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サイレント・ウィッチ(外伝)  作者: 依空 まつり
外伝11:喪失の凶星、瞬く時
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【10】奪われた者の慟哭、加速する喪失

「誤解の無いよう言っておきますが、私は魔力が完全に空になったわけではありません。回復したそばから、少しずつ吸い上げられていると言った方が正しい」


 そう言ってルイスは椅子の上で体を捻る。

 襟足が短くなった首元に、黒いあざのようなものが見えた。

 ルイスは後ろ首の襟元を下に引っ張る。黒いあざは首の後ろから背中にかけて、細く長くヘビのように伸びていた。


「仮死状態になった他の被害者は、このアザが全身に回っている状態です。どうやらこのアザ……というより、影の一部とでも呼びましょうか。この影は対象の魔力を吸い上げて、〈暴食のゾーイ〉に届ける役目があるようです」


 ルイスは落ち着いた態度だが、彼が魔術を制限されているというのは、非常に由々しき事態である。

 ルイスの操る防御結界は規模も強度も超一流。

 竜害の預言が出ている今、ルイスの結界が無いのは非常に痛手だ。

 ブラッドフォードが腕組みをして、鼻から息を吐いた。


「ここらで〈暴食のゾーイ〉の能力を検証しとこうぜ。そうすりゃ対策も考えやすくなる」


 ブラッドフォードの言葉に一同は同意した。

 モニカとしても、〈暴食のゾーイ〉のことはできるだけ知っておきたい。

 なにせモニカは王都襲撃の現場を見ていないので、〈暴食のゾーイ〉の能力が想像しづらいのだ。

 メリッサがペロリと赤い唇を舐めて言った。


「ねぇ、今回の大規模竜害は〈暴食のゾーイ〉と関係あんの? あの古代魔導具って、竜を操る力とかあるわけ?」


 ルイスがユルユルと首を横に振る。


「その点は未だ不明です。竜を操るなんてとんでも能力があったら、伝承に残っていそうなところでしょう? ところが、〈暴食のゾーイ〉の伝承に、竜が絡むものは無いのです」

「まぁ、そうね。〈暴食のゾーイ〉について、一般的に知られてることと言えば、闇属性の魔術を操ることと、『代償と引き換えに持ち主の願いを叶える』って伝承ぐらいだわ」


 古代魔導具〈暴食のゾーイ〉が持ち主の願いを叶える、という話ぐらいはモニカも聞いたことがある。


「なんか……漠然としてますね」


 モニカがポツリと呟くと、ルイスが同意するように頷いた。


「八年前の盗難事件の時も、貴族議会が躍起になって〈暴食のゾーイ〉の伝承を調べたのですが、大したことは分からなかったそうです」

「ただまぁ、危険な古代魔導具ってのは間違いねぇから、〈暴食のゾーイ〉は厳重な封印結界が施されてたんだよ」


 ルイスの言葉をブラッドフォードが引き継ぐ。

 ブラッドフォードが言うには、その封印は、〈暴食のゾーイ〉が盗まれる前から張られていたものであるらしい。

 三代目〈茨の魔女〉、二代目〈深淵の呪術師〉、そして〈星詠みの魔女〉の三人が協力して作り上げた非常に強固な封印だ。

 八年前に盗まれた時、封印は施されていた──その事実にモニカは違和感を覚えた。


(……宝物庫の結界は破れたのに、〈暴食のゾーイ〉の封印は解除できなかった? なんでだろう)


 モニカが思案している間も話は進む。

 メリッサがルイスを促した。


「なんにせよ封印は解けて、セオドアは〈暴食のゾーイ〉を使いたい放題ってわけね。で、実際に戦ってみてどうだったわけよ? 話を聞いてる限りじゃ、箱から黒い影が飛び出してきて、それが人に襲い掛かるって感じ?」

