第020話 剣聖
山を降りて麓の村で用を済ませる。
酒場に寄って、父親に遅い朝食を作っているアリシアと二言三言会話をしつつ、仕入れのついでにまとめて購入してもらっている食料を背負い袋に詰めた。
山の上に戻ろうとすると、唐突に人が声をかけてきた。
「もし、少しお尋ねするが」
その男は軽そうな服に身を包んでいて、腰には剣を帯びている。一目で武芸者だと分かった。
二十代も後半といったところだろうか。
「ゲオルグ・オーウェインに御用ですか?」
「話が早い。その通りだ」
「どのような御用でしょうか」
大抵用事は同じなのだが、たまに戦友だという人が尋ねてくるので一応訊いておく。
「我が名はロッコー。高名な剣士であるゲオルグ殿と立ち会いを所望する」
やはり同じ用事だ。立ち会いというのは、要するに決闘というような意味の言葉である。
この辺は最近とみに魔獣の出現が増え、ゲオルグとおれは腕試しに相当数の魔獣を狩っているので、なんとなくゲオルグがこの周辺に定住しているらしいという噂が流れてしまった。すると、こういう人たちが増えてきたというわけだ。
この人も本当なら山の上に直接行きたかったのだろうが、村長が村人たちに家の場所を喋らないよう言い含めているので、聞き出すことが出来なかったのだろう。
「構いませんが、先におれが木刀で相手をして、勝ったら案内するように言われています」
「君はオーウェイン殿の弟子か?」
「そうです」
「ふっ、まあよい。そういうことなら立ち会おう」
そもそも平穏に暮らしている人間に対して「俺と戦え」というのは非常に失礼というか、失礼ではないにしろ重い頼み事であるのだから、願い出るにしてもそれなりの態度があると思うのだが、この人はなんなのだろう。
まあいいか。
「それでは、こちらについてきてください」
おれは酒場の裏手に武芸者を案内して、背負い袋を置いた。
「木刀はそちらに立ててある中から、好きなものを選んでください」
「うむ」
おれはいつも使っている木刀を手に取った。
ロッコー氏は木刀もろくに調べずに無造作に一本を取る。
「付呪具は一切なしだな」
ロッコー氏は木刀を握って、鞘ごと腰から剣を外して壁に立てかけた。腰帯から杖入れも外してその近くに置く。
木刀勝負というのは、付呪装や魔法剣を使わないのが普通だ。
この世界の剣士の装備は、武士の刀などと違って性能差がとんでもなくあるので、質のいい装備をしているほう――要するにお金を沢山使って強い装備を揃えたほうが圧倒的に強くなってしまう。
更に初見殺しのような付呪装も多いことから、剣士による腕試しの勝負といえば付呪装なしで行うのが通例のようだ。そうでないと、なんというかお互い悔いが残る感じになるのだろう。当然、両者が望めば話は別で、なんでもありの殺し合いの勝負をすることもある。
木刀だけで戦う勝負が強かったところで実戦で強いことになるのかというと疑問だけれど、ゲオルグによると実戦では魔術が上手ければ上手いほど敵の戦士は近く寄って接近戦に持ち込もうとしてくるので、やはり刃を交える場面というのは尽きないらしい。まあ直結はしないにしろ関係性はあるといったところだろうか。
「では、始めるとしようか」
「このコインが落ちたら開始です」
おれは一枚の銀貨を手に乗せ、親指で思い切り上空に弾き飛ばした。
正眼に構えて銀貨が落ちるのを待った。
ぽとん、と地面に落ちると同時に、相手は「エイッ!」と掛け声をあげながら踏み込み、木刀を袈裟に振り下ろしてきた。
それを木刀の腹で斜めに受け止めつつ滑らせ、腕を折りたたみながら斜めに足を滑らす。そのまま切り返して腰骨のあたりを抜き撃った。
「―――なんのっ!」
なにが「なんの」なのか分からないが、ロッコー氏はこの程度では勝負はついていないとばかりに、再び木刀を振り下ろした。
おれは体捌きでそれを避けながら、スネを思い切り木刀で打つ。
「グッ」
ロッコー氏は奇妙な声をあげると、膝を押さえてうずくまる。
おれは体格も力もまだまだだけれど、木刀が思い切りスネに入ったら大人でもさすがに痛いだろう。
正直なところ、最初にやってきて袈裟の打ち込みで、こちらを子供だと思ってくそ舐めてきていることは分かっていた。
二人に一人はこうだ。大人というのは、どうも子供に対して本気で当たるという行為をしたがらないらしい。最初は舐めてかかる……というか、本気を出さないで余裕を見せつけて勝ちたがる。特に、他人の目がある状況だとその傾向が強い。
「うぅう゛~~~」
よほど口惜しいのか、ロッコー氏はこちらを睨んでいる。
こういうことがあったのは初めてではないので、その視線には慣れていた。
「――――ッ!」
