第021話 お仕事
「じゃあ、今日はこれで失礼します」
アリシアがぺこりと頭を下げた。
「うん。お疲れさま」
イーリが言うと、アリシアは小さなバッグを持って玄関から出ていった。
「送っていくね」
「ああ、そうしてあげなさい」
ぱくぱくと早めに料理の残りを食べ終えると、おれは玄関を出て足早にアリシアを追いかけた。
「アリシア、送るよ」
「ありがと、ルシェくん」
おれは手のひらから懐中電灯のように行く先を照らす光球を浮かべた。
これも練習だ。全方向に光を放つ光球を浮かべるのは簡単な部類の魔法だが、それに指向性を持たせようとすると格段に難度が上がる。だが、これは特に極めておかなければならない発現素子の一つだった。
「それ、便利だね」
「うん、まあ」
便利なのは確かだろう。ランプや松明のような炎を光源にする明かりとは、比べ物にならない光量が出ている。
「なんだかみんな凄いなあ……私なんか家事くらいしかできることないのに」
「それで十分だと思うけど」
「イーリさんは物凄いお金持ちだし、ゲオルグさんも凄く強い人なんでしょう? ネイさんもルシェくんも一生懸命頑張ってるけど、私には何もないもん」
「毎朝早く起きて、きちんと仕事してるじゃん。酒場に大勢いる大人たちは気晴らしにお酒を飲まなかったらそれを続けられないんだから、アリシアは普通より凄いと思うよ」
おれはロクに働きもせず子供にたかる最悪の人間が身近にいたので、人間というのはここまで終わった存在になれるのだという限界のようなものを知っている。
アレと比べれば、アリシアは立派すぎるほど立派な人間だ。比べるのも失礼なくらいだ。
「慰めてくれてるの? ありがとね」
「いや、心の底からそう思ってるだけだよ」
「……でも、家事なんて誰にでもできることだしさ。ルシェくんだって時間をかければできるでしょ?」
誰にでもできるとは思わないが、確かにできる人が多い仕事ではあるかもしれない。
「……アリシアからすればなんだか物凄く頑張ってるように見えてるのかもしれないけど、おれもネイも好きでやってるだけだからね。ゲオルグも昔はそうだったし……まあ、イーリは大貴族の家で厳しく育てられたらしいから、ちょっと違うかもしれないけど。でも、みんなやりたくもないことを嫌々やってるわけじゃなくて、好きでやってるんだよ。だから、一生懸命頑張ってるとか、そんなに大げさに考えなくていいんじゃないかな」
少なくともおれは、イーリが機会を与えてくれたからそれに乗っかっているだけだ。魔術を極めるのは純粋に楽しい。過去に学んだ科学体系の欠けた部分を埋めて、巨大なパズルを完成させるような楽しさがある。ゲオルグの強さに近づけると思うと、剣術をやるのも苦ではない。別に辛いことを続けているわけではないし、苦労しているという実感もない。
”頑張る”と”苦労する”は別の概念だ。何が違うかといえば、”頑張る”は”楽しい”と両立することがある。
「……ありがとう。なんだか嬉しいな」
「アリシアはなにか他にやりたいことがあるの?」
「うーん……そう言われてみれば特にないかな。お店はそこそこ繁盛してるし……将来的には、酒場を継ぐんじゃなくて別のお店をやりたいけど」
「じゃあ、そのためにお金貯めたらいいんじゃない?」
将来何かをするためにお金を貯めるというのは、十分頑張っていることになると思う。
「……そうだね。今貯めてるお金もそれに使おうかな。ルシェくんはどんなお店がいいと思う?」
なぜかおれに訊いてきた。
「なんだろう……」
酒場を継ぎたくないというのは、要するにあの粗雑だったり乱暴だったりする男たちばかりの客層が嫌なのだろう。それときっぱり縁を断つのであれば……。
「やっぱり、喫茶店とかかな。アリシアは丁寧に掃除ができるし、お茶の淹れ方も上手くなったし、礼儀正しくて愛想もいいしさ」
喫茶店というのはおしゃれで清潔な店内、愛想のよい接客が大事で、お茶の美味しさなどは繁盛する条件としては二の次だと物の本に書いてあった。
やたらとお金がかかるので日常では縁のない施設だったが、大人との打ち合わせやインタビューで数回入ったことがある。
「喫茶店かぁ……すごく憧れるけど、私の村だとちょっと厳しいかもね」
「……ああ、ごめん。それはそうかも。もうちょっと都会じゃないと」
村には喫茶店なんてないし、そういう文化も馴染んでいない。男たちは仕事の休憩におしゃれな喫茶店など入りたいと思わないだろうし、女たちもそんなゆとりのある生活をしている人は少なそうだ。
「じゃあ、引っ越しかぁ……でも、お父さんを置いていくわけにはいかないからなぁ」
「……そうだね」
少し前、アリシアが帰った後でイーリとゲオルグが話していたのだが、この地域は魔王軍の侵略の脅威に晒されていて、おそらくあの家にはあと一年も居られないだろうと言っていた。
それを考えると、アリシアはどの道あの村を捨てて引っ越したほうがいいことになる。
だけれど、それはただ聞いただけの話なので、不安にさせるようなことを言いたくなかった。
「でも、褒めてくれてありがと。もし酒場が上手く行かなくなったら、お父さんと相談して都会に出るのもいいかもね」
「……うん」
「ルシェくんはどうする? 一緒に来たい?」
ふわっと意識全体が疑問符に包まれたような気がした。
アリシアと一緒に行く?
