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「いや、ピンクだろ。ピンクにしとけ」

 


 ゴールデンウィークがやってきた。

 連休中、鈴木先輩と二人でどう過ごそうか、と思い悩んでいたけれど、それは杞憂に終わることになる。


 と、いうのも。



「先輩」



 朝からずっと自分の部屋に籠り、机に向かっている背中。

 私が彼を呼ぶのは、食事の支度が出来た時だ。そして絶対に反応してくれないのは分かっているから、ドアを勝手に開けて身を乗り出すのがお決まりになっている。



「せーんーぱーいー」



 これまで、呼んだだけで振り返ってくれた試しはない。それでも一応呼び掛けるのは、毎回一縷の望みにかけているからだ。


 仕方なしに諦めて、私はいつもの手段を利用する。

 適当な紙で飛行機を折って、彼の元へ飛ばす。それが結局のところ一番有効だった。



「先輩、お昼食べましょー」


「ああ、悪い。今行く」



 私の飛ばした紙飛行機を手に取り、それを机に置いて彼は立ち上がる。

 一体、あれは何機目の飛行機だろう。かなりの数を飛ばしている気がするけれど、彼の部屋に過去の作品は見当たらない限り、処分されているんだろうか。



「先輩、今日は何か予定ありますか?」



 クロワッサンを齧った彼は、私の質問に首を振る。



「特にないな」


「そうですか。私ちょっと買い物行ってきますね。夕方には戻るので……」


「俺も行く」


「えっ」


「俺も行く」


「二回言わなくても聞こえてます」



 冷静に返しながらも、内心結構驚いていた。

 彼は朝のジョギング以外、基本的に休日は家に引きこもっている。家に、というより、自分の部屋に、という方が適切だけれど。



「先輩は家にいていいですよ。ここら辺の地理ならもう大分覚えましたし」



 そういえば夏に着る服があまりないな、と思い至っての外出だった。

 本来家の中ならTシャツに短パン、という簡素な格好で事足りるはずだけれど、家の中に彼がいたのではそういうわけにはいかない。


 個人的な買い物に付き合わせるのも申し訳ないので、私は彼の申し出を断った。



「いや、俺も行く。荷物持ちが必要だろう」


「そんな大量に買うつもりはないです」


「うるさい。早く食って行くぞ」



 何ゆえにそこまで躍起になっているのか。


 彼は吐き捨てると、言葉通りパンプキンスープを物凄い勢いで飲み干した。

 と思えば、気管に入ってしまったのか、激しくむせ始める。



「は、華っ……お前、これに何、入れた……!」


「自業自得でしょう」



 安っぽい演技に取り合うつもりはない。

 私は極めて淡泊に応答して、ゆっくりスープを味わった。







「華にはピンクの方が似合うんじゃないか」


「流石彼氏さんですね! でも青もすっごくお似合いですよ~!」



 なぜ、どうして、こうなった。


 私にトップスをあてがって首を捻る先輩と、その隣で営業スマイルを浮かべる店員。

 とりあえず早く終わってくれることを願う私は、先程から愛想笑いで凌いでいた。



「あ、えっと……青にします」



 控えめに主張すると、すぐさま先輩が食って掛かる。



「いや、ピンクだろ。ピンクにしとけ」


「すみません、お会計お願いします」



