寿綾乃という女 第2部 22
…菊池重方という男…
一体、どういう男なんだろう?
あらためて、興味が湧いてきた…
以前、伸明の母、昭子は、菊池冬馬を見て、
「…重方そっくり…」
と、評した…
ということは、外観も冬馬そっくりなんだろうか?
そう、思った…
やはり、息子同様、背が高く、険のある目の人物なのだろうか?
考えた…
だから、
「…以前、伸明さんのお母様がいらしたとき、冬馬さんを見て、重方そっくりと、おっしゃってましたが、やはり、重方さんも、息子の冬馬さんと、ルックスが似ているんですか?…」
私の質問に、
「…母が、そんなことを…」
と、絶句した…
それから、すぐに、
「…ルックスは、それほど、似ていません…」
「…似ていない?…」
意外だった…
「…おそらく、母は、重方叔父と、冬馬の性格を比べて、言ったんだと思います…」
「…性格?…」
「…同じように、鼻っ柱が強く、負けず嫌い…」
「…」
「…同じ一族のボクが言うのも、なんですが、二人とも、典型的なボンボンです…」
「…」
「…違いは、父子だから、年齢が離れているだけ…中身はいっしょです…」
「…いっしょ?…」
「…どちらも、物事を軽くというか、甘く見がちなところがある…だから、自民党で、菊池派を作ろうとするんです…」
「…」
「…ただ…」
と、そこまで、言って、一呼吸置いた…
「…ただ、なんですか?…」
「…人当たりは、重方叔父の方が、冬馬より、いい…」
「…」
「…冬馬では、人を束ねられない…その点、重方叔父の方が、五井の関係会社の社長を経験したりしたから、当たりが、ソフトというか…」
「…」
「…つまるところ、年齢と経験の差というか…それが、大きい…」
「…でも、中身がいっしょなんですよね…」
私の問いに、伸明は、苦笑した…
「…その通りです…」
私も伸明の笑いにつられて、笑った…
「…要するに、経験ですよ…今の冬馬のように、ひとを見下すというか、あの目では、ひとは、付いてこない…重方叔父も、若いときは、冬馬と同じだったかもしれないが、五井の会社に入って、揉まれれば、自ずから、変わらざるを得ない…だって、誰だって、最初は、新人…いきなり、社長になることは、ありえない…仕事というか、会社で、少しずつ揉まれて、大人になるというか…その違いです…」
私は、伸明の言葉で、考え込んだ…
たしかに、伸明の言うことは、わかる…
いかに、五井一族とはいえ、最初から、大学出たての人間を社長に据えることは、ありえない…
最初は、誰もが、末端…
言葉は悪いが、会社で、底辺というか、一番下の仕事をする…
それから、徐々に階段を昇るように、権限を与える…
役職で言えば、課長、部長というように、だ…
その過程で、人間が、揉まれてくるというか…
さまざまな経験を積むことで、変わってくる…
いや、
仮に、中身は、変わらずとも、表面上は、変わってくる…
要するに鼻っ柱が強い人間でも、それを表に出しては、マズいと悟って、引っ込める…
また、何事も、自分の思い通りには、いかないと、悟り、丸くなるというか…
誰もが、そのような経験を積んで、大人になってゆくというか…
それが、当たり前だ…
だが、だとすれば、どうだ?
なぜ、冬馬を、最初から、五井記念病院の理事長のような要職に就けた?…
なぜ、冬馬に経験を積ませない?