「その通りです。この影ですが、まず第一に、攻撃対象を仮死状態にし、魔力を吸い上げるという能力があります」


 カーラやメアリーが受けた攻撃が、これなのだろう。

 人間の魔力は仮死状態でもある程度回復する性質のものであるらしい。そして、回復したそばから魔力はどんどん吸われて、〈暴食のゾーイ〉に送り込まれる。


「第二に、攻撃対象をシモベにする能力。これでカーラは操られ、〈星の槍〉で〈翡翠の間〉は吹き飛びました」


 つまりセオドアは、操っている対象──シモベの魔術を完璧に再現できるということだ。


「それって、かなり強い能力、ですよね」

「やばすぎるだろ」


 モニカとサイラスが思ったことをそのまま口にすると、ルイスは小さく頷いた。


「その通りです。ですがこの能力、制限もあるようです」


 言葉を切り、ルイスは指を二本立てる。


「セオドアと知り合いで、かつ、対象の名前を知っていること──それが条件のようですね。操れるシモベの数も、制限があると見て良いでしょう」


 ルイスの言葉に、サイラスが厳つい顔を更に険しくしかめて、唸るような声で言った。


「結界の兄さんよ、あんたセオドア・マクスウェルと顔見知りなんだろ? よく操られなかったな」

「……向こうは私のことを忘れていたようです」

「それにしたってアホだろ、そのセオドアってやつ」


 サイラスはハッと鼻で笑って、吐き捨てる。


「七賢人なんて、杖とローブを見りゃ一発で分かんじゃねーか。有名人なんだからよ」


 サイラスの言う通りだ。

 ルイスはその容姿と派手な戦績故に、それなりに名が知られている。まして、七賢人のローブを着て杖を手にしていたのだ。

 名前ぐらいは出てきそうなものではないか。


(なにか、見落としてる気がする……)


 宝物庫の結界は破れて、封印は破れなかった理由。

 七賢人のルイスの名前が、すぐに出てこなかった理由。

 それが、モニカには分からない。

 不完全な数式を前にしたような心地悪さに、モニカは唇を噛む。

 セオドア・マクスウェルはこれだけの大事件を起こしておきながら、その行動はあまりにも無駄や不手際が多いのだ。


「正直に言うと、私はセオドア・マクスウェルがこんな大それたことをしでかしたというのが、今でも信じられないのです」


 ルイスが溜め息混じりにポツリと呟く。


「あの男は言ってしまえば、どこにでもいる臆病で小心者の人間です。宝物庫に忍び込めるような身体能力も、魔術の知識もあったとは思えない。だから、共犯者がいるのではないかと、ずっと思っていたのですが……」


 ルイスがどれだけ調べても、共犯者の影は見当たらなかったらしい。

 事実、今回の襲撃でも姿を見せたのはセオドアだけだ。

 ラウルが小さく挙手して発言をした。


「古代魔導具ってさ、持ち主の魔力耐性が低かった場合、持ち主を操ることもあるんだろ? セオドア・マクスウェルが操られてる可能性もあるんじゃないかな?」


 そういえば、〈識守の鍵〉の騒動の時、モニカはそんな話を耳にした記憶がある。

 操る、というのがどの程度のことを指すのか──体を操るだけなのか、洗脳して言いなりにするのか、程度が分からないが、全くありえない話ではない。

 だがルイスはしばし考え込み、慎重な口調で言った。


「……一応、その可能性も視野に入れておきましょう」


 ルイスはおそらく、ラウルの言う「セオドア洗脳説」に納得がいかないのだろう。気難しげな表情がそう語っている。

 ルイスは「話を戻します」と短く言い、アザの浮いた首の後ろを撫でた。


「〈暴食の箱〉の能力は、影による攻撃と、シモベを作ること。そして、〈暴食の箱〉は行使するにあたって代償が必要になります」


 古代魔導具の代償と聞いて、モニカの頭に真っ先に浮かんだのは、帝国のツェツィーリア姫だ。

 彼女が契約した〈ベルンの鏡〉は、契約者の命を代償にするものと聞いている。

 古代魔導具は強力であるほど代償も大きくなる。

 〈暴食の箱〉も相応の代償が必要と考えて良いだろう。


「代償……持ち主の寿命とか、ですか?」


 モニカの問いに、ルイスは「これです」と言って、己の首の後ろをトントンと叩く。


「あの時、私はセオドアに問われました。お前の大事なものは何か、と」


 次の瞬間、黒い影はルイスに襲いかかり、彼が大事にしていた長い髪をバッサリ切断したのだという。

 そして、髪は〈暴食の箱〉に食われ、同時にルイスは魔力をごっそり奪われた。


「……〈暴食のゾーイ〉は、誰かの大事なものを代償とする?」


 モニカが呟くと、ルイスは顎に指を添えて考え込むような仕草をする。


「大事なものは何かと問われた時、私は真っ先に妻と娘の姿を思い浮かべました。なのであの後、部下を家にやって確認させたのですが……幸い、妻と娘は無事でした」


 最後の一言には、心からの安堵が滲んでいた。

 妻子の安否を確認するまで、ルイスは気が気ではなかったのだろう。


「おそらくですが、〈暴食のゾーイ〉が奪えるものには制限があるのでしょう。その場にないものは奪えない。私の場合、妻子との思い出に付随する髪の毛が奪われましたが……」

