【11】二代目悪童と謎の少年
魔術師養成機関ミネルヴァに向かう街道を、ヒョロリと痩せた赤毛の男と、利発そうな黒髪の少年が歩いていた。
旅装姿の二人はのんびりとした足取りで、少年の方は覚えたばかりのことを復唱するように、魔術式を口にしている。
魔術式を口にしていた少年は、キリの良いところまで暗唱すると、隣を歩く男に訊ねた。
「ミネルヴァまで、徒歩だともう少しかかりそうですよね。急がなくて大丈夫ですか、ディー先生」
「んーっんっんっんっ、問題ねぇよ。どうせ、入学試験はとっくに終わってるからな」
「えぇっ!?」
今まさにミネルヴァに入学試験を受けに行く予定だった少年は、目と口を丸くして、己の師であるヒューバード・ディーを見上げる。
少年──ノーマンは、セチェンという小さな田舎村の孤児だ。
父の形見の魔術書を読んで、独学で魔術の勉強をしつつ、自分の面倒を見てくれた村人達に恩返しをしようと考えていたノーマンは、昨年、縁あって七賢人が一人〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレットに、魔術師養成機関ミネルヴァの推薦状をもらった。
とは言え、推薦状があっても筆記と面接の試験はある。
そこで、ノーマンの基礎学力向上のために、〈沈黙の魔女〉はこのヒューバード・ディーという男を、ノーマンの師匠に推薦してくれたのである。
ヒューバードは非常に優秀な魔術師だ。僅か半年かそこらで、ノーマンの学力は劇的に向上したし、初級魔術師が使う魔術は一通り使えるようになった。
そんな優秀な男が、ミネルヴァの入学試験の時期を失念していたとはとても思えない。きっと何かしら考えがあるのだろう。
「んっんっん、一般入学の試験は冬の終わりから春の間に終わらせるもんだが、モニカが書いた推薦状は特待生の推薦だ。特待生推薦を持ってる奴は、どのタイミングで押しかけても入学試験が受けられる。だから、ギリギリまで勉強できて、ギリギリで新年度に入学できる今が、一番い〜いタイミングなんだよ」
なるほど確かに、ヒューバードの取り計らいのおかげで、ノーマンは一般入学者より数ヶ月ほど余裕をもって準備をすることができた。
ちょっとずるい気もしたが、「使えるもんは使え、打てる手は全て打て」がこの師匠の教えだ。
そう納得して、ノーマンは試験範囲を頭の中でおさらいする。
「……そういえば、試験範囲を見た時から気になってたんですけど」
「気になったことは、すぐに解決しとけ」
疑問はそのまま残しておくな、もまたこの師匠の教えだ。
すぐに確認しなかったことを反省しつつ、ノーマンは訊ねた。
「どうして、試験範囲に光と闇属性の魔術に関する部分がないんですか?」
属性というのは厳密に細分化すると、非常に多くなるが、大抵の魔術師養成機関では、火、水、風、土、雷、氷を属性魔術の基礎として教えている。
だが、リディル王国の物語や伝承では光の精霊王と闇の精霊王が頻出する。それなのに、光と闇属性について全く触れていないことが、ノーマンには不自然に思えたのだ。
「どうしてだと思う?」
ノーマンの疑問に、ヒューバードが試すように問う。
ノーマンは「無難な解答ですが」と前置きをして、答えた。
「扱いが難しく、危険だから……でしょうか?」
「表向きの模範解答としては、まぁ正解だ」
つまり、裏向きの──あまり大っぴらにはできない事情があるということだろうか?
