寿綾乃という女 第2部 8
「…なにを、考えてるの? …綾乃さん…」
ちょうど、見舞いにやって来た、藤原ナオキが、私に聞いた…
「…どうして、そんなことを聞くの?…」
「…最近、綾乃さんを見ると、なんだか、楽しそうだから…」
ナオキが指摘した…
さもありなん…
私の担当の二人…
医師の長谷川センセイと、看護師の佐藤ナナのやりとりが、面白く、実に楽しかった…
私は、この病院で、ベッドに横になってるだけなので、他に、刺激もなにもない…
だから、余計に、この病院の人間関係だとか…
そういうものに惹かれる…
あるいは、
自然と、興味を持つ…
その中で、自分の担当の医者と、看護師の女性の仲が、見ていて、楽しかった…
微笑ましいというか…
一方が、もう一方を好きなのに、一方は、まったく気づいていない…
それが、面白かった…
やはり、人生は楽しむに限る…
そして、今の私のように、病院のベッドの上で、寝ているだけでも、このように、人生を楽しむことができる…
そう考えると、つくづく、生きていて、良かったと思った…
だから、
「…生きていて、良かった…」
と、ポツリと言った…
「…だから、楽しいの…」
私は、答える…
私の返答に、藤原ナオキは、納得したようだ…
「…それは、良かった…」
ナオキが、言った…
「…綾乃さんの表情を見れば、楽しいのが、わかる…なにが、楽しいか、わからないけど…」
「…それは、秘密…」
「…秘密?…」
「…冗談よ…この病院の私の担当の看護師の佐藤ナナさんという女性が、私の担当の医師の長谷川センセイを好きみたいなの…でも、長谷川センセイは、まったく、彼女の気持ちに気付いていない…それが、面白くて…」
「…なるほど…」
「…でしょ?…」
「…それで、綾乃さんは、どうするの?…」
「…どうするって、なにを?…」
「…綾乃さんが、二人の恋のキューピッドに立候補するの?…」
思いがけないことを、ナオキが言った…
「…私も、まだ、そこまでは、考えてなかった…」
正直に言った…
「…それに…」
「…なに?…」
「…私は、ただ、ベッドの上から、二人の関係を見ただけ…実は、二人とも、付き合ってるひとがいるかもしれない…」
「…なるほど…」
「…男と女の関係は、わからない…仮に佐藤ナナさんに、付き合っているひとは、いても、長谷川センセイに惹かれることはある…」
言いながら、ふと、このナオキが、佐藤ナナと、すでに会っていながら、覚えてないことを思い出した…
「…ナオキ…アナタ…佐藤さんと、会って、二度目でも、彼女と以前、会ったことを、忘れていたでしょ?…」
私は、怒った…
私の指摘に、藤原ナオキは、考え込んだ…
「…そうだったかな?…」
と、考え込んだ…
「…申し訳ないけど、覚えていない…」
「…ナオキ…アナタ、有名人でしょ?…」
「…」
「…だから、余計に気をつけなくちゃダメ…アナタが、一度会っただけで、相手を覚えてなくても、相手は、アナタを覚えている…それをいつも念頭に置いて、行動しないと…」
私の指摘に、
「…至極、ごもっともな意見…ありがとうございます…」
ナオキが、おどけた…
「…やっぱり、綾乃さんだ…意識が、戻らないときは、心配したけど、だんだん、いつもの綾乃さんに戻ってきた…」
ナオキが楽しそうだ…
