4-24.切り札
ゾッとする話だった。さっきまで互角を演じていたと思われる相手が、そんなことを言ってくるのは。
ナルミは気持ちの悪い汗をかいた。
「……へえ。優しいんだね。手加減してくれるなんて」
精一杯動揺を隠し、ナルミは言う。
「だって本来、私たちの目的はお姉さんじゃなく」
「本命はヴィンフォースなんだから」
「そう、なるほどね……私とは遊び感覚なわけだ」
「うん、その言い方が一番正しいかな」
「本番の前のウォーミングアップというか」
「ふうん……でも」
ナルミは前方にいる二人の間に瞬く間に飛び込んだ。
真ん中に、だ。
そこで一方――ルリの方に向き直ったナルミは、素早く手首を掴む。
ガッチリと、拘束するように。
「何の真似?」
「それでは背中がガラ空きだよ」
後ろのリルが今にも攻撃しようとしているのがわかる。
だが、ナルミは気にせず、掴んだ手首を背中に持ってきて捕まえることに全力を注いだ。
ついに気が狂ったか、とリルが哀れみの視線を向けながら、一刻も早くこの戦いを終わらせようと拳を構える。
彼女らには次がある。というより、次が重要なのだ。ここで時間を潰している暇はない。
完全な死角からの攻撃。意識を削ぐことだけに集中して、リルは拳をナルミに打ち込む。
打ち込む――はずだった。
しかし、その直前。
「っ……?」
首筋に走る痺れる痛み。
直後、全てが零れ落ちるような感覚。
体力、血液、果ては存在までも。
誰がこんなことをしているのか、リルは首を捻って振り返ろうとしたが、それは弱々しく、鈍った動きで、結局窺うことができない。
それでもなくなっていく。
やがて一人で立ってはいられなくなり、視覚もあやふやにぼやけていき、意識すら明滅するようになる。
根こそぎに搾り取られる。
その最後、リルが思ったのは何だろうか。目の前に見えるルリに、逃走を促そうとしたのか、あるいは助けを求めたのか。
それはいずれにしても口から発されることなく、ついにほとんど何もかもを吸われたリルは膝から崩れ落ちた。
「……ふう」
それを正面から見て、安心したように口を拭う者がいた。
言うまでもなく、新谷ナツメである。
どうやら今回も成功したらしい。自分の吸血能力にここまでの力があるとは、ナツメ自身思ってもいなかったのだが。
彼女の隠密行動もふとしたことで見つからないかとヒヤヒヤしたが、どうやらこちらの世界のスキルは天界のものには馴染みがないらしく、気づかれないようだ。
ともかく、戦闘の半分は完結した。
だがそれはまだあと半分残っているということである。
ナツメは安堵する暇もなくナルミの方を向く。
ナルミはと言えば、ルリの拘束に成功していた。
うつ伏せに押し倒したルリの胴体を踏みつけるように膝をつき、手は駆動部ギリギリまで捻りあげている。脚の各場所を押さえつけるのももちろん忘れていない。これでは身動きを取りたくても、脱出する前に身体のどこかしらが悲鳴を上げるのが先だろう。
やはり、こういった肉弾戦ならば力任せのルリではなく、多少は武術に心得のあるナルミに分があるようだ。
だが、この窮地に立たされても、ルリの表情に焦燥が出ることはない。
ただ不思議そうに、自らを拘束したナルミではなく――ナツメのことを見ている。
「……今、何を……?」
「ああ、そういえば、君たちの世界には天使しかいないんだっけ? まあ、完璧と完全なんていう馬鹿げた世界の構成的に、そのくらいの存在しか適応できないんだろうけど……」
この質問には代わりにナルミが答える――とはいえ、あまり回答の形を成していないが。
「ああ、実は私も天使なんだ」
というか、全く答える意思がなかった。追い詰めたことで、心に余裕ができ始めたのかもしれない。
まあ、天使というフレーズはルリにも衝撃を与えた。
「天使……? お姉さんのこと、向こうでは見たことないけど」
「この世界の、だよ。私もまさか異世界に天使が存在してるなんて思いもしなかったよ」
「……だから、ここまで苦戦したってわけなんだね。同格ならそれはおかしい話じゃない」
「まあ……どうなんだろうね、君たちとは圧倒的ステータス差があった気がするけれど」
中々に互角を演じていたものの、所詮それは手加減の範疇のことで、このような奇襲を仕掛けなければ勝つことは難しかっただろう。
