灰色の邂逅
白い光。正しいもの。綺麗なもの。
…だからこの手で壊したい。守りたいなんて思わない。守らせてもらえる程弱くない。だから壊してやりたい。
白光の二つ名を持つ賞金稼ぎジレンは彼女にとってそういう存在だった。
黒き影。血塗られたもの。死をもたらすもの。
黒影の名は自分でつけたものではなかった。けれどそう呼ばれるようになり、その黒影という名が世に知られるようになり、白光と比較されて人々の口にのぼるようになったとき、眩暈がするほどの幸福の中で彼女、カースは身震いした。
そうしてカースは白光の前に姿を現した。彼の獲物を横取りする形で。目の前に現れた獲物を彼が逃さないことをカースは知っていた。それはまるで崇拝者のように。彼のことなら知っている。白光は彼女の思惑通りに彼女を狙い始めた。
白光に狙われることはカースにとっての夢だった。そして白光を返り討ちにすることがカースの生涯をかけた目標だった。
カースが時折訪れる町がある。
カースにとっては物心がついてから十二歳までを過ごした町だ。育ったのは孤児院で、カースが町を訪れる理由はそこに立ち寄るためだった。
教会に付属するように建てられたその建物はカースがそこにいた頃から随分と老朽化が進んでいたが、今もかろうじて姿を保っている。
奥まった一部屋がシスターの部屋で、そのシスターはカースの面倒も見てくれた人だった。三十半ばにもなるのに、未だにおっとりしたお嬢様っぽい雰囲気は失われていない。
シスターに顔向けができなくなるようなことはしないと昔カースは誓っていた。今、今はもうここに足を運ぶ権利さえ持ち合わせていないのかもしれなかった。だけれど年末のこの時期に、物入りなこの時期に、カースが寄付という形で金を持ってくることがなかったのなら、この孤児院の存続も危ぶまれるとあっては来ないわけに行かなかった。
「仕事は?大変じゃないの?」
善良を具現化したようなシスターの言葉に胸に突き刺さるような痛みを覚えるのはまだカースの中に良心などの感情が残っていることを証明しているのかもしれなかった。
「うん、大丈夫。大変でもないし、忙しくもないし。皆さんよくしてくれるし」
シスターはカースが住み込みのメイドをやっているなんていうでまかせをすっかり信じ切っている。胸の痛みは長年培ったカースの演技力を鈍らせなかった。
「シスター、アレルとロンが喧嘩してるんだけど」
扉が開いて十代後半ほどの少女が顔を出した。カースにとっても顔なじみだ。マリーという名で、もう一人いた老シスターが亡くなってからのちシスターと一緒に子供たちの世話をしている。
「あら、…ごめんなさいね、カース。ちょっと行ってくるわね、ゆっくりしていってね」
そう言い残してシスターが部屋を出ていくと後に残ったマリーがカースに厳しい視線を向けた。
「また何しにきたの?また、薄汚い金を持ってきたの?」
マリーはおそらくカースの現在の仕事を薄々感じ取っているのだろう。
「あんたに文句を言われる筋合いはない」
「ここは私の孤児院よ。本当はあなたなんかに足を踏み入れてほしくない場所だわ」
「あんただけの場所でもない。ここは私が育った場所でもある」
「過去よ。今は私たちのもの。それにシスターを裏切って薄汚い仕事に手を染めて、よくものうのうとここへ来られるものね」
薄汚い仕事という言い様に悲しさや悔しさを覚えても、それを表情に出せるほどカースの自尊心は低くない。むしろ笑ってやることがカースにできる全てだった。
「薄汚い仕事?」
せせら笑うカースをマリーは睨み付けた。
「薄汚い仕事で稼いだ薄汚い金がなければなりたたない孤児院で?そこで育った人間が私に文句を付けるの?年末のたまりたまったツケを誰が払えるんだって?」
