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 王都への帰還は歓迎ムードに満ちていた。

 英雄の凱旋とでも言うのだろうか。

 沿道には多くの人々が集まり、私たちが通り過ぎるたびに歓声と拍手を送ってくれる。


 正直なところ少しだけ、いや、かなり気分が良かった。


 王都に到着すると軍は解散となった。

 兵士たちはそれぞれの兵舎へ、あるいは家族の待つ家へと帰っていく。

 私も教会へ戻ろうとしたその時だった。


「プリス」


 シヴァル様に呼び止められて振り返る。

 彼は少しだけ照れたような、それでいてとても優しい顔で私を見ていた。


「君の聖女認定の申請をしてくるよ。少し時間がかかるだろうからしばらくはゆっくり休むといい」

「はい……。ありがとうございます」

「また、すぐに会いに来る」


 そう言って彼は私の手をぎゅっと一度だけ強く握ると騎士団長としての仕事に戻っていった。

 その大きな背中を見送りながら、私はまだじんわりと熱の残る自分の手を見つめる。



 聖女……。

 そして、シヴァル様のお嫁さん……。



 なんだか、まだ夢の中にいるみたいだ。

 ぼーっとしながら教会に戻ると、そこにはすでに朗報が届いていた。


 今回の行軍に参加したこと。

 そして戦を未然に防いだ功績を称えられ、私にはそれなりの額の褒賞金が与えられるという。

 さらには、まとまった休暇を頂けることになったのだ。



 ふふ。臨時収入……。

 それにまとまったお休み……。



 その二つの言葉が私の頭の中で一つの素晴らしい考えを結びつけた。


 そうだ、孤児院に帰ろう!

 褒賞金を使ってあの子たちのために何か素敵なものを持って帰って、しばらくは故郷でゆったりと過ごすのだ!