普通にやりあえば、すぐに決着がついてしまったはずだ。
本気を出さなかったのは、彼女らが天界の天使である弊害なのか。
どちらにせよ、ひとまずは一段落ついて良かった、とナルミはほっとした。
「……私たちをどうするつもりなの?」
命乞い、というわけでもないのだろうが、ルリはふとそんなことを聞いた。
「どうやら、リルを限界まで衰弱させたようだけど、お姉さんたちに刃向かったってことで殺すの?」
「人聞きが悪いね。そんな残酷なこと、しないよ――言うなれば、緊急措置なんだよ。君たちがこれ以上、この世界に干渉しないようにね。私も天使だし、そういう仕事があるんだよ」
「ふうん……マラリスみたいなものなのかな」
ぼそり、とルリは零す。たしかに警察を統括し治安を維持するマラリスと、世界の安寧秩序を守るナルミは似たもの同士である。
ナルミはその名を又聞きでしか知らなかったので、変にそれに答えるようなことはせず、念の為ルリから目を離さないまま、ナツメに呼びかけた。
「それじゃあこっちも無力化、お願いできる?」
「うん、わかった」
軽い足取りで近づくナツメ。そこに不安がないのはナルミの実力を嫌というほどに理解しているからか。
その信頼は根拠に裏付けられるものではあったが。
「……ところでお姉さん」
「ん、なんだい?」
気づくべきだった。
なぜ、ここまで絶体絶命のところまで来て、ルリの平静は破られないのか。
「うん、お姉さんたちのことを甘く見てたよ――心のどこかで、取るに足らないと思っていた。その油断のツケが回ったんだろうね。だから今度はその失敗を教訓にして活かそうと思うんだ」
「へえ、勤勉だね。素直に感心するよ。その教訓は是非とも私たちの世界じゃないところで活用して欲しいものだね」
ナルミは肉体的な拘束だけでなく、魔術――無論、天界とは全く方式の違うものだ――による拘束も、同時に行っていた。
それで安心するほどナルミは楽観的ではないが、何か動きがあれば、ラグなしでダイレクトにナルミに異常が伝わる。そしてその条件が満たされるとさらなる拘束術式の発動、及び迎撃が行われるようになっている。
万が一、力のみで突破してくることがあっても、充分に反撃が可能な仕様だ。
ルリの次があるとほのめかすようなこの言は万策尽きたがゆえの虚勢のようなもので、少しでもこちらの動揺を誘うためのものだろう、とナルミは断定していた。
そのため、返事はぞんざいなものになったが……。
それを取り合う気がないと受け取ったのか、ルリはふう、と諦めるような息をついて投げやりの声を出す。
「お姉さん、最後に一言いいかな」
「さっきからやけに饒舌だけど……それだけ追い詰められてるってことかな。それじゃあ最後の一言、聞こうか」
よく聞いてね。それこそ、教訓となるように。
そう前置きをして、ルリは一言発した。
「こんな拘束で、終わりだと思った?」
たった一言。
しかし中学生ほどの外見に似つかわしく無邪気に発せられたそれは、ナルミを戦慄させるには充分すぎた。
すぐに拘束術式を次の段階に進め、オーバーにも見える追撃を繰り出す。
――が、
「安心するのが早いよ。敵の身分で言うのもなんだけど、迅速に対処すべきだったね。殺すか、完全に無力化してからだって――」
その追撃は、空を切り、路面をこれでもかと削るだけだった。
避けるように、そこにいたはずのルリは明かりの明滅のごとくパッ、と消えてしまった。
もちろん、今まで相手をしていたルリがフェイクであったということはない。アコンの言う通り、そのような高度な端末を作ることができるものは限られている。
もっとも、彼女らにそれを知る術はなかったが。
「「……っ!」」
どちらにせよ、否応なしにナルミとナツメは打ち合わせでもしたように息ピッタリで、身を翻し振り返る。
ナツメでも、突然現れた気配を察知することができた――そこは。
先ほどナツメが無力化した、リルが崩れ落ちている地点である。
だがそこに倒れている者はいない。
「危なかったね」
「危なかったよ」
隣り合って、さながら鏡合わせのように。
「私たちじゃなかったら絶対アウトだった」
「うん、本当、教訓を活かせずに終わってたところだった」
二人で一人の同一は、並んでそこに立っていた。
「「『一心同体』――それじゃあお姉さんたち、本領を発揮させてもらうよ」」




