閑かな日の話
「この粉は何ですか」
「海藻の粉末。どうにも使いこなせないんだよね。お茶にするより、料理に入れてしまった方がいいかもしれない」
「ふうん。じゃあ、こっちは?」
「ガノっていう……茸の仲間でいいのかな? 東の大陸では薬にするんだって。けど、使う場面がないんだよねえ」
作業台の上に拡げられていたのは、茶の素材たち。と言っても、埃をかぶっている瓶や、手あかのついていない缶、黄ばんだ紙の包みなど、普段滅多に出てこない品々だ。色々と取り揃えて店に置いてあるが、大半は持て余しているのが実情である。
使わずともたまにはこうして確認してみないと、傷んでいたり虫が湧いていたりしてはたまらない。在庫の確認がてら、二人で引き出しの中身の一斉点検を行っていたのだ。なお葉揺亭に素材の目録など存在しない、全てはマスターの記憶の中だ。
次にアメリアが手に取ったのは、錫色の布を縫い合わせた巾着袋であった。重量感があり、じゃらりと小石をこすりあわせたような音がする。
絞られた口を開いてみると、茶色の種子らしきものが詰め込まれていた。数粒を手のひらに出してよく眺める。これによく似たものを知っている、そうだ、料理に使う胡椒の実だ。
香辛料も茶のアクセントに使える、そうでなくとも料理に役立つ、これは表に出して利用すべきだ。アメリアがそう思っていたところ、マスターが苦み走った声を上げた。
「あー、それか……。どうしよう、ルルーに全部あげちゃおうかな」
「え? 胡椒じゃないんですか?」
「仲間ではあるよ。辛味の素として深緑の民がよく使うんだ。彼らは『ザンシュザクシュ』って呼んでるね。樹林の奥地に生育する植物だから、ノスカリアの辺りじゃほとんど手に入らないんだよ」
「へえ。結構貴重品なんですね」
「でも、僕は絶対に使わないから」
「あれ? そうなんですか? じゃあ、私がお料理に使ってもいいです?」
「……いいけど、結構癖強いよ?」
そう言って、ザンシュザクシュを一粒まな板上に転がして、スプーンの背で押しつぶす。粉々になった破片を味見してみるよう、アメリアは指示された。
どうせ辛いのだろう。内心嫌だと思いながら、しかし食べてみない事にはわからない。勇気を出して、つまんだ粒を舌に乗せてみる。
瞬間、舌上で刺激が爆発した。神経に障るその辛さは、いつもの胡椒のものとは全く違う。あれが火が燃えるような感覚だと言うのなら、このザンシュザクシュとやらは、びりびりと痺れるような刺激を与えて来る。
自然と涙が溢れて来た。そこにマスターが黙って水を差しだすものだから、アメリアは奪い取るようにして飲み下した。丹念に舌を洗濯しながら。
「ね?」
「……駄目です、これ。まだ痺れてますもの」
「でしょ。僕もあまり好きじゃないんだ。感覚がおかしくなる」
「ほんとに食べ物に使うんですか、こんなの」
「上手く使えば美味しいらしいけどねえ……。うん、やっぱりルルーにあげよう。あの娘が料理をするかは別だけどね」
そう言って、例の巾着袋を横に避けた。
他にも色々出てくる。ぱっと見て果物だとか花だとかわかるものはまだいい。全く何か、何のために置いてあるのか、見当のつかないものも多いのだ。
今度は、くしゃくしゃに包まれた紙の塊をほどいたら、中から現れたのは綺麗な結晶体であった。粗削りでごつごつしているが、透明感が強く、自ら光り輝いているようにすら見える。また、ところどころが鮮やかな青色に染まっているのが、目を見張るほどに美しい。
おおっ、とアメリアは思わず感嘆の息を漏らす。これは宝石の一種だろう。すると、気になるのは。
「なんで宝石がこんなところにあるんですか。もっと大事にしてくださいよ」
「へ? 宝石? どこに?」
「ほら、これですよ」
「ああ! それ、塩だよ。塩」
「塩!? 塩が青いんですか!?」
「場合によってはね」
マスターは片目を瞑ってみせてから、楽しそうに語りだす。
高山にて採掘される岩塩の中に、たまにこうして色が付くものがある。だが塩は塩、水に触れたら溶けてしまうので、とても宝石と同様には扱えない。せいぜいたまに取り出しては、ほれぼれと眺めて楽しむくらいの使い道だ。
「満足したら綺麗に包んでおいてね。湿気に弱いからさ」
「あ、はい」
宝石ではなかったが、当初の疑問は解決しない。なぜ塩の塊がこんなところにあるのか、お茶に入れるわけでもあるまいし。眺めるだけなら、蒐集箱にでも入れて自分の部屋に飾っておけばいいものを。
だが、アメリアはそれ以上何も聞かなかった。マスターは常々、葉揺亭の営業そのものが趣味だ道楽だとうそぶいている。だから岩塩がお茶の材料に混ざっていることにも、大して意味はない。個人の持ち物と、店の財産を分けていないのだ、単純に。