「えっ、その髪の毛に、そんな思い出があったんすか?」


 床に膝を抱えて座っていたグレンが声をあげる。

 ルイスがグレンを見下ろして、ニッコリ微笑んだ。


「聞きたいですか? レオノーラが初めて私の三つ編みにリボンを結んでくれたという心温まるエピソードを」

「あっ、もうそれで大体分かったんで大丈夫っす」

「…………」


 ルイスはグレンを一睨みし、小さく咳払いをした。


「この『代償』については検証が不充分なので、もう一人の被害者にも話を聞きたいと思っているのですが……」

「もう一人、被害者がいるんすか?」

「今回の騒動で、市街地にも〈暴食のゾーイ〉の被害者が出ているのですよ。影に蝕まれて仮死状態になった者が数名、それと、私のように『代償』として大事な何かを奪われた者が一名……」


 ルイスは言葉を切り、小さく肩を竦める。


「困ったことに、その被害者は閉じこもって聴取を拒んでいるのです。だからグレン、お前を呼んだのですよ」

「……へ? なんでオレ?」


 首を傾げるグレンに、ルイスは淡々と告げる。


「その被害者の名は、レーンブルグ公爵令嬢エリアーヌ・ハイアット嬢。聞けば、お前と〈沈黙の魔女〉殿は彼女と面識があるのだとか。だから、二人にはエリアーヌ嬢に事情聴取をお願いしたいのです」


 その被害者の名にグレンが息を呑み、目を見開いた。



 * * *



〈暴食のゾーイ〉に襲われたエリアーヌは、現在、魔法兵団詰所の一室に身を置いているらしい。

 本来公爵令嬢である彼女には、相応の豪華な客室が用意されて然るべきだが、今の彼女は古代魔導具にその身を蝕まれている身。

 もし万が一のことがあった時、魔法兵団が対応できるようにするため、魔法兵団詰所の一室に滞在しているらしい。

 モニカとグレンは会議の後の午後、エリアーヌが滞在しているという部屋に向かった。

 廊下を歩く二人の足取りは重く、表情も暗い。


「なんか、大変なことになっちゃったっすね」

「……はい」


 グレンの言葉にモニカは小さく頷く。そしてまた沈黙。

 モニカの留守中に起こったセオドアの襲撃、大規模竜害、それらはまだ始まりにすぎないのだ。

 いまだ〈暴食のゾーイ〉は見つかっておらず、そして、また竜害が起こることが預言されている。


 ──その竜害に、モニカとネロは深く関わっているのだ。


(……早く、サザンドールに戻りたい)


