第六話 ヤンキーとオタクと夏合宿
季節の流れとは早いもので、あのジメジメした梅雨が明けると、だんだん暑くなり夏に近づいていく。そんな季節になると、学生には期末テストという少し苦しい時期が訪れる。
俺は女神に会う為に毎日真面目に学校に通っていたし、勿論宿題だって真面目に取り組んだ。なんせ我が女神がクラス委員長だったので、宿題を忘れて悲しい顔をさせることなど俺には出来なかったからだ。そんな真面目に授業を受け宿題を熟していた俺の学力は思いの外向上しており、テストも然程苦戦はしなかったし、成績も中々悪くなかった。
この学園に入ってからは喧嘩もしていないし、これで教師陣にも喧嘩ばかりの不良と言われることはないだろう。例えるなら、更生中の不良だな。
それに最近は武士彦にギターを教わりつつも、アニソンを差別することなく聴き、武士彦やリンタの勧めでボカロとかいう打ち込み?とかいうもので作られた音楽も聴き始めた。
アニソンやボカロは、あの『アニメキャラクターが歌う』という意味の分からない感覚さえ何とかなれば問題はない。
いや、むしろ曲としては難しい曲が多い。試しに弾いてみると複雑な曲が多く、俺が知らないコードやソロなどの単音速弾きが難しい。なんだよ|Am7-5《エー・マイナー・セブンス・フラットファイブ》って?D#sus4って?どんな指で弦を押さえればいいんだよ?
確かにこういうものを知ってしまうと、アニソンだからと馬鹿にしてはいけないと思ってしまう。むしろ、よくこんな難しい曲を弾けるな、考えられるなと感心してしまうぐらいだ。しかしながら、俺もアニソンを原曲での演奏は出来ないが、武士彦が俺でも弾けるようにアレンジしてくれたアニソンのギター用の楽譜――Tab譜と呼ばれる楽譜を練習し、なんとか何曲かのアニソンを弾けるようになった。
武士彦には初心者なのにギターの成長具合はかなり早いと褒められて、今の俺は絶好調だ。
*****
さて、夏といえば俺達は学生なので夏休みだ。
それぞれ予定もあるだろうし、毎日学校に来て練習をするというのは出来ないだろう。バンドは一人で出来るものではなく、皆でやるものだ。いくら俺がやりたいと思っていても、皆の都合を考慮しないといけない。
それにこの中で一番下手なのは自分で、皆で合わせるまでのレベルまでに達していない。達していないというか、一人でだとなんとか曲が弾けることは弾ける。しかし、皆で合わせると曲は弾けるが、俺がズレてしまうので失敗がよく分かり、バンド全体としてはキツイという感じだろう。リズムキープが不完全なのかもしれない。
だがそこで、バンド全体で合わせないという訳にもいかないし、他にも弾き方で色々と分からない部分もある。俺としては夏休みの間学校に集まるのも吝かではないが、ここはクーラーがないのでとにかく暑い。
練習すると音が凄いので他の部に迷惑にならない様に、部屋は締め切りで扇風機のみ。演奏をしていると、次から次へと汗が垂れてきて、サウナで演奏している気持ちになる。
なんというか『暑、夏い』という冗談を真顔で言えるぐらいに暑い。
しかし、空調設備が整った部屋で、防音がされている部屋というのは、金銭的な問題なのか学校じゃそう見つからないし、他の大きな部活が順番におさえているので、実績のない俺達弱小同好会では使用許可も取れないだろう。世知辛い世の中だ。
別の方法では校外のスタジオを借りるという方法もあるが、バンド練の為に毎回スタジオを借りるのは、学生のお財布的に優しくない。というか、学生の自分にはキツイ。つい最近ギターを買いその周辺機材を揃えたので、俺の財布と貯金箱はすっからかんだ。
そこで、夏休みで皆の時間が集中的に取れる時期に、強化合宿をする事になった。
そう強化合宿することになったのは良いのだが、問題は場所だ。朝から晩まで楽器を鳴らし続けてもいい場所なんて普通は知らない。いや、知っていたとしてもそれなりのお値段がする。世の中金が全てではないかと嘆きたくなる。
ここで、都合よく俺の家が別荘を持っているとかいう家だったら良かったのだが、俺の家は一般家庭で所謂庶民の家だ。というか、マンションの一部屋だ。なので、そんな都合の良い事はそうそう起きないと思ったが……しかし、ここで手を上げたのがまさかの天霧だった。
「あ、あの……私の家なら、その、この時期は、両親がいないです。あの、防音とかも大丈夫なので……だ、大丈夫です」
という、少し不安になりそうな弱々しい訴えだったが、渡りに船という事で、天霧の家で合宿することになった。
*****
そして、合宿になったのだが……俺達は天霧邸の前で絶句した。
「……凄く……大きい……です」
「……ござる」
「……ですわ」
「……なぁ?……この家でいいのか?……というか屋敷だよな?」
いや、俺達も途中から薄々は気が付いていた。なんせ同好会のメンバー全員で天霧の家を目指していると、ここらへんでは有名な高級住宅街に突入したのだ。そりゃ、天霧の家が金持ちで、家もデカいだろうなとは思った。だが、実際に目の前にしたらどうだ?家というかガチの屋敷だぞ?
