寿綾乃という女 第2部 68
…おかしい…
私は、ふと、気付いた…
なにが、おかしいかと言えば、佐藤ナナのことだ…
彼女が、五井本家の養女となったのは、高雄組組長というヤクザの報道のある前だと気付いた…
それに、気付いた私は、伸明に聞こうか、どうか、一瞬、躊躇ったが、やはり、聞くことにした…
「…あの…伸明さん…」
「…なんですか?…」
「…佐藤ナナさん…彼女が、五井本家の養女となったのは、その報道で、高雄組組長の名前が出る、ずっと前じゃ…」
「…その通りです…」
「…では、一体、どうして?…」
「…五井の持つ人脈です…五井の歴史は、400年…さまざまな組織に協力者というか…情報の提供者がいます…」
「…それは、どんな…」
「…いくら、寿さんとはいえ、それを明かすことはできません…」
もっともな、言い分だった…
しかし、私は、直観した…
おそらく、それは、警察の関係者に違いないと、直観した…
高雄組組長という大物ヤクザが、警察に身柄を拘束された…
いち早く、その情報を掴むのは、当たり前だが、警察の関係者…
新聞など、マスコミの関係者ではない…
警察の関係者が、漏らすのが、一番だ…
私は、思った…
しかしながら、それを伸明に聞くわけには、いかない…
いや、
仮に聞いても、伸明が、それを答えるわけはない…
まさか、教えるわけはない…
五井家当主ともあろうものが、そんなに口が軽いわけはない…
私は、思った…
すると、
「…五井の内紛…まさか、こんなに紛糾するとは、思わなかった…」
伸明が、漏らした…
「…五井南家を本家側に寝返らせる…それによって、本家の力を強める…それが、母の狙いだった…だが、その結果、五井の東西南北の4家のうち、取り残されたというか、主流派になれなかった、西家と北家の反発は、強かった…」
「…」
「…そして、母は…昭子は、そんな西家と北家の気持ちが、予想できなかった…母は勝ち組…生まれながらの勝ち組だから、敗者…負け組の気持ちがわからない…」
思いがけない伸明の言葉だった…
生まれながらの勝ち組?
どういう意味だろう?
考えた…
「…生まれながらの勝ち組って?…」
「…母は、五井東家の出身で、本家に嫁いだ…だから、生まれながらに日の当たる人生というか…五井の中でも、王道を歩いて、生きてきた…だから、負け組の気持ちがわからない…」
「…」
「…そして、ボク自身、勝ち組か、負け組か、問われれば、間違いなく、負け組…」
「…負け組? …伸明さんが?…どうして?…」
「…ボクは、父が、五井の人間じゃない…だから、五井の血が流れていても、それは、母の血のみ…五井には、両親が共に、五井の血を引いている者が、多い…だから、その人間に陰口を叩かれて…」
伸明が、苦渋の声で、呟く…
もはや、蚊の鳴くような小さな声に変わった…
そして、その言葉で、あらためて、この伸明が、なぜ、諏訪野マミと仲がいいか、思い出した…
二人とも、五井家の人間でありながら、半分しか、五井の血を引いてない…
マミは、五井の先代当主、建造が外に作った子供…
だから、建造の血を引いているが、それだけ…
それはまた、この伸明も同じ…
母の昭子しか、五井の血を引いていない…
だから、同病相合われるむというか…
似た者同士…傷を舐め合うというか…
だから、マミと伸明は、仲がいい…
そして、おそらく、それは、冬馬…
あの菊池冬馬も同じだと、気付いた…
冬馬は、五井家の鼻つまみ者…
五井家で、嫌われてる…
その冬馬と、マミも、伸明も、仲がいいと、言っていた…
つまり、この三人は、皆、似た者同士…
立場は、違うが、皆、似た者同士…
五井家に生まれたものの、皆、傷がある…
言葉は悪いが、突っ込みどころがある(笑)…
だから、失礼ながら、互いに傷を舐め合うというか、互いに、互いの痛みがわかるから、惹かれたのだと、気付いた…
そして、そんな伸明にとっては、実の母といえども、五井東家に生まれ、五井本家に嫁いだ母は、完璧な人間に見えるのだろう…
完璧な勝ち組に見えるのだろう…
それが、また、伸明にコンプレックスを抱かせているのかもしれない…
ふと、気付いた…
自殺した、弟の秀樹と比べて、ルックスが良く、長身で、押し出しがいい…
一目見て、いい男!
