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病弱薬師のデバフ無双  作者: くんや
迷宮都市と、偏屈師匠

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1/15

病弱な僕と、怒りんぼの幼馴染

 木製の格子窓を押し開けると、朝露を含んだ冷涼な風が小屋の中に流れ込んできた。

 乾燥させたカモミールとミントの甘酸っぱい香りが、ふわりと鼻腔をくすぐる。


「うがい三回、手洗い念入り、深呼吸。……よし、今日の体調も万全ですね」


 窓の隙間からすり抜けてきたかすかな秋風に、アスターは思わず身をすくめて襟元をきつく締めた。

 油断は禁物だ。健康な人にとっては心地よいそよ風でも、アスターにとっては「明日の朝四十度の熱で三日寝込む」という死の宣告になりかねない。


 アスターは、王都から遠く離れた辺境のルーネ村で薬師見習いをしている十七歳の少年だ。

 村のオズワルド師匠のもとで修行しているけれど、彼がまだ作れるのは、体に優しい薄味の薬草茶や、ごく初歩の擦り傷用の軟膏くらい。

 将来の夢は、いつか一人前の薬師になって、村の広場に小さなお店を開くことだ。


 ――ただ、アスターには一つだけ、生まれつきの致命的な問題があった。

 どうしようもなく、体が弱いのだ。


 棚の上の素焼きの壺に手を伸ばすが、わずか三キロほどの重さに、アスターの細い腕はプルプルと情けなく震えてしまう。

 子供の頃、村の元気な悪ガキたちが川で魚を追いかけ回している間、彼の定位置はいつも日当たりの良いベッドの上だった。


 山で薬草を探せばトゲで指先をかすめただけで全身が痺れ、油っこいものを一口食べればたちまち激しい胃もたれを起こす。

 まさに「健康第一」「安全至上」を座右の銘にしなければ、今日まで生き残ることすらできなかったひ弱な体質だ。


 そんなアスターが、十七歳まで一度も命を落とさず、こうして元気に笑って暮らしてこられたのには、はっきりとした理由がある。


「おーい、アスター! 朝ごはん持ってきてあげたわよ!」


 トントン、と小気味よい足音と共に、薬草小屋の木扉が勢いよく開け放たれた。

 朝の柔らかな木漏れ日を浴びて艶やかに揺れる亜麻色の長い髪。

 白いエプロンドレスに身を包み、大きな琥珀色の瞳を悪戯っぽく細める少女。

 アスターと同い年の幼馴染、ミレイだ。


「おはようございます、ミレイさん。今日も早いですね」


「ふふん! アスターが朝ごはんを抜いて、午前中の調合中にふらふら倒れたら困るでしょ? ほら、今朝パン屋のおじさんから分けてもらった、揚げたての肉入り揚げパン!」


 ミレイが自慢げに差し出してきた竹籠の中には、こんがりとキツネ色に揚がった、丸々としたパンが包まれていた。

 香ばしい小麦の匂いと、スパイスの効いたお肉の香りが食欲を激しく刺激する。


「わあ……すごく美味しそうですね。いつもありがとうございます」


「どういたしまして! さあ、冷めないうちに早く食べて!」


 ミレイに促され、アスターは両手を合わせてから、揚げパンにかぶりついた。

 サクッ、と心地よい音と共に、モチモチした生地の中からジューシーな肉汁が溢れ出す。


「んんっ……! 美味しい……! サクサクの衣と、じゅわりと広がるお肉の旨味が口いっぱいに――ぎゃああああ痛い痛い痛いっ!?」