私は、思った…
だから、
「…伸明さんのおっしゃることは、わかります…でも、でしたら、どうして、五井家は、冬馬さんを、この病院の理事長に抜擢したんですか? あの若さで、こんな大病院の理事長にさせるなんて…なぜ、他の会社で、経験を積ませなかったんですか?…」
と、伸明に聞いた…
伸明は、少し驚いた様子だった…
私が、核心を突いたからかも、しれない…
私の質問に、考え込みながら、ゆっくりと、口を開いた…
「…キャリアというものがあります…」
「…それは、仕事の経歴ですか? どこそこの会社で、課長だったとか、部長だったとか…」
「…いえ、そのキャリアではなく、国家公務員のキャリア…例えば、警察を例に取れば、国家公務員の一種試験に受からなければ、ほぼ例外なく、○○県の本部長には、なれません…つまりは、最初から入り口が、違うんです…別の言い方をすれば、出世を例に取れば、キャリア組は、新幹線に乗ってスピード出世するが、ノンキャリア組は、鈍行というか…」
「…」
「…そのキャリアですが、例えば、どこその警察署の署長に25、6歳の若さでなるとします…そして、今度は、数年して、警察庁本庁のどこかの部署の課長になったとします…これは、おかしいとは、思いませんか?…」
「…署長から、課長ですか?…」
「…おかしいでしょ?…」
伸明が笑った…
「…でも、事実です…要するに、警察という組織では、どこそこの署長よりも、警察庁本庁の課長の方が、格が上と考えます…五井もそれと同じです…」
「…同じ?…」
「…この五井記念病院の理事長という職は、名誉職というか、あまり実権がないんです…」
「…」
「…言葉は悪いが、お飾りというか…その名前と、地位が一致しない…世間的な知名度と、五井家での立ち位置は、まるで、違う…」
「…」
「…変な話…それが、冬馬には、不満なのかもしれない…」
「…どういう意味ですか?…」
「…知名度は、高いが、実質は、お飾り…なんの権限もない…冬馬の鼻っ柱の強い性格を考えて、あえて、母たちが、この五井記念病院の理事長に押し込んだというか…」
「…」
「…変な話…冬馬は、以前、五井の会社に入社したが、周囲とうまくいかず、その会社から、外に放り出すしかなかった…それで、母たちが、頭を悩ませて、押し込んだのが、この五井記念病院の理事長という役職です…」
「…そんなことが…」
驚いた…
意外と言えば、あまりにも、意外だった…
私の顔に、そんな思いが、出ていたのだろう…
「…意外ですか?…」
「…ハイ…」
「…五井家の人間といえども、王様ではありません…絶対君主では、ないんです…」
伸明が、苦笑する…
「…これは、トヨタでも、どこでも、同じでしょう…豊田家の一族の人間でも、仮に、配属されたトヨタの部署で、周囲から、総スカンを食えば、なにか、その人間に問題があると、普通、考えます…仮に、本人ではなく、職場に問題があるのでは? と、考えて、別の職場に配属しても、同じように総スカンを食えば、やはり、その人間に、問題があったと、誰もが、納得します…」
「…」
「…それが、五井では、冬馬だったわけです…」
「…」
「…本人としては、忸怩たる思いがあったでしょう…だが、結果として、いかに五井家の人間といえども、冬馬を特別扱いすることはできなかった…そうなれば、下手をすれば、組織が崩壊します…」
「…崩壊?…」
「…大げさに思うかもしれませんが、蟻の一穴では、ありませんが、小さなことから、組織は、ほころびて、ゆくものです…冬馬を優遇すれば、五井という会社は、そういう会社だと思われます…」
「…そういう会社って?…」
「…つまり、一族を極端に優遇する会社です…一度、そういうイメージを世間で植えつけられると、挽回は大変です…まして、今は、ネットで誰もが、投稿できる時代…その投稿が、拡散して、一度、ブラック企業の烙印を押されれば、その烙印を消すのは、困難です…その危険を冒さないためにも、冬馬を、この病院の理事長という閑職に押し込んだ方が、良いと、考えたんのです…」
あまりにも、意外な言葉だった…
まさか、この五井記念病院の理事長という役職が、閑職とは、思いもしなかった…
それが、なにより、驚きだった…
だが、
だとすれば、どうだ?
渦中の菊池重方は、自分の息子である、冬馬が、そんな閑職に追いやられたことを、一体どう、思っているのか?
