第121話 反面教師になりそうな声音。
修学旅行の一日目。
夕食前の俺は大広間にて騒ぐ咲と女子校の面々に注視した。
「え? あの寺院の近くに居たの?」
女子校の〈百合の間〉、俺達が食事を行う〈楠の間〉。
そこは数枚の襖で仕切られているだけの大きな一室。
咲と女子校の友達は襖の一つを開け放ち、
「ええ。添乗員さんの案内で、まわっていましたので」
「そ、そうなんだ」
少々行儀は悪いが食事しながら楽しそうに会話していた。
女子校の教師達も態度を咎めることはせず四人の会話を見逃していた。
「な、なら、あの寺の土産物屋は行った?」
「そこはまだですね。明日の自由行動で……」
今のところは、だが。
俺も咲に丸投げしつつ、料理の風味に舌鼓を打っていた。
すると俺の隣で刺身を食す灯がボソッと問いかけてきた。
「おい、明。折角の夕食時なのに、いいのか?」
「何が?」
「いや、大事な嫁を……取られて」
「取られる?」
俺は「取られる」と聞いて怪訝になった。
灯は一体、何が言いたいのか?
今の咲はある意味で情報収集しているだけ、だからな。
食事前、現地に大量の警備員が居た理由を俺と共に垣間見たから。
「この食事も大切な思い出作りだろ? あの子等の関係……俺は知らないが」
「ああ、そういう事か」
灯は灯なりに心配してくれたんだな。
修学旅行という学生だけの団体旅行の思い出作り。
小学生時代は海外在住で一切関わっていない。
中学生時代は帰国していたが休みを選択した。
咲も女子校に通っていたから俺と関わる事すら無かった。
高校でも休むつもりでいたが咲との思い出を欲して参加した。
飛行機では小咲が顔を出した所為で時間を奪われた。
寺院等では一緒に歩きながら多くの思い出を作った。
だが、景観を壊す警備員が犇めいていたので、
「そういう事か、って?」
「大丈夫だ。もう少しすれば会話も終わるから」
咲は警備員を回避するため、友達の予定を聞いてもらっていた。
「そ、そう、なのか?」
「ああ。それに、あちらの見逃しも、少しすれば、ほら?」
「ほら? あっ……」
灯は襖の奥から重苦しい空気が迫っていた事に気づく。
女子校の食事はとても静かだ。騒がしい三人だけ悪目立ちしているように思える。
咲も友達の背後から忍び寄る教師に気づき自身の夕食へ意識を割いた。
「も、もう、焼けたかな?」
女子校の友達はきょとんと、突然視線をそらした咲をみつめた。
「「「や、焼けた?」」」
俺達の席からも視認が出来た女子校の教師。
いかにも厳しそうな雰囲気にヒヤッとした。
「あっ……焼き過ぎてた」
咲は牛タンを裏返して黒焦げに消沈した。
火を点けて長時間会話に夢中だったから仕方ないが。
「俺の牛タンをやるから、これを喰え」
「あ、ありがとう、明君」
「勿体ないから、こちらは俺が貰うよ」
「ご、ごめん」
「ジャリジャリするが、味わい深い」
「そ、そうなんだ。ごめんね」
「別にいいよ」
メニューに牛タンの入っていない女子校の面々は察しの表情に変わったが、
「「「……」」」
背後から迫り来る教師に気づいてすらいなかった。
「コホン!」
「「「あっ!」」」
咳き込みで気づいて姿勢を正して黙々と食事を開始していた。
開けっ放しの襖も無言の教師が、音もなくスーッと閉めた。
そんな沈黙の空気がこちらにも伝わってきて、
「「「……」」」
騒いでいた男子達も一瞬で沈黙を選んだ。
沈黙を打ち破ったのは山田の一言だった。
「さ、騒がしい公立と沈黙の女子校の差がパない」
「あ、ああ。お、おっかねぇ教師だな。あれ?」
「ええ、場の空気を一瞬にして凍らせましたね」
灯の隣で大量のご飯を口に放り込んでいた碧も、口の中に含んでいたご飯を、一口で飲み込んでしまうほどの迫力があった。
その教師の詳細を知る者はこの場に二人だけ居た。
それは直前まで三人と会話していた咲。
「あの先生、相変わらず、だね? 瑠璃」
隣で聞きに徹していた瑠璃だった。
「そうね。マナーの教師だから仕方ないけど」
「「「「「「マナーの教師」」」」」」
あ、あれが、令嬢を令嬢たらしめている元凶か?
こちらの女子生徒ですら一瞬で沈黙させた鋭い眼光。
食事は黙って食べる。それを素で行わせる女性教師。
やっぱり娘が産まれたら公立に通わせる方がいいな。
「言いたいことは分かるが、お通夜ではないのだから、少しくらいは良いと思うが」
「そうそう。味の感想くらい口にしたいよね! 美味しいね、このデザート!」
「ですね。重苦しい空気でご飯を味わうなんて辛いだけですし」
「「ご飯、お代わり!」」
「ご飯はもうありません!」
「「なん、だと?」」
「ごめんなさい。私が全部、いただきました」
「「マ?」」
碧が一人で平らげたご飯。
御櫃に結構な分量が入っていた気がするのだが?