 女性しかいないようなコーナーで、堂々と私に指図できる先輩のメンタルが謎だ。

 しかも「彼氏さん、一緒に選ぶだなんて優しいですね」と店員からとんでもない言葉を頂戴して、ひたすらに困惑した。


 私はすぐに否定したのに先輩はむしろ乗り気で、「マイハニー」などと宣ったため、しっかり一発蹴りを入れておいた。



「華。お前、俺がピンクって言ってんだぞ。そこで青買う馬鹿がいるか」


「自分で着る服自分で決めて何が悪いんですか」


「俺のことは俺が決めて、お前のことも俺が決める」


「わあ横暴」



 しかしジャイアンなのは口先だったようで、私が青色のトップスをレジに持って行くと、彼は黙って傍観に徹していた。



「貸せ」



 レディースファッションの店を出て、数歩進んだ時。

 手に持っていた袋を突然かっさらわれる。隣を見上げれば、「何だ」と彼が眉をひそめた。



「え、あの……先輩って、そういう趣味」


「馬鹿か。荷物持ちだって言ったろ」



 やけに私の買う服に口を出してくるから、自分も着たいのかと思ってしまった。


 それにしても、これくらいは自分で持てるのに。まあ貰える親切は貰っておこう。



「そういえば、先輩ってタカナシ先輩と付き合ってるんですよね?」


「待て待て待て。どうしてそうなった」



 身振り手振り、彼が私の言葉を押しとどめるようにして凄む。


 どうしてもこうしても。自分で言っていたではないか。

 タカナシ先輩だって私のことをライバル視していたし、そういうことなんだとしか思えない。



「私は偏見ないですけど、やっぱり日本では窮屈ですよね。将来二人で海外とか考えてるんですか?」


「華。人の話はまず聞くもんだぞ」


「先輩に諭される日が来るとは。不覚」



 最初は男女二人で同居なんて、と思っていた。

 でも母は全く気にしていなかったし、実際、微塵もそういう空気になったことがない。


 私は自分の中で、一つの結論が導き出されつつあったのだ。

 そう。先輩の恋愛対象は、女性(わたし)ではなく男性(タカナシ先輩)だということ。


 それなら全ての辻褄が合う。というか、最早これ以上の最適解はないと思っている。



「俺は、女が好きだ」


「えっ、酷い! タカナシ先輩のことはどうするんですか!?」


「お前はいつから冗談が通じなくなったんだ」



 先輩が耐えかねたように深々とため息をつく。

 彼の眉間に刻まれた皺が増えないうちに、私は軌道修正を図ることにした。



「じゃあ先輩は、いま付き合っている人はいないということですか?」


「だから、そう言ってる」


「そうですか。安心しました」



 私が言うと、隣で歩いていた足が止まった。

 何だろう。訝しみながらも見上げ、交わった視線に息を呑む。



「華」


「はい」


「……それは、どういう意味だ」



 いつになく硬い表情だった。思わずこちらの肝が冷えてしまいそうなほど。



「どういうって、」



 しかし、こうしてまじまじと見てみると、本当に彼は端正な顔立ちをしている。


 私は至って冷静に続きを述べた。



「先輩に恋人がいたら、私と同居してるだなんて、その人に悪いじゃないですか」



 彼が自分のことは内密にしておきたそうだったから、今まで聞かないであげていたのに。まあ恋人がいたら私との同居は了承しないだろう、とたかを括っていた部分もあったけれど。