だからただ持ち主に言われた通り、元通りに包む。元通りどころか、元よりもずっときれいな包み方だったが。
次はもう一つある似た様な紙包みに手をかけた。同じ場所に同じ包みでしまってあるのなら、こちらからも綺麗で珍しく、大切なものが出てくるに違いないと。アメリアの心が無意識に高鳴る。
が、秘められていた物を開いたとき、少女の口から湧き起ったのは一つの悲鳴であった。
「む、虫! 虫! 何か生えてる!」
ぽいと放り出された物体は、からからに干からび、無数の触手状の物体を節から生やした甲虫の死骸。
別に虫がとりわけ苦手だと言うわけではない。だが美しいものを期待して、代わりに骸が出てきたら、しかもその体から気色の悪いものが無数に突き出ていたら、誰だって心臓が止まる思いをするだろう。
「何ですかこれ!?」
「さっきのガノと似た様なものだよ」
「じゃあ、薬なんですか!? これが!?」
「僕は飲まないけどね、必要ないし。ああ、お金に困ったら売りに行くといいよ。結構な珍品だから、いい値段が付くだろう」
金だって自分には必要ないものだけど、などと笑いながら、マスターは虫草を再封した。
珍しいものだということだけ頭の片隅にとどめ、アメリアは何も見なかったことにした。変わったもので面白い部分はあるが、心臓には非常によろしくない。
ともあれ、在庫改めを続けていく。たまに傷んだものやかびている物が出てくるから、くず入れに投げ込み処分する。その度にマスターが心苦しそうな顔をするが、アメリアは見ないふりをした。捨てられないを続けていたら、いずれ店の許容量を超えてしまう。客を迎えるこの店までもが彼の私室のようになってしまうのは、ごめんだ。
そうして確認していく中に、一つ、アメリアが大変気に入るものが現れた。目は太陽のようにきらめき、頬には花が咲く。
「マスター、マスター。これ、どうして外に出しておかないんです? 綺麗じゃないですか」
彼女が持つ小瓶には、薄桃色の花が入っていた。がくごと切り取ったような形で、乾いているからか、つぼみのように丸まっている。また、葉の欠片のようなものも一緒に入っていた。
いつも並んでいる材料にも、こうした花の素材はいくつかある。だから、常用品として並べてあっても不思議ではない。片してあるのがもったいないくらい、美しいのに。
ところが、アメリアの輝きを払うように、マスターは軽く首を振った。
「チェリーの仲間の花なんだけど、かなり弱いんだ。他のものと合わせると負けてしまう。香り自体も独特だし、ちょっと使いづらいね」
「えぇ……。だけど、もったいない」
「何なら飲んでみるかい? 少し休憩にしよう」
わあっ、と少女のきらきらした歓声が上がった。
椅子に座って、お茶が入るのを待つ。マスターが用意したのは硝子のポットであったから、中身も良く見える。先ほど発掘した花の他に、グリナスの茶葉も入っていた。理由を聞いたら、花だけだとあまりに薄すぎるからとのことだ。グリナスも比較的薄味な茶であり、相性は悪くないとマスターは語る。
「その相性っていうのは、どうやったらわかるんですか? そんなに使う材料でもないのに」
「まあ、僕だって最初は手探りだよ。色々試して、そうすると大体こんな風かなって予想がつくようになるんだ。ま、この花はグリナスの農園の子に聞いた素材だから、きっと不味い組み合わせじゃないって思ったんだけどね。とは言え思い付きだから、失敗作かもしれない」
「マスターでも失敗するんですね」
「そりゃそうさ。僕だって一応人の子だ」
マスターは肩を揺らした。そしてアメリアにさらりと視線を送る。
「……アメリア、君も気になったら、何でも自由に色々試してみてくれて構わないんだよ?」
「えっ、でも……」
「いつも見ているだけじゃつまらないだろう? この花のことだって、僕の言う事なんて聞かず、勝手に飲んでみればよかったのに」
「だけど、結構大事なものとかあるみたいですし、無駄には出来ませんもの」
「構わないよ。君が学ぶものがあるのなら、無駄になるものなんて何もない。素材も、場所も、時間も、自由にしてくれ。――さあ、お喋りしている間にできたよ」
薄緑色の茶液の中に、桃色の花が浮かんでいる。しぼんでつぼんでいたそれは、湯の中で見事な花を開かせていた。幾重にも重なる淡紅色の花弁、自然の中で活き活きと咲き誇る姿はさぞ美しいのだろう。
マスターがカップに分け注ぐ。蒸気とグリナスの青臭い香りの中に、かすかな花の香りが漂った。だが確かに、普段使いのローズだのカモマイルだのに比べると、ずっと主張が弱い。