そりゃ「なんじゃこれー!」と叫んでもバチは当たらないだろう。いや、こんな高級住宅街で騒ぐほど空気を読めなくはないが、叫び出したい気持ちにはなる。それほどの屋敷だ。
「おい、縦ロール」
「なんですの?鳥頭」
「お前……元気出せよ?」
「なんですの!?いきなり慰めるなんて!喧嘩売っていますの!?」
俺が優しさから縦ロールこと早乙女遥に声をかけると噛みついてきた。こいつのお嬢様設定はどこに行ったのだろうか?
「いやだって……なぁ?」
「『なぁ?』じゃありませんわ!」
「いや、だってその……お前のその……キャラ負けただろ?」
「…………負けていませんわ」
「ほら、お前は偽物で、天霧がガチのお嬢様じゃねぇか」
「ムキー!!なんてことを言いますの!?この鳥頭は!?貴方にはデリカシーというものが欠けていましてよ!!」
「すまんな。俺は出来るだけ嘘を吐かないように心掛けているんだ。汚い大人にならない為に」
「ムキー!!」
「まぁまぁ、お二人とも喧嘩はその辺にするでござる」
「そうだお~。秋津氏、真実は時に人を傷つけるのです。エロい人が言っていました」
「……そうだったな。俺が悪かった。この通りだ、許してくれ」
俺はリンタの言葉に自分の非を認め、縦ロールに向き直り深々と頭を下げた。
「なんですの!?謝られたのにこの敗北感!?」
しかし、縦ロールは納得していないようで「ムキームキー」とご令嬢らしからぬ声を上げて騒いでいる。
まぁ、早乙女はご令嬢ではないから仕方がないな。流石はパチモンお嬢様だ。本物のお嬢様である天霧は決して「ムキー」とは言わないしな。何だかんだで、天霧はオドオドしていたけど所作に品もあったから、アレが本当の令嬢なのだろう。
そして、当然と言えば当然だが、門の前でこれだけ騒いでいたせいか、屋敷から人が現れこちらに向かってきた。俺達の格好を一瞥し、その中年の女性は深々と頭を下げた。
「いらっしゃいませ、皆さま。よくぞお越しくださいました」
「あ、どうも。俺は秋津隼人だ」
「拙者は宇佐美龍彦でござる」
「わたくしは早乙女遥ですわ!」
「私は軽音楽同好会の同好会の部長を務めております。綾小路倫太郎です」
「これはご丁寧にありがとうございます。私は天霧家の使用人の橘と申します。ささっ、皆様どうぞこちらにいらしてください。舞お嬢様も屋敷でお待ちですので」
マジか、家政婦?使用人?がいるとか、やっぱり縦ロールと違ってガチのお嬢様じゃねぇか!
てか、リンタの変わり身はなんだ?真面目にやれば普通に話せるって事か?「ふひっ」とか「デュフフフ」とか気持ち悪く笑っていたアレはキャラづくりだったのか?
「おい、リンタ」
「なんだおー?秋津氏?」
「……いや、やっぱいい」
この落差を見て、聞くのは諦めた。というより、思っていたよりもリンタはTPOを弁えているのだろう。
「TPOでござるな」
「おいおい、宇佐美氏。女性がいるのにいきなり下ネタは止めるんだな」
「ん?どういう意味だ、リンタ?」
なんだ?どこに下ネタ要素があった?俺が知らないだけで、オタク的に知らずに下ネタを使っていたのか?