それから、表情を引き締め、
「…だが、綾乃さんの担当なら、ボクも覚えてると思うけど…」
と、言った…
私は、ナオキの言葉に、もしかしたら、諏訪野伸明と、混同してるのかも? と、思った…
佐藤ナナは、この病院の理事長、菊池冬馬と、諏訪野伸明が、私の見舞いにやって来たと言っていた…
それと、混同しているのかも、と気付いた…
が、それを今さら、私の口から、言うわけには、いかない…
自分の過ちを、認めるわけには、いかない…
私は、ズルい人間ではないが、このときは、言わない方が、賢明だと、判断した(笑)…
が、
ナオキは気付いた…
「…それって、もしかしたら、諏訪野さんと、混同してない?…」
と、告げた…
私は、驚いた…
ナオキの指摘に目を丸くした…
「…当たらずといえども、遠からじというところかな…」
ナオキが、自信満々に言う。
「…どうして、そう思うの?…」
「…ボクと諏訪野さんは、タイプが似ている…共に背が高く、自分で言うのもなんだが、イケメン…それに年齢も同じ四十代前半だ…」
「…」
「…だから、綾乃さんの担当の看護師の方が、ボクと諏訪野さんを混同しても、おかしくはない…」
ナオキが至極、真っ当なことを言う…
「…それに、ボクが、女好きだということを、綾乃さんは、忘れてるよ…」
ナオキが、笑わせた…
「…ボクは、自分で言うのも、なんだけど、美人には、目がない…だから、綾乃さんの担当の看護師の女性が、色が浅黒い美人だということは、覚えてるよ…」
私は、ナオキの返答に、
「…」
と、言葉もなかった…
おそらく、ナオキの指摘は、その通り…
その通りだからだ…
女好きな男は、美人は忘れない…
一度会っただけの美人を、簡単に忘れることはない…
これは、女も同じ…
イケメン好きな女は、一度見たイケメンを、簡単には、忘れない…
そういうことだ…
だから、あの藤原ユキコは、一度会ったイケメンは、容易に忘れないだろう(笑)…
それを、思い出した…
現実に、ユリコは、長谷川センセイに興味を持った様子だった…
長谷川センセイが、背の高い、イケメンだからだ…
ユリコのターゲットにピッタリ…
もろに、ストライクゾーンに違いない…
なにしろ、ユリコは、今、私の傍らにいる、藤原ナオキの元の妻だった女だ…
長谷川センセイと、藤原ナオキも、長身のイケメンという共通点がある…
年齢は、長谷川センセイが、藤原ナオキより、十歳若いが、タイプは同じ…
だから、ユリコが惹かれるのは、わかる…
そして、それを言えば、ジュン君の本当の父親も、また、藤原ナオキに似たタイプの男だといっていた…
それゆえ、ユリコは、藤原ナオキが、ジュン君の息子といっても、問題ないと、思ったと、告白した…
バレないと思ったと、言うのだ…
それを考えると、ユリコの男の好みは、常に、長身のイケメンということになる…
それを、考えた…
「…なにを、考えてるの? …綾乃さん?…」
ナオキが聞く…
私は、今、思っていたユリコのことを、言おうとしたが、止めた…
今さら、ユリコのことを、話題にしても、仕方がないと思った…
なにより、ユリコが、以前のように、私に、あれこれちょっかいを出しているわけではないからだ…
それより、五井家の内紛のことが、気になった…
ナオキは、五井家の内紛を掴んでいるのだろうか?
