90:ラファイルさん@日本
言うまでもなく甘回です。
音が聞こえる。
ギターの音……
エレキギターの、生音……
私は目を開けた。
ベッドに座って、ギターの練習をしている夫の背中がそこにあった。
なんかデジャヴだな……
目覚めたら夫がピアノを練習していたなんてことがしょっちゅうあった。
住む世界が違っても、やっぱりこの人は変わらない。
部屋は薄暗くて、外はもう日が暮れたみたいだ。何時だろう。どのくらい寝てたんだろう。
時計を探して起き上がると、ギターの音が止んだ。
「マルーセニカ。起きた?大丈夫?」
「うん、ごめん結構寝ちゃってた?」
「俺もちょっと前に起きた。今7時だよ」
振り返ったのは間違いなく、ラファイルさんだ。
ギターをベッドに立てかけて、起き上がった私にキスをしてくる。
「ご飯、食べに行く?」
「そうだね。……さすが、この世界でも変わらないね、その練習っぷり」
「あのときよりマシだとは思うけど」
ふふ、と二人で笑った。
「立てる?マルーセニカ」
「大丈夫……ちょっと痛いけど」
「はい、ローブ」
ラファイルさんが私をローブで包んで、立つ手助けをしてくれた。
私は今ちょっと体がツラいことになっている。
私たちは空港で再会して、滞在するホテルに直行した。
互いに夫婦と認識している男女が半年ぶりに再会したとなればどうなるかは言わずもがな。
つまりそういうわけである。
こっちでは結婚まで貞操なんて概念はもはやないので、どちらも迷うことなくそういうことになった。
大体既にあの世界でさんざん愛し合ってきたので、初めてとも思っていない。
ただ肉体的には互いに最初からやり直しなわけで、初めてというのは、はい、大変なんです。
しかも私はこれから二人産む予定にもなっている。
再会は嬉しいし最初からやり直しもいいのだが、こればかりは痛いからキツいなぁと思ってしまうのは仕方がないと思う、でも産むけど。
二人でシャワーを浴びて、着替えて夜の街に出かけた。
私も東京は滅多に来ないから、案内できる土地勘なんかない。
我が夫は、おー日本だ、と嬉しそうである。
あちこちで写真をとって、自撮りまでしてるし。
私も一緒にカメラに収められて、アップして、という。
私は基本的にネットに顔を晒したくないことを伝えたら、じゃあ景色でいいから俺をタグ付けしてアップして、と言う。
つまり私たちが一緒にいると証明する投稿をしてということだった。
「だってあんた動画で結構人気だろ?夫がいるって表明しとかないとあんたにちょっかい出す奴絶対いるだろ」
「だからそんなにモテないって。……じゃあまぁタグ付けだけしとくよ」
「あんたの顔が出なければいい?」
「うん」
「じゃあ後ろ姿で撮らして。
俺の妻と、でアップする」
「どうぞ」
この辺も本当に、変わらないなぁと思う。
今のラファイルさんはあの世界とは生い立ちも違って、楽器さえ違って、同一人物と言い切れないかもしれないのに、なんかこういうやり取り一つ一つがいちいちあの世界のラファイルさんと一緒なのだ。
ラファイルさんはあの世界で結婚後、私に対して囲い込みを隠そうとしなかった。常に私を側に置きたがって仕事もプライベートもどこへ行くにも一緒。
ノンナさんやお姉様と遊びに行くことくらいは許してくれたが、とにかく私に男の影がちらついたりすることを断固拒否していた。だから心配しなくてもモテませんて。
とはいえ、ラファイルさんも一人で音楽室にこもる時間が必要だったから、その分は私の一人の時間にもなり、別に窮屈には思わなかったのだ。
「ラーファシュカ、この世界は黒髪でも関係なくモテるでしょ」
「ん?まぁ否定はしないけど、あんた以外興味ないから安心して」