誰もが、この諏訪野伸明という男を見ると、そう思うに違いない…
が、
本人にとっては、まるで、違うのではないか?
本人は、コンプレックスの塊とまでは、いわないが、劣等感を持っている…
そして、昭子…
もしかしたら、伸明の母の昭子は、本音では、あの佐藤ナナとの結婚を後押ししたいのでは?
ふと、思った…
五井家の血を引く、伸明が、やはり、五井家の血を引く、五井南家の人間と結婚する…
そうなれば、表面上は、五井の他の一族は、文句を言えなくなる…
五井家の人間は、五井家の人間と結婚する…
そんな五井の家訓を守ったからだ…
そして、その場合、あの菊池リンと結婚するより、有利…
伸明にとっては、有利となる…
菊池リンは、五井家の人間だが、伸明の叔母、和子の孫…
つまり、伸明は、従妹の子供と結婚することになる…
すると、どうだ?
結局は、五井東家同士の中での結婚となる…
つまり、菊池リンと結婚しても、五井の体制は、変わらないというか…
今まで通り、五井東家が、中心のまま…
これでは、なにも変わらない…
ところが、佐藤ナナと結婚すれば、五井南家を本家側に引き込むことができる…
だから、内心、あの昭子は、伸明と佐藤ナナの結婚に乗り気だったかもしれない…
が、
おそらく、肝心の伸明が、乗り気でなかったのだろう…
私は、そう見た…
私は、そう睨んだ…
そして、そう考えることで、色々見方が変わってきた…
なにより、なぜ、伸明が、冬馬に優しいか、わかった気がした…
落ちこぼれの冬馬…
五井家で、嫌われ者の冬馬…
その冬馬を、この伸明は、気に入っている…
それは、冬馬を、伸明は、子供の頃から、知っているから…
そう、思っていた…
冬馬と伸明は、十歳違い…
大人になれば、十歳の違いも、それほど、大きくはないが、子供のときは、大きい…
冬馬が、5歳のときに、伸明は、15歳…
これでは、カラダの大きさだけで、いえば、すでに、大人と子供だ…
そんな大人の伸明が、子供時代の冬馬を、知っているから、伸明は、冬馬を可愛がったと思っていた…
15歳の伸明から、見れば、5歳の冬馬は、普通に考えて、可愛いに違いないからだ…
だが、今の伸明の言葉から、察するに、どうもそれだけではない…
言葉は、悪いが、コンプレックス…
伸明は、冬馬の中に、自分同様、劣ったものを、見たのかもしれない…
例えば、5歳の冬馬に、性格の悪さを感じることは、あまりないと、思うが、人間関係の下手さを見ることは、できる…
例えば、幼稚園に通っていても、友達ができないとか…
周囲の人間に、うまくなじめないとか…
そういう傾向は、見ることはできる…
つまりは、対人関係を、うまく構築することができない…
おそらく、そんな話を、伸明が、聞いたとしても、おかしくはない…
そして、それゆえ、伸明が、冬馬を、可愛がったのかもしれない…
人間関係をうまく構築できない…
この欠点ゆえに、冬馬を溺愛したのかもしれない…
自分と同じように、欠点を持っている…
伸明の欠点は、血の繋がった本当の父が、五井家の血を引いていないこと…
母のみ、五井家の血を引いていること…
これが、伸明の欠点=コンプレックスになっている…
そして、幼い冬馬は、まだ自分自身が、幼いゆえに、自覚はないのかもしれないが、人間関係が下手…
だから、友達ができない…
それを、見て、伸明は、冬馬に親近感を抱いたのかもしれない…
自分と、似たように、欠点を持つ、冬馬を好きになったのかもしれない…
そう、思った…
だから、私は、
「…冬馬さんは…」
と、突然、話を変えた…
「…伸明さんは、冬馬さんのことを、どう思ってるんですか?…」
私のいきなりの質問に、
「…」
と、伸明は、絶句した…
なんで、いきなり、私が、そんな質問をしたのか、わからなかったのかもしれない…
その証拠に、
「…寿さん…一体、なんで、急に、冬馬の話を…」
と、伸明が、戸惑って、漏らした…
私は、
「…いえ、今、伸明さんと、お話ししている最中に、ふと、冬馬さんのことを、思い出したもので…」
と、言い訳した…
事実、その通りだったからだ…
伸明は、
「…」
と、沈黙した…
二十秒、
いや、
三十秒は、沈黙しただろうか?