「T(乳首が)P(ピンク色の)O」
「…………マジかよ……リンタは天才か?」
「あ、秋津殿!?」
「じゃ、じゃあ、リンタ……WTOはなんだ?」
「W(我々は)T(乳房の事を)O(おっぱいと呼びます)」
「マジかよ……本物だ!リンタは本物だぞ!?天才ってのはいるところにはいるんだな!」
「あ、秋津殿!?どうなされた!?」
まさかこんな逸材が隠れていようとはな。リンタとはあまり深く話をしていなかったが、ここまで出来る奴だったとは……こいつはとんだ大誤算だ。認識を改めざるを得ないな。
「いや、武士彦聞いてくれよ。だって、あの三文字をアルファベットの和訳風だぞ?しかも間違っているのに、この妙に頷いてしまう説得力。これを天才と呼ばずしてなんと呼ぶ?」
「真正の変態ですわよ!もう、馬鹿やってないで、こちらにいらっしゃいな!」
「ああ」
「はい」
「了解でござる」
俺達は縦ロールに一喝され、仕方なく天霧の屋敷に入った。
まぁ、俺のはっちゃけた発言は、実際のところ天霧の大きな屋敷見てテンションが上がっていたのと、部活の夏合宿という初めて出来事のせいだろう。
*****
天霧家の屋敷は実際に凄い所だった。
俺の語彙力不足であまり多くは語れないが、まず玄関がデカくて、階段もデカくて、家の中なのに大きな食堂とかあって、まぁとにかくデカくて広かった。廊下にも高そうな壺や絵画があり、何というか絵にかいた様な圧倒的な金持ちの家で、庶民である俺は不覚にもビビりながら黙って廊下を歩いた。
「み、皆さん、い、いらっしゃい……です」
そんな俺の気持ちなど知らない天霧はリビングらしき場所で待っていた。天霧の私服も落ち着いた白のワンピースで、まるで深窓の令嬢みたいだった。よくよく考えると、天霧は顔も小さいし、前髪で顔隠していて完全な素顔は見たことがないが、口元とか普通に美人っぽいし、これでキョドるところを直し髪型を変えれば完璧な『ご令嬢』なのだろうな。
「おい、エセお嬢様」
「聞こえませんわ!」
「……負けを認めろよ。完敗じゃねぇか?」
「聞こえないと言っていますわ!」
俺は庶民による庶民の為の会話が欲しくなり、ついつい隣にいる縦ロールに話を振ろうとしたが、どうやら早乙女はこの事実を受け入れないと決めたようだ。
まぁ、強がりだとしても嫌いじゃないぜ、その不屈の雑草魂。
「で、では、皆さん。れ、練習するならこちらです」
天霧の先導に従って屋敷を歩いていくと廊下の突き当りに案内された。
そこは扉が厚く作られており防音効果があるのだろうと推測できる。なんか入った感じが、中と外で気圧が変わる様な変な感覚がある。これが防音室ってやつなのだろう。
「こ、ここの機材は自由に使ってもらって、構いません」
「……マジか」
「凄いでござる!このサイズ!ローランドのアンプが!マーシャルのアンプが大きいでござるよ!これライブとかフェスでも使えるアレでござろう!?」
「モニターもマイクも大量にありますわ!」
「凄い!PAの卓、ミキサーまであるでござるよ!他にも照明?……え?天霧氏ここでライブでもやるのでござるか?もしくはPVでも取るつもりでござるか?」
「これ……ここで普通にレコーディングできるんじゃないかしら?」
「これは……ヤバいね!」
部屋を見ると正直言ってビビった。何これ?スタジオじゃん?というか小さなライブハウス?などと思ってしまう程、俺には何に使うか分からない大量の機材が置いてあった。それでも狭く感じない謎の空間だ。
「そ、その父が昔バンドをやっていまして……」
「え?誰ですの?バンド名は?有名な方でしたの?」
「い、いえ、父は才能が無かった様で、今は会社経営をしていますので……趣味程度ですね」
「マジでござるか……趣味でここまでやるのでござるか……マジでござるか……うらやましいでござる……セレブでござる」
「あら、そうでしたの?少し残念ですわ」
「というか、お前ら軽く流したが会社経営って、天霧のオヤジさん社長かよ?……つーことは天霧ってガチの社長令嬢じゃねぇか!?」
「い、いえ。わ、私なんか……その、えっと……」
「まぁ、そんな事より練習しますわよ!こんないい設備でグダグダするなんてもったいなくってよ!」
「了解でござる」
「わかったおー」
「は、はい」
「……おう」