 そう思い立ったが吉日。

 私は早速、故郷へ帰る準備を始めた。

 そんな私の様子をどこからか聞きつけたのか、いつの間にか私の周りには可愛い弟子たちが集まっていた。


「先生! 我々もぜひお供させてください!」

「先生の故郷…我々も一度見てみたく思います!」


 ……まあいいか。

 彼らがいると何かと便利だし。

 私は勝手についてきた弟子たちを引き連れて懐かしい故郷への道を歩み始めたのだった。



 ◇



 王都から故郷の街までは馬車で数日の道のりだ。

 のんびりとした道中で、私は少しだけ自慢したくなって弟子たちに話しかけた。


「そういえば、騎士団長様が私のことを聖女に推薦してくださるそうですよ」


 私の言葉に弟子たちは案の定目を輝かせた。


「確かに先生は聖女にふさわしい方です! 先生の教えはもっと世に広めるべきですから!」


 そう言って力強く同意してくれたのはピーター。

 彼は弟子の中でも特に情熱的で、自然と皆をまとめるリーダーのような存在だ。


「我々も聖女様の教えを直接受けることができて光栄です」


 静かに微笑みながらそう言ったのはジョン。

 彼はいつも物静かだけれど、思慮深くて私の言葉一つ一つを大切にしてくれる。


 ふふ。そうでしょう、そうでしょう。

 素直な弟子たちの称賛に私はすっかり気を良くする。


「でも、聖女様の御付きとなれば何かと便宜を図ってもらえそうですよね……。お布施とかたくさん集まりそうですし」


 一人だけそろばんを弾くようなことを言い出したのはジューダだ。

 彼は弟子の中でも何かとがめつく、少し変わったところがある。


 けれど、食べ物をちょろまかして生きてきた私としては一番シンパシーを感じるというか、なんというか……

 そんな人間臭いところが可愛い弟子なのである。


「ジューダ! 先生に対してなんて不敬なことを言うんだ!」

「そうだぞ! 先生はそんな俗物的なことのために教えを説いておられるのではない!」


 ピーターとジョンがジューダを叱りつけている。

 そんな賑やかなやり取りをしている間に、馬車は懐かしい故郷の街へと到着した。




 孤児院へ戻ると、街はすっかり冬の装いとなっていた。

 空からはしんしんと雪が降りしきり、屋根や道端を白く染めている。


「プリス姉ちゃん!」

「おかえりー!」


 私が孤児院の扉を開けると、中から子供たちがわっと駆け寄ってきた。

 私は王都で買ってきた美味しい干し果物などのお土産を広げて久しぶりの再会を喜ぶ。


 子供たちの屈託のない笑顔に囲まれると思う。


 ああ、帰ってきたんだな、と。


 心の底から安らぐのを感じた。


 久しぶりの故郷での日々はゆったりと過ぎていった。


 私は褒賞金を使って孤児院の子供たちのための新しいベッドをたくさん買った。

 古くてぎしぎしと音を立てていたベッドがふかふかの真新しいものに変わっていくのを見て、なんだか自分のことのように嬉しくなった。


 そして相変わらず弟子たちにお金を出させては冬の屋台で買い食いをする。


「お嬢ちゃんじゃないか。ずいぶんと羽振りが良さそうだな。人に金を出させるまでになるとはいいご身分になったもんだ」


 ヴァルハラ焼きのおっちゃんが香ばしい煙の向こうでからかうように笑ってきた。

 まったく口の悪いおっちゃんだ。




 そんな穏やかな日々を過ごしていた、ある日のことだった。

 事件は、突然起こった。


「大変だ! 子供が湖の氷が割れて取り残されちまった!」


 血相を変えた村人の一人が孤児院へと駆け込んできたのだ。

 近くの湖はこの寒さで厚い氷が張っている。はしゃいだ孤児の一人がその上で遊んでいたところ、氷が割れてしまったというのだ。


 私はすぐさま立ち上がった。

 慌てて湖へと向かう。もちろん弟子たちも私の後についてくる。


 湖に着くと、そこには息を呑むような光景が広がっていた。



 岸から少し離れた場所でぱっくりと割れた氷の上に小さな子供が一人、震えながら座り込んでいる。

 今にも氷点下の水の中へと落ちてしまいそうだ。五歳ぐらいだろうか。



「ピーター! すぐに火を焚いてあの子が戻ってきた時に暖められるようにしてください!」


 私は弟子にそう言いつけると、ためらうことなく氷の上へと足を踏み出そうとした。


「先生、危ないですよ!」

「我々が行きます!」


 弟子たちが悲鳴のような声を上げて私を制止する。

 しかし、一刻の猶予もなかった。屈強な彼らが乗れば氷はさらに割れてしまうかもしれない。

 私のような軽い人間が行くのが一番確実だ。


「大丈夫です。神のご加護がありますから」


 私はそう言って制止を振り切り、危険な湖の上へと向かった。


 みしみし、と氷が不吉な音を立てる。


 一歩また一歩と慎重に歩を進める。


 やがて、震えて泣いている孤児の元へとたどり着いた。



「しっかりして、私よ! プリス姉ちゃんが来たからもう怖がらなくても大丈夫!」



 私はそう言って、冷え切ったその小さな体をぎゅっと抱きしめた。

 そしてその子をしっかりと抱っこすると来た道をゆっくりと引き返す。


 陸に足が着いたその瞬間だった。

 パキッ、と背後で大きな音がして、今まで私たちがいた場所の氷がガラガラと音を立てて崩れ落ちていった。



 ――間一髪。

 冷や汗が背中を伝う。



「先生! 大丈夫ですか!?」

「御身に何かあったら我々は……!」


 弟子たちが駆け寄ってきて涙を流しながら私の無事を喜んでくれる。

 私は腕の中の子供が無事であることを確認すると、彼らに向かってにっこりと笑いかけた。


「日頃の信仰の賜物ですかね! この子も無事で本当によかったです」


 その後、孤児院で冬を越すための薪や食料が十分に蓄えられたのを確認して、私は再び王都へと戻ることにした。

 名残惜しそうにする子供たちに「またすぐに帰ってくるからね」と約束をして。



 ◇



 王都に帰ってきても、基本的には弟子のいる快適な日々に変わりはなかった。


 冬の間にしか採れないという高価なキノコを、弟子が手に入れてきてくれてみんなで食べたり。

 遠方の珍しい魚が売られているのを美味しそうだなと眺めていると、いつの間にか弟子がそれを買ってきてくれて塩焼きにして食べたり。


 そして忙しい合間を縫って、シヴァル様が教会に様子を見に来てくれるようになった。

 他愛のない話をしたり、そっと手を繋いでみたり。

 そんな甘い時間が私の心をじんわりと温めてくれる。



 満ち足りていた。

 本当に、幸せな時間だった。

 私は、完全に調子に乗っていたのだと思う。


 そして、頭の悪い私は何度でも忘れてしまう。



 調子に乗った愚か者には、神は必ずや手厳しい試練をお与えになるのだということを。



 その日、シヴァル様はいつもと違う、ひどく悪い顔色で教会にやってきた。


「面倒なことになった」


 ――その一言は、私の人生最大の試練を告げる合図であった。



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