「…冬馬は、可哀そうなヤツです…」
と、漏らした…
「…可哀そう?…」
「…付き合ってみれば、わかるが、決して、悪い男じゃない…」
「…」
「…だが、決して、いい男でもない…」
「…エッ? …どういう意味ですか?…」
「…要するに、損をしているんです…」
「…損?…」
「…例えば、誰が見ても、ろくでもない男に見える男がいたとします…」
「…」
「…でも、実際、付き合ってみたら、それほど、悪い人間でもない…」
「…」
「…だったら、いい人間なのかと、問われれば、これも違う…」
「…違う?…」
「…要するに、悪い男だけれども、見た目ほど、悪くはない…」
「…」
「…それが、冬馬です…」
伸明が、言った…
たしかに、伸明の言うことは、わかる気がする…
私自身、冬馬と接していても、それほど、嫌な思いをした記憶はない…
かといって、冬馬に共感を覚えたこともない…
つまりは、好きになれない…
が、
嫌いかと言われれば、それほど、嫌いでもない…
要するに、微妙…
好きではないが、それほど、嫌いでもない…
が、
積極的に、関わっていきたいと、思うこともない…
だからだろうか?
人間関係が、うまく、構築できない…
築けない…
要するに、いっしょにいたいと思わせないから、友達ができない…
かといって、いっしょにいて、楽しいかといえば、それもない…
真逆に、そんなに嫌なヤツかと、問われれば、そこまでじゃない!
つまりは、すべてが、微妙…
そして、いいか、悪いかは別にして、冬馬は、五井家の人間…
金持ちのお坊ちゃまだ…
だから、すべてに、目立つ…
しかも、あの険のある目…
嫌でも、目立つ(笑)…
だから、余計に周囲から、距離を置かれたのかもしれない…
そして、それは、五井家内でも、同じ…
冬馬は、五井家の中でも、力のある、東西南北の分家の一つ、五井東家の御曹司…
それゆえ、五井家内でも、目立つ…
つまりは、学校でも、一族内でも、悪目立ちしたのかもしれない…
私は、思った…
すると、伸明が、
「…冬馬は、可哀そうな男です…」
と、繰り返した…
「…一度は、重方叔父共々、五井家から追放されたにも、かかわらず、リン…菊池リンの夫として、一族に返り咲くはずだった…それが、リンちゃんが、佐藤ナナさんに対抗心を燃やして…」
「…」
「…せっかく、一族に返り咲くことができたかもしれないのに…」
伸明が、嘆いた…
「…とにかく運がない…」
伸明は、心底、冬馬に同情しているようだった…
私は、ひとつ、気になった…
さっき、今、現在、五井家は、実質、伸明の母、昭子と、その妹の和子が、仕切っていると言った…
だから、普通に考えれば、その二人が、冬馬の復帰を決めたということだ…
しかしながら、冬馬の言葉を借りれば、菊池リンの祖母、和子は、冬馬を好きだが、姉の昭子は、嫌い…
現に、私の前でも、昭子は、冬馬を毛嫌いする発言をした…
ならば、どうして、昭子は、冬馬が五井一族に復帰するのを黙認したのだろうか?
妹の和子が、強く推したからだろうか?