それを、知りたくなった…
だから、
「…諏訪野さん…諏訪野伸明さんのこと…」
と、言った…
「…諏訪野さん?…」
「…ええ…諏訪野さんが、五井家の内紛について、語って…ナオキ…アナタ、知ってる?…」
私の問いに、ナオキは、無言で、首を縦に振って、頷いた…
「…知ってる…」
短く言った…
「…なにより、諏訪野伸明さんから、直接聞いている…」
これは、驚きだった…
まさか、ナオキが、諏訪野伸明さん、当人から、相談を受けていたとは、思わなかったからだ…
「…諏訪野さんとは、以前、諏訪野マミさんが、ボクに、興味を持って以来、知り会って、それ以来、定期的に、交流している…」
そうだった…
諏訪野マミは、雑誌の対談で会った、藤原ナオキに一目惚れ…
積極的に、ナオキに、アタックした…
しかし、実のところ、それは、諏訪野マミの実父、諏訪野建造の指図だった…
諏訪野マミは、藤原ナオキに、積極的に、アタックして、ナオキに近づいたが、本当の目的は、私だった…
私、寿綾乃だった…
五井家の血を引くと、思われていた、私、寿綾乃に近付くべく、娘のマミを、藤原ナオキに接近させようとした…
つまりは、五井家は、諏訪野マミと、菊池リンという二人の女性を、ほぼ同時に、私の身近に近付かせ、その動静を探ろうとした…
まさか、五井家が、そこまで、するとは、思わなかったので、それを知ったときは、震撼した…
やるときは、徹底的にやる…
五井家の姿勢を見た思いだった…
「…諏訪野さんは、困惑していた…」
ナオキが言った…
「…自分は、望んで、五井家の当主の座に就いたわけじゃない…なりゆきというか、気が付いたら、当主の座に就いたというのが、偽らざる気持ちだとね…」
さもありなん…
諏訪野伸明は、先代当主、諏訪野建造の実子ではない…
血が繋がってない…
それを知ったのは、後年だと言っていたが、そもそも、諏訪野伸明は、野心家ではなかった…
その長身のイケメンという、ルックスにもかかわらず、野心がなかった…
それは、やはり、大げさにいえば、出生に秘密を抱えていたからかもしれないし、そうではないかもしれない…
出生に秘密を抱えていれば、必ずしも、野心家でないとはいえない…
つまるところ、本人の持って生まれた性格だろう…
片や、建造の実子である、次男の秀樹は、野心家だった…
ルックスは、長男の伸明とは、真逆…
背が低く、容姿も平凡…
にもかかわらず、野心家だった…
私自身は、秀樹とは、会話も交わしたことがなかった…
しかし、実父である、建造が、野心家と、私とナオキの前で、断言したのだから、その通りなのだろう…
間違いはないに違いない…
が、その秀樹も、種違いの兄の伸明に、後継者争いで、勝てないことを、悟ると、呆気なく、死を選んだ…
自殺した…
だが、これは、見ようによっては、コメディだった…
モデルのようなルックスの伸明に対して、秀樹は、凡庸なルックスだった…
かといって、ルックスで、伸明に勝てないのならば、頭脳や人柄で、他者を魅了する魅力があるのかといえば、それもない…
にもかかわらず、野心だけは旺盛…
つまり、実力もないのに、野心家だった…
最初から、秀樹に勝ち目はなかったのだ…
そんなことが、わからない実力の持ち主だった…
だから、コメディ…
辛辣な物言いになるが、コメディだった…
ルックスも頭脳も人柄すら劣っているにも、かかわらず、他者を出し抜いて、自分が、他人様よりも、いい地位に就く…
そんなあり得ない夢を見る男だった…
そして、それを考えたとき、つくづく、自分が、愚かだと思ったのは、諏訪野伸明と、弟の秀樹が、兄弟であるということへの疑問を感じなかったこと…
誰が見ても、まったくの他人…
とても、血が繋がった兄弟とは、思えない…
だから、最初から、二人が、本当に、血が繋がった兄弟か否か、疑わなければ、ならなかった…
それができなかった私は、やはり、能力が劣っているのだろう…