「あんたがいないうちはそれでもやってきてた」
「私がいなくてもね、そうね、私がいた頃はね。だってあの頃は私以外の薄汚れた仕事をしている人間がやってきていたもの。私とおなじことしてたもの」
マリーは幼かったから覚えてはいまい。ただカースは十歳を超えていたから、それがカースの転機の一つだったから、はっきりと覚えている。時折訪れる青年がいたこと。その青年が孤児院のためにしてくれていたこと。その青年がしていた仕事。その青年が賞金首として狩られたことさえも。
「…そんなことはしらない。だけど私は」
「理想論だけで人生を送ろうなんて甘ったれた考えはやめてくれない?金を受け取りたくないんなら自分がそれだけ稼いできてから言うことね」
マリーと議論をするつもりはなかった。理想を掲げる、掲げられる人間の存在に対するねたましさがなかったわけではない。けれどカースにはカースの道がある。
「シスターによろしく。多分しばらく来ないから」
「二度と来るな」
かすかな呟きを背に受けてカースはその場から立ち去った。
例えば人生の皮肉が存在するなら、今この瞬間もそれにあたるのかもしれない。
カースが焦慮と当惑の中でどこか冷静に分析せずにいられなかったのは、眼前に見覚えのある忘れられない男の姿を発見したからだった。顔をつきあわせる形で出会ってしまったからだった。
銀色の髪と薄い水色の瞳。白い服、白いマント。銀で装飾された剣。多分もとから色素が薄いのだろう、屋外にあることが多いのに透き通るほどに白い肌。秀麗な面差し、怜悧な眼光。青年の好む白い衣装とその動きの迅速さから白光という二つ名で知られる賞金稼ぎ。彼の名はジレンという。
常の怜悧さが少しかけた眼差しで、とまどうようにカースの顔を見ていた。
孤児院の入り口前だった。ジレンの足の向きや歩く速度から判断すると、その少し前に彼が通りがかったのは孤児院の一つの窓だった。おそらくはカースとマリーの声が聞こえていたのだろう。
そう推測をつけると表情に出さずにカースはほっとした。ジレンにはカースの素顔は知られていなかった。いつも彼の前に現れるときには変装をしていた。今は全くの素顔であったけれど。自分の正体がばれているわけはない。
表情の選択に困ったままのジレンに、カースは笑みを向けた。
「何か?」
先程のやりとりを聞かれているなら、お嬢様ぶったって無駄だと割り切ってどちらかといえばざっくばらんな口調でカースは尋ねた。
「…いや、なんでもない」
意表をつかれた表情はジレンらしくはなかった。少なくともカースの知るジレンらしくはない。傲然としていてほしい。はじめて彼女がジレンを見たときのように。
「じゃあ、どいてくれます?」
「あ、ああ」
すれ違ってジレンを後にしてもカースの全神経は背後に、背中に向けられていた。
だから声をかけられるより先に振り向いてしまったのは当然だった。
「あの、食事でも一緒にどうかな?」
瞬間返事ができなかったのはカースがジレンを知っているからだ。
「はあ…?」
カースの意表をつかれた顔は先程のジレン以上のものだった。
「もし、嫌じゃなかったらだけど」
上気した頬が初な少年のようだった。困惑はカースの思考能力を鈍らせはしたが、むしろ冷静に観察を続けている。
「はあ…」
ともかくも宿敵と同じ食卓をカースは囲むことになったのだ。
知り合いの店があるんだとカースが案内されたのは小さな食堂だった。店の主人は善良そうな若夫婦だったが、どこか剣呑さを感じさせる眼光や隙のない身のこなしがジレンの知り合いだということを証明していた。
