第一章 混沌の村への降臨と、譲れない「不殺」の流儀
狂気の衛生兵は地獄でトリアージを始める〜不殺のCQCと、死より恐ろしい強制治療〜
泥と硝煙、そしてどこからか漂う甘いコーヒーの香り。
意識が覚醒した瞬間、中村優太は自身の置かれた状況を、極めて冷徹な思考で分析し始めていた。
「……夢や幻覚の類ではない、か」
腕に巻かれた漆黒のG-SHOCK『マッドマスター』の秒針は、正確に時を刻んでいる。脈拍は正常。視覚、聴覚、嗅覚に異常なし。
優太は自身の服装を確認した。動きやすさを最優先したグレーのタクティカル・パーカーに、タフなジーンズ、ニューバランスのトレッキングスニーカー。背中には、彼が常に携行している外傷特化型の医療リュックがしっかりと密着している。
視線を上げると、そこは異様な光景が広がる村だった。
木組みの素朴な家屋や藁葺き屋根が並ぶ一方で、通りには『ルナミスキング(24時間営業)』や『タローソン』といった、地球の現代チェーン店を彷彿とさせる毒々しいネオン看板が鎮座している。
ここがどこかは分からない。だが、優太の耳は、前方数十メートルの路地裏から響く「明確な異常事態」を正確に捉えていた。
「ヒャッハー! 金目のものを全部出せ! 抵抗するなら、この村ごと焼き払ってやる!」
怒声と、物が壊れる音。そして、怯える村人たちの悲鳴。
見れば、武装した五人の男たちが、村の農民を蹴り飛ばし、荷車から特産品らしい野菜(なぜか大根がまん丸だったり、キャベツが喋っているように見えたが、優太はあえて思考から外した)を強奪している最中だった。
男たちの装備は粗製乱造の剣や槍。しかし、その目には明確な殺意と、弱者を蹂躙する悦びが宿っていた。
「……Care Under Fire(敵の射撃下での救護)。まずは、脅威の排除からだ」
優太は短く息を吐き、足音一つ立てずに歩みを進めた。
人を傷つけることを、優太は好まない。だが、目の前で理不尽な暴力が振るわれるのを見過ごすほど、彼の倫理観は安っぽくはなかった。
「おい、そこのお前。こんなところで何を──」
見張りに立っていた野盗の一人が優太に気づき、剣を振り上げようとした。
遅い。優太にとって、その太太しいモーションは止まっているに等しかった。
優太は姿勢を低く沈め、滑るように男の懐へ潜り込む(八極拳の歩法)。
剣を持つ男の右手首に触れた瞬間、優太は東洋古流武術である大東流合気柔術の『合気』を流し込んだ。筋力ではなく、相手の力のベクトルを完全に掌握し、関節の可動域をわずかにズラす。
「あ、ぎっ……!?」
男は自分が何をされたのか理解する前に、手首から全身へと伝わる激痛と脱力感に襲われ、石畳に膝から崩れ落ちた。優太は一切の無駄なく男の延髄付近のツボを叩き、確実に気絶させる。流血はゼロ。骨一本折っていない。
「な、なんだテメェは!?」
「魔法使いか!? 殺せッ!」
異変に気づいた残りの四人が、一斉に優太へと殺到する。
前方から三人が剣を上段に構え、後方の一人が呪文のようなものを唱え始めた。
多対一。死地に直面しても、優太の心拍数は全く乱れなかった。
「システマ、呼吸法よし」
優太はパーカーのポケットから、黒いタクティカル・バトンのようなものを取り出した。手首のスナップを効かせると、それは瞬時に1.8メートルのチタン合金製薙刀へと展開する。優太の隠し兵装『ワスプ薙刀』だ。
刃は使わない。優太は薙刀の柄で、向かってくる男たちの剣の腹を的確に叩き落とし、姿勢を崩す。そして、流れるような無双薙刀流の演武の如く、薙刀の峰部分を男たちの首筋や胸板に軽く押し当てた。
その瞬間、刃の内部機構からシュガッ! と圧縮された超強力な『催眠・神経麻痺ガス』が極小のガス圧で対象の皮膚表面に吹き付けられる。
「がっ……!?」
「目が……まわっ……」
白目を剥き、バタバタと倒れ伏す三人。
残るは、後方で魔法の詠唱を終えようとしていた野盗のリーダーだけだ。
「くそっ、くらえ! 『ファイヤーボ——」
リーダーが炎の球を放とうとした瞬間、優太はCQC(近接格闘術)の基本に則り、最も距離を詰めるのが早い直線的なスプリントで肉薄していた。時速30キロを超えるトップスピードからの、ブラジリアン柔術を応用した飛びつき関節技。
優太の両脚がリーダーの首と腕を絡め取り、遠心力を使って石畳へと強烈に引き倒す。
「グギャアアアッ!!」
自身の炎の魔法が暴発し、リーダーは右腕に酷い火傷と裂傷を負って悶絶した。
ものの十秒。五人の武装集団は、ただ一人の青年によって、ただの一滴も優太自身の血を流すことなく完全制圧されたのだ。
