Buddenbrooks 9
いつも思い出すのは、兄のことだ。もっとも私の思考は、意識にまで浮上することはないけれども。
私はいつも、暗闇の中で目が覚める。もっともそれは赤い世界だったりするのかもしれないが、景色の変わらないという点においては些事に違いなかった。当てもなくただただ前へ、前だと私が思っている方へと進んで行く。そうすると、驚いたことに木製のおんぼろ扉が出現する。それを見つけて嬉しくなって、だんだんと小走りだったのが速くなり、よしもうすぐだというところで扉が内側から開くのだ。お帰りと、これまたおんぼろ服の修道女が私を迎える。その感謝もほどほどに、私は廊下を駆け、一室の扉を叩く。ノックと言うには荒々しい手つきで。そうして返事も待たず開ける。そうすれば、最愛の人に会えるから。案の定彼はそこで椅子に座っていて、何かをしたためている。そしてこちらに気づき、そうしてその大きな手で私を抱きしめてくれる。お帰り、と。
何かを失ったことのない人などいないのだから、と少女はうたった。
私は様々なものを失ってきた。そして、果たしてこの、私に残された最後の居場所は失われてしまうのだろうか。
私は、不思議な感覚の中で泳いでいた。例えるなら、夢から醒めてもまだその夢の中にいるかのような、そんな浮遊感。だから、私の頬に添えられた手が本当にそこにあるのか確かめたくて、両手でそれを包んでみた。するとピクリと震えて、そしてより強く握り返してくる。それは随分と柔らかくて、温かくて、優しかった。
「ヴェーラ。大丈夫だよ。私たち、きっとやり直せるから」
それが、かけがえのない親友との、本当の再会だった。
自分の長髪が、握られた手に優しく巻き込まれる。まるで、深海から一気に引きずり出されたようである。パッと瞼を開けると、無数の光線が瞳の中に入って、それが全て刺さってくる。だけれど、それは痛くなかった。
私が、呼ばれている。応えなくてはならない、彼女達の声に。
重い瞼を持ち上げながら、手を握り返した。二人の人影を捉えて、そして精一杯、笑ってみた。
「ありがとう、ハクア。兄さん」
男がぶるりと肩を震わせたのを見て、私の世界に暗幕がかかった。