ふと、思った…
自分の息子が、そんな閑職に追いやられて、嬉しい父親は、いないからだ…
「…お話はわかりました…でしたら、伸明さん…」
「…なんですか?…」
「…冬馬さんの父親の重方氏は、それを一体、どう思ってるのでしょうか?…」
私の質問に、伸明は、考え込んだ…
しばし、沈黙した…
それから、
「…ボクは、重方叔父ではありませんから、叔父の胸の内は、わかりません…」
と、言ってから、
「…でも、たしかに、面白くはないでしょう…でも、仕方がないと言ったところでしょうか?…」
と、胸中を告げた…
「…仕方ない?…」
「…叔父だって、五井の関連会社の社長を務めてました…当然、バカじゃない…ひとを見る目もあるはずです…」
それが、伸明の答えだった…
「…誰だって、自分の息子を、閑職に追いやられれば、嬉しいはずはない…でも、それも仕方がないと思っているに違いない…冬馬を五井記念病院の理事長に就けるに当たっても、当たり前ですが、事前に、重方叔父に、相談して、了承を得ています…」
伸明が、激白する…
至極、当たり前だった…
しかし、
しかし、だ…
今の伸明の話を聞いていると、冬馬と、父の重方は、似ているというが、冬馬ほど、重方は、じゃじゃ馬ではないというか…
まだ、コントロールが効くというか…
いや、普通の人物なのかもと、思った…
これまでの話を聞いていると、冬馬が、コントロールできなさ過ぎる(笑)…
それに比べ、菊池重方は、普通というか、世慣れているのだろう…
もし、そうでなければ、自民党で、菊池派を立ち上げたいという野心は、抱かないはずだ…
私は、思った…
私が考えていると、
「…冬馬と、重方叔父は、たしかに似てます…ですが、重方叔父は、冬馬ほど、強烈ではないというか…キャラが立ってないというか(笑)…」
「…」
「…中身は、同じでも、もっとマイルドです…」
伸明が笑った…
私は、その通りと思った…
さすがに、冬馬と瓜二つでは、国会議員は、無理だろう(笑)…
周囲とうまくできないに違いない…
当たり前のことを、思った…
すると、
「…大場先生…」
と、テレビ画面を見て、伸明が言った…
私も伸明につられて、テレビの中の大場小太郎を見た…
「…先生は、実にしたたかです…」
伸明が、さきほど言った言葉と、同じことを、言った…
「…重方叔父は、大場先生の動きを、どこまで、掴んでいるのか?…」
伸明が、苦笑する…
「…そんなに、大場先生は、したたかなんですか?…」
私は、つい聞いてしまった…
私は、テレビや、新聞、ネットを通じて、大場小太郎という政治家を知っているが、したたかという印象はまるでなかった…
だから、何度も、伸明が、したたかというのが、解せなかったというか…
納得できなかった…
「…彼の強さは、情報力です…」
「…情報力?…」
「…大場先生の父が、やはり、政治家で、国家公安委員長をされていて、それが、契機で、警察は、もとより、ヤクザにも、通じていると、囁かれてます…」
「…ヤクザにも?…」
「…国家公安委員長…要するに、情報の元受けというか…さまざまな情報に接します…大場先生は、それをきっかけに、情報の重要性に気付いた…だから、いたるところに、ネットワークを広げている…」
「…」
「…おそらく、重方叔父が、菊池派を立ち上げようとしたことも、重方叔父が、驚くほど、早く、その情報を掴んでいるはずです…」
「…」
「…そして、おそらく、すでに、その対策を打った上で、ボクの母に会った…」
「…どういうことですか?…」
「…つまりは、さっきも言ったように、五井家が、重方叔父を守るのか、見捨てるのか、知りたかったのでしょう…それを、確認するために、母に会った…」
「…それでは、もし、五井家が、重方氏を守ると、言ったら、どうしたのでしょう?…」
「…おそらく、最初から、それはないと、思っていたと、思います…」
「…どうしてですか?…」
「…重方叔父と、母の関係です…」
「…関係?…」
「…母は、昔から、重方(重方)叔父を評価してない…その噂をすでに、大場先生は、知っていたに違いない…」
「…」
「…大場先生が、バカじゃないと言っていたのは、そういう意味です…」
伸明が、説明する…
「…もちろん、重方叔父も、バカじゃない…叔父も、十分に、勝算があると、踏んで、菊池派を立ち上げようと、したに違いないからです…」
「…」
「…ですが、ボクの見るところ、大場先生の方が、重方叔父よりも、一枚も二枚も上手です…」
「…上手? …それは、さっきも言った、情報力の差ですか?…」
「…もちろん、それもあります…」
「…」
「…でも、やはり、決定的な違いは、二人の育った環境だと思う…」
「…環境?…」
「…重方叔父は、五井家のお坊ちゃまで、大場先生は、政治家のお坊ちゃま…同じお坊ちゃまでも、大場先生は、学生時代から、代議士だった父親の秘書をして、政治の世界を見てきた…なにより、大場先生は、戦前から続く、政界の名門…さまざまな政治家と縁戚関係を築いている…だから、政界の情報に速い…」
「…」
「…それに比べ、重方叔父が、ベースにしているのは、財界…五井家を元にした財界です…しかも、重方叔父が、分家出身であることは、周知の事実…だから、周囲の者たちも、重方叔父を、あくまで、五井家の一族の人間としか、見ていません…その違いです…」
「…」
「…大場先生のベースは、政界、重方叔父のベースは、財界…だから、重方叔父が、政界で、どれほど活動しようと、戦前から、続く政界で、名門の大場先生の人脈には、政界では、勝てない…おそらく、それを、重方叔父は、わかってない…」
伸明が、残念そうに、呟く…
私は、そんな伸明を見て、あまりにも、重方に、同情するのを、不思議だった…
どうして、伸明は、そんなに重方に肩入れするのだろうか?
