一夏の期間に
黒幕を掛けたような漆黒の空。吊り下げられた色とりどりの星。
ここはおもちゃ箱を模倣した夢の、幻想のせかい。
「ワタクシたちとこの世界は忘れ去られたある人の想いから生まれた存在。ここは彼が優しい幻想を詰め込んだおもちゃばこ。夜の間だけ開ける追憶と慟哭の地よ」
「へえ、じゃあやっぱり夢なんだ」
夢見心地でつぶやいた私を見て歌うように語っていたハートの女王は唇をひん曲げた。
「わかってらっしゃらないのねェ白魚のお嬢さん。まったくわかっていないわ!あなたの頭はタコかイカかなにかかしら?」
わかったことは話が通じてないこととものすごい罵倒されたことくらいなのですが。
目の前に彼女の長いつめが生えた指が一本すっと立てられる。
「ここは夢じゃなく紛れもない現よ。ここで傷つけば痛いそうよ」
「うーん、いまいち実感がわかない…」
うなりながら試しに頬をつねってみるとたしかに痛む。じゃあここは本当に現実世界だっていうの?
「まぁワタクシたちは昼の世界を知らないからここで死んだらどうなるのかはわからないわ。気になるならやってみてもよくってよ」
いやいや、そんなリスクの高いことしないよと私が苦笑いで発言する前に女王は「ただそんなことしたら」と口元を緩める。
「ここに来た人たちは最終日を境に永遠にここから出られなくなるけどね」
そう告げて恐ろしいほどの妖艶な笑みを浮かべた。
「さっきから気になってたけどハートの女王さんみたいな人たちや私みたいにこんなところにいる人たちがいるんですか?」
「いい、質問ねえ。今から教えてさしあげる」
そうして彼女はささやくように始めた。この夜の世界について。
ここには私のほかにあと五人いるという。
私たちは共通して過去にある人に会っているという。
それがこの世界を創った人らしい。彼は人の記憶に留まれぬ不思議な病気でだんだんと忘れられていき、存在が認められなくなっていった。
もうすぐ、完全に消えてしまう。それを危惧した彼は昼の世界では存在できないと思い夜の世界を作り上げた。
それでもどこまで昼の世界から逃げても存在が消えてしまうタイムリミットは迫ってきた。
だから思い出してもらえるように、私たちをここへ招待した。
七月二十六日から八月二十六日。約一ヶ月、夏休み中まるまる。それが彼の存在が消えるまでの時間で夜の世界に来れる期間。
最終日までに六人全員そろい、彼のことを思い出したという証を手に入れることができればこの世界から解放される。できなければ、彼の消滅とともに昼の世界への道が閉ざされ一生夜の世界に閉じ込められる。
だから一刻も早く思い出さないといけない。
「それをサポートするのがワタクシたち案内人。アナタたちの追憶の曲に、物語に、実験に……直接関わることはできないけど見守らせていただくわァ。最終日までに思い出せるといいわね」
くすくすと笑う彼女は何かたくらんでいるようにも見えて不安だが大体の情報がわかった。
「ヒントをあげましょう。アナタたちの思い出の場所を巡るといいわ。なにかしらひっかかるはずよ。ウフフフフ」
するとぼーんぼーんと古時計のなる音が響いた。この金が六回鳴ると昼の世界へ移動されるという。今のは二回目。鳴る間隔は一時間おき。
まだあと四時間もあるのか…と私は手が届きそうな星空を見上げる。星が吊り下げられてるということは天井でもあるのだろうか。
「この世界の中心部にはおもちゃたちがたくさんいるから気をつけたほうがいいわ。襲われるわよ」
「えっ、そんなデンジャラスな!」
さらっと告げられた事実に私は目をむく。
「即死の怪我でなければワタクシたちが治してさしあげてもよくってよ。それにアナタたちにはこの世界だけで与えられる力もあるのだから」