 私の言葉を聞いて明らかに肩の力を抜いた彼に、わざとらしく詰め寄る。



「まさかですけど先輩、私が先輩のこと好きかも~とか、思いました?」


「華。この近くに人気のパンケーキ店があるらしいぞ」


「さては図星ですね」



 はたから見れば、カップルなのかもしれない。でも私たちはそんな単純な関係ではなかった。


 先輩は私が買い物に行く時、荷物持ちだと言っていつもついてくる。今も車道側を歩いてくれていて、私はそれに気付かないふりをしていた。


 このままの穏やかな空気を、生活を、崩したくない。それはきっと、私以上に彼が願っているような気がしたのだ。





 ***





 せっかくの連休だというのに、今のところ変わり映えのしない日が続いていた。

 買い物に出かけたのも結局連休初日のみで、先輩はといえば、連日部屋に引きこもっている。


 昨日の夕飯の際に聞いてみたところ、どうやら彼は勉学に励んでいるらしい。

 確かに、先輩は成績優秀だ、とチョコが話していた。でもだからって、一日中そうしていては体にも悪いんじゃなかろうか。


 そんなわけで、私は一つ、作戦を決行した。



「先輩、提案があるのですが」



 その日の夕飯の席。

 彼の茶碗に炊き込みご飯のお代わりを盛り付けながら、私は切り出した。



「何だ?」


「今日はちょっと夜更かししませんか」



 普段早寝早起きを推奨している私から、まさかそんな言葉が飛び出すとは思わなかったのだろう。彼はしばし呆気にとられた様子で固まっていた。



「実はですね、観たい映画があるんです。でも一人で観るには忍びないので、先輩も一緒にどうかなと」



 ずっと勉強漬けというのも息が詰まってしまう。多少の息抜きなら彼だって応じてくれるのではないか、と私なりに考慮した結果だった。


 しかし彼は何やら難しい顔で黙り込んでいる。

 映画にはあまり惹かれなかったんだろうか。それなら、と私はもう一つのプランを提案する。



「じゃあトランプしません? 大富豪とか! 私結構強いんですよ」



 努めてテンションを上げながら言い募るも、彼の表情は改善されなかった。



「ルールが分からない」


「えっと、じゃあババ抜きでもいいですけど! それか他のカードゲームとか……」


「華」



 低まった声に、意図せず肩が跳ねた。彼は私を見据えると、静かに窘める。



「早く寝るぞ」



 ……何だ、それ。


 そっちがずっと部屋に籠りきりで勉強ばかりしてるから、親切心で言ってあげたんじゃない。別に私だってトランプではしゃぐ年じゃないし。何か私が我儘言ったみたいになってるし。



「そうですか。分かりました」



 僅かに残っていた味噌汁を飲み干して、立ち上がる。

 手早く自分の分の食器を下げれば、彼の焦ったような声色が背後から追いかけてきた。



「華、」


「食べ終わったら適当にここら辺置いといて下さい。後で洗うので」



 一方的に告げて自分の部屋に逃げ込む。

 勢い良くドアを閉めて、そのままベッドへダイブした。







 少し寝てしまっていたらしい。時刻は二十一時前だった。

 のそりと起き上がり、めんどくさいなあ、という感想が頭に浮かぶ。一晩明かせば多少はほとぼりが冷めそうだけれど、今また部屋を出て行くのは気まずい。


 とはいえ、食器を洗わなければならないし、お風呂だってまだだ。


 渋々ベッドから降りてドアノブを回す。数センチ開けて様子を窺った。……いる。リビングにいる。

 彼も部屋にいてくれれば気にせず家事ができるのに、リビングにいられては困るではないか。



「……何か買いに行こ」



 甘い物を食べたい気分だ。

 財布だけを持って、音を立てないように部屋からの脱出を試みる。


 抜き足差し足で玄関まで進みながら、仮にも自分の家なのになぜこんなことをしているんだろうと馬鹿らしくなった。


 静かに靴を履き、静かに立ち上がる。そして静かに玄関のドアを開けようとしたところで――



「華」


「ひゃい」



 噛んだ。それはもう、盛大に噛んだ。

 いや、だってびっくりするだろう。完全犯罪、否、完全にバレていないと思っていたのに、後ろからいきなり声を掛けられたら。



「どこ行くんだ」


「いや、あの……ちょっとそこまで」


「家出か?」


「違います」



 こんな軽装な家出人がいてたまるか。

 反射的に返してドアを開けると、彼が荒々しく私の腕を掴んだ。



「こんな時間に家出するな、馬鹿!」


「家出じゃないですって!」


「じゃあ何だ! こそこそ出て行こうとして!」


「コンビニに行くだけです!」



 あまり玄関先で大声を出し続けては、近所迷惑になってしまう。もう既に手遅れかもしれないけれど。


 声のボリュームを落として、私は彼に抵抗した。



「ちょっとアイスでも買ってくるだけですから……離して下さい」


「分かった。じゃあ俺も行こう」


「え、」



 どうしてそうなる。こうして一人で行くのは、単に糖分を摂取したいから、というのも勿論あるけれど、彼からの逃避の意味も含まれていたのに。



「どうした。行くんだろ」



 先行して外へ出た彼が、怪訝そうに私を見る。

 逆にどうして通常運転でいられるのだろう。気まずいとか、この人はそういう感情がないんだろうか?