と、ロッコー氏は唐突に跳ね起きると、壁に立て掛けてあった魔法剣のほうに向かった。
霊体の中で瞬時に魔術を編み、発動させる。差し向けた手の先で、小さな空気の爆発が起きた。
ボンッ、と魔法剣と杖入れが遠くに吹き飛び、何本かの杖が散らばった。
「真剣勝負ですか?」
おれはロッコー氏の足元の土に魔法をかけ、壁に向かって固まっている彼を半円形に囲い込むようにして、鋭い円錐になった土を次々と隆起させた。
「構いませんよ。好きなときに降参してください」
鋭い先端に囲まれて動けなくなった彼に対して、徐々に円錐を成長させてゆく。
土から岩石を形成する魔術は、大量の魔力を消費する。なので、実はこの円錐は痛いのを我慢すれば突破できる程度の堅く締めた土にすぎないのだが、やはりそんな気は起こらないようだ。
垂直にジャンプして、背後にある酒場の壁を蹴って脱出するという発想も起きないらしい。ただただ、プライドと恐怖がせめぎあっているような顔をしている。
いよいよ円錐の群れが喉元に刺さりそうになった時、
「分かった! 分かった、降参だ……」
と声が上った。
「そうですか。では、師匠との立ち会いは諦めてください」
おれは円錐をバラして土に戻し、置かせてもらっている木刀を元の場所に戻した。
そして手ぶらで背負い袋を背負うと、ロッコー氏の追跡がないことを確認しながら山道を登った。
◇ ◇ ◇
「立ち会いって、あんま意味ない気がする」
おれは山に登って事の顛末を話すと、冒険活劇の本を読みながらのんびりと待っていたゲオルグに愚痴を吐いた。
「なぜそう思う?」
ゲオルグは座ったまま答える。
「ゲオルグのほうが強いし、勉強にならないもん。勝ったら恨みも買うでしょ? そりゃ戦争とか強盗に遭ったら戦うのも仕方がないけど、単なる腕比べで戦うのは不毛だよ」
「あいつらは無視してもしつこいから仕方がない。勝てば勝つほど名声が高まる。名声が高まれば挑まれる。それは当たり前のことだ」
「ゲオルグもあんなことしてたの?」
世間の武芸者が平均的にどう思ってるのか知らないが、はっきりいって迷惑でしかないような気がする。
「してない。尖ってた頃は木刀勝負なんて本当の戦いじゃないと思ってたしな。野良試合なんぞしなくても、戦争で百人斬りとかをやっていれば名なんて自然と広がるもんだ」
「じゃあ、どっちみちああいうことされるのは避けられないじゃん」
「こうやって定住してるから見つけられるんだ。偽名を使いながら旅をしてれば滅多に来ない。あとは真剣勝負しか受けないぞと言う手もある。普通はそう言えば引いていく」
そりゃゲオルグなら引くだろう。聖剣持ってる剣聖となんでもありで勝負をしようなんて人がいるのだろうか?
功名心ではなく純粋に腕比べをしたい人だとしても、その人がやりたいのはシリアスな駆け引きであって、何をしてくるか分からない相手と戦って何も出来ずに死ぬなんていう手応えのない死は嫌なはずだ。よほど腕前が極まっていて戦ってくれる相手を探しているとかいう事情があれば歓迎なのかもしれないが、普通だったら嫌だろう。
反対におれの場合だったらどうか。相手はナメくさってくるわけだから、ゲオルグの場合とはぜんぜん違う。引いてくれないパターンは激増するはずだ。そしたら本当の殺し合いになってしまう。
「うーん……」
「お前、面倒だから嫌っていうより、ままごとみたいな戦いをすると腕が落ちるような気がしてるんじゃないか?」
ハッとさせられた。
そうかもしれない。おれは、学びにならない無駄な仕事だから嫌だったのではなく、学びどころかマイナスになっているように感じられたから嫌だったのかも。
「うん。そうかも」
「それは真剣勝負の殺し合いでも同じだ。俺なんか、戦場の真っ只中に行ってもぬるま湯に浸かっているように感じられたからな。六分の力でなんでも斬れる状態に身を置いていると、六分だったはずのものが全力になってしまうのが人間だ」
「じゃあ、どうしたらいいの? ゲオルグといる間ならいいけど、離れ離れになったら腕が落ちちゃうじゃん」
ゲオルグ以上に強い者はいないのだし、一生ゲオルグに稽古をつけてもらうわけにもいかない。
ゲオルグから離れたら腕が落ちていく一方になるのであれば、鍛えても甲斐がない。
「それは、俺との戦いを思い出して修行するしかないな。俺はいつも剣神との戦いを思い出していた。もう頭の中で何万回戦ったか知れん」
「覚えてるんだ。もう二十年以上昔のことでしょ」
「これが不思議なもんでな。お前と違って俺は物覚えの悪いほうだが、やつとの戦いは動きの隅々に至るまで全部覚えている。半日も戦い続けたのにな」
思わず眉をひそめた。本当だろうか?