「きゃあああ!? アスター、もうお腹壊したの!?」


「す、すみません……っ! あまりの美味しさに調子に乗って……脂っこい肉汁が……僕の軟弱な胃袋の関所を強行突破して……っ!」


 案の定、アスターの胃腸は美味しさの感動を味わう暇もなく、過剰な油分に対して猛抗議の悲鳴を上げた。

 キリキリとした激痛が差し込み、アスターは膝から崩れ落ちてお腹を押さえた。額から脂汗が滝のように噴き出す。


「もう! アスターったら、胃腸が弱いんだから油物はしっかり噛んで少しずつ食べなきゃダメって、いつも言ってるじゃない!!」


 ミレイはぷくっと頬を膨らませて怒りながらも、手慣れた様子で膝をつき、アスターの背中を優しくさすってくれた。

 もう片方の手袋を口で器用に引き抜き、アスターの汗ばんだ額を清潔なハンカチでそっと拭う。

 そして、白く柔らかな手のひらを、アスターのみぞおちにそっと重ねた。


「痛いの痛いの、飛んでいけ――【キュア】!」


 ぽわん、と春の陽だまりのような温かな光が、小屋いっぱいに溢れ出した。

 光がアスターの体を包み込んだ瞬間、先ほどまで胃を締め付けていた激痛が、冷たい水で洗い流されるようにスッと消え去っていく。


 ――それと同時に。

 小屋の片隅の棚に置いてあった、数日前に枯れ果てて茶色くなっていた薬草の鉢植えが、ミレイの光を浴びた瞬間に青々とした新芽を一斉に芽吹かせ、ポンッと可憐な白い花を満開に咲かせた。


「……ふぅ。……治りました。助かりました、ミレイさん」


「まったく、油断も隙もないんだから。私が毎日そばにいてあげなきゃ、アスターは一日で倒れちゃうんだからね」


 ミレイは部屋の隅で枯れ草が満開の花を咲かせたことなど気にも留めず、ホッとしたように胸を撫で下ろして自慢げに笑った。


 ミレイは村の小さな教会で育った見習い治癒士だ。

 思えば昔から、アスターの隣にはいつもミレイがいた。


 七歳の時、アスターが裏山で毒キノコを誤食して顔を紫色にして倒れた時もそうだった。

 まだ治癒魔法の基礎すら習っていなかったミレイは、泣きべそをかいて顔をぐしゃぐしゃにしながら、アスターの手を握りしめて必死に神様に祈り続けてくれたのだ。


『アスターが死んじゃうのやだ! 神様、お願い! アスターの痛いのをぜんぶ治して!』


 その時、奇跡のようにミレイの体から光が溢れ、アスターの体内の猛毒を完全に浄化してくれた。

 それ以来、ミレイは「私がアスターの専属お医者さんになる!」と決意し、誰よりも熱心に教会で治癒と祈りの修行に打ち込んできた。


 アスターがしょっちゅう熱を出したり、薬草にかぶれたり、お腹を壊したりするたびに、ミレイが全力で【キュア】や【ヒール】をかけ続けてくれたおかげで、ミレイの回復魔法は日に日に上達し、今では村中のどんな大怪我でも一瞬で治してしまうほどになっていた。


「ねえ、アスター。将来お店を開いたら、私の部屋も絶対に作ってよね」


 ミレイは薬草小屋の椅子に腰掛け、足をぶらぶらと揺らしながら言った。


「ミレイさんの部屋、ですか?」


「そうよ! アスターが薬草の調合で変な煙を吸い込んだり、珍しい草のトゲで痺れたりした時に、私がすぐ隣の部屋から飛んでいって治してあげるんだから。……私が一生、アスターの面倒を見てあげるんだからね」