自殺した秀樹の能力が、劣っていると、さんざ悪口を言いながらも、その悪口を言っている、私自身も、大した能力がない…
まさに笑わせる…
私は、考える…
「…諏訪野さんは、綾乃さんが羨ましいとも、言っていた…」
「…私が、羨ましい?…」
あまりにも、意外な言葉だった…
「…諏訪野さんが、綾乃さんに憧れてるのは、おそらく、二人は、似ているからだ…」
ナオキが、説明する。
「…諏訪野さんも、綾乃さんも、同じように、ルックスが良く、どこにいても、周囲の人目を引く…」
「…それを言えば、ナオキ、アナタだって…」
「…綾乃さん…話は最後まで聞いてくれ…」
「…」
「…ボクは、自分でいうのも、なんだが、女好き…だが、諏訪野さんも、綾乃さんも、それがない…二人とも、女好きでも、男好きでもない…ルックスがいいにも、かかわらずね…」
「…」
「…なにより、欲がない…有名になりたいとか、お金が欲しいとか、思ってないのは、傍から見ていても、わかる…だから、二人は、信頼できる…」
「…」
「…ただ、二人は、立場が違う…」
ナオキは、力を込めた…
「…綾乃さんは、ボクの秘書…諏訪野さんは、五井家当主だ…同じような人柄で、同じような才覚の持ち主にもかかわらず、立場が、まるで、違う…」
「…」
「…しかも、面白いのは、言葉は悪いが、頂点に上り詰めた諏訪野さんが、綾乃さんを羨やましがることだ…」
「…」
「…本当は、諏訪野さんは、綾乃さんのようになりたいんだと思う…ただ、立場上、それができない…二人は似た者同士…才能があっても、欲がない…だから、余計に惹かれる…その控えめな性格に、余計に惹かれるんだと思う…
ナオキが、総括した…
…うまいことを言う…
たしかに、私は、欲はない…
いい生活をしたい…
お金が欲しい…
要するに、上昇志向が、乏しい…
それは、自分が、たいした人間ではないと、わかっているから…
ナオキは、私が美人だと持ち上げるが、この世の中、私より美人は、ごまんといる…
頭がいいのも、同じ…
私は高卒で、大学にも行っていない…
そんな私が、上昇志向を持って、どうする? と、思う…
上昇志向は、東大や京大を出たエリートに任せておけばいい…
私は、そう思う…
自分とは、縁のないものだからだ…
しかし、さにあらず…
私より、頭が悪い人間で、上昇志向の塊のような人間は稀にいる…
世の中、広いと思うと同時に、どうして、その能力で、上に上がりたいと思うのか、甚だ疑問に思う…
それは、おそらく、諏訪野伸明も、同じ…
私と同じ考えのはずだ…
ゆえに、二人は、惹かれ合う…
まるで、磁石のように、惹かれ合った…
詰まるところ、考え方が似ているのだ…
似ているから、惹かれる…
似ているから、安心できる…
それだけだった…
「…しかし、そんな諏訪野さんを追い落とそうとする輩が現れた…」
ナオキが、言った…
「…しかも、それが、自分の母親の出身母体だというから、開いた口が、塞がらないというか…諏訪野さんが、悩むのも、わかる…」
私は、ナオキの言葉に、興味を惹かれた…
おそらくは、ナオキは、私が、知っている五井家の内紛の内幕よりも、はるかに、詳しく知っていると、確信したのだ…
「…諏訪野さんの母親の出身母体…」
私が、わざと、言うと、
「…五井東家というらしい…」
と、即座に、ナオキが反応した…
しかも、
「…菊池…菊池リンちゃんと、関係が深いらしい…」
ナオキが、続ける…
菊池リン…
五井家が、私につけたスパイ…
が、私は、それに気付かず、妹のように、彼女を可愛がった…
その結果、私の動静は、丸裸にされた…
それを、思い出すと、今さらながら、自分の愚かさが、恥ずかしくなる…
まったくの無防備で、彼女に接していた、自分の愚かさに、腹が立つ…
「…そして、その五井東家の人間が…」
「…この病院の理事長、菊池冬馬と言うんでしょう…」