「…伸明さんは、重方さんに、随分、同情的ですね…」
私の言葉に、
「…そう見えますか?…」
と、伸明が、苦笑した…
「…どうしてですか?…」
私の言葉に、伸明が、固まったというか…
顔色が、おおげさに言えば、変わった…
「…重方叔父の姿に自分を重ねて、見ているのかもしれない…」
伸明が、苦笑する。
「…すでに、何度も言っているように、重方叔父の姿を見ていると、下手をすれば、自分も同じ運命を辿る気がするんです…」
「…それは、一体?…」
「…はっきり、言えば、世間知らずのお坊ちゃま…そのお坊ちゃまが、自分の実力も省みず、無茶をやらかす…」
「…」
「…自分も、重方叔父の二の舞になる予感がするんです…」
「…そんなこと…」
「…ないと、言いたいのでしょうが、十分あります…」
伸明が、苦笑する。
「…そして、それを、母もまた、よくわかっている…」
「…お母様も?…」
「…それゆえ、失礼ですが、寿さんに、ボクと結婚して、もらいたいのだと思います…」
「…どういうことですか?…」
「…温室育ちのボクに足りないところを、経験豊富な寿さんに、補ってもらいたい…支えてもらいたいのだと、思います…」
「…そんなこと…私なんかが…」
「…母が、菊池リンちゃんではなく、寿さんを、ボクの妻にしたいのは、それが、最大の理由だと、ボクは、見てます…リンちゃんでは、ボクを支えられません…同じような、温室育ちの人間が、支え合っても、仕方がない…効果が知れてる…」
…だからか?…
初めて、気付いた…
どうして、伸明の母、昭子が、菊池リンではなく、私、寿綾乃を、自分の息子の嫁に推すのか、理解できなかった…
まして、私は、癌を病む身…
あと何年、生きれるか、わからない…
にもかかわらず、一族の菊池リンではなく、私、寿綾乃を推す理由がわからなかった…
本来、五井一族の結婚は、一族同士が、原則と言われている…
五井家の歴史は400年…
その間に、一族の血縁は、他人のように薄くなっている…
だから、これ以上、一族の血を薄めないためにも、一族間での結婚を推奨したわけだ…
そして、それを誰よりも、わかっている、当主の母が、平然とそれを破ろうとしている…
やはり、それは、危機感があるに違いない…
一族の菊池リンでは、伸明を支えられないと、喝破したに違いないのだろう…
私は、ようやく、その事実に気付いた…
昭子の狙いに気付いた…
「…要するに、ボクには、寿さんが、必要と、母は、思ったのだと、思います…」
伸明が、苦笑いを浮かべながら、真相を告白した…
私は、その言葉で、ようやく、納得した…
いや、
それより、なにより、おそらく、今回の菊池重方の騒動が、影響しているのでは? と、遅まきながら、気付いた…
昭子もまた、伸明同様、重方では、大場小太郎に勝てないと、最初から、見抜いているに違いなかった…
そして、その原因を、きっと、重方個人の能力もさることながら、生まれ育った環境の違いと、喝破したのだろう…
どうしても、温室育ちのお坊ちゃまゆえに、甘くなるというか…
物事を見る目が、甘くなる…
それまで、生きてきて、大した苦労をしてこなかったからだ…
だから、物事の判断が、甘くなる…
何事も、軽く見る…
お金持ちに共通することは、良い意味でのポジティブさ…
物事を楽観的に考えることだ…
なまじ、お金を持ち、生活に苦労するどころか、人並み以上の生活をする…
すると、どうだろう?
