どうしてこんな目に
どう見ても現代日本人には見えない堀の深い顔の人たちが、周囲をグルッと取り囲んでいる状態に恐怖を覚える。
従妹たちのようにハッキリとした悪意がある訳ではないが、それでも多数の人々に無表情で見下ろされるのは、心底恐ろしい。
その上、見覚えのない場所での出来事である。ビビるなと言う方が無理だろう。
すると一人の赤いダルマティカを着たおじさんが前に出て来た。
全員が白い法衣の中、彼の赤い衣装は派手に見えた。
そして座り込む私に向かって、こう言ったのである。
「これより聖女として命ある限り、この国のため民のために奉仕せよ」
……思わず放心してしまう。
いきなり聖女と呼ばれているのにも違和感を覚えるが、この国と民のために奉仕せよとはどういう事か?
ていうか、この国ってどこなの?
頭に疑問符を浮かべたまま反応を示さない私に、偉そうなおじさんは苛ついたのか、足音を響かせて近付いてきた。
そしてあろう事か私の髪を引っ掴んできたのである。
「いっ!」
痛みのあまり声を上げるとおじさんはフンッと鼻を鳴らし「声は出るではないか」と吐き捨てるように言った。
そして髪を掴んだまま、私の顔を覗き込んでくる。
「ふむ、確かにこの世界にはない黒髪と黒目だ。やはり聖女で間違いないはずだが、この野暮ったさはなんだ? しかも傷だらけで頬も腫れている。すでに一戦交えてきたとでも言うのか? 文献にある聖女はもっと神々しいはずなのだがな」
納得いかないと言うように、おじさんの手に力が入る。
髪を掴まれたままの私は、痛みと恐怖で体が震えた。
「ふん、まあ、いい。とりあえず聖女の力を見せてもらおうか」
髪から手を離したおじさんがそう言うと、後ろに控えていた白いダルマティカを着た二人の男性が、私を立ちあがらせて両腕を捕まえる。
「な、何? 何をするの?」
狼狽える私だが男の人の力は強くて、抵抗もできずにズルズルと引きずられていく。
無機質な部屋から出ると長い廊下があった。
廊下も石造りで、ポツリポツリと窓はあるものの飾りも何もない一本道の長い廊下を、ただひたすら引きずられていった。
周囲を見渡すが誰も何も言わずに、引きずられる私の後ろをただ黙ってついて来る。
ゾロゾロと移動する集団。気味が悪い。
そして一つの大きな扉の前に立つと、ドンッと後ろから強く押されて私一人だけが部屋の中に押しやられた。
バランスを崩し、手と膝を床に付いている間に扉は閉められた。
慌てて顔を上げるとその部屋は、先程の部屋よりも広く天井も高い。無機質なのは同じなのだが上の方は観客席になっているのか、先程の周囲にいた人々が座ってこちらを見ていた。
屋内スポーツ施設のような所だが、一瞬、闘技場が頭をかすめた。
何故か〔戦〕の一文字が頭に浮かんだのだ。
ドキドキと動悸が早くなる。
すると遥か先の方にある巨大な扉が、ギギギッと鈍い音を立てながら開き始めた。
嫌な予感がした私は立ち上がり、自分が押し込まれた扉を開こうとする。
しかし扉は全く開く気配がない。
「あの、すみません。ここを開けてください。私、帰ります」
観客席に向かって叫ぶが、全員無表情でこちらを見ているだけだ。
「あの……」
尚も声を荒げると、巨大な扉がガコンと大きな音を立てて開ききってしまった。
――恐怖で声が出なくなる。
そこに現れたのは、成人男性の三倍はある大きさの四つ脚の獣。
狼にも見えるそれの牙は以上に大きく、開いた口からは大量の涎がボトボトと零れ落ちている。
「ひっ」
逃げ場など全くなく、扉にくっつくぐらいしか出来ない。
恐怖に足は震え、今にも倒れそうになる。
血の気の引いた顔で、震えながら観客席を見上げた。
あの人たちは、私がこの化け物に食べられるのを見たかったのか?
それとも私に何かを望んでいるのか?
何かって何?
私には何も出来ない。出来ないからこそ、今までずっと叔父家族に虐げられてきたのだ。
私が唯一出来る事といえば耐える事だけ。
だけどこの状況で耐えてどうなる?
食べられるだけではないか。
恐怖と絶望で錯乱した私は、その場にペタリと座り込む。
そうか、あのコスプレ俺様男は結局、お母さんのネックレスを奪う言い訳が欲しかったのだ。
一時だけでも生き返らせればすぐに死のうが、交換条件は満たされる。
そう考えた時、グルルと唸り声を上げて獣がこちらに近付いてきた。
ゆっくりと一歩一歩距離を縮めて来る獣に、ひゅっと喉が鳴る。
ガタガタと震えるだけの手が、いつもの癖で喉元を触る。
ここにはお母さんがくれたネックレスがあった。
コスプレ俺様男に奪われたネックレス。
いつも辛い時はそれを握りしめて耐えていたのだ。
幸いな事に、そのネックレスに付いていたブルーサファイアは偽物で、叔父家族に取り上げられずに済んでいた。
もしもそれが本物の石だったら、とっくに奪われていただろう。
だけど結局、男にとられた。皮肉な話である。
もうここにはないネックレスを握りしめるように、両手を握りしめて祈る。
あの自称神様ではない。
両親とおばあちゃんに祈るのだ。
すぐに私も逝くからね。
「グギャアアアア!」
いきなり獣の獰猛な声が響き渡る。
しかしそれは獲物を前にして興奮した声ではなく、悲鳴じみた物だった。
そして観客席からも、どよめきが起こる。
恐怖はあるものの、その声が気になり恐る恐る目を開けると、何故か私の周囲には銀色の粒子が光となってキラキラと散っていた。
何だ、これは? と辺りを見渡すと、獣がその光に包まれていた。
その光は何故か獣を苦しませているようで、暴れながら苦痛の声を上げていた獣は、次第に動きが鈍くなっていく。
動きを完全に止めた獣は、その場にドウッと大きな音を立てて倒れ込んだ。
振動で私の体は少しだけ宙に浮いた。
身動き一つしない獣は、その命を失ったのだろう。
呆然とその様子を見ていた私は、食べられる恐怖から、目の前の命が奪われた恐怖に、またもや震えが起きる。
一体何が起こったのだろう?
握っていた両手を外してギュッと体を抱きしめると、その光は消えていった。
ガタガタと震える私をよそに、観客席からはブラボーの拍手。
「何とも素晴らしい力だ」
「召喚は成功していたのだな」
「祈り一つで魔物を討伐出来るなど、聖女以外の何者でもない」
「これで我が国も安泰だ」
盛り上がる観客席の人々に、私の恐怖はますます増した。
何、この異様な雰囲気は?
歓喜する人々に怯えていると、私の後ろの扉がギギギッと開いた。
命の危険があった時は開かなかった扉が、今は簡単に開いている。
そこから現れたのは、先程の赤いダルマティカのおじさん。
「お前は確かに聖女のようだ。これからは我が神殿の預かりとする。感謝して尽くすように。こちらに来い」
私の方に手を伸ばすおじさんだが、未だに震える私は身動き一つ出来ない。
おじさんはチッと舌打ちすると、先程私を引きずっていた男たちに神殿に連れて行くように指示すると、その場を去ってしまった。
これから私はどうなるのだろうか?
震える体を抱きしめたまま、私は恐怖に心が冷たくなるのを感じていた。