七つほどあったテーブルは六つ埋まっていたが、カースとジレンが席に着くと、さりげなさを装って出ていってしまい、すぐに閑散としてしまった。それなりに身に覚えのあるものたちが多かったのだろう。
「好き嫌いはない?」
「ないけど」
どこかげんなりとした気持ちはある。何故自分がここにいるか、ジレンがぎこちない笑顔を向けてくるかを考えようとするだけで。
「じゃあ、適当に頼む」
そう主人に頼み、ジレンはどこかぎこちない困惑した笑顔をカースに向けた。もしかしたら彼自身も自分がここにいる状況にとまどっているのかもしれなかった。
「七一〇年物の逸品だ」
食事とともにワインを持ってきた主人はそう言った。沈黙の支配する二人を気遣ったのかもしれない。
「ありがとう。飲める?」
「ええ」
すすめられるままにカースはワインに口を付けた。さすがに七一〇年物というだけはあったが、それほど酒に対して興味はなかったから少しもったいないような気もしていた。
ジレンはといえばそれほど酒に強くないのか、ワインが嫌いなのだか、グラスの中の液体を持て余していた。だが、カースが視線を向けると少しの躊躇の後一気にグラスをあおった。
会話はすすみはしなかった。カースとしてはジレンと話すようなことはなかったし、ジレンはいつまでも困惑したような顔のままだった。
それがしばらくすると、顔が赤らんでくるに従い、ジレンの口数が増えていった。それはさして意味のないようなことばかりであったけれど。例えばこの店の主人たちとの関係とか。
グラスは二杯目も空にはなっていなかった。しかしジレンの顔は真っ赤で、口調も確かではない。しかも目が据わっている。
宿敵の酔っぱらっているさまを見てもカースには楽しいことはない。カースの知っている白光のジレンは冷静で鋭利で、ただひたすらに強大で、憎悪と憧憬の対象であるべきだった。
「俺はね、ずっと思っているんだ、俺の理想は」
とりとめのない呟きが段々小さくなって、カースが見守っているうちにテーブルに突っ伏して眠りはじめた。
「ああ、とうとう寝たか。すまんね、酒に弱くてな。ここ以外では飲まないようにもしているらしいが」
店の主人に声をかけられるまで、カースはじっとジレンを見ている自分に気が付きもしなかった。
「これはこっちで何とかしておくから」
そう言われなくても置いて帰るつもりだった。ただ何故食事に誘われたのかをジレンに聞けなかったのだけが心残りといえば心残りではあった。
「面白いことを教えてあげようか」
店を出ようとしたカースに主人が声をかけた。
「こいつのね、理想」
純粋とは称しかねる笑みだった。
「強い目をして、誰にも媚びないで、自分を信じていて、一歩も引かないで、誇り高くて敗北を信じない」
いつもの口癖で暗記してしまったと彼は笑った。
カースはそれをジレンの目指す理想像だと解釈したのだが、実はそれがジレンの理想の女性像で、なおかつそれに『黒髪と黒い目をした』と付け加わることになったということを知るのはしばらく後のことになる。が、遠い未来のことでもなかった。
人混みは好きでも嫌いでもなかった。ただ正しく表現するなら好きでも嫌いでもあった。
カースは腕利きの暗殺者で、その腕を振るう場所の一つに人混みもあったのだ。
建国千年を記念する祭の最中、カースの仕事は行われた。
標的はこの国の第二王子である。依頼者は皇后だった。そして王子の実の母親でもある。長男を偏愛するあまりの母親の依頼はカースにうんざりした気分をもたらしはしたが、仕事に私情を持ち込まないのがカースの自尊心だった。
庶民派を気取る(これは皇后の表現だった)第二王子は一般臣民の姿に身をやつし、祭の活気ある雰囲気を楽しんでいるようだった。