マジか?天霧のオヤジさんがバンドマンかどうかの時はあの食いつきようを見せたのに、社長の件はスルーで練習か……こいつらある意味すげぇな。
その後、部室と違って慣れない機材だったが、武士彦が嬉しそうに「このアンプは~で……でござる」とあれこれ教えてくれて、セットして練習した。
*****
全体の練習が終わり、特に俺が上手く弾けなかった単音弾きの練習をしていると、武士彦が近くに寄ってきた。
「秋津殿はどんなギタリストが上手い人だと思うでござるか?」
「え?そりゃアレだろ?武士彦みたいに、なんかソロとかテロテロ出来る人の事じゃないのか?」
「ふむふむ、なるほどでござる。確かにそういった方も上手いギタリストではありますが、ギターとは単音速弾きだけではござらんのです」
「ん?じゃあ、どんなのがあるんだ?」
「そうでござるな……天霧殿、少しいいでござるか?」
「え?あ……はい」
天霧は急に話を振られてオドオドしながらも、トテトテとこちらによって来る。
「天霧殿はどんなギタリストが上手いと思いますか?」
「え?わ、私は……技術は勿論ですが、音の作り方と演奏方法です……ね」
「なるほどでござるな。ちなみに、拙者はカッティングの上手い人を目標にしているでござる」
「おいおい、全員バラバラじゃねぇか?いいのか?」
「まぁ、そうでござろうな」
武士彦は俺の言葉にしたり顔で頷いた。
「まず、天霧殿の言っていた音作り、ギターの音の作り方っていうのは本当に難しいのでござるよ。自分の好きな音を作るのも難しいし、曲に合う音作りは基本かもしれませんが、これが案外難しいのでござるよ。それと、秋津殿が言っている単音速弾きは、確かに相当の技量が必要で、これが出来る人は本当に上手い人でござるな。しかし、秋津殿もそろそろ分かって来たとは思うでござるが、音楽とはそれだけではないでござるな。同じコード使っていてもそこにブリッジミュートを使ったり、カッティングをしたり、アルペジオを使ったり、休符をうまく使ったり、ストロークを変化させるだけでも、かなり違ってくるでござる。単音速弾きなど使わなくても、オクターブ奏法を使ったりすることによってギターソロを演奏する事が可能でござるし、弾き方でギターを目立たせる事が出来るでござるよ。だから、秋津が言ったようにテロテロしたり、単音速弾きだけが全てではないし、それが必ずしも上手い人の条件という訳ではないのでござる」
「お、おう」
一気に言われて頭の中が追い付かないが、確かに俺が練習した曲や武士彦に勧められて聴いた曲はそうだった。単音速弾きしない曲でもカッコイイ曲はたくさんあったし、単音速弾きがギターの全てではないというのは知っているつもりだった。だが改めて言われると、俺が好きなあのバンドも、技術的にはそれほど難しい事をしていないのにカッコイイと思う曲は確かにあったと気づかされる。
「つまり何が言いたいかというと、単音速弾きも確かに大事でござるが、慣れなければあんなに速く指が動かないでござる。なので『ギターの上達=単音速弾き』と思うのではなく、もう少し余裕を持って弾く事や、色々な技術を身につけてほしいでござる」
「……だな。分かった」
「少し説教臭くなってしまったでござるな」
「いや、ありがとう……それに説教するのは師匠の仕事だろ?」
「ははっ!そうでござるな」
そうだな。単音速弾きは大事だけど、俺はリズムキープもコードを押さえるのも甘いし、まだまだ他の演奏技術も拙い。
正直に言うと、周りの奴らが上手すぎて焦っていたのだろう。俺も早く上手くならないといけないと、置いて行かれると思ってしまったのかもしれない。確かにこの気持ちは大事だけど、そうじゃない。バンドというのは周りの奴らとの調和も必要だ。焦っていたせいで、俺だけ気持ちが前に前にと出過ぎていたのが演奏にも出ていただろう。
「まぁ、それはそうとして、この単音弾き教えてくれ。これを出来ないと全体のバンド練にならねぇ」
「ははっ、了解でござる」
楽器の上達に裏技や近道はなく、漫画の様に夏合宿をしたからといって、いきなり上手くなる訳ではない。それでも、練習は嘘を吐かない。練習しなければ上手くならない。上手くなるには練習あるのみだ。
そうして俺は武士彦に色々と教えてもらい、更に練習をした。
*****
昼の練習が終わり、夜も少し練習してその日の練習は終わった。