私は、言った…
ナオキは、驚いて、私を見た…
「…なんだ、綾乃さん、知ってたんだ?…」
「エエ…」
私は、言った…
「…だったら…」
ナオキが、言いかけたところで、
「…アナタが、どこまで、知ってるか、知りたかったの…」
と、言った…
「…テストの答え合わせのようなものよ…」
「…どういう意味?…」
「…お互いが、最初に、答えを言っては、ダメでしょ? どっちかが、しゃべって、それから、もう一方が、答えを言う…そうしないと、どっちが、どれだけ、そのことを知ってるか、わからない…」
「…なるほど…」
「…だったら、これは、どうかな…その菊池冬馬理事長のお父さんが、国会議員の菊池重方氏だと知っているかな?…」
「…菊池重方?…」
その名前は聞いたことがある…
たしか、国会でも、それなりに、知られた人物だ…
誰でも、そうだが、あまたいる国会議員の中でも、世間に知られた人間は、一握り…
大抵の人間は、世間に知られていない…
だから、知名度のあるテレビキャスターや芸能人が、自民党や野党に誘われて、選挙に出る…
選挙に勝てる確率が高いからだ…
それでいて、選挙に当選しても、今までよりは、はるかに、露出がなくなる…
国会議員としては、実績がないからだ…
残念ながら、これが、現実だ…
「…ということは、その菊池重方さんが、黒幕?…」
私は、はっきりと、口にした…
「…たぶん…」
曖昧に言葉を濁した…
私はナオキの物言いに、疑問を感じた…
だから、
「…どうして、そんな言い方をするの?…」
と、聞いた…
ナオキは、笑いながら、
「…これでも、ボクは、会社の社長だよ…」
と、返答した…
「…どういう意味?…」
「…つまりは、確実に裏が取れないと、口にしないということ…」
「…」
「…諏訪野さんと、何度か、飲んだときに、その話題になったが、諏訪野さんは、明確には、言わなかった…ただ…」
「…ただ…なに?…」
「…もしかしたら、諏訪野さんは、綾乃さんのことを、思って、あえて、言わなかったのかもしれない…」
「…どういう意味?…」
「…この五井記念病院の理事長、菊池冬馬は、国会議員、菊池重方の息子…綾乃さんは、その病院に入院している…」
「…」
「…ある意味、綾乃さんを人質に取られている…だから、諏訪野さんは、あえて、菊池冬馬を刺激しないようにしているんじゃ…」
「…まさか…」
私は、ナオキの推測を一蹴した…
「…たかが、知り合いの女が、入院しているぐらいで、そんな気遣いをするはずが…」
「…ただの知り合いの女じゃないよ…」
「…どういうこと?…」
「…おそらく、諏訪野さんにとっては、綾乃さんは、代わりの効かない女性だと思う…」
「…そんなこと…」
「…あるわけないって、言いたいわけ?…」
「…」
「…はっきりと、口にしないが、諏訪野さんは、綾乃さんを、そう思ってると、思う…」
私は、ナオキの言葉に、考え込んだ…
しばし、間を置いて、出てきた言葉は、
「…私は、あと何年生きるか、わからない…」
というものだった…
「…そんな女を相手にしても、時間の無駄になるだけ…ナオキ…アナタ、今度、諏訪野さんに会ったら、そう言ってあげて…」
私の言葉に、ナオキが、真剣な表情になった…
「…綾乃さん…」
「…なに?…」
「…綾乃さんが、この病院に入院したのを知ったとき、諏訪野さんが、真っ先に、なにをしたか、知ってる?…」
「…なにをしたの?…」
「…この病院の理事長、菊池冬馬に連絡して、この病院の一番腕の利く医者を、綾乃さんの担当にしてくれと、頼んだそうだ…」
「…」
「…それほど、綾乃さんを、大切に思ってる…」
私は、
「…」
と、言葉もなかった…
私の担当の長谷川センセイが、優秀なのは、わかる…
想像がつく…
しかし、それは、この病院の理事長、五井家の当主、諏訪野伸明の知人だからと、思っていた…