何事も、簡単に考える…
普通の人間ならば、一生汗水働いても、決して、乗ることのない、数千万もする高級車に乗る…
また、ルックスは、平凡でも、例えば、男ならば、その男と結婚したい女は、引きも切らない…
女の狙いは、男のルックスではなく、男の持つ金だからだ…
その結果、自分は特別だと、考える…
そして、事実、特別だ…
誰にも、できない真似をしている…
ただし、どんなことでも、自分の思い通りになるわけではない…
今、菊池重方が、自民党で、自分の派閥を立ち上げようとするようなことは、その最たる例だろう…
単にお金持ちだから、物事を軽く考え、行動に移す…
その危うさが、危険だと、昭子も伸明も見ているのだ…
そして、その重方同様の、危うさを、伸明もまた持っていると、自覚している…
それは、伸明の母、昭子も同じ…
伸明と同じように、自覚している…
それゆえ、伸明の足りないところを、補うために、私を伸明の妻にして、伸明をサポートしてもらいたいのだろう…
私は、思った…
「…いずれにしろ、賽は投げられました…もはや、後戻りはできない…」
「…」
「…重方叔父が、菊池派を立ち上げるために、動き出したように、五井家としては、重方叔父を追放するために、動き出した…もはや、後戻りはできない…」
伸明が、断言した…
そして、断言してから、テレビの中の大場小太郎代議士を、ジッと見た…
「…ボクも、また、大場先生に似ているのかも…」
と、伸明が、漏らした…
「…どういう意味ですか?…」
「…だって、そうでしょう? 政界では、重方叔父は、大場先生から、派閥を乗っ取って、菊池派を立ち上げようとしている…そして、そのために、重方叔父は、ボクを当主の座から、引きずり落として、五井家の当主の座に就こうとしている…当主になれば、今よりも、大きな金を動かせるからです…菊池派を立ち上げるには、お金が必要だからです…」
「…」
「…つまり、ボクも大場先生も、立場は、同じ…重方叔父に、追い落とされる立場です…」
伸明が、笑った…
「…でも、実は、ボクは、それも嫌じゃない…」
「…嫌じゃない?…」
「…五井の宿命です…子供の頃から、さんざん、父や母から、五井の血の歴史を聞かされて、育ってきました…五井の抗争の歴史を…」
「…」
「…だから、覚悟はできてます…」
そう言った、伸明の表情は、寂しそうだった…
「…秀樹のこともある…」
「…秀樹さんの…」
「…秀樹もまた、五井の抗争の歴史に消えた…それは、義春叔父もまた同じ…」
「…」
「…皆、当主の座を夢見て、その夢、破れて、命を落とす…そんなに、五井家当主の座が、羨ましいのかと、思う…」
「…」
「…単なる飾りです…」
「…飾り?…」
そして、伸明は、また、テレビに映った大場小太郎を見た…
「…それは、大場先生も同じ…」
「…同じ?…」
「…自民党、大場派を率いてますが、案外、自分の思い通りになることは、少ない…」
「…」
「…たとえば、それは、江戸時代の徳川将軍だって、同じでしょ? 誰もが、自分の思い通りにできることは、少ない…」
「…」
「…十一代将軍の家斉は、女好きで、有名ですが、さりとて、江戸で、女狩りではないけれども、町にお触れを出して、美人を集めて、オレの元へ、連れてこいと、命じたわけでもない…」
「…」
「…もしかしたら、そんなことをしたかったのかもしれませんが、そんなことは、当たり前ですが、できない…そんなことをすれば、江戸の治安が悪化する…日本のトップである、将軍が、公然と、女漁りをするとは、世も終いだと、噂されるでしょう…」
「…」
「…誰もが、それが、わかっているから、できない…だから、できることは、案外少ないというか、常識的なことしかできない…」
「…」
「…それが、秀樹も、義春叔父も、わかっているにも、かかわらず、当主の座に就きたかった…そして、今は、重方叔父も…」
「…」
「…実にバカバカしい…」
伸明が、吐き捨てた…
「…それが、わかっていて、当主の座を目指すなんて…」
「…」
伸明の本音だった…
そして、それは、おそらく、伸明の欲のなさ…
常識的な欲望に、行きつくのかな、と、私は、思った…
考えた…
さきほど、挙げた徳川家斉を例に取れば、わかるが、いかに、将軍になろうとも、江戸市中に大々的にお触れを出して、美人を、連れてこいと、命じることはできない…
そんなことは、漫画の世界のこと…
フィクションの世界のことだ…
仮に、そんなことをすれば、大騒ぎになり、そんな人物に将軍は任せられないと、周囲から見られ、たちまち、将軍の座から、引きずり降ろされるだろう…
つまり、いかに、将軍の座に就こうと、やはり、できることは、たかが知れている…
そして、それが、わかっているからこそ、伸明は、五井家の当主の座に就けたのだろうと、思った…
当主の座に就けても、すでにその限界を知っている…
ゆえに、無茶をしない…
父の建造もそれを見て、伸明を当主にしたのだろうと、推測した…
そして、その数日後、菊池重方が、正式に、党内で、菊池派を立ち上げるべく、動いていることを、メディアに公表した…
まさに、五井家の内紛が、正式に、勃発した…
世間に知れた、瞬間だった…