正直ずっと練習というのはキツイ。集中を切らしてミスをする事もあるし、握力がどんどん落ちて上手くコードを押さえられない事だってある。
かなりハードな日程だったが皆が寝た後、俺はどうしても寝付けなくて、疲れた体に鞭を打ち一人練習室で練習を続けていた。
「お、お疲れ様です。秋津さんは寝ないのですか?」
「はっ、そりゃお前もだろ?」
「ふふっ、そ、そうですね。あっ、ちょっと待っていてください」
すると、天霧が顔を出し、一度どこか行ったと思ったら、紅茶を持って再びやって来た。何というかこんな時のチョイスが紅茶って言うのもお嬢様っぽい。俺なら麦茶だ。時点でインスタントコーヒーか?
それに入部した時より俺に慣れたのか、怖がらずにこうやって普通に話しかけてくれるようになったのは、素直に嬉しかった。
「な、夏でも夜は冷えますからね」
「有難くもらおう」
「………………」
それでも俺に慣れたと言っても、元々天霧は人と話すのが苦手なのか、何度も言葉が詰まるし、頭の中で言葉を選んでいるのか会話していると沈黙もある。
まぁ、俺も不良と言われ人から避けられてきたせいもあり、人との会話が上手な方じゃない。
俺も天霧同様に、天霧という人間に慣れたのもあって、前は気まずかったが今はこういう沈黙も苦手ではないし、嫌いではない。今までになかったこういうゆっくりとした時間というのも悪くない。
そんな事を思いながら、天霧が次の言葉を紡ぐまで、淹れてもらった紅茶を飲みつつ静かに待つ。
「……あ、あのそれで、どうしてこの時間に練習するのですか?」
「ん?ああ、そうだな……自分の未熟さが嫌になるとか、バンド練で足を引っ張りたくはないとか、上手くならずに焦っているとか、色々と理由はあるが…………まぁ、結局はギターを弾く楽しいからなんだろうな」
「う、上手くいかなくても……楽しい、ですか?」
天霧は首を横に傾け不思議そうに俺を見る。まぁ、上達しなくてもギターが楽しいという感覚がよく分からないのだろう。
「ああ、楽しいな。ここでバンドをやろうと決めたのは自分だが、ギターは人に言われて始めたんだ」
「え?そ、そう、なのですか?」
「ああ、正直バンドが出来ればそれでいいと思ってたからな……」
そうだ。あの時は先ずはバンドを組む。学園祭に出る。そして、我が女神に告白する。という事だけしか考えていなかった。何とかあのクソみたいな状況から抜け出したくて、何かしないと駄目だと思い、ただ勢いのままの行動だった。それでも、俺はギターをやり始めて正解だったと今なら思う。ギターがこんなに楽しくて、熱中出来るものだとは夢にも思わなかった。
この学園に入るまでは喧嘩ばかりで、学園に入ってからも不良だと言われて人から避けられていた。そんな俺にもこの変な連中ではあるが、一緒にバンドやってくれる奴らが出来たからな。きっとその場の勢いだけだったけど、ギターを始めて良かったのだろう。それだけは自信を持って言える。
「……?どうかしました?」
「ああ、いや……なんでもない」
この気持ちを言葉に出して誰かに伝えるのが妙に恥ずかしくて、天霧の言葉を何でもないと否定する。
追求されたくない時は確か話題を変えるのがいい筈だ。なんかあったかな?ああ、そういえば、前から疑問に思っていたことがあったな。
「そういや、天霧ってエレキヴァイオリンなのに、ギターにも詳しいよな?今日も武士彦に意見を求められていたし」
「え、えっと……その小さい頃から、い、色々と楽器に触れていたから、自然と弾けるようになりました」
「マジか!?超スゲェじゃねぇか!」
「そ、そんな事……ないです」
天霧の性格からして、こんな感じの答えが返ってくるのは分かっていたが、自然と弾けるって普通に考えたら凄い事だ。というか、ありえない。口では自然にと言うがそれ相応の練習をしたのだろう。まぁ、それでも凄い事には変わらない。
自分でギターを弾いてみて、やっと楽器の演奏できる人の苦労が少しだけ分かりだしたからな。
「え?てか、その言い方だと、もしかして他にも出来たりするのか?」
「あ、え~っと、は、はい。で、でも、一芸特化の人には、やっぱり勝てませんよ?」
「いや、でもすげぇだろ?他には何が出来んだ?」
マジかよ?もしかして、天霧ってヤバい奴なんじゃねぇの?