ともあれ、一瞬で静かになった夕食は男子達のバカ騒ぎから少しずつ喧噪を取り戻し、食事を終える頃には本来の騒がしさに戻った。
「旅先の飯は楽しみながら食べるに限る!」
「「そうだそうだ!」」
それこそ隣から数回の咳き込みが聞こえてきたが「知るか」の空気だな。
食後は俺達のクラスから大広間を出て思い思いに部屋へと戻って行った。
俺達も同じ班の樹美紀、間仲由真、オマケの山田を最上階へ連れて行くか話し合っていた。
「樹達が俺達の部屋に居る間、俺はロビーで寛いでくるわ」
「えー? そこは一緒に居ようよ!」
灯と碧は自販機の前で飲み物を探していたが。
「いや、ある意味女子会だろう? アレクが訪れるまで瑠璃も居るし」
「女子会ではないよ? 山田君も居るし!」
「や、山田は……女子だろう? 女顔だし」
「そうそう。俺も女子……って、なんでやねん!」
教師達に見つかると面倒だったので隣室側に寄って話し合っていたのだ。
すると隣室から妙に甲高い声音が響いてきた。
「ねぇ? と、隣から説教が聞こえるのだけど?」
「た、確かに聞こえてくるな。耳の痛い声音が」
「そこで、なんで私を見るのよ?」
「「超音波な声音?」」
「うぐっ」
声音に気づいたのは間仲と俺だった。
それは一時期の瑠璃を彷彿とさせる声音。
その場に残った全員で襖に近づいて、耳を澄ませる。
「とんでもないな。高校最後の旅行くらい楽しませたらいいのに」
「私、この女子校に通っていなくて良かったです! 息が詰まりそうで」
「俺も公立で良かったって思うぞ。男子校も男子校でホモが多かったらしいが」
「ホ、ホモって」
「あいつの事か」
「「外部受験して良かった!」」
内部から響くのは自身の淑女らしさを生徒達に押し付ける説教であった。
「外まで響く説教の時点で『お淑やかとは?』って疑問に思えるのだけど」
「うんうん。見本となるべき教師が、お淑やかの対極を示しているとね?」
「どの口が言うって感じよね? ただね、あの先生は行かず後家だから」
「「「「「「行かず後家?」」」」」」
瑠璃の言う「行かず後家」の一言。
事情を知る咲と瑠璃以外がきょとんとなる一言だった。
「実はあの教師、女子校のOGでね。今の年齢になるまで男性経験が無いそうよ」
「そうそう。男性よりも女性が好みの……重苦しい百合的な問題女教師、でね?」
「例えるなら、ウチの高校でいう市来先生みたいな感じなんだけど」
ん? 市来先生?
俺は瑠璃の例えに疑問を持った。
「いや、市来先生は男性経験、あるぞ?」
「「「「「は?」」」」」
経験の言葉で女性陣だけきょとんって。
(セクハラになる単語ではあるのか?)
俺は知っていた理由を一同に示した。
「先生はシングルマザーだから、あのキンキン声の女教師とは異なるぞ」
「「「「「「「シングルマザー!?」」」」」」」
つか、声がデカいって。
今回の修学旅行には随行していないからいいが。
「し、市来先生って中古だったのか?」
「山田は市来先生から説教されてこい」
「ごめんなさい」
山田は担任の説教で懲りていないのか?
打ち合わせ中の担任の耳がピクピクしているから小声で話すが。
「先生はバツイチだ。時々だが女児と両親が訪れていたからな」
「「「バツイチ!?」」」
「りょ、両親って?」
「高校教師は生活が不規則だから。ある程度育つまでは実家に預けているんだと」
これは飲兵衛のマンションに居た時に知った先生の事情だ。
それは長期休暇の時期、掃除中に何度かご両親と挨拶した覚えがあるからだ。
「そ、そうなんだ」
「出会い云々で妙に騒がしい先生だけど」
「私生活でそんな裏話があったなんてね」
「人は見かけにはよらないのね。意外だわ」
「ですね。意外過ぎて驚きました」
「一度失敗しているから、次こそは成功させたい気持ちが表に出ているのかもな」
肝心の相手については俺達が良く知る教師であった。
元夫婦が同じ職場ってなんぞと思うが仕方ないよな。
俺は元夫を良く知る者達を一瞥しつつボソッと呟いた。
「バスケバカが相手だと苦労するってことか。俺も気をつけよう」
バスケバカ。
この一言で誰が元夫か判明するわけで。
「「!?」」
「明君?」
咲は気づいていないが碧達はそれだけで察してしまい、
「俺、家庭を大事にするわ」
「私も家庭を大事にするね」
別の意味で決意を表していたのであった。
お前等には別れる道なんて無いだろうに。
それは俺と咲も同じなんだが。
「明君?」
「ずっと一緒に居ような」
「う、うん」
俺達は行かず後家の話題を聞かなかった事とし揃って最上階へと向かった。
騒がしいキンキン声の説教は延々と続いていたけどな。
§
騒ぐだけ騒いだ最上階でのひとときも一瞬で過ぎ去っていった。
瑠璃はアレクが合流した時点で部屋へ帰っていた。
碧達もレポートと思い出作りで戻っていった。
俺は寝る準備を咲は班員をエレベーターまで案内した。
「おやすみ。また明日」
「「おやすみ」」
「また明日」
咲が戻ってきたあとは夜景を眺めながら横になった俺達だった。
「明日、楽しみだね」
「だな」
ちなみに、隣室のキンキン声は業を煮やした宿の従業員が片付けに入って行くまで続いたようで、打ち合わせに出ていた上役から説教され、学校に戻されたそうだ。
これは咲の友達がメッセージを通じて報せてきた内部情報である。
地声なら分からないか?