半日かけて観た何本かの映画の台詞を全て覚えている、みたいな話なら分かるけれど、剣神との戦いは秒を刻むような斬り合いだったはずだ。それを半日も続けていたとなると、細部までの動きを全て覚えているというのは物凄いことだ。
それとも、ゲオルグほどの極みに達した剣士が一生涯に一度の機会と挑んだ勝負というのは、そういうものなのだろうか。
「せっかくだから、今日はその時の戦いを教えてやろう。まあ、タッパが大分違うからやりにくいが、ちょっと長めの木刀を持って、今の俺くらいの身長まで成長したと思ってやってみろ」
ゲオルグは剣を持って立ち上がった。
「うん。よろしくおねがいします」
◇ ◇ ◇
「剣で受けながら避けろ」
おれはゲオルグの袈裟斬りを剣の腹で軽く受けながら避けた。
「そこでおれはちょっと凝った技を出した。そこから胴を斬ってみろ」
「うん」
おれは剣を受け流しながら切り返し、胴を打とうとした。先程のロッコー氏にやったのとほとんど同じコンビネーションだ。
あのときは身長差があったせいで腹ではなく腰を撃つことになってしまったが、同じくらいの体格なら腹を裂くことになる。剣で受けることで相手の剣筋を外しながら胴を撫で斬る、基本的なコンビネーションだ。
「するとこう避けるな」
ゲオルグは上半身を引いて一撃を躱した。先程のロッコー氏のものと違い、あくまでコンビネーションの一部として放っただけの攻撃なので、体に避ける余力が残っている。
これが、体の勢いが前を向いていて、更に足も腕も腰も伸び切っていると、即座に体を戻すことはできない。
「うん」
「この時俺は剣先を見てない。上半身の動きで剣先を予測しているわけだ」
「そうだね」
「だから、途中まで胴を狙うのとまったく同じ動きをして、最後だけ変化をつけて前に出ている足を刈る。相手が胴を狙うと錯覚したらもう終わりだ。脛は数センチ刃が入っただけで骨に達するから、剣の先が僅かに引っかかっただけでも足が使えなくなる」
……なんとも殺人的な技だ。
「やってみるか。まずは打ってきてみろ」
「うん」
おれが剣を頭に打ち込むと、ゲオルグは剣を弾いて技を繰り出した。
足を狙ってくると分かっていても一瞬腹を斬られると思ってしまうほど見事な欺瞞で、ゲオルグは最後の一瞬だけクッと手先を動かし、脛にかかる寸前で木刀を止めた。
おれの上半身は安全圏に逃げているが、前に突き出して体を後ろに逃した脛には剣が接している。
複雑な気分だ。突然これを繰り出されたら、おれだったら足を持っていかれてしまうだろう。
判断をする時間が本当に僅かなのだ。ドアをコンコンッ、とノックするくらいの間隔で、受けられたと思ったら腹が狙われていてフェイントだと気づいたときには足がなくなっている。とっさに胴を引きはじめたあとに気がついても絶対に間に合わない。
「このときおれは剣神の顔を見ていたんだが、目線を少しも動かさずに足だけをバッと屈げ伸ばしして避けた。最高のタイミングで剣が通過する一瞬だけ外したわけだな。おれも手応えがないから、何が起こったんだかよく分からなかったくらいだ」
「……なにそれ? そのときのゲオルグが今より下手だったってことではなくて?」
「いや、技のキレは今より格段に上だったからな。下手ってことはないだろう」
「ううん……」
聞けば聞くほどとんでもない相手だ。
「さっきも言ったが、剣神は人体の限界を何段も超越したようなバカみたいな技は一つも使ってこない。筋力も瞬発力も、当時のおれと比べて勝っていたわけじゃないだろう。単に技術が恐ろしいほど優れているだけだ」
「技術とかそういう問題? あんなの初見でどうやったら避けられるの」
「正確には分からんが、俺のフェイントに僅かな癖があったのを拾ったのか……それか、一連の流れの中に凡庸な胴斬りを挟んできたことに違和感があったのかもな。その両方かもしれん」
あれに癖? そんな判断ができるものなのだろうか……。
何百年……ひょっとしたら何千年という膨大な戦闘経験から、恐ろしく勘がよく働くとか、そういう感じなのかもしれない。
「もうそろそろアリシアの昼飯ができるころだな。もうずいぶんやったし、今日はこれで終わりにするか」
「うん。ありがとうございました」
おれはぺこりと礼をする。
ゲオルグは木刀をいつも使っている傘差しのような筒に差して、家の中に入っていった。
その背中を見て、おれは剣神との戦いのことを想像していた。
腕前のみの差をまざまざと見せつけられて敗北した。もっと強くなったらもう一度戦おうと言われて、聖剣を与えられてどこかへ消えた。
もし、剣神が竜人のように人外のスペックでめちゃくちゃやってくる相手だったとしたら、ゲオルグも再戦に固執することはなかったのかもしれない。
鍛えられた体は対等で、差が剣の腕前しかなかったからこそ諦めきれなかったのだろう……。
なぜ剣神はゲオルグともう一度戦ってあげなかったのだろう?
そんなことは、幾ら考えても分かるはずがなかった。
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