「あ、あぁぁ……助けて、殺さないでくれぇ……」
火傷の痛みに泣き叫ぶリーダーを見下ろし、優太は静かにワスプ薙刀を折りたたんでポケットにしまった。
そして、リュックを下ろし、手早く医療キットを展開する。
「安心しろ。俺は医官だ。目の前の命をこぼすことだけは、俺の流儀に反する」
優太はハサミでリーダーの袖を切り裂き、裂傷部分に戦傷救護用の止血剤を容赦なく押し込んだ。
「ギヤァァァァァッ!! 痛い! 痛いぃぃッ!!」
「暴れるな。傷が開くぞ」
悲鳴を上げる男の右腕に、優太は無表情のままCAT(戦闘用止血帯)を巻きつけ、ギリギリと万力のように締め上げる。さらに火傷の部位に冷却ジェルを塗りたくり、テキパキと包帯を巻いていく。
その手つきは、恐ろしいまでに正確で、一切の感情がこもっていなかった。
「さて、トリアージ(初期治療)は終わりだ。痛みが少しは引いたか?」
「ひ、ひぃぃ……っ」
「じゃあ、質問に答えろ。お前たちにこの村を襲うよう指示したのは誰だ?」
優太の瞳は、極北の海のように冷え切っていた。
怯える野盗のリーダーの肩を、優太の指が軽く押さえる。そこは、人間が最も激痛を感じる神経の密集帯だった。
「俺は医者だから、人間の身体の構造を完全に把握している。骨を折らず、致命傷を与えずに、最大限の苦痛を与える方法もな」
「あ……あ……」
「お前が口を割るまで、俺は何度でもお前の関節を外し、激痛を与え、そして『完璧に治療』してやる。傷跡一つ残さない。お前は死ぬこともできず、ただ無限に苦痛と治療のループを味わうことになる。……さあ、教えてくれ。誰の命令だ?」
ただの拷問ではない。「絶対に死なせない」という強烈な保証が、逆に男の心をへし折った。目の前にいるのは、慈悲深い聖者などではない。命を弄ぶ、狂気の衛生兵だ。
「ひ、ヒィィィィッ!! 喋る! 喋りますゥゥゥ!! 助けて、治療しないでくれぇぇッ!!」
野盗のリーダーは、涙と鼻水を撒き散らしながら、背後の黒幕の情報を絶叫し始めた。
その様子を冷ややかに見下ろしながら、優太は「患者が素直で助かる」と小さく呟いた。
***
その一部始終を、少し離れた『タローソン』の看板の陰から見つめている少女がいた。
ポポロ村の村長であり、元・レオンハート王国近衛騎士隊長候補の月兎族、キャルル・ムーンハートである。
(な、なんなのあの人……!)
キャルルの長い兎耳が、ピクピクと激しく震えていた。
圧倒的な暴力を持つ野盗たちを、刃物も使わずに一瞬で無力化する絶対的な強さ。
そして、敵であろうと傷つけば見捨てず、完璧な手当てを施すという異常なまでの優しさ(と狂気)。
キャルルの持つ『嘘を見抜く心音聴覚』は、あの青年が「本気で命を救おうとしている」という、混じり気のない純粋な善意の心音を正確に拾い上げていた。
(敵に地獄を見せながら、絶対に命だけは奪わない……。なんて、なんて冷徹で、合理的で……狂おしいほど優しい人なの……ッ!)
ドクン、ドクンと、キャルルの心臓が早鐘を打つ。
他者のために血を吐いてでも尽くしてしまう彼女の自己犠牲の精神と、他者の命を絶対にこぼさないという青年の執念。キャルルの深層心理に眠る『ヤンデレレーダー』が、かつてない最高出力を記録して振り切れていた。
一方、現場から通りを挟んだ向かい側。
昼間から開いている小料理屋兼BAR『鬼龍』の入り口で、巨漢のマスターが腕を組んでその光景を眺めていた。
赤黒いレザージャケットを羽織った日本人、鬼神 龍魔呂である。
カチッ、カチッ。
龍魔呂の手元で、真鍮製のオイルライターが開閉され、鈍い金属音を響かせている。
「……甘ちゃんかと思ったが、とんでもねぇ。ありゃあ、本物の『プロ』だ。殺すよりエグい戦法を平然と使いこなしやがる」
死を呼ぶ四番(DEATH4)として裏社会を震撼させた龍魔呂の口角が、僅かに、しかし明確に吊り上がった。
村人たちの戸惑いと、野盗たちの絶望のうめき声が交差する中。
中村優太は立ち上がり、ポケットからくしゃくしゃになったアメリカン・スピリットの箱を取り出した。軍用マッチを擦り、ゆっくりと火をつける。
「……さて。随分と物騒な場所に配属されたらしいな。まずは、この村の衛生環境から改善させてもらうか」
紫煙を吐き出しながら、優太はポポロ村の青い空を見上げた。
戦術医官による、不殺の異世界救命録が幕を開けた瞬間だった。
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