「…あの…ひとつ、お聞きしていいでしょうか?…」
「…なんですか?…」
「…冬馬さんが、菊池さんと結婚して、五井東家に復帰する道筋をつけたのは、和子さんの発案ですか?…」
私の言葉に、伸明は、
「…」
と、絶句した…
しばし、黙った…
それから、
「…よくご存知ですね?…」
と、驚嘆した…
「…おっしゃる通りです…」
「…でも、お母さま…伸明さんの母の昭子さんは、よく承知しましたね?…」
「…どうして、そんなことを?…」
「…いえ、お母様は、冬馬さんを毛嫌いしているようなので…」
「…母は、現実主義者です…」
「…現実主義者?…」
「…冬馬は、このボクと仲がいい…五井に復帰することで、ひとりでも、多く、ボクの味方になれる人間が欲しかった…だから、賛成したと聞きます…」
「…そうですか?…」
私は、答えたが、なぜか、納得できなかった…
本当は、その通りなのだろうが、なんとなく、疑ったというか…
だが、疑えばキリがない…
そんなことより、孫の菊池リンを冬馬と結婚させてまで、五井家に復帰させようと画策した和子の方が、気になった…
…一体、どうして、そこまでするのだろう?…
それが、気になった…
和子にとっても、伸明同様、甥の冬馬と、自分の孫の菊池リンと結婚させてまで、冬馬を救おうとする…
その理由が気になった…
「…和子さんは、どうして、そこまで、冬馬さんに肩入れするんでしょうか?…」
「…それは、わかりません…」
伸明が、即答した…
「…心の内を誰かに話すような和子叔母様じゃありません…もっとも、これは、母の昭子も同じですが…」
言われてみれば、その通りだった…
二人とも、女傑…
肝の据わった女だ…
簡単に誰かに心の内を話すような人間ではなかった…
これは、おそらく、息子の伸明にしても、同じだろう…
例え、自分の血が繋がった息子の伸明にも、自分が、なにを、考えているか、教えないに違いなかった…
それほどの女傑だった…
また、それほどの女傑でなければ、五井家を仕切れるはずがなかった…
昭子と、和子…
この二人の女傑の姉妹が、事実上、今の五井家を仕切っている…
頭が良く、肝が据わっている…
が、
すでに、70代の高齢…
言葉は、悪いが、彼女たちの頭の中には、五井の未来のことで、いっぱいなのではないか?
当主の諏訪野伸明を頂点とした、五井家の体制をいかに盤石にして、継がせるかに、腐心しているのではないか?
私は、そう思った…
私は、そう見た…
また、そう思うことで、見えてきたものが、色々ある…
冬馬を一族に、復帰させることは、伸明の味方を増やすことに、他ならない…
なぜなら、今、伸明自身が、言ったように、冬馬と伸明は、仲がいい…
だから、冬馬を、五井に復帰させれば、伸明の力になる…
そして、諏訪野マミ…
これまで、なぜ、彼女が、五井家内で、優遇されているか、わからなかった…
なぜなら、マミは、亡くなった先代当主の建造が、愛人との間に作った子供…
普通ならば、そんなマミを、建造の妻であった昭子は、ないがしろにしても、おかしくはない…
いくら、昭子が女傑といえども、自分の旦那が、自分以外の女と、子供を作ったことを、おいそれと、許せるものではないからだ…
だが、違った…
マミの母、五十鈴は、昭子や和子とも仲がいいと、以前、私に言ったことがある…
五十鈴は、銀座で、小さなバーを経営していた…
そこで、言ったのだ…
そして、それを聞いたとき、私は、まだ、当時、昭子に会ったことは、なかったが、妹の和子に会って、その理由がわかったというか…
小さなことに、こだわる人間ではないと、悟った…
だから、母親の五十鈴は、ともかく、娘のマミには、なんの罪もないから、五井家内で、マミを、擁護するのだろうと、思った…
しかし、それは、間違いだった…
思い違いだった…
おそらくは、それもまた、伸明のためだったのだ…
伸明が、マミと仲がいい…
そのマミを、ないがしろにすることは、伸明の不利になることだと、悟ったに違いなかった…
要は、少しでも、伸明の有利になる人間を排除しないということだ…
すべては、伸明ファースト…
伸明のためではないか?
私は、思った…
五井家当主、諏訪野伸明を補佐する体制を整えること…
伸明を補佐する盤石な体制を作ることではないか?
すると、どうだ?
またも、色々、これまで、見えなかった光景が、見えてくるのではないか?
ふと、思った…