おまけだといって、マスターはカップの中にも一つ花弁を添えた。水気を含むことで、緩やかに花が開いた。
口に含めば香りは多少強まって感じられたが、それでも儚い。まるでわっと咲いて、あっという間に散り行く、花の生命そのものを体現したかのようである。端的に言うなれば、上品な香りと表現すればよいだろうか。今までアメリアは、あまり味わったことが無い類だ。
とりわけ好きというわけではないが、しかし浮かぶ花の美しさは、心に染み入るものがある。
「美味しいかい?」
「正直薄いです。でも、なんだか、美味しい気がするんですよ」
「……そうか、それはよかった」
マスターは嬉しそうに笑った。
「うん、きっとこれはそういう物なんだろうな。季節を味わうもの、あの娘もそう言ってた」
「あの娘?」
「これを僕に教えてくれた、農園の素敵なお嬢さんさ。咲き誇る花を見ながら、自然の優美さを舌でも感じる。いや、心で味わうと言った方がいいのだろうか」
「マスターはその花を見たことがあるんですか?」
「遠い昔に一度だけね」
亭主は遠くを見るように、カップに浮かぶ花を見た。きっと彼の眼には、空の下で咲き誇る花の幻影が浮かんでいるのだろう。
そして、次に台上に展開された数多の品々を眺め渡した。ふっと口元を緩めて、ぽつりと語り掛ける。
「……アメリア。僕がどうしてこんなに色々ため込んでいるのか、察しはついたかい?」
アメリアは頷いた。
「思い出、でしょうか」
「大体正解だ。もちろん僕自身の記憶もあるし、そうでないものもある。どちらにしてもね、こうして手元に置いておけば、僕はこの小さな世界にこもりながら、広いイオニアンを旅することができるんだ。精神で巡る、想像の旅路へ」
マスターは屈託のない笑みを浮かべた。
「楽しいだろう? 一つのお茶の向こうに、一体どんな世界が広がっているのかを想うのは」
「……はい!」
心で味わう。思いながらもう一度お茶を飲めば、アメリアの心の中にも満天の花が咲いた。行ったこともない異国の地に咲く儚き花の姿が、確かに見える気がする。
それをマスターに嬉しそうに伝えると、彼も笑った。感動を共有することも、また茶話の楽しみだ。
「……さて! 一休みしたし、片づけを再開しようか。いつまでも広げておいても仕方ないし、今お客さんが来たら、仕事の邪魔になってしまうもの」
「はい!」
まだまだ素材はいろいろある。奇怪な形の木の実や、干からびていて何だかわからないもの。あるいは、ただの木の枝にしか見えないもの。それぞれに気を取られて、早く片付けようという割には、作業は進まない。
「マスター、これは何ですか?」
「それはアスートっていう木だ。えーと……西方大陸だな。あっちの高山にしかないんだけど、何が面白いって、枝の断面が星形ってところだ。少し切ってみるとよくわかるかな」
「ああっ、ほんとですね! 変わってる」
「『高地人』っていう種族が居るんだけど、彼らはこれをお祭りに使ってね――」
葉揺亭に眠っていた、数多の物語。それを紐解き、情景に思いを馳せる。アメリアはすっかり仕事に興じていた。純粋な少女の心は、今日も美しく彩られていく。
不意にマスターが色めいて呟いた。
「楽しみだよ、君がどんなお茶を作ってくれるのか――」
「えぇ!? もうやるの決まってるんですか?」
「だって、やりたいだろう?」
「そうですけど……」
「大丈夫。君の素敵な感性なら、世界に二つとない素敵なものができるさ。僕なんかよりも、ずっと美しい心の持ち主なんだから」
そうマスターは太鼓判を押してくれるが、果たして本当に自分にできるのだろうか。よく使う紅茶でも、いまいち違いがわかっていないというのに。何年たっても、一生をかけても、マスターのようになれる気はしない。
だけれど、やってみたいのは事実である。かねてよりその思いはあったが、店主自らにより煽られた種火は、一層強く燻るようになっていた。
「……教えてくれますよね?」
「もちろん。僕は努力する子は大好きだから」
マスターはアメリアの頭をなでた。不安を払って、勇気づけるように。
こうして閑かな日はゆるやかに過ぎていく。何気ない日常だ。
だがいつか、あの日は人生にとって大きな転換点だった。そう語れるようになる日が来るかもしれない。懐古も後悔も、結果が出てからしか出来ないのだから。
葉揺亭 スペシャルメニュー
「チェリー花の緑茶」
一部地域で愛される薄紅色の花を浮かばせたグリナスのお茶。
やさしく香る花の香りは、儚さを伴う気品を感じさせる。風流を味わう一品。