五井家の人間に頼まれたから、この病院で、もっとも、優秀な医者を担当にしたのだろうと、想像がついた…
しかしながら、そうではなかった…
なにより、自分の当主就任に、難癖をつける人物の息子が理事長を務める病院に、私が、入院しているとは、思わなかった…
「…一体、私は、どうすれば?…」
つい、口に出した…
つい、言葉に出した…
言わずには、いられなかった…
「…どうすればいいの?…」
自分に歯向かう、一族の運営する病院に、私が、入院している…
それは、まるで、人質を預けるようなもの…
諏訪野伸明が、自らの弱点を晒すようなものだからだ…
「…転院…」
とっさに、思った…
「…どこか、別の病院に、転院の手続きを、取ってもらえない…ナオキ…」
私は、言った…
私という存在が、諏訪野伸明の負担になっていると思うと、耐えられなかった…
今すぐにでも、この病院を出てゆきたい…
そんな気持ちになった…
「…アナタの力で、どこか、いい病院を見つけて、そこに私を転院させて…お願い…」
私の願いに、ナオキは、呆れた…
「…綾乃さん…落ち着いて…」
ナオキが、まるで、子供に言い聞かすように、私に言った…
「…バカなことを言わないで…」
「…バカなこと? …どうして、バカなことなの?…」
「…諏訪野さんの気持ちを考えて…」
「…諏訪野さんの気持ちを考えてるから、一刻は早く、転院したいの…諏訪野さんに迷惑をかけたくないの?…」
「…迷惑? …逆だよ…」
「…どういうこと?…」
「…好きな女が、入院して、力になれるんだ…諏訪野さんは、喜んでいると思う…」
「…そんなバカなこと…」
「…バカなことでも、なんでもないよ…これが、綾乃さんが、諏訪野さんの立場なら同じ…好きな男が入院して、自分の力で、いい病院に入院させることができる…力になれるんだ…それが、できる機会なんて、滅多にない…」
私は、ナオキの言葉に、言葉もなかった…
たしかに、そう言われれば、わかる…
そう言われれば、納得する…
だが、やはり、私という存在が、諏訪野伸明の足かせになっている事実は、変わらないと思う…
それを、考えると、心が重かった…
が、
次の言葉は、私の負担を軽くするものだった…
「…ただ、やはり、諏訪野さんが、明確に、菊池重方が、敵と断言しないのは、ボクと同じかもしれない…」
「…どういうこと?…」
「…菊池重方が、目に見える敵という形で、現れたのかもしれないが、それ以外にまだ、誰が、敵なのか、よくわからないのかもしれない…だから、はっきりと口にしない…ボクが、経営者として、はっきりと、わからないことに、アレコレ、口を挟まないのと、同じだ…」
そう言えば、思い出した…
先日、諏訪野伸明が、私の病室にやって来たとき、
「…敵は、冬馬じゃない…冬馬の背後にいる輩だ…」
と、言った…
これは、正確には、誰だか、わかっていないのではないか?
掴めていないのではないか?
だから、あえて輩と、曖昧な表現をしたのではないか?
私は、その可能性に気付いた…
つまり、五井家内で、内紛が、勃発…
しかし、現時点で、誰が敵で、誰が味方か、わからないのではないか?
五井十三家の誰が敵で、誰が味方か、わからないのではないか?
だから、動けない…
迂闊に動いて、足を取られるようなことがあっては、困る…
足元をすくわれるようなことがあっては、困るからだ…
だから、安易に動けない…
私は、その事実に気付いた…
諏訪野伸明が、陥っている現実に気付いた…
諏訪野伸明の直面している現実に、同情した…
一難去ってまた一難…
本当なら、すでに、諏訪野伸明が、五井家の当主に就任することで、五井家の内紛は、すでに、終わったはずだった…
それが、まだ、続いているとは?
私、寿綾乃が、死んだと思ったのに、生きていたのと、同じで、まだ、内紛は、終わってはいなかった…
続いていた…
それが、驚きだった…
まさに、ちゃぶ台返し…
最初から、やり直しだった…