そうですか。
どう見てもカッコいいしプロミュージシャンはモテるでしょう。しかも花形のギタリスト。
この世界のラファイルさんは、コミュ障でもなくこだわりもそこまで酷くなく、あの世界ほどのクセの強さは影を潜めているようだ。
それでも私でいいんだろうか、と思ってしまうのも無理はないと思う。
でもその心配はないな、と一緒にいて分かってきた。
私の腕をがっちり握って歩くのも変わらない。
ぶらぶら歩いて入った和風のお店で、婚約指輪と結婚指輪まで渡され、いつ結婚する?から話が始まった。
なんだこれはムードも何もない。
ラファイルさん的には、既に結婚している体で、こっちでは籍を入れるだけという認識だった。いやいいんだけどね。あの世界ではちゃんとプロポーズしてもらったから。
そして準備の仕方がもう、相変わらずちゃっかりしてるなという印象である。
ただこの世界では、別の乗り越える問題がある。
私の父である。
あの世界でも多少話してあったから、ラファイルさんもそれは覚えていた。
「こっちであんたを受け入れる準備はできてるよ。
あんたのお父さんに報告して、あとはうちに来たらいい」
「えーいきなりそうする……?
ロシアなんて行ったことないし……行き当たりばったりは怖いなぁ」
「だってあの世界だって、あんたいきなり放り込まれてやってきたわけだろ?それと一緒じゃね」
「あー、まぁ、そうか……そうだね……」
お姉様や、ノンナさんやヴァシリーさんといった友人もいることだし、この世界なら本当に必要があるなら日本に戻ることもできるわけだ。
「手続きも考えたら早めに動くに越したことはない。俺も仕事あるし、しょっちゅうも来れないからさ。
次来たときには、一緒にロシアに帰れるようにしよう」
「う、うん」
ううあの世界とはなんか勝手が違う気がして、ためらってしまう。
「次って、いつ頃?」
「仕事のスケジュールがいろいろあるから……再来月くらいになるかな……」
ラファイルさんはスマホをスクロールしながら予定を確認している、
スマホを持っててもラファイルさんはラファイルさんだなぁ、と思う。
そんな夫の姿を写メっておく。
ラファイルさんも私を写メってきて、バカップルをやって楽しんだ。
「私も仕事をやめないといけないから、予定は早めにわかったほうがいいかな。
そうだ、日本では5月に連休があるんだけど、私が一度そっちに遊びに行こうか?」
「ああ、そうする?俺仕事のときはうちにいてくれていいし。
ヴァーシャやノーナと都合ついたら遊びに行ってこいよ。
ていうか仕事もうやめちゃえば?俺のアシスタントしてよ、前みたいにさ」
「アシスタントって……今は楽譜もコピーできるし、いらなくない?」
「俺の専属ドラマーやってよ」
「ええぇ!この世界でプロは無理でしょ!この世界ならラーファが他のプロドラマーとやっても怒らないからさ!」
驚く私を、ラファイルさんはじっと見つめてきた。
やばいかっこいい。どうしてくれようこのイケメンぶり。
「マルーシャ。俺だってあんたの動画、見てる。
ちゃんと、この世界でも、プロになるだけの力量はあるよ。
ぶっちゃけ俺以外とはやっぱりやってほしくないから、俺専属でやってほしい。
俺の方は会社の意向もあるから、いろんなドラマーとやることもあるだろうけど。
俺も自分のアルバム作っていく計画があるんだ。そういうときとか、俺の単独ライブもいつかやりたいし、そのときにはあんたにドラムやってほしい」
「……いいんですか」
「ソージロが見つかれば、ブラック・コンダクターも再結成だな。もちろんドラマーはあんただ」
「……はい……」
いつの間にか敬語になってしまっていた。