「ち、力…?」
私がおどけながら言うと女王はショッピングモールの左手側にある森の方を指差した。
私がその指の先を辿る暇なく、一発の轟音がとどろく。
ドラマでよく聞くような拳銃の音。
「あらあらまあまあ。挨拶が手荒いことねえ」
「!?」
のんきに笑う彼女をよそに私は言葉を失った。
女王の胸元に銃弾の跡。だが出血することなく女王は余裕と品のある声で続けた。
「力っていうのはああいうもののことよ」
恐る恐る女王の視線と指の先に視線を送るとすぐ近くに男の子が立っていた。どこにでもあるような制服を身にまとった少年は漆黒の滑らかなボディの拳銃を構えたままふんわりと笑った。
「こんばんはハートの女王。あまりホラばかり吹くといけませんよ」
「お久しぶりねえ水槽の脳の坊や、ウフフ。ワタクシたち案内人にその力は効かなくってよ」
私はまだ状況に追いつけず呆然と突っ立っている。
少年は染めたようなキャラメル色の髪と目をしていてどこか人間じゃないような雰囲気だ。線が細くて超えも男の子にしては澄んでいる。
水槽の脳と呼ばれた彼は女王の言葉を聞いて諦めたように息を吐いてから構えをやめる。銃は音もなくマジックのように虚空へ返り、彼はおびえる私に向き直る。
「きみ、あまり彼女の言葉を鵜呑みにしないほうがいいよ。ハートの女王は何を考えてるか理解できないからって………あれ。なんで隠れるの」
私はさっとハートの女王の影に隠れた。
そして少しだけ顔を出し「おっ、男の人は苦手なんです」と小声で返すと女王がクスクス笑い「初対面で銃をぶっ放す人は嫌われるわ」とからかう。
「それもそうだね、失敗したな」
ひとしきり笑った後ハートの女王は私から離れ傘をさした。風もないのに彼女の体はふわりと宙に浮き私たちを見下ろせる高さまで上昇する。
「後のことは水槽の脳の彼に効くといいわ。ワタクシはお暇させていただくとするわ」
「え、そんな!」
初対面の男の子と二人きりはつらすぎる。しかも相手が軽く銃を撃ってしまうような危険人物と!
悲痛な私の叫びが顔に出てたのか彼は「そんなに怖がらなくても」と苦笑。
「ダイジョウブよ彼、女性の扱いは慣れてるから」
そういう問題じゃないっ。
叫びたいけど口がぱくぱくするだけ。
「残りの子達はやく集めてしまいなさいな」
そっか、まだ男の人がいるかも知れないのか。どうしよう。
私の心配をよそに今度は少年へ女王は挑戦的な笑みを送る。
「心配しなくてもシュレディンガーの猫には近づかないから安心なさいな」
「…そう」
和らいでいた彼の表情が急に険しくなる。冷たい刃物みたいな目つきでハートの女王を捕らえる。
「いくらワタクシが力に干渉できなくてもあんなのに近づきたくないものねえ」
「…はやく、消えて。できれば永久的に」
「それはムリねえ」
どんどん女王は上昇していき、やがてはひゅーんと塔のほうへ飛んでいった。
私はというとショッピングモール入場ゲートを通過しその影から彼を見つめている。
我ながら情けないと思う。
「ええっと、警戒するのもわかるけどそろそろこの場を動かない?」
困った彼は優しい声音で声を掛けてくれる。そこにはさきほどの冷たさはなくてただの少年だった。
物陰からそっと伺い私は小声で言う。
「兄から男には近づくなと釘を刺されていて……私自身あまり接する機会がなくて慣れてないんです。ごめんなさい」
「謝ることないよ、じゃあ一定の距離を置きながらみんなを探しに行かない?今日中にはあっておいたほうがいいよ」
私の言葉に気を悪くすることなく彼も入場ゲートうぃ抜けて私より前を歩き出す。ゆっくりな速度で。
「いける?」
「は、はい」
「じゃあ探索しながらこの世界での能力について話そうか」