ノーマンは思案し、思いついたことを口にしてみた。
「光と闇属性は、特殊な血筋の人間のみが扱えると聞きました。その血筋の一族が、技術を独占するため……とか?」
「悪くはねぇが、少し違う。……そもそも、試験問題ってぇのは、正解があってナンボだろぉ?」
頷くノーマンに、ヒューバードが唇の両端を吊り上げて、ヒッヒと笑う。
「光と闇属性魔術は難解すぎて、ミネルヴァの教授も理解しきれてねぇんだよ。だから、試験問題に出さない。自分達が分からないモンなんて、試験問題にできねぇからなぁ」
「えっ、ミネルヴァの教授でも……分からないんですか?」
目を瞬かせるノーマンの横で、ヒューバードは、右手の中指と薬指を親指とくっつけて、手遊びのキツネを作った。
ヒューバードの足元で、陰のキツネがユラユラ揺れる。
「そもそも、光と闇ってなんだ? んんっ? 光を収束することで武器にするという理論はあるが、じゃあ闇は? 夜の闇や、足元の陰をどうやって武器にする?」
言われてみれば確かにそうだ。
土や植物などの物質に魔力を付与して操る、付与魔術というものはあるが、陰に魔力を付与して操るのは少し違う気がした。
「例えば、熱エネルギーをプラス方向に操るのが火属性、マイナス方向に操るのが氷属性だな?」
「はい」
「それと同じで、特定のとあるエネルギーをプラスに働かせたのが光属性、マイナスに働かせたのが闇属性だと考えられている。だが、この『特定のとあるエネルギー』が何なのかを、誰も解明できてねぇのさ。だから便宜上、光と闇って名称をつけた」
つまり、世に知られている光属性と闇属性は、光属性(仮)と闇属性(仮)だったということである。
まさか、便宜上の仮名だったなんて、と絶句するノーマンに、ヒューバードが狐の手遊びをしながら言った。
「新しい命を送り出す楽園の女神が光の精霊王、死んだ人間を管理する冥府の女王が闇の精霊王と、それぞれ同一人物ってぇ説が割と有力だなぁ。だから、光属性は生、闇属性は死を司る、なんて言う奴もいる」
「その辺は、神学や伝承学とも関わってきそうですね」
「神話や伝承なんてぇのは、大抵が国に都合良く作られてるから、あまり過信はするなよぉ? 神話や伝承の面からアプローチするなら、王国史で旧時代の王家の事情も押さえとけ」
「はい。魔術って本当に、いろんな分野の知識が絡んでくるんですね」
それからしばし、光属性と闇属性のエネルギーについて仮説を話しながら歩いたところで、ヒューバードが足を止めた。
背の高い彼は進行方向に何か気になるものを見つけたらしい。
ヒューバードは目の上に手をかざして、目を眇める。
「んーっ、んっんっんっ? ……ありゃぁ、人間か?」
ノーマンも目を凝らした。
前方に何か布の塊のような物が見える。もしかしてあれは、うずくまっている人間なのだろうか?
「もしかして行き倒れかも! 大変ですよ、ディー先生!」
「んんー、あれは……」
ヒューバードが早足で、行き倒れの人間の元に近づく。ノーマンも駆け足でそれに続いた。
道に倒れているのは、十二歳のノーマンより更に年下の黒髪の少年だ。年齢は五歳か六歳ぐらいだろうか。
目立つ外傷は無いが、首の後ろにドス黒いアザがあり、それがやけに目を惹く。
少年は大人が着るようなローブの裾を無理やり結んで羽織っていた。
最初、ノーマンが布の塊だと思ったのは、その少年がブカブカのローブに埋もれていたからだ。
少年は鞄の類は持っていないが、その手に何かを握りしめている。
「これって、ロッド……じゃないや、煙管?」
「んーっ、んっんっんー……んんー?」
ヒューバードは行き倒れの少年の顔と煙管を交互に見て、ニタァと邪悪に笑う。
「予定変更だ、ノーマン。……なんだか面白そうなことになってるみたいだぜぇ?」
そう言って、ヒューバードは行き倒れの少年を肩に担ぎ、ミネルヴァとは反対方向へ歩き出した。
* * *
行き倒れの少年を発見したヒューバードは、一番近くの宿に入ると、寝台に少年を寝かせた。
それは、はたから見ている分には、行き倒れの少年を助けた心優しい青年に見えるだろう──だが、ヒューバードの目は愉悦に爛々と輝いている。
ノーマンはヒューバードのことを魔術師として尊敬しているけれど、同時に彼が合理主義かつ快楽主義だと理解していた。
彼の行動は大抵、合理的判断によるものか、或いは彼の愉悦に繋がるものなのだ。
つまり、この人助けもそのどちらかなのだろう。
ノーマンは寝ている少年をまじまじと観察した。
五歳か六歳ぐらいの、まだ一人旅をするには幼すぎる年齢の少年だ。硬い髪質なのか、短い黒髪はツンツンしていて、やけに主張の強い眉毛もボサボサツンツンしている。
「この子、外傷はないみたいですけど、病気なんでしょうか?」
「いーや。こいつぁ、魔力欠乏症だな。良い教材だ、覚えとけノーマン。人間は魔力を限界まで使い果たすと、貧血に似た症状を起こしてぶっ倒れる」
こんな感じにな、とヒューバードが顎をしゃくったその時、寝ていた少年の瞼がピクリと震えた。