今回の道具は薬だった。普段使わない種類の毒薬だったが、それが皇后の依頼だった。王子の正室である隣国の貴族令嬢の差し金と思わせること。そのための毒薬だった。特殊であり、なおかつその国にしか存在しない種類の薬だった。
遅効性、を特徴とする。直接体内に摂取するべきで、致死量は少量。だから傷口から体内に入れることをカースは考えた。凶器は串を使用する。そこいらの屋台で売っている食べ物に使われているものだ。さりげなく彼にかすり傷を負わせればいいだけだった。
難点は護衛で、一人きりではあったけれどその名も高い騎士だった。
難点というほどのことではなかった。無造作に凶器を棄てたカースは思った。正面対決ならともかく暗殺(のようなこっすからい手というのが皇后の代理人の表現だった。ちょっと腹立ちをカースは覚えた)であればカースの右に出るものはないのだ。
実行自体は容易なお仕事だった。もちろん周到な準備があればのことである。準備に時間をかける、そして確実というのが黒影の評判で、それをカース自身も誇りにしているのだった。
足元に落とした串が高い音を立てた。そう思ったのはカースだけだった。
目の前に会いたくもない人物の姿を見かけてしまったからだった。
人混みの中でさえも彼の白い衣装は異常なほどに目立つ。秀麗な顔立ちは繊細ではあるけれど脆弱ではない。怜悧と表現できる眼光は辺りを油断なく見回していた。
目があった。
カースは踵を返した。
とりあえず今彼に会うことは得策ではなかった。
彼はジレン。白光と異名をとる世界最高の賞金稼ぎである。
腕を捕まれるのはカースにとっては不覚だった、油断さえしていなかったというのに。
「あのさ、」
声は聞き覚えのある声で、勿論そうでなくともカースの腕をつかめる程の力量の持ち主はそうそう世界に存在しないとカースは考えていたし、大方それは事実であったから、当然この掴んだ手の持ち主はジレンというのだ。
「忘れられてるかなって疑問はちょっとあるんだけど。そしたら多分変人扱いされるかもしれないけど」
情けない声に苛立ちを感じながらカースは振り向いた。
「忘れてなんかはいないけど」
苛立っている割に顔は冷静さを保っていた。長年の修行のたまものだった。
ジレンは少し上気した頬をしてほっとした気持ちを隠さずに顔に出した。こういうときですら彼の容姿は見とれる価値がある。もっとも怜悧だのなんだのいう表現からはかけ離れてはいたのだが。いうなれば世慣れしていない王侯の印象がある。
「よかった…。この間はごめん、誘っといてさきにつぶれて」
「気にしてないけど。とりあえず腕離してくれない?痛いから」
ごめんとあわててジレンは手を離した。この隙に逃げ去ることを普段のカースと、普段のカースが相手にしている手合いだったら考えはするのだろうが、無謀はカースの身上ではない。
「あつかましいかもしれないけど、よかったら食事でも…?」
「仕事、あるんじゃないの?」
虚をつかれて一瞬ジレンは考え込んだ。結論は簡単に出たようだ。
「構わないんだ。いるかどうかも定かじゃないし、噂だけでここに…。あれっ、俺、自分の仕事、君に言ったけ?」
「自分の著名さをもうちょっと自覚すれば?白光の名前も、その容姿も世に知れ渡ってる」
それにカース自身の立場からして、元々の因縁を含めないまでも賞金首としては賞金稼ぎの中でも有名どころは承知していなければいけないだろう。
「ああ、そっか。そうだな。改めて、俺はジレン。生業は賞金稼ぎだ」
「…カースよ」
うながす視線を受けてカースは名乗った。一瞬ジレンの瞳に剣呑な色彩が宿った。
「仕事は…?」
暗殺?そう訊かなかったことを誉めてやるべきか非難すべきかカースは判断に迷う。ただ勿論素直に言うはずもない。