「えっと……キーボードとベースとドラムとトランペットとハープと後は――」
「マジで!?お前天才じゃん!」
「い、いえ、本当に……それほど上手くないんです」
「そんなことないぞ。リンタも天才だったがお前も――」
「いえ、褒めて頂けるのは嬉しいのですが、綾小路先輩と同列にされるのは勘弁してください」
さっきまでは声に少し照れがあったが、俺の言葉は途中で遮られ、今は真顔になってガチのトーンで返された。しかも、いつものようにオドオドせず、顔は見えないが口元がキリッとしている。こんなにもハッキリと言葉を返されたのは、これまでで初めてかもしれない。
「そ、そうか。それほど嫌だったか……なんかすまん……な」
「い、いえ……でも、で、できれば気を付けてくださいね」
「あ、ああ。本当に悪かった」
どうやら天霧にとって、リンタと同列に扱われることは、とてつもなく嫌な事だったのだろう。今度からは気を付けよう。
この微妙な空気を変えようと、俺は自分のギターを見て思いついた。
「なぁ、それならちょっとこれ弾いてみてくれねぇか?」
「え?こ、これですか?」
「ああ。なんつーかこのTab譜だけじゃ、よくわかねぇんだ」
「これですか……そうですね」
俺は自分が弾いていたギターを天霧に渡し、今練習していたTab譜を天霧に見せる。
「これはですね……こうですね」
そう言って、Tab譜を見ながら俺が詰まっていた箇所をサラッと弾いた。
「こ、こんな感じ、ですね」
「マジか……天霧、お前普通に上手いじゃねぇか」
「あっ……い、いえ」
「いや、待て待て。ここで謙遜はするな。日本人の美学なのかもしれないが、今は謙遜されると俺が泣きたくなる」
「ご、ごめんなさい。で、ですが、私は何年も前からギターは弾いていますので……えっと、はい」
そうか、何年も先を行かれているのなら……まぁ、しょうがない。だが、なんというか悔しい事は悔しい。ヴァイオリンだけでなくギターも上手いのか、これが天才ってやつなのか?
「ったく、これだから天才は……」
「いえ、私なんか……妹の方が……」
俺が何気なく溢した言葉を拾ったのは、珍しく強い感情の乗った天霧の言葉だった。
「妹?」
「あっ……は、はい。私には妹がいます」
「ほう、そんで?」
「器用貧乏な私なんかと違って、母の音楽の才能を受け継いだ、本物の天才がいるんです。可愛くて、音楽の才能があって、勉強もできて、運動も得意で、性格が良くて、完璧な妹がいるんです。今は母と世界中を飛び回っています」
「へぇー確かにそいつすげぇな」
「だから、私なんて……ダメダメです」
天霧の言葉に何故だか少しイラッとした。それは俺が天霧の事を凄いと思ったことを否定された事になのか、それとも天霧が自分の事を卑下する事だったのか分からないが、天霧の言葉は俺の何かを刺激した。
「……んな事言うなよ。俺はお前のそのクソ出来の良い妹を知らねぇし、別に興味ねぇしな。それと天霧がダメダメだったら、お前よりギターが下手な俺は何になるんだ?人間以下の存在か?クズか?ゴミか?ああ?テメェ喧嘩売ってんのか?」
「いえいえ!ち、違います!」
「だろ?ならいいじゃねぇか……というか、気にすんなよ。お前はすげぇよ。俺よりもずっとずっとすげぇ」
「で、ですが……」
「あー!まどろっこしい!」
そして、あまり我慢が出来る性格ではない俺は、グチグチ言う天霧の頭を掴んでこちらを無理矢理向かせる。
こうなれば強硬手段だ。多少強引だろうが、こういう自己評価の低い奴には無理理にでも認めさせてやろう。
「ひゃ!?えっ?」