少年は呻き声を漏らしながら、ゆっくりと目を見開き──。
「げ」
何故か、ヒューバードの顔を見て顔を強張らせ、ベッドから飛び起きた。
そんな少年に、ヒューバードが殊更丁寧な手つきで、ずり落ちた毛布をかけ直してやる。
「無理に起きちゃいけないぜぇ、お坊ちゃん。魔力欠乏症でぶっ倒れてたんだからよぉ」
「あ、あぁ……ここ、は……?」
少年がぎこちなく周囲を見回し、固い声で訊ねる。
その顔面は蒼白で、何故か脂汗がビッシリと浮いていた。
ノーマンは師匠に代わって、少年の質問に答える。
「ここはミネルヴァの近くにある、オーヴァという街の宿屋だよ。君は、ミネルヴァとオーヴァの間にある街道で倒れていたんだ」
「そ、そうか……そりゃ世話をかけたな……」
あまりこの年頃の少年らしからぬ言い回しだ。
ノーマンは変わった子だなぁ、と思いつつ、お兄さんぶった口調で訊ねる。
「ねぇ、君の名前は?」
「…………」
「お父さんか、お母さんは?」
「…………」
少年はボサボサ眉毛をヒクヒク震わせながら、目を泳がせた。
もしかして、何か辛い出来事があったのだろうか。ノーマンのように、もう両親を亡くしているのかもしれない。
それでもせめて、名前ぐらい教えてくれないだろうか、とノーマンが困っていると、ヒューバードが鼻歌を歌いながら、手の中で細い煙管をクルリと回した。少年が大事そうに握り締めていた煙管だ。
ヒューバードの手の中でクルクルと回る煙管に、少年が短い手を伸ばす。
「あ、てめっ、それ返せ……っ」
「んん〜? 駄目だろぉ? こんな小さなガキが、煙管なんて吸ってちゃよぉ?」
「それは……その……祖父の形見で……」
言葉を濁す少年に、ヒューバードが喉を仰け反らせ、腹を抱えて大笑いした。
「あーっひゃっひゃっひゃっひゃ!! あんたがいつ死んだんだよ、なぁ? ラザフォード教授よぉーおぉー?」
「てめぇ、クソガキ、気づいてやがったなっ!!」
ラザフォード教授と呼ばれた少年が、ボサボサ眉毛を吊り上げて怒鳴る。
ノーマンは眉を下げてヒューバードを見上げた。
「ディー先生……この子……じゃなくて、この方が……教授?」
おずおずと訊ねるノーマンに、ヒューバードがニタニタ笑いながら頷く。
そうして芝居がかった仕草で、片手を胸元に当て、反対の手でボサボサ眉毛の少年を示した。
「あぁ、ここにおわしますのが、ミネルヴァの名誉教授〈紫煙の魔術師〉ギディオン・ラザフォード教授だ。俺が知ってる姿と、随分と違うがなーぁー?」
くそがっ、とラザフォードが忌々しげに吐き捨てた。
ヒューバードはラザフォードの煙管を、クルリ、クルリと手の中で回す。
「老人が若返るなんて現代魔術じゃまず不可能な事態、古代魔導具か禁書、禁術絡みのでけぇ事件に巻き込まれたと考えるのが妥当か。……ミネルヴァに背を向けるようにして倒れてたところから察するに、ミネルヴァから離れようとしていた。つまり、ミネルヴァ内部でゴタゴタがあったか、或いは外部から攻撃があったと考えるのが妥当か?」
「……相変わらず、無駄に口と頭が回る野郎だな」
寝台の上で胡座をかいていたラザフォードは、幼い容姿に不釣り合いな鋭い目をギョロリと回して、ヒューバードを見上げた。
「おい、ディー。お前、飛行魔術が割と得意だったな? ひとっ飛びして、王都に伝言しろ」
「ざぁーんねん。俺は今、女王様に首輪をつけられてて、魔術が使えねぇんだ」
ヒューバードが節の目立つ細長い指をヒラヒラ揺らす。
その指にいくつも嵌められている指輪は、〈沈黙の魔女〉が魔術封印の魔導具になるよう術式を書き換えた物だ。
ヒューバードの言葉に、ラザフォードが顔をしかめる。
「おめぇはまだ、エヴァレットのケツを追っかけ回してんのか……」
「あいつより頭のネジが飛んだ化け物がいたら、是非、教えてほしいねぇ」
ラザフォードはケッと喉を鳴らし、ヒューバードに片手を差し出した。
「おい、ディー。金貸せ」
「んん〜? ミネルヴァから追い出した生徒に金をたかるたぁ、落ちるとこまで落ちたなぁ、教授ぅ?」
「うっせぇ、非常事態だ。こうなったら、早馬飛ばして王都に行くしかない……が、手持ちがねぇ」
どうやらラザフォードはミネルヴァを出てくる時に、財布を置いてきてしまったらしい。
そして今は、財布を取りに戻る暇も惜しいほど、切迫した状況なのだ。
「んっんっんっ、王都ねぇ……」
ヒューバードは意味深に笑い、ノーマンに目配せをする。
ノーマンは、言いにくいなぁ、と内心思いつつ、口を開いた。
「ボク達もさっき、宿の人に聞いたばかりなんですけど……王都、大変なことになってるらしいです」
「あぁ?」
ラザフォードがボサボサ眉毛をひそめて、下唇を突き出す。
ヒューバードがノーマンの両肩を後ろから叩いた。
「さぁノーマン、良い機会だ。どうやらミネルヴァは今、非常事態のようだし……入学試験前に、たぁっぷり、おじいちゃんに恩を売っておこうぜぇ?」