「何でもやるわ。それこそ賞金稼ぎもね。便利屋でもあるし情報屋でもある」
勿論暗殺も。口に出さなかった分はジレンの耳に届くはずもない。
「そう。情報はどういった情報を?」
「何でもよ、必要なものは何でも。何?何か探していることでもあるの?」
「…ああ、まあいいんだ。ところで、カースって名前は随分珍しくない?」
「そう?そうかもね。由来は是非聞きたいとこだけど何せ名前を付けて棄てるような親だからそうたいした由来もないかもね」
ジレンの顔に訊いたことを悔やむ表情が浮かぶのを見てカースはげんなりする。もとからそういう職業に就く以上まともな育ちをしていないことぐらい想像力の範囲内にあっておかしくないはずなのだ。カース自身は自分の育ちを恥じていたり、悲しく思っていたりはしないのだし。それとももしかしたら、ジレンはこうした堅気でない職業のくせに堅実な家に生まれ市民の育ちをしてきているのかもしれなかったが。
「…あの、さ」
「私は孤児院育ちだけど、今更そんなのを珍しがるほど真っ当な生き方をあなたもしてきているわけじゃないでしょう。お願いだから謝るのとかだけは勘弁して」
カースの苛立ちは頂点に達していると言ってもいい。まさか白光のジレンがこうした物慣れない青年であろうとは想像の範囲外だ。ジレンを付け狙って、復讐だけを考えてきたカースの半生をどうしてくれよう。
「…わかった、謝りはしないけど。…そうじゃなくて、俺が言いたいのは君が真っ当に生きる道を選びたいと思っているかってことで、…ああ、いや、その」
「真っ当ね、真っ当ってどんなことかしらね。確かに便利屋、情報屋なんてまともな商売ではないだろうけど、これ以外の生き方を選ぶことなんて出来やしないのよ」
「そんなことはないよ!…ああ、だから君が望めばってことで、もしそう望むなら」
「賞金稼ぎもまともな商売でもないでしょうに、何が言いたいの?」
「つまり、俺が君を助けてあげられるかってこと、だから、その結婚してくれないかな、君がいてくれたら俺は」
「やめてよっ!何も知らないでよくそんなことっ!」
かっと頭に血がのぼった。
「わかんない!」
大声を出したカースに周囲の人々が注目した。が、カースが冷たい一瞥を投げつけるとあわてて目をそらす。最早カースは隠し通すつもりはなかった。
心を落ち着けるように深呼吸をして、冷たい視線をジレンに向けた。
「真っ当な商売じゃないって?よくもそんなこと。助けてあげられるかって?あんたがそんなことを私に言うとはね!?私を助けたいなら…」
つと一歩カースは後に下がった。今はそれでもこの男を殺すことまでは出来そうにない。不意をついたにせよ、真正面からの攻撃を避けず受けるような男ではない。逃走路は確保しておくべきだ。
「あなたの命、私に頂戴?…私はカースよ。黒影と呼ばれているわ」
見開かれた瞳がジレンの驚きをカースに伝える。それでも鍛えられたジレンの身体は彼自身が思うよりも速くにカースに対して剣を突きだしていた。
「その命、絶対もらいに行くからっ…」
ひらりと身を返したカースはその場を走り去った。
初めて出会ったのは十二歳だった。
十二歳の時から、憧憬にも似た念でただひたすら彼の命だけを求めてきたのだ。
傲然とした正しさの、象徴的な白い衣で、評判は高くなるばかりだった。
吐き気すら覚える。カースが信じてきた、おってきたジレンは違うのだ。全然違う。
「どうしてくれる!?」
もう見たくもない。本当に殺してしまいたい。カースは短剣を握りしめた。
暗殺以外の手だてはない。真っ当な勝負で勝てる相手ではない。
毒?毒もカースがよく使う手段の一つだ。幾つかはカースしか知らない製法の物も所持している。使うならばそれなのだが。…毒?毒を使うのか?
