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黒影

 それはもう法外な賞金のついた賞金首だった。普通の人生をおくろうって思うんだったら一生どころか二度も三度も人生働かないで食べていけるぐらいのものだった。

 私は賞金稼ぎではなかったから賞金をもらおうというのが目的ではなかった。

 私がその男をねらったわけはただ単にそれが依頼であったということだけからである。

 この年、私は十八歳になったばかりで、それでももう腕利きの暗殺者で、実際私自身も結構な額のついた賞金首だった。

 依頼は本当のところ、暗殺というだけじゃなくて実は暗殺と同時に盗みをしてこいってものだった。本来はそんな依頼は受けやしないんだけど、ちょうど年末にさしかかり(私だって年末は物入りなのだ)、高額な依頼料に目が眩んだとも言える。

 私が後悔したのは依頼を受けてから数日が経過してからのことである。

 私は一つの仕事に結構時間をかける性質である。それが嫌な客は他の人間を頼ればいいわけで、決して失敗しない確実な、っていうのが私のポリシーだった。

 だからして今回の仕事も下調べに時間をかけていた。かけているうちに横から手を出されたんである。

 そもそも今回のターゲットはこの国で有名な悪辣な盗賊団の頭で、そんなのをねらうためには、いろいろと準備が要ると私は考えるわけだった。

 ところが奴はそんなこと知るわけないから、突然その盗賊団のねぐらに夜襲をかけてくれたわけだった。

 そんな無謀なことをする奴はあいつしかいるはずがない。

 『白光のジレン』。世界最高と名高い賞金稼ぎだった。

 ところがやはり無謀なことは無謀なりの結果がまっているわけである。

 さすがに手傷一つ負わないもののそれでも本当の標的であるところの頭を珍しくジレンは逃した。盗賊団自体に懸かっている賞金も相当なものだったけれど、やっぱりねらうんなら頭だから、ジレンは逃がした頭を探し出すだろう。

 ジレンがいる以上、本当は私の出番がないのだが、今回の依頼が盗みをしてこいっていうものであるから、私もジレンと同じように頭を追わねばならなかった。

 私が盗まねばならないもの、それは頭が決してはずすことのない指輪で、うちの依頼主のプライバシーなんかにゃ興味はないけど、切実にそれを手に入れねばならない事情が存在するようだった。

 頭が逃げ出した先はガゼリアって名前の町だった。

 私はそれを追った。ジレンが現れるよりも早く指輪を手に入れるために。


 隠れ家を私は知っていた。港町であるガゼリアの倉庫街にあるナンバー44の倉庫がそれだった。私が手にしていたのは小さなバスケットでそれにはいろいろなものが入っていていろいろな用途に使えるもの、頭への差し入れだった。

 蛇の道は蛇だからと言って私が頭と知り合いなのではなかった。頭と知り合いなのは偽りの私、なりきりの私って奴である。

「ジェイクさま、いらっしゃいます?」

 扉を閉めてから囁くような声で私は尋ねた。それは頭の名前だった。

 彼がいることを私は感じ取っていた。彼しかいないことも感じ取っていた。

「レインの連れか」

 レインというのは人名で、頭へのつなぎをとるために利用させてもらった盗賊団の幹部で、先日のジレンの襲撃のときに亡くなった青年だった。憐れむ感情は持ち合わせてなかったが、死を悼む表情は私の顔に作られていた。

「はい。あの人から何かがあったらここに行くように言われておりましたものですから」

 姿を現した頭の目には私の頬をつたう涙も見えたはずだ。

 沈黙がその場を征服した。やがてぽつりと頭が呟いたのは、自責の響きを持つ言葉だった。

「…壊滅だ。俺はこれから」

 悪辣で知られるこの男も、一般的な概念に漏れず単純な性格を持ち合わせているようだった。再起を図るかどうかを私は知らない。図る機会を与える予定はなかった。

「お役に立つかはわかりませんが、いくらか気付いたものをお持ちしました。…あなたがこれからどのようになさるにせよ、生き延びていただきたいと思います。あの人はそう願うと信じてますから」

 そうして差し出したバスケットを受け取るために頭が私に近付いた。

 それが私の狙う瞬間だった。

 ほんの一瞬。

「まさか」

 言葉と共にごぼりと血が吐き出された。心臓を貫いた細いナイフと私の顔を信じられない表情で頭は見つめた。

 私が浮かべた笑みは彼にどのように見えたことだろう。

 急速に光を失う瞳に、ただ唯一の慰めの言葉をかけた。

「黒影。それが私の名」

 裏の世界で生きていれば自ずと耳にはいるはずのその名を教えてやった。ただの娘に殺されるよりも明確な理由を与えてやるのが私の自分勝手な思いやりだった。

 崩れ落ちた頭の左手の人差し指に光る金細工の指輪を私は抜き取った。

 これで仕事は終了だった。あとは依頼人に指輪を届けて報酬を受け取ること。

 だが、その前に仕事以外に残された私のやるべき事があった。ほんの少し待つだけだ。

 重い音を立てて背後で扉が開いた。振り返って目に映ったシルエットを私は知っている。初めて彼にあったときと同じ。顔を見ずともわかる。彼は。

「遅いご到着だわ、ジレン」

 笑顔を浮かべさえして、やっと再会することのできた彼に呼びかけた。

「あなたの獲物だから、あとは返すわ」

 彼は正しく状況を把握しただろうか。

「誰だ?」

 訝しげな表情と誰何の言葉に、私は胸が高鳴るのを感じた。この日のこの瞬間のために私は今まで生きてきたのだから。

「名前はカース。黒影と呼ぶ者の方が多いけれど」

 見開かれた瞳と刹那の跳躍。

 迫り来る彼の剣をぎりぎりのところでかわして、私は笑った。

「私を狩りに来てね、必ず返り討ちにしてやるから」

 逃走路もすべてを準備した上での挑発だったからその場から逃げ切るのは容易だった。

 高揚感にめまいすら覚えながら、私は逃げた。今この場で決着をつけるつもりは毛頭なかった。

 ジレンに出会ってから私の人生は彼の為だけにあった。暗殺者の道を選んだのも、それがジレンが最も嫌う職業で、彼が絶対に存在を許さないからだった。つらい修行もジレンを思って耐えてきた。だからこんな簡単に決着をつけるつもりはない。私が送ってきた年月を彼にも送らせてやるのが私の望みだった。眼前に現れた獲物を彼は逃がしはしない。どれほどの月日をかけても絶対に狩るはずだ。

 自然にこぼれる笑みを抑えようとは思わなかった。


 『白光』が『黒影』を追っているという情報はすぐに裏の世界に広まった。

 私の望みの第一弾目は果たされた。

 追わせ続けることが第二弾目の望みだった。そのためにはちらりと姿を見せて挑発してやることを決めていた。

 そして最後の望みはこの手で彼の命を絶つことだった。それを何年後にするかまだ私は決めていなかったけれど。絶対にそれを果たしてやるという誓いは忘れない。決して忘れることはないだろう。


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