3-8.前日
「……終わったー!」
もはや学ぶ場所だとは到底思えないほど装飾された教室から、こんな声が上がった。
そこから嬉しさが伝播していき、教室内はざわめきに包まれた。
「あ、準備が、か」
レンはワンテンポ遅れて、何のことを言っているのかを理解した。今さっきまで働き詰めだったので、いきなりやることがなくなって戸惑っていたところだったのだ。
ちなみにレンたちが何をするために何の準備をしていたのかと言うと、それは定番の喫茶店である。……実はこのことを、レンはつい先日まで知らなかったのだが。
安っパチだと思っていた食べ物を出す店を、まさか自分が演じることになるとは。
レンの心中はかなり複雑である。
向こう側では衣装の調達やシフト決めなどが滞りなく進んでいた。
どうやら祭りの途中に例の魔物大討伐会は行われないようなので、シフトがどこに入ったところで懸念はない、のだが……。
レンはチラリと、隣の堕天使を窺った。
「……どうかしたのか?」
その視線を敏感に感じ取ったヴィンフォースは、レンを見て首をかしげた。
「お前、接客とかできんのか……?」
「はあ、なんのことだろうか」
「そもそものところからかよ!」
ある意味で予想通りなヴィンフォースに、レンはなんとも言えない気持ちになった。
「えっと……俺らのクラスが何をやろうとしているのか、それはわかるか?」
「ああ。できるだけ多くの客を引けばいいんだろう」
「まあ目的はそんな感じだが……そうかー、それならゆっくり説明しなきゃならんのか……」
レンはため息をついて、今回やることについて、細かく説明した。
「なるほどな……いやはや、わたし自身アレしか食べないからわざわざ買うやつらの気が知れんが」
「お前は特殊すぎるんだよ」
一食が棒菓子数本で事足りてしまう堕天使に説明したところでの話だった。
「ともかく、調理して差し出せばいいんだろ。それなら簡単だ」
「って言うやつほど怖いんだよな……」
「大丈夫だよん、その時にはあたしいるし」
ちょうどできたシフト表を持ってきていたナツメが、近くに座って会話に割り込んできた。
「はい、二人とも。こんな感じになったよ」
そう言って手渡したシフト表には、同じ時間帯にレン、ヴィンフォース、ナツメの三人が漏れなく入っていた。
「はあ。新谷がいてくれるなら一安心か……」
「うん。大船に乗ったつもりで任せといてよ」
「む、貴様ら、そんなにわたしのことが心配なのか?」
「ある意味で、な」
「それじゃ、あたしはみんなに配ってくるから」
と言って、ナツメはレンたちのいる場所から立ち去って行った。
「ヴィンフォースちゃん、ちょっと来てくれない?」
その切れ間をつくように、ヴィンフォースを呼ぶ声があった。もちろん、声の主はナツメではない。
ヴィンフォースの真相を知っているなら信じがたいことではあるが、この堕天使、よくわからないがクラスの連中となんだか親しげなのである。
急に入ってきた転校生のくせに……と、僻みというよりは単なる疑問として、そこまで考えたところで、ヴィンフォースが転校生扱いでここに入ったのではないと思い出した。
(そうか……印象操作で、前からこの学校に在籍していたっていうご都合主義能力を使いやがっていたんだったか。そりゃ当然、親しげなわけだ)
もっと言えば、レンとヴィンフォースが婚約者同士みたいな設定も吹き込まれているのだが、自分の記憶の一部に蓋をしているレンはあえて思い出さなかった。
して、そんなヴィンフォースをわざわざ呼ぶ要件はなんなのか。
「なんだ?」
「衣装合わせ、お願いできる?」
「……レン、衣装合わせとはなんだ」
「当日着る服を合ってるのか確認する作業だ。間違ってもコピーすればいいじゃないかとか言う指摘はなしな」
ちなみに、ヴィンフォースが現在着ている制服は目撃した生徒が着ていたもののコピーらしいのだが、今のところ誰にも気づかれていない。
「……ふむ、なら行かなければなるまい」
ヴィンフォースは立ち上がり、彼女を呼んだ女子たちのもとへと足を向けた。ご丁寧にも、教室の端にカーテンで囲まれた簡易的な女子更衣室ができあがっている。