「い、行きます」



 正直、もうアイスなんてどうでも良かった。今この瞬間をどう切り抜けようか、それだけで頭がいっぱいだ。


 道中はしばらく無言で、信号を二つ越えた頃、先輩は唐突に口を開いた。



「……さっきは、悪かった」



 今それを持ち出してくるのか。逃げようも避けようもない。

 私は咄嗟に返す言葉が見つからず、沈黙を貫いた。



「華が気を遣っているのは分かったんだが、俺のために夜更かしは……やっぱり、良くないと思う」



 辺りは暗く、ささやかな街灯が彼の顔を照らす。その横顔は真剣に前を見つめていて、物憂げに映った。



「……先輩は、どうしてそんなに勉強してるんですか?」



 彼の部屋にある本棚を見た時、明らかに高校生向けではない難解なタイトルの書籍を沢山見つけた。

 俺は火星人だ、等と喚いていたのがあながち嘘ではないのではないかと思うくらい、彼は謎に満ちている。


 何気ない質問を装った、核心に迫るような問いであることは、自覚していた。



「将来のためだ」



 彼は予め用意していたかのように、普遍的な回答を寄越す。彼の内側を探ろうとしていたのが、見透かされたのだと思う。


 ちょうどコンビニに辿り着いた。

 明るい店内に触発され、胸の中に燻っていた霧が晴れていく。



「先輩、提案があるのですが」



 彼のことは全然分からないのに、いつの間にか義務ではない気遣いが芽生えていたのはどうしようもない事実で。

 だから少しだけ、踏み込みたくなってしまう。教えて欲しくなってしまう。


 でも、そのラインを越えてはいけないのもまた、明白だ。


 夕飯時と同じフレーズを口にした私に、彼が首を傾げる。



私が(・・)先輩と映画を観たいので、付き合ってくれませんか」



 何が彼を駆り立てているのだろう。深いところは相変わらず何も分からない。


 彼は逡巡の後、観念したように零した。



「……洋画ならいいぞ」


「え、字幕入れてもいいです?」


「雰囲気が壊れるから駄目だ」



 どういうこだわりなんだ、それ。

 よく分からないけれど、まあ彼の息抜きになるのなら内容はどうだっていいか。


 映画を観るなら、とアイスではなくお菓子と炭酸飲料を買い込み、帰路につく。


 連休に入る前、暇を持て余すかもしれないと、レンタルショップで何本か借りていた。洋画はその中で一つだけだ。


 ディスクを挿入して、彼とソファに腰かける。



「ところで、これどういう系統の話なんだ」



 画面がゆっくりと暗くなってきたところで、彼が尋ねてきた。

 私はスナック菓子を口に放りながら端的に答える。



「ホラーです」


「えっ」


「え?」



 隣から上がった声に顔を向ければ、引き攣った彼の頬がぴくぴくと動いていた。

 そして彼は私のTシャツの裾を掴み、全力で首を振る。



「華。俺の嫌いなもの知ってるか」


「野菜全般……特ににんじんとブロッコリーですかね」


「ああ、そうだ。それとな、」



 ず、ず、と画面の中で黒い物体が蠢く。次の瞬間、悲壮な女の顔が現れ、こちらに襲い掛かり――



「俺はホラーが大っ嫌いだ――――――!」


「静かにして下さい、近所迷惑です」


「無茶言うな! お前卑怯だぞ、ホラーだと分かってれば俺だって観てなかっ、んぎゃ――――――!?」



 彼の顔面めがけてクッションを投げつけ、声量の抑制を目論む。

 それを両腕で抱き締めるように捕まえた彼は、ちらちらと片目ずつで画面を窺い始めた。


 私はといえば、借りてきた映画が軒並みホラーであるくらい、怖い話が好きだ。

 しかし洋画、字幕なしとなると、会話の内容が断片的にしか入ってこない。一応母の影響で英語は嗜んでいるが、それだけですぐに理解できるなら苦労しないのだ。



「うわっ、今の見たか華……華?」



 あんまり怖くないし、内容もよく分からないしで眠くなってくる。睡魔と格闘する私の耳に、彼の切羽詰まった声が届いたのが最後。重い瞼を閉じて、睡眠欲に身を任せた。



「おい、寝るな! 俺を一人にするな、頼むから! 華、起きろ! 華――――――!」



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