしょう。それを罪とするのはいずれなくなる国家。倒されるべき国家の定めた規律など、守るに値いたしません。それに、」
「それに?」
「情報を与えられず、それでもなお忠実に働くそれこそが忠義に証です。相手が裏切るかもしれない、道を違えるかもしれないと考えると、ことを話し理解を求めます。それこそ革命軍のように同じ志を持つことこそが一蓮托生の形、絶対に裏切ることのできぬ運命共同体へとなることができます。しかしあのお方は私に何も仰らない。つまりどのような状況であろうと事情であろうと、あの方は私が裏切ることは決してないとお考えなのです。私のことを信用してくださっている!しからば私もまた、何も聞かず、何も探らずただただあの方の求めるがままに動く。それこそが最高の信用の返答にございましょう。」
あの方は私に多くを求めない。ならば私も求めないという形でその信用に報いるのだ。
何も知る必要はない。私はただあの方の言葉を信じ動けばいいことなのだから。
「よく躾けられてる、って思ったけどそれだけじゃないらしいね。いやはや、なんでこう誰かの右腕っていう立場の人間はことごとく盲目的な変態が多いんだろうね。お上の方々より君たちの方がはるかに扱いにくい。何考えているかわかるけど理解ができないからね。」
理解ができない、という言葉に思わず眉を顰める。むしろ彼女の方が何を考えているかがわからない。
アッセン・ディスフラースは何の思想も語らない。何の希望も語らない。なざこうして我々に手を貸すのかもわからない。
宰相であれば正しき政を、革命軍であれば正しき世を、王国軍であれば正しき武を願う。
だが彼女にはそれがない。彼女が口にした希望と言えば、情報管理局の局長になることだけ。そしてそれはすでに彼女の手によって叶っている。彼女は何の利もないのに手を貸しているのだ。この何を考えているのかわからない彼女は一体何の思惑をもって我々に手を貸しているのか。故に手放しで信用することができない。ある重大な局面において、彼女が隠された願いのままに動いたとしたら。そのような心配はたえない。
ただその心配すら無意味である。
あの方は何も語らず、何も語らせず、ただこの笑う者を一片の疑いもなく信用しておられるのだから。
「理解など……ただ私はあの方の望むがままにあるのですから。」
「そう、まあいいけど。……それで?シリウスくんも彼も忙しい身、まさか私とおしゃべりをしに来たわけでもアルマくんたちの会話の盗み聞きに参加しに来たわけでもないでしょう?」
ほらほら、と小さな手をこちらへ伸ばす彼女が、彼の方からの手紙を欲しているのは見て取れる。しかし私は今回手紙は持っていない。
「本日は、”涙を流す者”からの手紙は預かっておりません。」
「あれまあ。じゃあ私は次にどうしたらいいの?勝手に動いていいのかな?」
彼女は手紙がなければわからないという。しかし彼女はもうすでにあの方のしたいことも、これからすべきことも、何もかも承知しているように見えるのだ。そのうえでこちらをうかがっているように。
「……後日、直接会ってお話をしたいとあの方は仰っておりました。」
「へぇぇええ?ついに?今まで頑なに姿を隠し続けた彼がなぜ今!……いや、今だからこそか。」
役者はすでに出揃った。舞台もすでに整いつつある。
「いよいよ終局かぁ。役者は全員出揃った!皆が一斉に王都に集まる!たくさんの観客!上がる悲鳴、怒号!地獄絵図!まさに地獄絵図だろう!それを脚本家はもっとも見晴らしのいい場所で眺めるんだ!策略陰謀欲望後悔の坩堝!」
願いのままに舞台上に引きずり出された役者たち。その誰もが己こそが正しいと信じて疑わない。
願いをもち、正しいと信じ、そして脚本家により知りながら振り回される。それが道の一つであると信じて。けれど今やここは現実という背景のもとで行われる壮大な舞台だ。この情勢はすべて一人により作られ、そうして今その手により終局を迎えようとする。
彼の方は脚本家でありながら舞台役者である。しかしその役は本当に小さな脇役に過ぎない。壮大な終局においてその脇役は大した意味を持たない、そう仰った。何の力も持たず、何も変えることはできない。故に、本当の正しさを遂行するためには他の役者たちにその仕事を担ってもらわなければならない。