ヴィンフォースがいなくなったことで実質一人ぼっちになったレンは、いつものように思考に身を馳せた。
(今日もまた、変わらずに平和なようだが……よく考えたら、この平和って、こっちが天界とやらにちょっかいかけてないからだよな。マラリスの場合、ちょっかいかけたからこっちに来たわけだし。この平穏って、『マラリスがやられた? あっそ』っていう天界のスタンスの表れじゃないのか? だとしたら対応は百八十度変わってくるぞ……)
なんていう漠然とした不安を抱きながら、思考の話題は他のことに移る。
(ともかく、明日のことか。俺としては『偽物』を存分に使いたいところだが……魔物とやらに幻術が聞くのかは謎だな。新谷も『エア』がいいって言ってたし、そこのところは要検討か。それはそうと、今この場でできる実験をしてみようか)
レンは転々とする思考を終えると瞳を閉じ、イメージを膨らませる。
『偽物』の発動。
今いる場所に、己自身を写し取り、そのまま固定、そちらを可視化させ、自分の方は消える。
最後の仕上げに自分だけは幻術にかからないよう設定し、再び瞳を開ける。
おもむろに立ち上がって、今いた場所に目を向けるが、何もない。
(これ、自分じゃできてるかわかんないんだよな。構築の設定をもっと細かくして、見えはするように工夫した方がいいな)
そう自分なりの改善案を考え出しつつ、レンは教室内を歩く。
一番手近なところにいた、名も知らないクラスメイトに眼前で手を振ってみる。
反応は――そこに何もないかのように皆無だった。
(一応、できてるっぽいな。透明人間化)
成功を確認したレンは、ぐるりと教室を一回りする。
誰にも気づかれた様子はなかった。
(発動時間は本人の裁量でいいのか? 解除って思えば消え失せるとか)
どちらにせよ、一回やってみよう、と元の場所に戻ろうとしたところで、
「ヴィンフォースちゃんって、やっぱり理想をそのまま形にしたような完璧なフォルムだよね」
「まあ、生まれてこの方そんな感じだからな」
「唯一本人と着合わせて改良なしだったよ」
「うむ、それは良かった」
という楽しげな会話が、カーテンの向こう側から聞こえてきた。
レンはそれに、なぜか言い知れない胸騒ぎを覚えた。
なんということでもないが、どこか、腹立たしいような、そんな気持ち。
自分だけが持っていたはずのものを、誰かに取られてしまったかのような――そんな感覚。
変な嫉妬だな、とレンは自分で自分を笑う。
(俺が特別に感じてるのはあいつが非現実の存在であるという事実だ。それは俺だけが知っている。別に、ヴィン自身が特別っていうわけじゃない)
自分に言い聞かせて、馬鹿馬鹿しいと鼻で笑いながら、自分の可視化させた分身がいるであろう場所に戻った。
その幻の重なり合うように位置を調整してから、レンは発動の際構築していた『偽物』の全体像を、ハンマーでもぶつけるようにして粉々にした。
パリン、という空耳が聞こえて。
行使されていた『偽物』が解除された。
しかし本当に解除されているのか、レンには図りかねたので気軽に話せるナツメの近くまで行き、話しかけた。
「なあ、新谷」
「うん? どうかしたの牙琉くん」
「いや、反応を確認したかっただけだ」
「?」
ナツメは一回首をかしげたが、「まあいいや。牙琉くんのことだし」と軽く笑って流した。
「レン、衣装合わせというものが終わったぞ」
「そうか」
カーテンから制服姿で出てきたヴィンフォースと合流したところで、パンパン、とクラスの担任が手を叩いて注目を集めた。
「準備が終わったなら、みなさん早く帰りましょうねー。体壊して明日病気になったら元も子もないですから」
はーい、という返事から生徒が帰り始める。
レンとヴィンフォースも、その波に乗り、家へと帰宅した。
文化祭前日。
この日も、何事もなく、終わった。
平穏。平和。そんな日々。
しかし……レンだけは、この状況に言いようのない違和感を抱いていたのだった。