ちょっと待ってこの世界でほんとにプロとか嘘でしょ無理でしょ。やっぱりそう思ってしまう。
でも一方で、この世界でもプロのラファイルさんのお墨付きもあるし、自分の音だってプロとして通用すると思っているところがあるのは自覚している。
ラファイルさんができると言えば私はできるのだ。
それでずっとやってきた。
「とりあえず明日が楽しみだな」
「うん、ラーファの音生で聞くの、初めてだからね」
「ロシアに来たら、ちゃんとしたスタジオで撮ろうな」
「うん」
私たちは食事を済まして、夜の街で遊ぶこともせず、さっさとホテルに帰って閉じこもった。
…………
…………
WiFi環境のホテルの部屋で、ラファイルさんは早速写真を投稿している。
私も一緒に寄り添って同じ写真をあげた。
「おっ、ヴァーシャ。電話してみるか」
ヴァシリーさん、オンライン中。私の投稿にもいいね!がついた。
「ほら、マルーシャ。一緒に映って」
ラファイルさんに肩を抱かれて、スマホの画面を見る。
『うおぉマーニャちゃん!マジでラーファといるし!』
画面の向こうでヴァシリーさんが大興奮である。
「お久しぶりです〜。お元気そうでよかった」
『オレ今普通に一般市民だからタメ語にしてよ。いや〜嬉しいなぁマーニャちゃんとラーファが一緒にいるの見れて!めっちゃデジャヴだわ』
ヴァシリーさんは留まることなく話し続ける。
何回かメッセージのやり取りはしてきたが、電話の時間はなかなかなかったのだ。あの世界と全く変わっていなくて面白かった。
「おい。おいヴァーシャ、ちょっと俺たちそろそろ休むから切っていい?」
『あー、まぁしょうがないよね〜お邪魔虫は引っ込むよ。おやすみ〜夫婦水入らず、アツい夜を過ごしてくれたまえ!』
うんヴァシリーさんすごい空気読んでくれたな。
あっさり通信は切れた。
おかしくて笑ってしまう。
ラファイルさんも、笑いをこらえきれていなかった。
今度は私の投稿に、ノンナさんからのコメントが。
『マーニャちゃん!!東京はどう?』
というわけでノンナさんにも電話してみた。
『きゃ〜〜マーニャちゃん!ラーファと一緒!!やっば相変わらずのラブラブだねぇ〜!』
「ノーナ!絶対近いうち会いに行くからね!」
『来て来て!あたしも日本行ってみたいな〜!日本の写真アップしといてね!』
こちらもよく喋る。なんせあの世界での一番の親友なのだ。懐かしくて夢中で話し込んでいた。
「ちょ、ちょっとノーナ。ごめんけど続きは今度にして。今日マルーシャは俺のだから」
ラファイルさんが遮ってきた。
『あっ、ごめん〜嬉しくてつい!思う存分イチャイチャしてね!じゃあまたね〜』
こちらもあっさり切れた。
「……相変わらずだろ?」
「うん……なんかほっとした」
私の肩を抱いているラファイルさんが、顔を近づけてきてそっとキスをする。
「……いい?マルーセニカ」
「うん」
私が答えると、ラファイルさんはキスを深くした。
私もラファイルさんのキスに応える。
こういうことももちろん半年ぶりになるけど、何も変わらなかった。
私たちが結ばれてから6年、出産前後は別だが、数日も空くことなくこうして触れ合ってきたから、ラファイルさんの手順もよく覚えている。
「マルーセニカ、かわいい」
「またそういう」
「ほんとだよ」
くすぐったいことを言ってくるのも、変わらない。
「ラーファシュカ。……好き。大好き」
「マルーセニカ……俺も、好き……愛してる」
どちらからともなく寝落ちしてしまうまでずっと、私たちはお互いを求め合い続けた。
翌朝ラファイルさんが私を抱き枕にしていたのも、あの世界のままだった。
私は抱き枕にされてるほうが馴染んじゃったんだなと、改めて気づいた。