 そう言って、少し照れくさそうに窓の外を見つめるミレイの横顔が、朝の光に照らされてとても綺麗だった。


 彼女が腰のポーチから取り出した小さな革の手帳には、昔二人で裏山へ薬草採りに行った時に見つけた、決して枯れない不思議な青い野花の押し花が、大切そうに挟まれていた。

『これ、アスターが病気にならないお守りね!』と笑っていた彼女の顔が思い出される。


「はい。その時はぜひお願いしますね、ミレイさん」


「約束だからね!破ったら承知しないんだから!」


 そんな、穏やかで温かい時間。

 大人になっても、この小さな村で、こうして二人で笑い合いながら生きていくのだと、アスターもミレイも信じて疑っていなかった。


 ――けれど、運命の歯車は、あまりにも唐突に、静寂を切り裂いて回り始めた。


 昼下がりのことだった。


 ゴゴゴゴ……と大地を揺るがす重々しい車輪の響きと共に、村の入り口が騒然となった。

 村人たちが息を呑んで見守る中、街道を進んできたのは、純白の車体に黄金の彫刻が施された豪奢極まりない巨大な馬車と、銀色の重装鎧に身を包んだ近衛聖騎士団の一隊だった。


 馬車が教会の前で静かに停車し、扉が開く。

 降り立ったのは、一人の老人だった。


 純白の法衣をまとい、豊かな白髪と、顔に刻まれた深い皺に慈愛の笑みをたたえた好々爺。

 その穏やかな佇まいからは、ただそこに立っているだけで周囲の空気が清らかになるような、圧倒的な徳の高さが滲み出ていた。

 王都の大聖堂を束ねる最高権力者――大司教ヴィンセント様その人であった。


 ヴィンセント様は、驚いて平伏しようとする村長や、道端で震える身なりの貧しい農夫たちに対しても、自ら歩み寄って深々と頭を下げ、優しく声をかけた。


「突然の来訪により、村の平穏を乱してしまい申し訳ありません。神のお導きにより、この美しき村に満ちる類まれなる神聖力を感じて参りました。……お嬢さん、貴女がミレイさんですね?」


 薬草小屋の前にいたミレイの前に、ヴィンセント様は穏やかな足取りで歩み寄ってきた。

 その手には、白銀の台座に据えられた、見たこともないほど透き通った巨大な魔導水晶が抱えられていた。


「驚かせてしまってすまないね。さあ、この水晶に、そっと手を触れてみておくれ」


「え……? あ、はい……」


 ミレイはおずおずと、小さな右手のひらを水晶の表面にかざした。


 その、刹那だった。


 ――カァァァァァァッ!!!!


 天を衝くような、眩い白銀の光柱が爆発した。


 澄み渡るような神聖な燐光が村全体を白昼の太陽のように照らし出し、教会の鐘とステンドグラスが共鳴して、パイプオルガンのような荘厳な重低音が大気を震わせる。


 水晶の内部に刻まれていた魔力測定の目盛りは、一瞬で最上段の限界値をぶち破り、耐えきれなくなった水晶の表面にピシリと亀裂が入って――パァァァンッと音を立てて粉々に砕け散った。


「な……っ!? 測定不能……神殿の最上級水晶が焼き切れて爆散しただと……!?」


 控えていた聖騎士たちがざわめき、次々と武器を落としてその場に膝をつき、頭を垂れた。


 だが、ヴィンセント様は威圧するような態度など微塵も見せず、ただ純粋に感極まったように瞳に涙を浮かべ、ミレイの前で深々と両手を合わせた。


「おお……神よ、感謝いたします。これほどまでに清らかで、慈悲に満ちた奇跡の光が存在したとは……」


 ヴィンセント様は震える両手で、そっとミレイの手を包み込んだ。

 その瞳には、心からの敬意と、切実な祈りが宿っていた。


「ミレイさん。……どうかお願いです。貴女のその類まれなる奇跡の力で、王都で病や呪いに苦しんでいる、何万人もの貧しい民をお救いいただけないでしょうか」


 国家の頂点に立つ大司教が、ただの村娘に対して、涙を流しながら懇願するように頭を下げた。

 その瞬間、二人の穏やかだった日常の扉が、静かに、そして決定的に閉ざされたのだった。

第1話を最後までお読みいただき、ありがとうございます!

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次回、第2話「別れの朝と、初めての一人旅」へ続きます!

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