「俺はお前の事をすげぇと思ったんだよ。別にそれでいいじゃねぇか?それとも俺の言葉に文句でもあんのか?ああ?それでもすげぇと言われ足りないんなら、今からアイツら起こしてきて言わせてやるよ」
「ち、違っ!ま、待って下さい!」
俺の言葉に天霧は面白いほど慌てだす。だが、俺はここで引かない。
「じゃあ?あれか?もっと褒めてほしいのか?次は容姿か?だったら先ずは前髪切れ。お前は小顔で口元は美人だから、どうせお前も美人だ。ほれ、前髪上げて見せてみろ?」
「ふぇ~!?」
天霧は俺の言葉に意味の分からない叫び声を上げて、顔や首筋を真っ赤にする。
「ふぇ~じゃねぇよ。なら性格か?俺はお前の性格を嫌いじゃねぇ。俺は捻くれていてあまり良い性格じゃねぇからな。それでも、お前なら側にいても別にいいと思うぞ」
「あのそのあのその」
「んだよ?まだ口答えすんのか?じゃぁ――あっ?」
俺が天霧の頭を掴んで褒めていると「ガチャ」とドアを開ける音がして振り返る。すると、そこには金髪碧眼の美少女が――早乙女が腕を組んで何とも言えない顔でこちらを見ていた。
「……舞が部屋に中々戻ってこないので、心配して探してみましたが……二人して何をなさっていますの?」
「おお!丁度いい所に来た!今、ウジウジとクソつまんねぇ事言う天霧を褒め倒していた所だ!お前も加われ!」
「た、助けて!遥ちゃん!秋津さんが、ほ、褒めてきます!」
天霧は俺に顔を固定されながらも、両手を早乙女に向かって振って助けを求めている。しかし、こんな事で俺が折れる筈がない。
「状況は全く分かりませんが………………襲われているのではないのですわよね?」
「はぁ?なんで俺が天霧を襲わないといけねぇんだよ?意味がわからん」
「は、遥ちゃん!た、助けて!」
「……はぁ……わたくし、今日は疲れたので失礼させて頂きますわ」
「遥ちゃん!?」
そう言って、部屋から出て行こうとする早乙女を天霧が必死に呼び止める。部屋から出てドアを閉めようとしていた早乙女は、やれやれと言いたそうにため息を吐き、俺に向き直る。
「はぁ…………仕方がありませんわね……鳥頭?」
「ああ?なんだよ?」
「それ以上はセクハラ行為ですわよ?」
俺はその一言で、今の状況を思い出す。
天霧の頭を無理矢理掴んでこちらを強引に向かせている。それも『嫌がる女の頭を』だ。確かに、セクハラで訴えられたら負けるな。
「ちっ……しゃーねぇな。ほらよ」
「ぴゃぁー!お、おやすみなさいーー!」
俺が天霧を開放すると、白い肌を真っ赤にして天霧は逃げる様に去っていった。俺は残った早乙女と向かい合い、早乙女は整った顔を歪めながら、首を振った。
「……まぁ、やり方は褒められたものではありませんが、今日の所はお礼を言っておきますわ。あの子はあの境遇と性格だから、色々とあるのですわ」
「……ああ?別に俺は本当の事しか言ってねぇし、隣でウジウジ言う天霧がメンドクサかっただけだ」
「はぁ……そうですわね。それでも『ありがとう』ですわね」
「…………ふん」
そして、早乙女は去り際にフフっと微笑み、機嫌が良さそうに金色の髪を揺らして部屋を出ていった。
残った俺はなぜだかギターを弾く気が削がれ、ギターを片付けて、練習室を後にした。
*****
それからあれよあれよと時間が過ぎ、練習漬けの合宿は終わりを迎えた。
「お世話になったでござる」
「お世話になりましたわ」
「世話になったな」
「合宿楽しかったね、ありがとう」
そして、各々天霧にお礼を言って解散となった。
「は、はい。その、またいらして下さい」
「ああ、またな」
その言葉を最後に俺達の夏の合宿は終了した。