「どうだろ」
正直、全然イメージが沸かなかった。
「……ダメだよね」
アリシアは寂しそうな顔をしている。
「わかんないよ」
月並みな感想だが、突然言われても。という感じだ。
「ダメだよ。だって、ルシェくんは私とは生きてる世界が違うもん」
なんだか不思議なことを言い出した。
生きてる世界が違う?
「ルシェくんは、きっとあと何年かしたら凄く立派になって、王様に呼ばれて話をしたり、なにか私には想像もできないような大きな仕事をするようになるよ」
「そんなの、わかんないよ」
「きっとそうなる。一年近く見てるんだもん。あのイーリさんが、ルシェくんを教えている時には何度も驚いた顔をしてた。きっと、私がなにを教わってもあの人の期待を上回ることなんて一度もないと思う」
そんなことは分からない、と思いながらも、それはそうかもしれない、と思ってしまっていた。
イーリは、産まれた時からとびきり優秀な人々に囲まれてきた人だ。人より少し優れている程度のことでは驚かない。
「ルシェくんは特別なんだよ。だから、私と一緒にはいられない」
なんだろう、この気持ちは。
アリシアは前の世界でおれに意地悪をしてきた連中とは違う。
別に、アリシアはおれに嫉妬しているわけではない。最初から競っていないからだ。誰かにおれと比べられたわけでもない。だからアリシアに敵意はない。
ただ、遠くに見ているだけだ。多くの人ができることをして当たり前に生きていく自分と、他人にはできないことをして生きていくおれとを比べている。さながら身分社会のように、才能の違いだけで生きる世界も違うのだろうと思っている。
今は隣を歩いているのに。
「確かに、おれがアリシアと一緒に行って、例えば喫茶店を手伝っても……そのうち、なにか別のことをしたいと思うようになるかもしれない」
「……うん、そうだよね」
「でも、アリシアとお別れしなくちゃいけないってことにはならないよ。近くに引っ越してもいいんだしさ」
別に、イーリが引っ越したとしてもアリシアがついてくることはできる。
引っ越し先のどこかで喫茶店を開くことだってできるだろう。
「そういうことじゃないよ」
アリシアはやっぱり寂しそうだった。
「友達じゃ嫌だもん。近くにいて、たまにルシェくんが遊びに来て……それはできるかもしれないけど、辛いよ」
「ううん……」
どう返せばいいのだろう。どんなに考えても、上手な答えが出てこない。
お別れしたくない、とわがままのようなことを言えばいいのだろうか。友達じゃなくなっていく可能性だってある、なんて言ってみればいいのだろうか。そういう気休めには意味がない気がした。最初から答えなどないのかもしれない。
元気づけてやりたいとは思うけれども、答えがないのなら何を話せばいいのだろう。
「……おれはアリシアのこと、好きだよ。でも、アリシアの欲しい好きとは違うかもしれない」
率直に気持ちを伝えた。
「ありがと。嬉しいな」
アリシアははにかむように微笑んだ。
その笑顔はとても素敵だった。本当に好きになってしまいそうなくらいに。
でも、アリシアはそのまま山を下って歩くだけだった。私も好きだとは言わずに、今心の中にある嬉しさを楽しむように歩き続けた。
「着いちゃったね」
いつのまにか麓の村にまで着いてしまっていた。
「ルシェくん……送ってくれたお礼に、お風呂入っていく?」
「え、うん」
とっさにうんと言ってしまった。
アリシアを突き放すようになってしまう気がしてしまったのかもしれない。
「……じゃあ、いこっか?」
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