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ボクは仕事につかれました。  作者: 新京極宮子
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第三章⑥ 仕事頑張ってます

 過去にやってきた部活や習い事は一ヶ月も持たずに辞めてきた。怒られたり、辞めろと言われてすぐに辞めてきた。なんのリスクもなかったからだ。

 リリや玄崎さんが言った二千五百万の赤字は、どうしたって頭から離れない。

 帰り道、普段の三分の一ほどのスピードで足を引きずりながら、自宅へと向かっていた。商店街を抜けた道路沿いにある喫茶店の窓を見てようやく気づいた。


「はは、相当ひどい顔してるんだな、今の僕」


 喫茶店の窓に映る自分の顔が一瞬、誰だかわからないほどやつれた顔をしていた。まるで死人のような生気ない表情。


「僕はどうすればいいんだろうか」


 だんだんと暗くなる空がまるで僕の心の中を表しているようだ。

 家に到着するとすでに七時を回っていた。玄関を見る限り靴は人数分並んでおり、家族全員が帰宅している。両親共々早く帰ってきたのだろうか。いつもはちゃんと並べる靴も脱いだまま放置して、明かりのついたリビングの扉に手をかける。

 本当ならそのままベッドに飛び込んで眠りにつきたいところだ。でも家族に挨拶するのはこの家でのルール。無視はできない


「……ただいま」


 声と同時にリビングの扉を開ける。正直あまり声が出ていなかった。

 扉が開いた瞬間、銃声のような大きな音が僕の耳の奥まで通った。俯いたまま扉を開けたのだが、驚き、全身ビクつかせて顔を上げる。

 僕の顔と床には紙吹雪が盛大に広がり、ひらひらと目の前を舞っていく。顔を上げた先には家族全員が手にクラッカーを持って、リビングに揃っている。疲れ切った脳内でもここまでの音なら反応してしまう。


「「おかえり! そして、おめでとう」」


 父さんと母さんの盛大な掛け声とともに、姉の美羅や妹の杏奈は迷いながら後に続く。


「……えっと……なに……?」


 第一声はこうだった。

 僕の誕生日ではない。姉貴と杏奈の誕生日ももっと先だ。父さんと母さんは誕生日詳しく覚えてないけど、まだだったような。

 何のお祝いごとかは、不透明のままだが、僕の帰りを待っていたようで、テーブルの上にはお寿司と豪華そうな料理が並んでいた。


「ていうか、私も何か聞かされてないんだけど、今日誰かの誕生日じゃないよね」


 姉貴がすかさず言う。両親と共にクラッカーを鳴らしていたのに、姉貴と杏奈もどうやらこの祝い事がなんなのか知らないらしい。

 二人の頭上にはクエスチョンマークが見えるようなほど不思議な顔をしている。何かの祝い事なのだろうが、今はそんな気分じゃない。ご飯だってのどを通る気がしない。

 僕が踵を返し二階へと上がろうとすると、父さんの声と共に動きを止める。


「実は本日は給料日です!」


 ようやく父さんがネタばらしなる発言をしたかと思うと、それは毎月訪れる社会人にとっての重要事項だった。


「なに給料日のお祝い? そんなの毎月あるんじゃあ」


 杏奈が僕たちの言葉を代弁してくれた。

 そういえば今思い出した。二週間前に二十五日を空けておけと言っていたけれど、給料日のことだったのか。

 すると、父さんと母さんは二人向き合い、にたりと笑う。お互い肩を組み盛大に言った。


「「実は今日、二人の給料でこの家のローンを完済しました」」


 父さんは右手を上げ涙ぐましそうに言った。生涯に一片の悔いなしといったように。


「パパ、頑張ったね私たち」


「そうだねママ。これからは少しだけ贅沢して過ごせるね」


 二人は嬉し泣きをしながら抱き合っている。僕の両親は共に仲の良い方だと思っている。むしろ仲が良いのが普通だと思っている。


「なんだそんなこ……」


 僕は言いかけた言葉を飲み込んだ。これ以上言ってはいけない気がした。

 そんなこと?

 今の僕が一番口にしてはいけない言葉だった。今の僕はお金の重みを知っている。働く辛さとお金のありがたみを知っている。下唇を噛んで怒りを抑える。自分に対しての怒りだ。


「長かった……築二十五年。パパはただのサラリーマンだけど、ママが優秀で良かった」


 父さんは腕で目を覆い涙している。本当に嬉しいのだろう。子供三人を抱え生活を無理することなく僕たちを育ててきてくれた。


「もう、パパも頑張っていたじゃない。できるだけ飲みにいかないようにして」


 確かに父さんはほとんど家で食事をしていた。外食は家族で行くときくらいだった。そう、こつこつと節約して、僕たちを楽にするために誘いを断り、節約していたのだろう。

 父さんは手に持ったクラッカーを机に置いて静かに言った。


「うん、三分の一は先払いだったけど、分割二千五百万のローン二十五年もかかったんだね」


「え?」


二千五百万!? 二十五年?


 聞き覚えのある数字に身体が反応してしまう。これはもちろん偶然なのだろうが、自分が数分で出してしまった会社の赤字に、両親は二十五年かかって返済したのだ。


「ん? どうした悠斗」


 僕の過敏すぎる反応と真っ青な表情に反応したのは父さんだった。


「あ、いや……何でもない……」


 表情は曇ったまま動揺を隠しきれないが、父さんはそれ以上追及してこなかった。自分がどれほど酷い表情をしているかわかっている。僕は俯いたまま、右手で軽く顔を隠す。


「じゃあみんなでご飯食べてケーキにしよう」


 父さんの言葉に小さく反応した姉貴と杏奈は寿司に手を伸ばした。僕の帰りを待っていたので、みんなの夕食を遅らせてしまった。それでもトドメと言わんばかりのローンの話で、食べ物がのどを通る気がしない。


「ごめん、父さん。なんか食欲なくて……後で食べるよ」


「え? おい、悠斗?」


 かけられる言葉も無視して、リビングを出て二階へと駆け上がる。そのまま自分の部屋へと入り、鞄と携帯電話を放り投げ、うつ伏せのままベッドへ飛び込んだ。

 枕に顔をうずめて視界を闇にしても、僕の脳裏には二つの数字が頭の中を駆け巡る。


「二千五百万……父さんと母さんが必死に働いて二十五年もかかったのか……僕は、どうすればいいんだろう……」


 その吐き気を催す果てしない数字に、枕に顔を埋めたまま、一人呟く。目頭が熱くなり、涙が溜まっているのがわかる。枕が全て吸ってくれている。僕はこれから何をすれば、どうすれば正解なんだろう。本当に取り返しのつかないことをしてしまった。


もうすこしつづきます

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