「……最終局面にございます。ここからは一点の失敗も想定外な事案も許されません。皆々、己の仕事を全うし、狂いなく終幕へ向かわなければなりません。それが私の知っているあの方の脚本の一部にして根幹です。すべてが滞りなく進んだとき、この世は正しき世界になります。」
「正しき世界!いいねえ!全く彼が考えそうなことで且つ彼らしくない考えだ!何が彼をこうも臆病足らしめたのか!何が彼にそんな考えを齎したのか!全く不思議でならない。シリウスくん、君のそう思うだろう?」
「……さて。すべてはあの方の望むまま。もう二度と涙を流すことも、後悔をされることもない世界になるということです。」
これにて最終章。この世にはダ・カーポもダルセーニョも用意されていない、一回きりの世界である。
彼の方が人生を費やして作り上げた脚本が、これで終わりを迎える。ならば私もまた喜んで、その終局に向けて調整をしていこう。
「……後悔のない世界、ね。本当にないの?今までの脚本に本当に無駄がなく、一片の後悔もないの?」
「当然でしょう。それほどまでにあの方は綿密に脚本を練られてきた。それは来るべき日の世界のために。そこにある世界はサンスーシーであることは約束されています。」
「ふぅん?じゃあ一つ質問とお願いをしてもいい?」
「……聞くだけであれば。」
不穏な空気を感じ取る。彼女は今から間違いなく、あの方の脚本にはきっとないような突拍子もない話をする。それは予測不能の不確定要素。終局まできて今更一石を投じようとする。小さな石でも、線路の上に置かれれば列車はたちまちレールから外れる。
「死んだ人は生き返ると思う?」
「死とは不可逆な存在でございます。一度死んだ者は、二度と生を与えられることはありません。」
「だよねえ。私もそう思う。そう思っていたよ。いつかカルムくんに話した時にも言われた。死とは不可逆だと。」
脈絡がなく、戸惑う。なぜここですでに死んだカルムクール・アムの話がでるのか。彼はすでにこの舞台から降りている。そして舞台上に二度と上ることのない役者だ。それをなぜ、今更。
「お願いっていうのがさ、カルムくんのお墓を暴いてきてくれない?」
「は、」
「あの墓の中に、彼は本当にいるの?」
「何を言って、」
王国軍本部の裏手には殉死した軍人たちの眠る墓地がある。そしてその一つにカルムクール・アムの墓もまた在る。戦争によって遺骸が戻らなかったものは石碑だけであるが、彼の遺骸は戻ってきているため、その墓石の下には他でもない彼の身体が入っている。
入っているはずだ。
「……いないはずがない。多くの人間が彼の遺骸を見た。そして葬送されるところも、埋められるところも見ている。彼が、彼がいないはずがない。」
「そうだねぇ。誰もが見てた。私も彼の遺骸は見たよ。友達だからね、葬儀にも参列した。彼のことを慕っていた部下たちやラパンくん、アルマくんたちも見た。冷たくなった彼を。」
「そう、」
「でも一度だけ、一瞬だけ誰も見ていない時があっただろう?」
誰も見ていないとき。
遺骸は滞りなく、衆目の目にさらされながら埋められた。皆に嘆かれながらその体は本部に戻ってきた。
「っまさか、」
彼はコンケットオペラシオンでただ一人戦った。会議に参加していた有力貴族や議員たちを避難させ、部下たちはその避難を誘導した。その間、彼は一人で革命軍を押しとどめ、結果、王国側の死者はただ彼一人のみだった。
皆、彼をおいて逃げたのだ。そして物言わぬ身体となった彼を連れ帰った。
誰一人として、彼が死ぬその時を見た者はいない。
「死んだのは本当にカルムくんだったのかい?」
「…………、」
「さて、ここまでだ。これはただのお願いだし、非常識且つ許されない暴挙をお願いしているんだから君にはもちろん彼にも断る権利はある。何より私の妄想かもしれないからね。」
「……いえ、貴重なご意見ありがとうございます。会合の日程についてはまた追って連絡いたします。」
「はぁいありがとうね。君も頑張って。」
ひらひらと手を振る彼女はもう私の方を向いていなかった。しかし背けられていてもわかる。彼女はきっと今笑っている。心底楽しそうに。その口角を釣り上げてその特徴的な八重歯を見せながら。
扉を閉めても彼女の言葉が耳から離れなかった。
終局、最終章。誰の邪魔も許さない。
「不安要素はすべて、排除しなければ。」
すでに舞台を降りた役者。その役者には舞台に再び登る権利など与えられていない。