 ラナの無事や、ネロがちゃんと留守番していることを確認して、安心したい。

 そしてまた、あのかけがえのない日常に帰りたい。

 だが、モニカはすぐにサザンドールに戻るわけにはいかなかった。

〈暴食のゾーイ〉に対する方針がまだ決まっていないし、なにより、ダールズモアでの行動に対するモニカの処分が決まっていないからだ。

 憂鬱な気持ちで廊下を歩いていると、あっという間に目的の部屋に着いた。

 魔法兵団詰所、最上階の東端にある部屋。そこに、エリアーヌは滞在しているらしい。

 部屋の前には魔法兵団の若い団員が二人、見張りをしていて、七賢人のローブを着たモニカに気づくと、丁寧に頭を下げた。

 モニカも会釈を返して、見張りに訊ねる。


「あ、あのっ、エリアーヌ様にお話を伺いたいのですが……」


 見張りの男は少し困ったような顔で「少々お待ちください」と断り、扉をノックした。


「エリアーヌ・ハイアット様。七賢人様が、お話を伺いにいらっしゃいました」

「いや! いやよ! いやぁっ!」


 扉の向こう側で金切り声が響く。エリアーヌの声だ。

 嗚咽混じりの声の悲痛な響きに、口を開きかけたグレンが言葉を飲み込む。


「誰とも会いたくないっ、こんな……こんな姿、誰にも見られたくないっ! 見ないでっ、来ないでっ……うっ…………わぁあああああああっ!」


 あとはもう言葉にならず、咽び泣く声が聞こえるのみだ。

 モニカはグレンを見上げた。

 グレンはギュッと眉根を寄せて、唇を固く引き結んでいる。

 きっと、エリアーヌにどういう言葉をかけたら良いかが分からないのだ。モニカもそうだ。

 モニカは小声で、見張りの団員に訊ねる。


「エリアーヌ様は、確か、髪の毛と肌を奪われたんです、よね?」

「はい、一度拝見しましたが、全身の皮膚が赤黒く爛れていて……」


 若い団員が言葉を濁す。口にするのも憚られるほど、酷い有様なのだ。

 モニカは手にした杖をギュッと握り、固い声で問う。


「首の後ろにアザはありましたか?」

「はい、黒いアザが」

「皮膚の爛れは、痛みや痒みを伴うものですか?」

「いえ……特にそのような様子はありません」

「分かりました。エリアーヌ様が、痛みや痒みを訴えたら、すぐに教えてください」


 それだけ言って、モニカは立ち尽くすグレンのローブの袖を引いた。

 グレンは途方に暮れたような顔でモニカを見ている。


「あの……わたし、今まで、そういうこと、あんまり気にしたことなかったんです、けど……」


 モニカは他人の美醜にそれほど興味が無いし、傷痕を醜いと思う感性も持ち合わせていない。

 それでも、今のエリアーヌの部屋に無理矢理踏み込んで良いとは、とても思えないのだ。

 ルイスは、知り合い相手ならエリアーヌも心開くだろうと思っていたようだが、残念ながら逆だ。


「今のエリアーヌ様は、きっと、自分の姿を知り合いに見られたら……すごく傷つくと、思います」

「……うん」


 モニカは「何かあったら教えてください」と見張りに告げて、グレンと共にその場を離れる。

 そうして少し歩いたところで、グレンがポツリと言った。


「オレ、師匠がハゲたって聞いた時、『被害が髪だけで良かったなぁ』って思ってたんすよ。命があるだけマシだって」


 ルイスが聞いたら、蹴りが飛んできそうな発言である。

 モニカが返す言葉に困っていると、グレンは足を止めて、エリアーヌの部屋の方角を振り向いた。


「でも、さっきのエリーの声を聞いたら……命があるだけマシだなんて、とても言えなくて……」

「……はい」


 グレンは金茶色の髪をグシャリとかいて、早口で言う。


「師匠はいいんすよ。あの人は、やられたら勝手に報復しに行くから。師匠のことだから、報復で丸刈りにして木から吊るすぐらいは、平気でやるだろうし……でもほとんどの人は、やられたらやり返すなんてできないんだ」


 突然襲い掛かる悲劇に、怒りを燃やして報復できる人間がどれだけいるだろう。

 大抵の人間は、泣き寝入りをするしかできないのだ。


「……オレ、何ができるだろう」


 グレンの小さな呟きに、モニカは拳を握りしめた。そして、いつもよりハッキリした声で告げる。

 自分の胸にも刻むように。


「〈暴食のゾーイ〉を、回収しましょう」


 これ以上の被害者が出る前に、セオドアを捕まえるのだ。

〈暴食のゾーイ〉を回収して、解析すれば、奪われたものを取り戻すことができるかもしれない。

 グレンがモニカを見る。モニカは握った拳をグレンに向けて掲げた。絶対やるぞ、という意気込みを示したつもりだった。


「やりましょう、グレンさん」

「…………うん」


 グレンも拳を握り、モニカの小さな拳にコツンとぶつける。

 二人がささやかな決意表明を交わしたその時、廊下の奥からバタバタと走る足音が聞こえた。

 こちらに駆け寄ってくるのは、クルクルした茶髪を引っ詰め髪にした青年──〈砲弾の魔術師〉の弟子、ウーゴ・ガレッティだ。


「〈沈黙の魔女〉様! ……と、えーと、空気椅子の人──!」

「グレンっす」

「グレン君。ごめんなんだわー、焦ってて名前出てこなくて。いや、ほんと、マジでヤバくて……」


 早口で言い訳を捲し立てたウーゴは、七賢人のモニカを見ると、慌てて姿勢を正して表情を引き締めた。


「えー、ゴホン。大変です。魔術師養成機関ミネルヴァが……セオドア・マクスウェルに襲撃されました」



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