考え込んだカースはびくりとして、扉を見た。
「カース?いるんだろう?」
「何だ?仕事か?今、忙しい」
カースの使う取り次ぎの声だ。カースは自分自身は依頼人に会わないことを基本にしている。会うときは素性を隠して変装をしてからだ。大抵は何段階かの取り次ぎを通す。
「…依頼だ。詳細は手紙で読めよ。忙しいなんて言ってられなくなるぜ」
扉を開けずに去る取り次ぎにカースは舌打ちをした。そろそろ切るべき時期だ。あまり馴れ馴れしい。素性を隠し通すことを最優先とするならこの隠れ家も切る時期だった。
ともかく差し込まれた手紙にカースは目を通す。
「ちくしょう」
呟きが漏れたのは当然だった。
依頼人はジレンだった。
俺を殺しに来いと依頼している。
期限付きで。
同封された小切手の金額は奇しくもカース自身にかかっている賞金の額と同じだった。
「依頼なんかされなくても、殺してやるから」
そう呟いたものの、退路を断たれたのをカースは自覚している。
目標だった。白光に狙われ白光を狙うのが。
愛するように呪って、暗殺者としての修行を始めるには遅すぎる年齢から始めて一流の暗殺者になったのは白光を思ったからだった。どんな苦しみも、あの初めて白光を見たその時を思い出せば辛くはなかった。
一生かけて殺してやる。
その誓いとは裏腹にどこか憧憬を感じてなかったと言えば嘘になる。
汚れきった掌を見るとき、黒影を名乗るとき、獲物の返り血を浴びるとき、賞金稼ぎを返り討ちにするとき。
あの美しい、正義をかざす、正しさを無心に信じる、白い衣の、白い光を、自分自身では近づけぬ、なり得ぬものとして、自分自身の対称として思っていたのだ。
正道を行く白き日の光、闇を住処にした黒き影。
「…その妄執を断てと?ええ、わかってる。光なきところに影があり得ぬとすればこれが私の最後の仕事だわ」
そう呟いて。
カースは手にした手紙を握りしめたのだ。
ジレンのことなら総て知っている。今はそうとも言い切れないにしろ、ある程度の行動の予測はつく。
寒気を感じる真夜中の、月が大きな晩に。できればあの場所で。
そのカースの願いを知ってか知らずか、ジレンがいたのは、あの、孤児院のある町だった。そう、あそこにはこの間連れて行かれたようにジレンの旧友がいるのだった。
「思い出すだろうか。あの場所で」
カースはそう呟いて自嘲を込めて笑った。妄執そのものの己の感情を吐露するのは自分自身だけで充分過ぎる。
彼女は何の変装もしなかった。ただそのままの自分で、その食堂を訪れた。笑顔で店の者に挨拶すると、案内されたテーブルにつく。
ジレンが二階にいるのを知っている。
ジレンが自分を待っていることを知っている。
正面勝負は愚の骨頂だった。カースが得意とするのはあくまでも暗殺の技術。一方のジレンは正面勝負を、試合のような戦いを一番の得意としているのだから。
けれどいいのだ。カースの生自体がジレンという者に対抗してのものだったから、生き残ろうと死のうとも構わない。ただできうるならば。その終焉を眼前にするか、または自分の死を彼に見せ付けたかった。
私が居たことをあなたが知ってくれるのなら、忘れないでいてくれるならばそれでこれまでの生も完結される。
カースは店の主人に声をかけて、二階を指し示されるとためらわずその階段へと向かった。
そしてそれは暗殺者黒影カースとして最後の姿であった。
暗殺者黒影についてその後伝えられる資料は何もない。
その身にかけられている莫大な賞金はそのままであった。けれどそれ以降姿を現さず、捕まることのなかった黒影は伝説として語り継がれていくことになった。
白光ジレンはその後三十年あまりにわたって世界最高の賞金稼ぎという名を保ちつづけた。その終焉にあたって傍らに黒髪の女性の姿があったかは、歴史の伝うるところではない。ただジレンの墓は彼の出生地であるロマリアの地にあり、その墓に添うようにして一回り小さな墓がある。その墓標は朽ちて今は読むことが出来ないという。あえて読む必要があろうか…。
本編はここまでです。
オマケが続きます。




